臨床ナースを辞めた時の話
看護学校を卒業して、ほぼ臨床ナースとして働いてきました。
転職回数はボチボチあって、大学病院の救命センターと個人病院での緩和ケア病棟、総合病院の胸部消化器外科の混合病棟、結婚後は個人の単科病院に勤めていました。
ずっと夜勤も含めてフルで働いて、私は夜勤のある仕事の方が向いているんだと思ってきました。
そんな私が臨床を離れた時の事について今日は話したいと思います。
最後の臨床となった職場
現在は企業の健康管理室で働く私。
もう臨床には戻れないと思うので、最後に病院で働いた職場の話をします。
産婦人科の個人病院で、分娩も行なう50床ほどの規模でした。
産婦人科医不足と言われているワリに医者は多く、NICU出身の小児科医もおり、この地域ではかなり充実していたのではないかと思います。
夜間のお産や急患なら産科の当直医が対応できますが、麻酔科・小児科に関してはオンコール対応となっていました。
病棟は2交替で回していて、夜勤帯は新生児室を含めた病棟が2人+分娩対応としての助産師1人の計3人で夜勤帯の16時間をこなしていました。
お産があれば分娩介助・外回り・新生児受けと3人で対応しなくてはならず、途中でナースコールやら何やらあるとてんやわんやでした。
比較的、有休もとりやすく人間関係もそこそこ。
・・・と、書いてしまえば「いい職場じゃん!」ってなるのですが、これがどうにもやっかいでして。
まず、基本給や諸手当。
規定がないので、人によってかなりの差があります。
准看さんや高看生も多く働いているのですが、高看卒業後も准看時代の基本給とさほど変わらなかったり、基本給上がったのはいいけど夜勤手当てが据え置かれているなんてコトはザラ。
私は正看護師として妥当な基本給で入職できましたが、10年近く働いていてほぼ額面に変化なし。
基本給下がってるワケではないのに、ボーナスは減る一方。
それでも夜勤やってればソコソコの額になれていたのは、まぁ中途採用だったからこそ。
と、あげればキリがありません。
そして拘束時間。
シゴトさえ終われば前にも後にもサビ残はありません。
情報収集も個人単科ならではの申し送りが存在しています。
全入院患者さんを夜勤リーダーが送るので、情報収集は申し送りで聞けば良いのです。
不明な点は後で聞けばいいし、そもそも産科の入院患者が8割以上を占めるのでクリニカルパスで動けばだいたい回るんですよね。
じゃあ、何が不満だったのか。
患者への処置やケア以外のやる事が多すぎる上に人手が足らなくて回らないんです。
新生児室にしてもそう。
だいたい10人以上は預かり児がいる。
中には哺乳不良や初期嘔吐などで要観察なこともありますが、ほとんどが「寝られない」「休めない」「疲れた」と産んだコを預けにくる。
それ自体が悪いわけではない。
産後の疲労はなるべく入院中に解消できるに越した事はないと思う。
でもね。
そんなお母さんほど、退院時の育児不安が解消できずにいるんです。
たしかに、泣き止まないコもいる。
「落ち着いたんだけど、育児しますか?」って聞きにいくと明らかに迷惑そうな態度をとる人がいます。
いや、迷惑だと断られることもありました。
明日退院だから、今日はあずかって〜ってノリのお母さんも多い。
わかるよ。大変だもんね。
でもわかんないよ!!
と、こちらも書き上げればキリがないようです。
他にも、個人病院あるあるだと思いますが、一族&ワンマン経営なので、院長一族のやりたい放題。
コレは書くと身バレが怖いので伏せます😱
と、そんな職場ではありましたが、10年以上働くこととなりました。
精魂尽き果てた退職時
なんだかんだで古株になってたわた私でしたが、退職までにはいろいろとありました。
病棟での人間関係を医者に振り回されて掻き乱される時期がありました。
謎の正義感にかられた私は、院長と衝突して一時期ではありますが良好な関係を築けなかった時期がありました。
また同じ頃、退職者も続出してシフトが回らなくなる寸前までいき、産後クリニカルパスの見直しを業務整理を兼ねてやろうと病院に働きかけもしていました。
まぁ、その結果。
徒党を組まれるとでも思ったのか夜勤専従スタッフに2ヶ月回されて業務改善案は揉み消されました。
が、やっぱり有休消化率が高いのが魅力ではありました。休み希望も通りやすいし。
病院からすれば、私という存在は難アリ判定だったのかも知れませんが、来るなとも言われなかったので10年以上の長い期間をそこで過ごしました。
そんなある年。
夏のボーナスが基本給の半分くらいでした。
何かの間違い?と思いましたが、間違いではありません。
プツっと、今まで何だかんだと繋ぎ止めていたモノが消えた気がしました。
それは私だけでなく、医者以外の全スタッフが大なり小なり感じた事だと思います。
(医者は年俸制なので、ボーナス額が最初から決まっている)
そして院長は「ボーナス出るだけありがたいと思え。辞めたい奴は辞めればいい」「(スタッフの)代わりなんて山ほどいる」と言ったとか言ってないんだとかって噂も流れ出したこともあって、アチコチで退職ラッシュが起こりました。
一時期は毎月送別会な勢いでした。
私も退職を早々に決めはしましたが、有休消化しつつ年末まで働いてから病院を去りました。
辞めた後のこと
退職を決めてから5ヶ月くらいあったので、就職活動もしていました。
高齢者施設への転職を決めはしましたが、こちらはコチラでいろいろとあって3ヶ月(試用期間)で辞退しました。
その後、再就職への気力も萎えてニート生活へ。
コロナ禍で、失業手当も1週間の待機期間はありましたが給付制限は免除されました。
また、ハローワークへも初回の手続きのみ。
あとは「受給者証は期日までに郵送してね!」「ハローワークの求人サイトを閲覧して、行きたいトコあったら電話してー」みたいな感じ。
そんなこともあって迎えた私の数ヶ月におよぶニート生活。
あつまれ どうぶつの森とモンハンアイスボーンなどなど、ゲームのプレイ時間がヤバいことになっていましたw
夏が終わり、秋が過ぎようとしていた頃。
そろそろ働かなくてはと思い、就活に望みます。
やりたくないことはたくさんあるけど、やりたいことが見つからない。
看護以外の仕事も含めて探しました。
が、やっぱり手っ取り早いのが看護師なんです。
でも、これまでのいろんな事と向き合おうと看護師としてやりたい事とやりたくない事を書き出してみました。
そしてココでようやく自覚したんです。
あ、私バーンアウトしたんだ・・と。
そこからは比較的早かったと思います。
自覚できた事で、臨床も老健施設も転職先候補からはずすことができました。
コールセンターなどの在宅ワークも含めてハローワークの求人を閲覧して、現在の職場にたどり着きました。
締切3日前の滑り込み応募でした。
いま、思うこと
辞めて良かったと思うことはたくさんあります。
臨床でやりたいことは全部やり尽くしたとも思えます。
なので戻りたいと思う事もほぼありません。
今の仕事も好きですし、やりがいも感じているからです。
とは言え、少しだけ思うトコがあるとしたら。
医療現場で働く仲間を見るとチョットだけココロが軋むような気がしているのも事実です。
さて、これからの私はどうしていくんだろう?
残りの人生が楽しく過ごせたらいいなと思う、今日この頃です。
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