ある場合


狭い部屋。型落ちのテレビには、黒人男性同士が交わるアダルトビデオが流れている。
粗雑に抱かれて、僕は精液まみれの身体でベッドに横たわったままでいる。
天井を見上げながら、このままいつまでこんな日々が続いていくのか。
そんなこと、いつもは考えもしなかったけれど。
まあ別にどうでもいいか。そう思って目を閉じた。


僕が生まれたとき、僕の両親はひどくがっかりしたという。
待望の女児として生まれてくる予定だった自分たちの子供が、いざ出てきてみたら男児だったからだ。
2000g台の、色素欠損の男の子。
両親は僕に無関心だった。
ある程度まで育てると、僕はある程度暮らしていけるだけの金とともに全寮制の学校に放り込まれた。
見た目のことはもちろん、まともな喋り方や人とのコミュニケーション能力をほとんど学んでこなかった僕に、友達など一人もできるはずはなく、ずっと一人ですごした子供時代だったが、一人は気が楽だったし、いままでずっとそうだったので寂しいとも思わなかった。
勉強もそこそこに成績を保ち、僕はいつの間にか、大学生になっていた。
寮から離れて、一人暮らしを始めた頃から、夜に散歩することが楽しみになった。
繁華街を一人で歩いていると、誰も僕に見向きもしない。本当に一人だと、なんとなく感じるのが好きだったからだ。

そして当てもなく歩いていたある日、僕はこの店のスカウトを受けたのだ。
生活の足しにはなるだろうし、これは僕の抗いでもあるかもしれない、そう思った。
両親から授かった身体を、汚してやろうと思ったのだ。


その日の客は、すらりとしたスーツ姿の男だった。
髪も丁寧に整えられていて、眼鏡をかけた、いかにも紳士というふうな。
珍しい。こんなところに、こんな客が来るなんて、と最初は思ったけれど、いつもと同じようにしたらいいだけだ。
部屋に案内をすると、男は部屋を見回してこう言った。

「僕と話をしてくれないかい、ユキくん」
「…お話、ですか…?」

不思議に思った。ここは、そういうことをしに来る場所なのに。
しかし話をするだけでお金がもらえるなら、楽でいい。
男はベッドに座り、僕は隣に座った。

「綺麗な髪だね。染めているの?」

「…いえ…先天的に、色素が薄いそうです…。なので、地毛です…」

「へえ、そうか。そんなことがあるんだ」

男が髪に触れ、頭を撫でられる。
大きな手は、いつもの客らと違って、不思議と心地よく感じた。

「…ふふ、失礼。ユキくんは、どうしてこのお店で働いているの?」

別に本当のことを言う必要はない。

「それは……、その、お金に、困っているので…」

「ふうん、そうか。でも、もっと働き口はあっただろうに」
「…僕は、こんな、見た目ですし…。体力も、そんなにあるわけじゃなくて…。普通の仕事が、できるか、って考えてたときに…、その、スカウト、されたんです…。ここに。…別に、抵抗があるわけじゃ、なかったので…。セックスをするだけで、お金がもらえるなら、と…」
「なるほどね…。たしかに、君は綺麗で可愛らしいし、好む人も多そうだ」
「…いえ、そういう、わけでは……」

僕は俯く。
最初こそ、客はついたものの、今では店の中でもかなり低い成績であることは自覚していた。
ここでも、見た目が僕の邪魔をしていた。
そして僕には、圧倒的に技術が足りないのだ。

「…何も知らずに、ここに来ました…。セックスなんて、今まで一度も、したことが、なくて…しかも、男性相手で…。寝転がっていればいいんだよ、としか、教えてもらえなかったので…」
「それはひどいな。君にはポテンシャルがあると思うよ。先天性のその見た目、肌だってこんなに白くて綺麗だ。そこを売り込まないといけないし、もったいないな。それから、技術をもっと、教えてあげないといけないように思うね」



思っていたことを言い当てられて、すこしドキリとする。
…この男は何者だ?
そろりと相手を見上げると、見透かしたような瞳が僕を射抜く。

「…ねえ、直くん」
「…!?…どう、して…」

どうして。僕の本名を?


