生きることを祝福する舞台、『バレエ・フォー・ライフ』に魅せられて(柴)
最愛の舞台の中止が発表になったのはこの原稿を書いている1週間前のことです。スイスを拠点とするモーリス・ベジャール・バレエ団の『バレエ・フォー・ライフ』。長いことバレエを見てきたわたしが、どの舞台よりも何度も通いつめ、何よりも愛する演目です。
バレエといっても、一般に想像するふんわりとした衣装のクラシック・バレエではありません。フランス生まれの振付家モーリス・ベジャールは、伝統という名の約束ごとが多かったバレエ芸術に演劇や哲学、宗教など多岐にわたる領域を取り込み、生命と愛をうたい上げる総合芸術としてのバレエを生み出しました。各国のアーティストと親交があり、日本では歌舞伎の坂東玉三郎丈がベジャールの作品を踊っています。
『バレエ・フォー・ライフ』とは
そのベジャールが1997年に発表した『バレエ・フォー・ライフ』は、全編ロックバンド・クイーンの楽曲を用いた作品。ロックとバレエが出会うこの一風変わった舞台は、クイーンのボーカル、故フレディ・マーキュリーと、ベジャール最愛のダンサー、故ジョルジュ・ドンに捧げられています。
ドンに先立たれ失意にあったベジャールは、その数年後にクイーンの音楽と出会い、フレディの声に惚れ込んで舞台化を構想したといいます。フレディとドンの共通点は、80~90年代のアーティストたちの運命を席巻した同じ病で亡くなったことでした。
わたしは1998年の来日公演でこの作品を初めて観て以来、来日公演は欠かさず、ローザンヌ、パリなど海外公演にも足を運んできました。不思議と、前向きな力がみなぎってくる感覚があるバレエなんです。なぜなのか知りたくてまた劇場の奥地に……を繰り返すうちに、観劇は数十回に及んでいると思います。来日中止は仕方ないこととはいえ、本当はいまこそ、あの全身が震えるような感動を味わいたかったです。
生を祝福する舞台
『イッツ・ア・ビューティフル・デイ』、舞台の幕開け、音階を一気に駆け上がるフレディの無垢なアカペラとともに、舞台の上ですっぽりと白い布をかぶって横たわっていたダンサーたちが次々に起き上がります。休憩なしで突っ走るクイーンの有名曲のメドレーにのって、ヴェルサーチがデザインした奇抜な衣装をまとってみずみずしく躍動するダンサーたち。フレディを思わせる派手なマントに真っ赤なタイツの人物。『ブライトン・ロック』『ボーン・トゥ・ラブ・ユー』『Radio GA GA』……
作中いちばんエモーショナルな場面は、終盤の『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』でしょう。フレディの力強いボーカルとともに、大きなスクリーンにジョルジュ・ドンの踊る姿が映し出されます。夭逝したミューズへのベジャールの哀惜がにじみ出るような場面です。生前のベジャールは、この場面でいつも涙を浮かべていたといいます。
ですが作品はここでは終わりません。舞台を締めくくるのは『ショー・マスト・ゴー・オン』。それでも人生は続いていく……ダンサーが1人ひとり舞台に呼び出され、横一列で観客の方向へと歩みを進めるラストには、空恐ろしいほどの力がこもっています。
1997年パリ、世界初演での特別な『ショー・マスト・ゴー・オン』。ボーカルにエルトン・ジョンを迎え、クイーンの残されたメンバーがライブ演奏をしました。ちなみに、フレディ以外の声でクイーンの活動をすることに否定的だったベーシストのジョン・ディーコンが、クイーンとして舞台に立ったのはこのときが最後です。
志半ばにしてこの世からいなくなってしまったアーティストたちを悼むことが、逆に、「生きること」への限りない祝福になっている。タイトルの通り、そういう仕組みの舞台なのです。
考えてみればこの作品に限らず、舞台作品というものはすべてそういう存在なのかもしれません。幕開けとともに生まれ、演者とひとつの人生を分かち合い、幕が下りるとともにその人生を終えて、少しだけ新しい自分としてまた息を吹き返す……。
自由になろう、愛し合おう、精いっぱい自分の人生を生きよう、とフレディは歌います。フレディ自身にはかなえられなかったかもしれないその理想は、アートという方舟に乗って、いまも旗を掲げて航海を続けています。
コロナ禍のさなか、いま誰もが病と、人が生きることと、我がこととして向き合っています。それは、当時の不治の病(いまは治る病気です!)をひとつの契機として生まれた作品『バレエ・フォー・ライフ』に、今後新たな視座を与えるはず。この作品だけでなく、わたしたちが舞台を、芸術を観るまなざしは、これから変わっていくのではないでしょうか。
生きることを改めて見つめ直した目と耳と感性で、愛するあの舞台をまた体感したいと祈っています。
【今回の「偏愛」を語ってくれた人】 柴 (連絡先はありません)
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