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絵が好きだから、描き続ける【ニーゴの過去と未来①:東雲絵名】

『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク(プロセカ)』のワールドリンクイベント『水底に影を探して』を機に、これまでの「25時、ナイトコードで。」(ニーゴ)のストーリーを振り返りながら、これからのストーリー展開について考えるオタク語りのシリーズです。
初回は、ニーゴのイラスト担当、えななんこと東雲絵名を取りあげます。

ひととおりニーゴのメインストーリー・イベントストーリーを読んでるよ、という方を主な読者として想定しています。ニーゴのストーリーを深くは分かっていない、という方も、ぜひご覧ください。
イベント『水底に影を探して』までのネタバレ全開です。


絵名のこれまで

心の傷

ニーゴのメンバーは、それぞれ、「消えてしまいたい」という暗い思いを生む心の傷を負っています。

東雲絵名

絵名の苦しみは、中学3年生の頃、憧れだった父親から絵の才能を否定されたことで始まりました。
「画家の娘で絵の才能がある私」という自分を見失った絵名は、絵画教室へ通うことができなくなり、高校受験にも失敗します。そして、才能がないという現実を突き付けられた絵名は、受験の日を最後に、絵を描ききることができなくなりました
絵と向き合えない現実から逃げるように投稿した自撮りにたくさんの「いいね」がついたことで、束の間の安息を得ますが、自撮りが「いいね」とフォロワーを稼ぐほど、かえって自分の絵が誰にも認められていない現実が浮き彫りになっていきます。そうして、絵名は、「絵の才能がない」「自分の絵は誰からも認められない」「描こうとしても描けない」という心の傷を負うのです。

承認欲求を満たすため、自撮り画像をSNSにアップする絵名。

やがて、その心の傷は、絵名の心を、「描けないなら消えてしまいたい」という絶望で染めあげていきます。

ニーゴとの出会い

しかし、奏の曲とニーゴとの出会いが、絵描きとしての絵名を蘇らせます。

『そしていま、リボンを結んで』では、絶望の淵にいた絵名が奏の曲に出会い、絵を描ききる力を取り戻す姿が描かれました。

瑞希バナーの『そしていま、リボンを結んで』は、過去の回想イベント。瑞希と絵名がニーゴに加入した経緯が描かれました。

その後、ニーゴに入った絵名は、ニーゴのイラスト担当として、苦しみながらも絵を描き続けます。『満たされないペイルカラー』では、「認められないと描けない自分」に向き合い、リンが届けてくれた奏の曲に力をもらって、絵を描きたいという自分の気持ちを頼りに絵を描きあげました。

初の絵名バナー箱イベント『満たされないペイルカラー』

そして、『空白のキャンバスに描く私は』では、絵名は、「絵の才能がない自分」と向き合い、ニーゴのイラスト担当として絵を描き続けたいという意志と、ニーゴのイラストを描いてきたという経験と、ニーゴのメンバーからの言葉のおかげで、かつて逃げ出した絵画教室へ再び通い始めることができました。

2回目の絵名バナー箱イベント『空白のキャンバスに描く私は』

絵が好きだから

まっすぐ

絵名の性格をひとことで表すなら、「まっすぐ」です。
「まっすぐ」で曲がったことが嫌いだから、からかわれている愛莉をほかっておけない。
感情と行動が「まっすぐ」結びついているから、彰人や瑞希が悩んでいるのを見て、助けようとする。はっきりしないのとか、うじうじ悩むのが好きじゃなくて、そういう人を見かけると、助けようと手を差し伸べるんだけど、差し伸べた手を握り返してくれないと、「こっちは心配してるのに」ってイライラしちゃう。
そして、自分が悩み始めると、そういう自分に対するイライラが募って、周りに当たり散らしちゃう。

困っている友だちのため、当たり前に手を差し伸べるまっすぐさ。
夕暮れの屋上で、瑞希に対し「特別に待ってあげる。だから、いつか、ちゃんと話してよね」と伝えるシーンは、プロセカの名シーンの一つだと思います。

感情表現も「まっすぐ」だから、「認める人が必要ならわたしが認める」と言い放つイケメン奏にはデレデレだし、「わからない」を連発するまふゆの批評には思いっきり反発するし、いじり倒してくる瑞希にはツンツンなんです。
精神年齢がぐっと高い愛莉と一緒にいるときがニュートラルで、あとは相手によって感情表現のギアが変わるという感じ。後輩組(みのりや一歌、穂波やえむ、杏や志歩)に対しては、しっかりお姉さんモードになるのに、弟である彰人からは欠片も姉として認められていないのもおもしろいところです(目覚まし代わりに扱うのも大概ですし、爪で引っかいたりもしてるから、さすがにね……)。
このように、よくもわるくも「まっすぐ」であるところが絵名の魅力でしょう。