「ふふ、君がこんなところで働いてるって情報が入ったときは慌てたよ。ずいぶん、迎えに来るのが遅くなってしまったようだね」

男が、ふいに髪を手で乱す。そして、眼鏡を取って柔らかな微笑みを見せる。
見覚えがある、その顔は

「上島…さん…」
「やーっと気付いてもらえた。どう?結構僕、かっこよかったでしょ?」

そういって笑う。そこにいるのは、いつも大学に来る、製薬会社の営業社員。
僕が、唯一、心を開きかけている人。
上島雄輔、さん。
こんなにきっちりした格好を見たことがなかったから、全然気が付かなかった。
でも、なぜこんなところに?
僕は混乱した。

「驚かせてしまってごめん。でも、君をこんな店に置いておくわけにはいかないと思って。迎えに来たんだ。まさか君のほうから、この業界に飛び込んでいくなんて思いもしなかったから」

この人はなにを言っているんだろう。


「…あ、あの…話が…見えない、です…」
「ふふ、そうだよね。僕は、あるクラブを手がけている。たまたま大学で君を始めて見たときから、君とビジネスパートナーになりたいとずっと思ってきた」

彼が言うにはこうだ。
表向きは大手製薬会社の営業社員。
しかし裏の顔は、富裕層向けの風俗クラブのオーナー。
僕を見たその時から、可能性を感じて自分のクラブで働かせたいと思っていた。
臆病で心を開かない僕に近づき、徐々に心をひらいてもらって来たなと思っていた矢先に、僕のこの仕事の情報が舞い込んだというのだ。

もう、驚くのを通り越してなんとなく納得がいった。
今まで、僕なんかにだれも声をかけてくることはなかった。
しかもただ大学に出入りするだけの営業社員が、研究室の隅っこで下らない研究に没頭している学生に気さくに声をかけ、優しくしてくれて、僕は少しずつ、この人になら心を開いてもいい、そう思っていった。
それはすべて、僕をビジネスパートナーにするため。
僕を、利用するため。
僕なんて所詮、そんな程度のものだ。

また僕の心を見透かしたように彼は笑った。

「利用されようとしている、なんて思わないで。直くん」
「…で、も…」
「君が、必要なんだ。君じゃなくちゃだめなんだ。君を必ず幸せにしてみせるよ。僕のところに来て、良かったと。必ず思わせてみせる」

「君には、変わろうとする気持ちがあるんだろ?だからここにいるんだ。君は無意識に変わろうと必死なんだ」

どうせここでも駄目だ。そう思っていた。
けれど、彼の言葉にはいつだって、僕を藻掻こうとさせる力がある。
僕がしたこともないような仕事を選んだのはどうして?
本当にただの抗いだけだったのか。
どうせ駄目でも、ここでなら、そう少しでも期待した僕がいたのは、確かだったはず。

彼が、彼が僕を必要としてくれるなら。

「僕と、ビジネスパートナーにならない?直くん」

僕は、程なくして店を辞めた。
それでも、一ヶ月、彼を待たせたけれど。
迷って、悩んで、それでも僕はこの道を選んだ。
後悔はしていない。
いろんな技術を彼から学び、ちゃんとした仕事も得た。
実際彼が言うように、僕は今幸せになったんだと思う。

このままこんな日々がいつまで続くのか、今なら少し考える。
でも、考えてないとも言える。
そんなこと、考えたってわからないと、思えるようになったからだ。

僕はただ、今を生きるだけ。
誰かへの抗いではない、僕自身の今を、生きるだけ。


「ん?どうしたの、直」

窓の外をぼーっと見つめていた僕を見て雄輔さんは言う。
いつだって、この人は僕を見透かしている。

「…んーん、なんでも…。すこし、昔のことを、思い出してただけ…」
「そう…?着いたよ。今日も頑張っておいで。なにかあったら、連絡してくるように」
「…うん。…ねえ、雄輔さん」

「ありがと、ね」

彼はにやっと笑う。

「どういたしまして。直」

彼が髪を撫でる手を取って指先にキスをすると、僕は車を降り、ホテルのエントランスへ向かった。