凡庸雑記「疲れ」
とにかくヤバイ。仕事で肉体的にも気持ち的にも疲れ切っているので、時間ができても何もする気が起きない。
せっかくだからと、Macを開いて、キーを打ち始めたり、Lightroomを立ち上げて、とんでもなく溜まった写真を現像しようとすると、体がドッと重く沈んで行く。
そこで、すかさずMacを閉じ、ほうほうの体で逃げ出すことになる。
現像したい写真や、撮る分はどれほど体がしんどくても歩き通しで撮ることが出来るのに、ハイライト、シャドー、コントラスト云々をいじって、好みに現像するのは、本当に疲れて痺れてしまう。
文筆するのもそうだ。書きたいことは頭の中にうず高く積もっているが、それを取り出して、まな板で切り刻み、適当に鍋に突っ込んで、センスとユーモアで味付けし、少しばかりウンチクを振りかけて、人様に差し出そうとするのだけど、初めの一行がどうにもこうにもまとまらない。
これも、キーを二、三回叩いては、Macを閉じて、おさらばだ。
そしてこう思う。どうせ、誰にも必要とされていない、自己満足の結晶なのだから、書かなくても、造らなくても、出さなくても、問わなくても、世間様に微塵の影響を与えないではないか。と。
で、いったい何をしているのかと言うと、この数日の休みの時間。ひたすら動画配信を見ている。もう、依存症そのものだ。
自然とiPadに手が伸び、事欠かない無数の動画コンテンツを次々と貪っている。
確かに、観て満足するものばかりだし、一定の感動や知識の吸収を感じてはいるが、本当にこのままで良いのか?と、空恐ろしくなってしまう。
ただ、こんな戸惑いと不安も、次の動画でかき消されてしまうのだけど。
だからこそ、ほとんど人としての体をとっていない疲弊した脳髄を駆使して、この文章を書いているが、ガシガシドンドン肩が重くなってきている。
まぶたも落ちて、このまま倒れ込みたくなってくる。それじゃここで潮時だろうと、終わりに。
この間読んだ「チェンソーマン」の記事。それを書くつもりだったのに、どうも頭が回らず、アイドリングとしてこんなことを書いてしまった。
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