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僕がヒトでないのなら

ヒトより、寿命の短い生き物になりたいと思うことが、よくある。
欲を言えば、ヒトに飼われる生き物がいい。
もっと欲を言うならば、放っておいてくれてもいいけれど、大事に、してもらえたら尚良い。
それが例えば犬であったり、猫であったり、なんでもいいが、どちらにしても、お互いに言葉の通じない、僕たちであろう。
ただ、この大きなヒトと呼ばれる生き物が掛けてくれている音の意味は分からないけれど、その声音の柔らかさや、ヒトの表情を見て、愛とか呼ばれるような、優しいものを感じて、僕はその伸ばされた腕や指に懐き、いつでも側にいたいと感じるようになりたいのだ。

ヒトに飼われる。そのような星の下生まれた生き物である僕は、ヒトが焼いてくれる世話なしでは生きていけず、時にヒトの生活に翻弄されたりしてその生をすり減らしていく。

ある時は、
朝、たぶん結構早い時間。ヒトは楽しそうにひらひらした布を翻しながら出口に向かって歩いて行くので、行かないで、もっとそばにいてよ。そんな僕の言葉が届かないことを知っていて、大きな声を出してみたりする。出口が閉まり、結局静かになった家の片隅で、窓から落ちる日の光を眺めながらうつらうつらと船を漕ぎ夢を見るのだ。
暗くなり、もう幾ら時間が過ぎたかわからないでいる頃にヒトは帰ってきて、僕は必死におかえり、と叫ぶ。
ヒトは、静かにね、と口元に指を当てながらも僕の毛並みに指を通すだろう。
僕は、嬉しいとアピールする。そこで目一杯に自分なりに愛とかいうものを伝える。
ヒトは、嬉しそうな顔をする。
夜が更けてしばらくするとヒトは眠って、僕も眠りにつく。
また新しい朝を迎えるまで。

またある時は、
ヒトが僕のご飯をくれなかったりする。いつもご飯が盛ってある皿は空っぽで、お腹がすいたよ、そう叫んでみてもヒトは来ない。僕は少し焦る。皿にわずかに残った水を舐めて生きようとする。またヒトがご飯を注ぎにきてくれた時に生かしてくれてありがとうと伝えるために。
ヒトはやっと帰ってきて、ごめんね、と悲しそうな顔で。なんだか腫れぼったいような目で。僕の毛並みに指を通しながらご飯を注いでくれる。きっと僕はヒトより小さな生き物であるから、飢えを満たすために真っ先にそのご飯に飛びついてしまう。ハッとして顔を上げた時、ヒトは目から雫を沢山溢して、脚を抱えて、僕の側に蹲ったままでいる。
僕はやっとそこでヒトの様子が変なことに気づくのかもしれない。ご飯、美味しかったよ。これで明日も生きていられるし、一緒にいられるよ。と慌てて伝えるけれど、ヒトはどうもいつものように嬉しそうな顔にはならなくて、舐めるとしょっぱい雫ばかり溢して、まるで僕みたいな生き物のような声をあげて。
僕はなんとなく、気持ちが沈んで、それでもこのヒトから今は離れないでいよう。きっと今こそが僕が側にいる時なのだと、悟ったりして。この身体をぴったりとヒトに寄せる。少しでも温もりが伝わればいい。そのしょっぱい雫が止むまで。

僕は、このヒトが好きなのだろう。
それが、僕には当たり前のことになり。
言葉がなくてもなんとなく、ヒトが感じていることがわかってくるようになり。
そんな頃には、僕の身体中にガタが来ていることにも気づいている。
なんとなく、ご飯が美味しくなくなった。
なんとなく、前より走れなくなった。
でも、それをヒトに悟られたくなかった。
ヒトには、いつも嬉しい顔をしてほしい。僕は、不調なんてない、そんな風に振る舞うようになる。

そしてヒトが、以前より僕が沢山眠るようになったことに気づく頃には、僕の生の時間はもう幾ばくもないのだ。
感じていたよりずっと、僕はこのヒトと長い時間を過ごせたんだな、と僕はどこかで思う。
ヒトは、いつも忙しなく、それでも僕より長い時間を生きると知っていて、その中で僕と過ごした時間は僅かなものかもしれなかった。

それでも、僕はこのヒトの側で生きることができて、幸せだった。

けれど僕の命が尽きる時、そのヒトが僕と同じように幸せかどうかは最後までわからないままだったんだ。
だってヒトは、しょっぱい雫を沢山目から溢して僕を見下ろしていたから。
その雫が、止んだらいいな。
僕は、僕の毛並みを撫でるそのヒトの手に、力を振り絞っていつもみたいに懐いた。
お互い言葉が通じなくても、僕とヒト、そこに愛はあったと思う。
だからこれからも幸せでいてねってね、そんな気持ちをその時僕は確かに持っていた。

ヒトは僕なんかより、ずっと難しい生き物だ。
きっとそういう生き物になったら思うかもしれないな、なんて考える。

食物連鎖の頂点、何よりも賢く、狡く、強かでありながら、繊細で弱く、それゆえに同族で傷付け合う、愚かな生き物。

僕は早く、この人生を卒業してしまいたい。
死んだとして、次に何に生まれ変わるかどうかなんて、そもそも生まれ変わるかどうかなんて、僕の知り及ぶところではないのだけど。
ヒトの側で愛されて生きる生き物なら、ヒトの良さをもう少し知れたかな、とかね。

という、秋の夜の妄想話、でした。