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「魅惑の心理」マガジンvol.60(SNS批判社会に思うこと)

みなさん、こんにちはポーポー・ポロダクションです。「テラスハウス」に出演していた木村花さんが亡くなった事件を受け、インターネットでの誹謗中傷の問題が改めて注目されています。この件に関して、心理的な見地から思っていることをまとめてみようと思いました。たいした話ではありませんので、雑談の延長のような形で読んでくださるとありがたいです。

事件の全貌が明らかになるにつれ、SNSでは「かわいそう」「暴言を言う奴は許せない」という意見があふれました。多くの芸能人やアンチに苦しめられていた人が「我慢ならない」と提訴に向けて立ち上がる姿勢を見せています。この反応は全くその通りだと思うのです。私もそう思います。でもその奥にある心理が見えると、私は違和感しか覚えないのです。

ひとつめの違和感は、SNSでは「かわいそう」「暴言を言う奴は許せない」という意見を立て続けに投稿した人たちです。それはそうです。私も同じように思います。ところがこうした声をあげた人たちの中には、 SNSで自分が他人を攻撃している人が含まれるように見えて仕方ありません。みんなが「かわいそう」というので自分も「かわいそう」と感じ、みんなが批判するとその人も批判する。全体の中ではそんなに多い数ではなかったと思いますが、最近はそうした人が目立ち始めました。私は SNSの投稿や反応から相手の性格分析を得意としています。どうも色々なものに流されやすく、世の中の意のままに動かされている。こうした無意識の悪意を持つ人が増えている。今回のような本当は死ななくてよかった人を苦しめて、死に至らしめた原因の一つだろうと感じたのです。

自分がやっていることに気づかず正当化する。こう言う問題が起きたら、まず自分はそうではなかったのかと感じなくてはいけないと思います。でも、それは苦痛なので考えないようにして、いつも自分は大多数の方にいたい心理。なんとも現代の闇を感じました。「人のふり見て我がふり直せ」のように、当事者意識を持つことの大事さを感じました。たぶん、こんなことはずっと繰り返されます。いつも、自分は正義の味方側にいると多くの人は思っています。そこに当事者に近い人も含まれています。それではいけないと思うのです。また、もしかしたら自分は当事者側にいると思った人が、焦って急に別な人を攻撃している心理も見えます。自分に批判の目がこないように、他人を批判するのはとても楽だからです。

もうひとつの違和感は、多くの芸能人やアンチに苦しめられていた人が「我慢ならない」と提訴に向けて立ち上がる姿勢です。この反応は全くその通りだと思うのです。私もそう思います。ただし、鬼の首を取ったように「提訴してやる」という反応に、私は悲しみしか覚えません。馬鹿なことを言う相手にすることもありませんし、こうした人の行為は間違っていると言い続けないといけないかもです。そうした意味では「提訴」は賛成ですし、抑止力を作っていかなくてはと思うのです。だから賛成です。賛成なのです。心理的にも必要です。ただし何か違和感を感じて仕方がない。

よく考えてみたのですが、私は SNSは成熟していない人にまだ時期尚早なんではないかと思うのです。人が悪いのではなくツールが悪い。そう考えると少しスッキリします。急速な利便性に対応した、人の心が追いついていない。追いついていないどころかどんどん悪化している。繋がりは新しい孤独感を作り、疎外感を持ちます。安易に人を非難する道具になっています。

便利なものを捨てる。それは人にとって相当の苦痛です。私はそれでも SNSやスマホを捨てたほうが良いと思います。それができないなら規制もいいのですが、教育と啓蒙をしないといけないと思います。小学校や中学校、家庭で心理学と SNS心理学の授業をして欲しいです。私は何年も前からSNS心理学の必要性を訴えて、出版社を回っていますが、私のプレゼン能力が低く、出版に結びつく行動ができていません。とても焦っています。それでも小さく活動していきたいです。今の子どもたちが大人になったとき、死ななくても良い子が死ぬのを見るのはもう嫌ですから。私が書かなくてもいいので、誰か書いてください。それは明るい未来に繋がります。必ず。

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