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凡庸“アニメ”雑記「チェンソーマン」

昨日設定したFire TV Stick 4K Maxで、今日午後、色々と観て楽しんで過した。

そのーつに「チェンソーマン」があった。

今回観た8話はその後半は今までの予定調和を根底から覆し、別の次元に投げ捨てられた様な、驚き、悲しみ、そして、これからへの心躍る喜びを感じた。

この作品、強く海外の映画とドラマを意識し作られている。カメラが見せる場面展開、構図、動きすべてがアニメのそれではなく、HBOのドラマの装いを型どっている。ちなみにこれは、ある海外のリアクターが語っていた。いいえて妙なのでなるほどと感心し、強く記憶に残った。

僕もまったく同じだったからだ。

そのせいか、それだけではないが、この作品賛否両論が多い。一般的アニメの範疇では捉え所が無いからなのかもしれない。

僕も、毎回、質の高い画作り、決めの細かい脚本、滑らかに光沢を宿す動きに心打たれ、感嘆するしかないのだけど。どうしてか、はっきりと感動の所在を見付けられず、肝をしっかりと握る安心感を得ることが出来ないでいる。

だからか、必ず2、3回と観返すことになる。ただ、毎回新鮮な喜びに満ちて終る。だから、まぎれもなく、近年まれにみる名作の部類なのだろう。

それでも拭えないなにかがある。遅くまどろっこしく、重いなにかを人に見られぬ様に引きずり進む様な。思うにそれは、今回の8話の場面をより強く高く心に打ち付けるためだったのかもしれない。

最近は、頭から全力で物語の中へ導く、作品が多くなった。しかし、昔には話の始め数話は、ゆるく軽やかに進み、ある一点から急激に方向を変えて物語性を深くする作品があった。(トラドラとか)落差が急激なほど感動し、演出の才能を賞賛した。この作品もそれに倣ったのかもしれない。

それを考えるに、昨今の制作環境の中、あえて取り込んだ制作陣の忍耐に素直に感心してしまう。捉え所がない演出をここまで続けたのだから。作品1ク-ル全体の有り様で物語を掴む事を望んでいる。これも、製作委員会を取らなかった事で、自由に考えを形にする事が出来たのだろう。

ただ、これが有終の美を飾る事が出来るのか。それは、残酷な現実として神のみぞ知る、いや、この物語ならば悪魔のみぞ知るか。世間に委ねるしかない。だけど、少なくとも僕としては、ここまで魅惑的な世界を見せてくれた事に、心から感謝している。

次の9話が楽しみでしかたがない。

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