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語る美学と語らない美学

私にとっての美学は、多くを語らないこと。語らずに、行動で思いやりを示したり、自分の価値観を表すことです。


例えば、誰かと一緒にいるとき、相手が疲れてそうだな〜と思ったら飲み物を買って渡したり、スイーツをいつも抹茶を選ぶことによって抹茶好きを示したり。


所謂「察する」的なことです。わざわざ言葉にせずとも、互いの心を読み合って会話するというのがかっこいい。無駄がない。これこそ日本の美学、私の愛する美学と思っていたのですが、最近語ることにもまた美学があるなと思うようになりました。


語る美学とは、語らない美学と反対に、自分の思いやりや価値観を言葉にして表すこと。


先ほどの例でいうと、相手が疲れてそうだなと思ったら、「疲れてる?ちょっと休憩しようか」と声に出したり、「私は抹茶が好きなんだよね」と好みを言葉にしたり。


語ることの美しさとは、いち早く相手を笑顔にできることではないでしょうか。語らないと、「なぜ飲み物を買ってくれたのだろう?」「そういえばこの人は抹茶ばかりを頼むような気がする」というように、人が行動を起こしてから、それを基に意図を考えます。


そして言葉にしないがゆえに、その人の思いやりや好みに気づかない可能性もある。「飲み物が飲みたいタイミングだったのかな」と思ってしまったり、抹茶ばかりを頼んでいることに気づかなかったりということが起こり得るのです。もちろん語らない側はそんなのは百も承知で行動を起こしているわけですが。


これは逆にいうと、言葉を省いて無駄をなくしているけれど、思いやりや価値観の共有が漏れてしまうことがある。それは決して無駄とは言い切れないけれど、もったいないような気がします。


一方で語ることをすると、相手は即座に自分の思いやりや価値観に気づきます。自分への思いやりに気づいた上で飲み物を受け取るし、抹茶を頼む前に抹茶好きということを知ります。


言葉を尽くした分、思いやりや価値観の共有の漏れがなく、意図を確実に共有できる。だから相手は思いやりを受け取った時に、それが思いやりであるのかと考える余地もなく、笑顔になれる。抹茶好きを確実に伝えられてるからこそ、何かをあげる時に抹茶を選び、相手を笑顔にすることができる。


このように、言葉の無駄を省く語らない美学もあるけれど、確実に相手を笑顔にできる語る美学もあるのだなと感じました。


では語る美学と語らない美学はどのように使い分ければ良いのでしょうか。


これは完全に個人の意見になりますが、基本的には語らなくて良いと思います。語らないと思いやりに気づけないのであれば、それは相手への観察力が足りていないし、自己中心的な振る舞いをしていることになるのではないかと思います。逆に、相手をよく観察し、思いやりをもって接していれば、相手からの気遣いにも気づけるのではないでしょうか。もちろん、自分が気づいていない気遣いもあるとは思いますが。


語るべきなのは、自分の好みや性格なのではないでしょうか。これらは人によって大きく異なるからです。注意深く観察していれば多少はわかってくるかもしれませんが、相手が無理をして嫌いなものを食べている場合もあるし、無理して明るく振舞っている場合もあります。そうなると人の好みや性格は正確に把握することが難しくなります。


以上、今回は語る美学と語らない美学について考察しました。この記事が気に入れば、オススメをしていただけると大変うれしいです。


お読みいただきありがとうございました。

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