こんなときは部屋のあかりを消して
たとえば、こんな書き出しがあったとします。
「こんな時は部屋のあかりを消して・・・」
そんなふうな言葉に出会ったらその後どんな展開を予想しますか?
恋人とのひと時で、
なにかこれから起こりうる「良きとき」を想像するかもしれません。
今は、クリスマスシーズンですから、
僕は教会のキャンドルサービスも思い出しました。
満月の時、部屋のあかりを消したことないですか?
大学センター試験が迫ってくるこの時期、「蛍雪の功」という話も思い出します。中国の「蒙求」という書物に由来があるそうです。そこで書かれたエピソードは、こんな感じです。
東晋王朝の時代(四世紀ごろ?)、車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)という2人の貧しい青年がいました。
2人は官吏を目指して勉強をするのですが、二人とも貧しく夜に勉強するための灯かりに使う油を買うお金がなかったので、車胤は夏の夜に蛍を何匹も捕まえて絹の袋に入れ、孫康は冬の夜に窓辺に雪を積み上げ雪の反射を利用し、それぞれ蛍と雪の反射を明かりに使ったということです。
努力が実り、2人とも高級官吏に出世したという話。
雪の降る夜、
街の明かりが反射されてぼんやりと明るい夜があります。
昔から窓をあけて外を見るのが好きでした。
雷をみるのも僕は好きでした。
轟音が聞こえると、
窓のカーテンを開けて灯りを消して
外を眺めるのです。ただただ。
稲光が地面に刺さる瞬間を見ることができたら、
自然への恐れと共になんだかうれしくなります。
先日、東京に行ったとき、泊まったホテルの部屋は、東京タワーがよく見える部屋でした。
うれしくてうれしくて、
その日は予定を入れず、窓に向けて椅子を置き
ずっと東京タワーを眺めていました。
どうでしょう?
殆どが夜の情景です。
皆さんもそうなのでは?
ただ、今日、お伝えしたかったのは
実は夜明けの部屋のあかりを消すということです。
僕は今、朝、家族に昼食用に簡単な食事を準備してから仕事場に向かっています。
今は日の出が遅いので真っ暗な中で台所に立っているのですが、
ある日のこと、とてもきれいな朝日が部屋に飛び込んできました。
そうです。
まさに、心の底から思ったのは
「こんな時には部屋のあかりを消して」
という言葉。
秒単位で、どんどん変わる部屋の壁紙の色が
何とも言えない情景となりました。
様々な言葉、ちょっとした思い込み。ありますよね。
どうでしょう?
「こんな時には部屋のあかりを消して」
という言葉から朝を想像した方はどれだけいるでしょう?
さらに言うと、朝の忙しい時に(またはもう少し眠っていたいときに)
わざわざ電気を消して(そもそも眠っていたら電気なんてついていない)、「感動する」なんて言っている余裕なんてない人もたくさんいるでしょう。
人によって言葉の拾い方や、逆に受け取り方は違うし、
感動のタネもそれぞれ違う。
そういうこともちょっと伝えてみたいなと思いました。
ところで、マンションのベランダに裸で仁王立ちして、朝日の撮影をすることに、最近ちょっとはまっています。別にお勧めはしません。
完全なマスターベーションです。
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