アラフィフからのプログラミング!デジタルの海にダイブした私のリアルな体験#5
私が引き継いだ作業には、他にもうんざりするようなものがたくさんありました。今日はそのうちの一つを紹介しつつ、そういう作業がなぜ歴代引き継がれてしまうのか?について考えてみます。
うんざりする仕事「カチカチ」
#4で書いたような政府が公表している資料からのコピペ作業はほかにもたくさんあるのですが、前任者から引き継いだ仕事(作業)の中でもう一つ驚愕したものがありました。それが「カチカチ」(命名者不明)です。
ここで「カチカチ」がどのよう仕事なのかを説明しましょう。
例えば、組織内で毎年食品関連の企業100社の業績データを集めているとします。手元には2000年から2023年までの各社のデータがあり、2024年のデータが公表されるとそれを追加する必要がでてきます。
これをするとき、皆さんならどうしますか?
Excelにどのような機能があるのかが分かっている人なら、「最終行の一つ下の行に2024年分の全データを貼り付けて、A列の証券コードとC列の決算期を数の小さい順に並べ替えればよい」ということがお分かりになるかと思います。
ですが、前任者に教えられた方法は、「各社の最新のデータが入っている行の下に1行挿入し、そこに2024年の元データから1社ずつのデータをコピーしていく」というものでした…セルを降りて行き、社名が変わるところで右クリックして行を挿入、またセルを降りて行き、社名が変わるところで右クリックして行を挿入、これを行っているときのマウスの音が「カチカチ」と鳴るというわけです。
私が異動してこの作業を引き継ぐまで、毎年数百社分これをやっていた前任者の我慢強さには脱帽です。一度も「こんな面倒なことやっていられるか!」と思わなかったのでしょうか?こういう人は経営者や年長者にとって、最高に都合のよい従順で忍耐強い従業員、つまり従業員の鏡です。
なぜ誰もこの状態をヤバいと思わないのか?
まあ、集計しているデータは例に挙げたような単純な形ではなくて、組織独自の情報が入力されていたりするので、実際には最新データを貼り付けてソートすれば終了、というわけにはいかなかったりするのですが、それでも基本はそれでOKなんですね。あとは必要なデータは前年のものを転用すればよいので。
私はコピペ作業を誰よりも憎み嫌っている上に、我慢強くも忍耐強くもなく、都合の良い従業員になどなりたくなかったので「こんなバカげた作業は一瞬で終わらせたい」と強く思っていました。もちろん、データを集めること自体は馬鹿げているとは思いません。組織の経営戦略や活動の裏付けとするためであれば必要なことではあります。しかしそれを何年も、下手すれば何十年も人が手作業で何日もかけてやっている、やらせていることに誰も疑問を持たなかったということが問題だと思うんですよね。
ここまで馬鹿げた作業はないとしても、似たようなことを延々やっている組織はたくさんあるのではないかと思っています。現に、私がデジタル化推進のためにアドバイスに入っている会社でも、こうしたデータのコピペを複数人の社員が毎日「仕事として」行っているケースがほとんど、という印象です。
ではなぜこのようなことが起きていて、一向に変わらないのでしょうか?私はこれには2つの理由があると思っています。1つ目は個人の性質、2つ目は組織の体質や文化です。
「頑張る」ことと「我慢する」ことは違います
1つ目の個人の性質という面では、上述したとおり前任者は我慢強くて忍耐強い頑張り屋さんだったと思いますが、こういう人はわりと多いのだと思います。そして彼らは前任者や上の立場の人に教わった方法をそのまま踏襲します。そしてそれを次の人にも引き継いでいくのですが、彼らに共通するのは「ラクをすることは悪い(ラクをしたいと考えることも悪い)」「頑張ることが大事」「我慢は美徳」という思想です。
私も頑張ることは必要だと思います。だからこそ自動化するためにプログラミングを学んだり、いろいろな方法を頑張って習得しようとしているんです。ですが、ここで私が言いたいのは「頑張る」ことと「我慢する・耐える」ことは違うということです。
「頑張る」
ポジティブな方向に努力し、成長や成果を得るためにエネルギーを使うこと。目標にむけて自発的に努力をすること
「我慢する」
自分の不満やストレスを抑え、現状を変えることなく受け入れること。得られるものが少ないにもかかわらず苦痛をただ耐えること
と定義すれば、成長や改善、達成感につながらない頑張りは単なる我慢だということができますが、彼らはこの違いを認識しておらず「耐え忍んでいる」ことを「頑張っている」と誤解しているのかもしれません。
いっぽうで、我慢だとも忍耐だとも思っていない可能性もあり、その場合、やらされている彼らもやらせている上司や先輩たちも改善の必要性を感じるわけがありません。当然、効率化しようとかもっと良い新しい方法を探そうとする動機が生まれませんので、永遠にこの作業が引き継がれていくというわけです。本人たちが満足で幸せならそれでもいっか。(私は絶対にイヤだけど)
2つ目の組織の体質や文化については、また続きで書こうと思います。