心の強さ

東雲絵名というキャラクターの一番の強みは、絵を描き続ける心の強さです。とても苦しいのに、まっすぐ絵に向きあい、がむしゃらに描き続ける絵名の姿は、本当にかっこいい。
絵名の強さを生むのは、「絵が好き」という気持ちです。絵が好きだから、絵を描きたい。絵が好きだから、画力をあげたい。絵が好きだから、絵で褒められたい。絵が好きだから、画家になりたい。
その気持ちゆえ、つらい苦しみも経験するのですが、結局、絵名は、絵が好きだから、描くのをやめられない。絵が好きだから、「描くしかない」

進級後のプロフィール。「描き続ける心の強さ」が絵名の武器です。

この「絵が好き」という気持ちは、とても素朴で、純粋なものです。誰しも、似たように素朴で、純粋な気持ちを持ったことがあるはず。だからこそ、絵名の物語は多くの人の心に響くのでしょう。
素朴で、純粋な気持ちから生まれた夢・目標でも、そこにたどり着くのは簡単ではありません。えてして、私たちは、才能の壁に阻まれ、プライドが邪魔をして、評価されず認めてもらえない現実がつらくなり、努力するのが苦しくなって、自分の気持ちから目を逸らします。
それは、必ずしも悪いことではありません。人間は、「持っているもの」で生きなければならないし、絶対に壊れない心を持っているわけでもないから。瑞希がいうとおり、本当につらくなったら、自分を守るために逃げるべきなのです。そして、逃げ出したことを悔やみながらも、その経験を糧として、人生を歩んでゆけばよいのです。
でも、いままさに苦しんで、悩んでいる人もいるでしょう。それに、諦め逃げたとしても、後悔は簡単に消えるものではありません。ゆえに、私たちは、「絵が好き」という想いを貫こうと足掻く絵名の姿に目を惹かれ、その姿に希望を見出しながら、彼女を見守り続けるのです。

[限りなく灰色へ]
才能がない自分に悩む絵名の心情とシンクロするのが、『満たされないペイルカラー』の書き下ろし曲「限りなく灰色へ」です。ゲーム内でも聞ける曲ですが、絵名の中の人である鈴木みのりさんの(セルフ?)カバーがとてもよいので、こちらもおすすめです。
また、作曲したボカロP、すりぃさんのインタビューも、一読の価値ありです。こちらも合わせてどうぞ。

弱点

絵名の弱点は、自分を客観視するのが苦手なところです。
「まっすぐ」過ぎるあまり、一度こうだと思い込むと、そこから抜け出せなくなってしまいます。

絵画教室では、昔も今も、「全体を見る力」「客観視する力」が足りていないと指摘されています。これは絵名の画力に対する指摘ですが、絵名の性格にも当てはまるものです。
中学生の頃の絵名は、自分の絵の才能を過信していました。そのせいで、周りの子との実力の差を客観視できず、いつの間にか、取り残されてしまいました。
その過信が砕かれた絵名は、今度は、認められないから描けないという問題に悩みます。つまり、誰かから認められないと、自分の実力を信用できないのです。やはり、絵名は、自分を客観視することが苦手です。
今の絵名に必要なのは、等身大の自信です。それを手に入れるためには、自分を客観視する力を持たないといけません。
天才と呼ばれる才能はないかもしれない。しかし、苦しみながらも描き続けてきた絵は、ニーゴのファンやニーゴのメンバーの心に届いています。その事実をまっすぐ見つめれば、前へ進むための確かな足がかりとすなるはずです。

[私のほうが100倍可愛い]
絵以外のところでも、自分を客観視するのが苦手な絵名の姿が描かれています。
たとえば、300いいねがついている自撮り画像を見て「私のほうが100倍可愛いでしょ」と思ったり、人気アイドルと比較されて「顔はともかく、全体のバランスとか考えたら私だって」と張り合ったり。
もちろん、絵名はとても可愛いです。でも、自分を客観的に見るのは苦手。

画家の娘:東雲家の絵名

ニーゴのストーリーは、ほかのユニットと比べて、メンバーの家庭環境が深く描かれているのが特徴的です。
とりわけ、奏、まふゆ、絵名の三人は、それぞれが心の傷を負ったできごとに、親の存在が大きく関与しています。

