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希望の色「水天一碧」

水天(すいてん)という色ことばがあります。水と天、海と空、水に映る天のことです。澄んだ水は空を映してもさらに青く、 青い空はどこまでも澄んで映し出されます。

晴れた大海原に出て、茫々たる水平線を見つめると、どこからが空でどこまでが海かわからない光景を見ることでしょう。「水天一碧(すいてんいっぺき)」は晴れた日、空と海が一つ続きになって見えることを言います。どこまでが海で、どこからが空かわからない、その境目のない美しさがあります。

「碧」は「みどり」のことです。青を含めて表現される色で、青いものにも使われます。水天、青空がひとつの碧になっているという意味になります。海と空が一体化する表現に、水天彷彿(髣髴)ということばもあります。でも、私はぼんやりとしてはっきり見定められない様子の意味よりも、海と空が一つになる「一碧」ということばが美しいと思い、惹かれます。

昔から海に生きる人たちはこの情景をずっと見てきたと思います。大航海時代、水天一碧に紺碧の陸地を探して、一喜一憂していたはずです。そう水天一碧の先にあるのは希望でした。希望のことばだと思うのです。

領土拡大を目指すスペインやポルトガルの王家、1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰(きぼうほう)に到達しました。喜望峰の英語名は「Cape of Good Hope」。この航路の発見は香辛料発見のルート短縮につながったと言われています。コロンブスは、水天一碧の先に新大陸発見し、ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を発見したのです。



神威岬(かむいみさき)

これは神威岬は北海道積丹町にある神威岬。日本海にせり出した岬、ここから約300度の周囲に水天一碧な世界が広がります。美しい風景ですが、神威岬の沖は海難事故につながる暗礁が多く、「魔の海」とも呼ばれていました。美しい自然は人にときに牙を向句こともありました。

積丹町には和人の女性を載せた船が神威岬沖を通れば海神の怒りを招き船が遭難し、漁業も不振となるという言い伝えがあり、江戸時代には岬へは女人禁制をしていた歴史があります。嵐になりやすい場所、女性を避けたのは、女性を守るためだったのかもしれないと私は思います。

平泉で自害したとされる源義経は、実は生き延びて北へ逃れ、津軽から北海道に渡ったという伝説があります。義経は積丹の地でアイヌの娘であるチャレンカと恋に落ちました。しかし兄である頼朝が放った追手は、義経を追い詰めていき、義経はチャレンカの身を案じて再びこの地を離れます。チャレンカは義経が去ったことに気付き追いかけますが、神威岬にまでたどり着くと、義経一行の船はそこから旅立った後。チャレンカは泣き崩れ、神威岬の突端から身を投げてしまいました。チャレンカは石に変わり、岬にある神威岩となったと言われているのです。海が映す深い青はチャレンカの愛情の色、再び会いたいと願う希望の色かもしれません。

神威(カムイ)とはアイヌ語で「神」のことです。

房総半島の雷

また、幸田露伴の『雲のいろ/\』では「いなづま忽として起りて、水天一斉に凄じき色に明るくなり、千畳万畳の濤の頭は白銀の簪(かざし)したる如く輝き立つかと見れば、怪しき岩の如く獣の如く山の如く鬼の如く空に峙(そばだ)ち蟠(わだか)まり居し雲の、皆黄金色の笹縁(さゝべり)つけて、いとおごそかに、人の眼を驚かしたる、云はんかたなく美し」という一節があります。露伴は「一斉」という表現を使っています。

青は心を落ち着かせてくれる効果もあります。希望を持って前に進むために、疲れたらこの写真を見に戻ってきてください。水天一碧という希望の色ことばを紹介しました。


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