凡庸”本”雑記「ソファ」
2024年8月7日内容がお粗末だったので、少し変更しました。
会社の中、咳があちらこちら聞こえてくる。彼はコロナで今日は来ない。他の誰かも、熱が出た。病院に行ったらやっぱりそうだった。そんなことを聞いていたら、とうとう僕もコロナになったようだ。(さほど熱も出ていないので、病院に行っていない)
初めは、ほんの少し喉に痛みが、そいつが酷くなるにつれ、微熱が出始めた。幸いにも、高熱にはならず、今のところ36.7ぐらいで落ち着いている。
咳が少々出る。体の節々が痛く、だるい。死にそうなぐらいの倦怠感が辛い。体の中に、病魔は根強くしっかりと根付いているようだ。
一応、会社を休み、布団の上に寝転がり、iPadでひたすら映画やドラマなんかを観ていた。それが飽きると、仮契約中のオーディブルで、気に入った小説やエッセイを聴いた。
寝転がったまま、手足や目をバタつかせず、耳だけで知的好奇心を満たし、創作の甘い果汁を、それなりに得ることができるのだから、意外と、素晴らしく、便利な、新しい創作品の吸入方法だ。
本は、紙に書かれた文字を目で追いながら、頭の中で想像たくましく、個人的に自由に平等に、物語の世界を紡ぐべきだ。と、純然たる読書愛好家からは、一刀両断されてしまうだろう。とにかく、”耳”だけなんて、彼らの王国の戒律には間違いなくありはしない。
紙の本を読むは、厄介で贅沢な環境が必要だ。
本を照らす柔らかで明瞭な明かり。正しい姿勢で長時間読むことができる、椅子や机。より読書人として高みを目指すならば、落ち着いて体を包むソファが絶対的必需品。
昔、村上春樹だろうか、読書のススメみたいなエッセイの中に、素晴らしい読書を快適に行うためには、何はなくとも、身体にピッタリと合う、座り心地の良い快適なソファを手に入れるべきだ。そう書いていた、確か。
決定的に金に糸目をつけず、自分の身体に合ったものを、出来れば、海外製の(やはりソファーの本家本元は違うらしい)多少高価な品を、一目で品位と高尚と、真摯を見て取れる、高級なインテリアショップを探し求め、勇気と自身と、多少の自己顕示欲を持って購入するべきだ。そんなことを書いていたかもしれない。(この部分はかなり僕の創作)
確か、メーカー名も書いていたようだけど、すっかり忘れてしまった。僕には、あんまりにも関係なさ過ぎる事柄だから。
読書を、正しく行うには、快適に行うには、読書と言う精神的にも、知性的にも、類まれな良き習慣を身につけるためにも、頭痛しか発生しないほどの高価な舶来品でも、それは、無駄な買い物ではない。(そうだろう、そうだろう)
うっとりと紙の本を無心に読み進む僕の満足げな表情は、頭の中でありありと空想できるけど、現実はソファを買う金も、置く場所もない。それに、厄介ごとから、かりそめでも、束の間でも、とにかく解き放たれた夜。そして休日に、動きも音も無く、ただ、文字が並んでいるだけの、紙の本なんて、そんなものに手を伸ばそうとするだろうか?
最近の、僕の行いを見てみると、それはそれは、絶望的に本への配慮が無い。本を読むことは、よほどの気の迷いがなければ行わないだろう。きっと。
だけど、高級ソファは別の事で無駄にはならない。快適な動画視聴の環境として、存分にほぼそれのみに使用するから。
ただ、こんなにも、いまだに紙の本への妄想を捨てられないのは、過去,紙の本に得難い喜びを与えてくれたから。瞳だけで、紙の上の文字を追い、頭の中で、物語を咀嚼し、理解して、その、真意を見つける。だからこそ、純粋な物語への没入が得られる。
幼少のみぎり、年の内何度か、体の弱かった僕は、病に臥せっていた。定期的な儀式の様に。布団の中で、無限の時間をいかにしようかと、よく思案していた。当時は、動画配信なんて空想小説にも出てこない。考えてみれば、延々とNetflixやAmazon、YouTubeなどでを見続けて廃人認定されている今の僕よりも、身体は貧弱だが、心は健全だったかもしれない。
とにかく、時間を削るには、瞳を閉じて眠りこけるか、読書しかなかった。
その時の僕は、本を読むのを好んでた。人が知性と想像力で創り上げた品々に、無性に心が引かれていた。そして、唯一現実的に実行できたが読書だった。他に選択するものもないので、目の前の本を手に取るしなかった。
紙で出来た本を読んでいる時の、物語への真摯な集中と、結果得られる幸福感は、今でも思い出す。iPad、iPhone、Mac、そして、Kindleなど電子ツールだと,あれほどまでの没入感が生まれ無いのが、不思議であり歯痒い。やはり、数十万出しても、紙には勝てぬのかと、変な敗北感を持ってしまう。
この、全ての世界から切り取られた、幸福な閉鎖感は、読書と、強いて言えば、街の商店街の裏ぶれた映画館(うつくしいシネコンじゃダメなんだ)で観る映画しかなかったと思う。
その読書の幸福感を再び得ようと、時々、小説を書店で買い、数ページ開いて読んではみるが、どうしても、NetflixやAmazonの映画やドラマ、アニメの後塵を拝してしてしまう。一向に進まない。哀れな話だ。
今度、丸の内TSUTAYAにあると言う、シェアオフィスに行ってみようと思っている。かなり美しく、設備も豊富に完備されている。そこに行ったなら、きっと、一冊や二冊訳もなく、読書に没頭し、集中して読み切れる。かもしれない。(ほんとかなぁ?)