父親の言葉

絵名の心の傷を生むきっかけとなったのは、父親である画家・東雲慎英の言葉でした。

「お前に、画家になれるほどの才能はない」
「お前に絵の才能はない」

東雲慎英 - 『満たされないペイルカラー』イベントストーリーより

「馬鹿に……しやがって」や「陰険自撮り女」と並び、東雲絵名というキャラクターを象徴するこのセリフ。絵名が繰り返し思い返すこともあって、深く印象に残ります。
残酷にも、憧れだった父親に自分の夢と才能を否定された絵名は、自分を見失って高校受験に失敗し、心配する母親や彰人にもヒステリックにあたり、奏の曲に出会うまで絵も描けない状態になってしまうのです。

絵名と父親

絵名にとっては、すべての元凶ともいうべきこの父親の言葉。
なぜ、東雲慎英は、自分と同じ生業を志す娘に、これほど残酷な言葉を向けたのでしょうか。その理由は、彰人からの問いかけに答える形で明かされています。

「画家は、孤独だ。
 時には、誰にも見向きされなくとも描き続けなければならない。後の巨匠であってもだ。ましてや、生業とするのは簡単なことではない。生半可な努力と才能では、”本物”と渡りあうことすらできない。
 だが、それでも画家になることを望むならば――生涯もがき苦しむことになるだろう。技術の話だけではない。俺は、その苦しみを、絵名が乗り越えられるとは思えない。とても――過酷だからな。
 俺はひとりの画家として、それを伝えるべきだと思った。」

東雲慎英 - 『満たされないペイルカラー』イベントストーリーより

結局、父親は、絵名のことが心配なんです。

だから、彰人から「好きなことで才能がないって言われたら、傷つくのは当然だろ。画家としてじゃなくて父親として、あいつの絵を見てやれよ」と忠告された父親は、絵名が描き上げた絵に対し、「よく描けてる。この少女の迷いは晴れそうだ」とコメントします。
色のバランスの悪さが構図を台無しにしている、という「一言多い」アドバイスを添えて

画家の父親と、画家になりたい娘

このあたりまでは、イベントストーリーを読んで素直に感じるところなのですが、今回は、もう少しだけ、東雲慎英というキャラクターを深掘りしてみたいと思います。

まずは、やはり絵名が父親に進路相談をするシーンから(次の動画の49分50秒から)。
絵名が何度も回想するので、「お前に、画家になれるほどの才能はない」「お前に絵の才能はない」という言葉の印象が強すぎるのですが、この後も、絵名と父親の会話は続きます。

じっくり会話を読み進めると分かるのですが、父親の言葉は、画家になるため美術科に行きたいという絵名に対して、「やめておけ」とアドバイスするものでした。
その後の会話では、「お前は、お前が目指すような画家にはなれない」「今のお前に、可能性はない」と発言しており、真意は、自分の実力を過信したままでは画家になれない、というもののようにも聞こえます。

また、絵名が「私が今までずっと絵を描いてきたのも、全部無駄だったってこと? 才能がないから、努力しても意味がないってこと!?」と叫ぶように尋ねたとき、父親は、答える前に間を置きます。
Live 2Dの表情表現を頼りにこの間の意味を読み解くのは難しいのですが、私には、努力まで否定するべきなのかどうか、父親としての逡巡を示しているように思えます。

[覚悟に足る才能]
ちなみに、この会話の中に、「覚悟に足る才能があれば、違うのかもしれないがな」という慎英のセリフがあります。この「覚悟に足る才能」という表現は、日本語として理解するのが難しいのですが、おそらく、才能があれば覚悟がなくとも問題ない(才能が足りない分だけ覚悟が必要)ということを言いたいのではないかと思います。
(プロセカのストーリー、ごく稀ではあるんですが、日本語が怪しいところがあるんですよね……。ストーリーどうしや設定との矛盾問題もありますし、もうちょっとストーリーの品質管理をきちんとしてほしいと感じます。)

このように読み進めてみると、はっきりと見えてくるものがあります。それは、「画家になりたいという娘に対して、東雲慎英という一人の画家として、対等に向きあっている」という父親の姿です。その言葉遣いには、配慮も優しさもないかもしれませんが、それでも、娘に向きあおうとする想いが込められています。

もちろん、父親が何を考えていたにせよ、絵名が、自分の夢と才能を否定されたと感じたのは、間違いありません。だから、やはり父親のあの言葉は残酷です。
しかし、小学生の頃から絵画教室へ通っていれば、周りの子と比べて絵がうまいのは、当たり前なんです。芸術の世界でプロになるためには、そういう「学年で一番」「学校で一番」のようなレベルにおさまらない、(たとえばコンクールで大賞を取るような)傑出した才能が求められます。
父親は、絵画教室へ通ったことでどれだけ絵名の画力が伸びたかを、プロの画家の目で冷静に分析し、彼女が画家になれるほどの才能を持っていないと評価したのでしょう。
そして、その評価を、はっきりと絵名に伝えたのです。

言ってしまえば、父親の言葉がなくとも、絵名が挫折するのは時間の問題でした。父親の言葉によって自らの才能に対する過信が砕かれた時、ようやく、絵名の目に、周りの子の画力がどんどん伸びているという現実が映るようになります。
絵名にとっては、父親の言葉こそ元凶だと感じるのでしょうが、客観的に見れば、「持たない者」である絵名には避けられない挫折だったのです。

父親がもっと優しく導いていたら、どうなったのでしょうか。
たとえば、「才能が足りない分もっと努力しなさい」と優しくアドバイスしていたら。高校受験はうまくいったかもしれません。ですが、過信しがちで、承認欲求が強めの当時の絵名は、いずれにせよ壁にぶつかるはずです。そもそも、東雲慎英に優しい導きを期待することは、反実仮想でしょう。もし慎英がそういうことのできる人間だったら、いったいどうしてそんな夫婦から、絵名と彰人みたいな子どもが生まれてくるんだ、となっちゃいますからね。

画家として、父親として

絵名の父親についてどれだけ語るんだ、という気もしますが、もう少し続けたいと思います。なんといっても、親子の関係は、ニーゴの他のメンバーの物語においても重要なテーマだからです。

[ニーゴと親子の物語]
絵名の物語は、「絵の才能がない娘/高名な画家である父親」の物語であり、同時に、「親に頼らず夢を目指す娘/娘の歩みを見守る両親」の物語でもあります。
それは、奏の「音楽に愛された天才である娘/凡才な作曲家である父親」の物語と対比されるものであるとともに、まふゆの「母親に盲目的なまでに従順な娘/娘と対等に向きあわない母親」の物語とも対比されるものです。

次に取りあげるシーンは、雪平絵画教室の春期講習に通う絵名に父親が声を掛ける場面です。絵名と父親の会話は、講習2日目が終わった後ですが、ぜひ、講習1日目の終わりから見てください(下の動画の49分33秒から)。

こみ上げる苦しさに耐えて、かつて逃げ出した絵画教室の春期講習に通い始めた絵名。
1日目が終わり沈鬱な気持ちで帰宅した絵名は、教室の様子を尋ねる母親から逃げるように自室へと向かうのですが、その絵名の後ろ姿を、父親が見ています。そして、翌日、講習2日目が終わり帰宅した絵名は、アトリエから早く引き上げてきたという父親と出会い、「続けられそうなのか?」と尋ねられます。

このシーンの慎英の言動に注目です。
2日続けて普段より早く帰宅しているのは、なぜか。絵名が帰宅するとすぐ現れるのは、なぜか。わざわざ「教室はどうだ」「続けられそうなのか」と尋ねるのは、なぜか。
明言されているわけではありませんが、その理由は、春期講習に通う絵名が心配で、様子を見るためと考えて、まず間違いないでしょう(パパなんツンデレ過ぎるでしょう……)。

「絵を描き続ける限り、お前が感じている苦しみは続くことになる。納得できるものが描けない、何も生み出せないかもしれない。その苦しみと、この先も向き合い続けることができるのか?」

東雲慎英 - 『空白のキャンバスに描く私は』イベントストーリーより

絵名は、まだ、この父親の問いに答える言葉を持ちません。ですが、この問いは、絵名が自分の望む道を進むのなら、必ず答えを出さなければならないものです。
東雲慎英は、父親として、絵を描く絵名を見守り、画家として、絵名が歩もうとする道のりの厳しさを伝えようとしています

[絵名の生活リズム]
普段の絵名は、父親と顔を合わせるのを、できる限り避けています。もともと、昼夜逆転の不規則な生活をしているので、家族と同じ時間に食事をすることが少ないです。平日は、父親や彰人が出かけた後、お昼頃に起きてから、支度をして学校へ向かいます。夜間定時制ですので、夕食は学校で済ませているのでしょう。帰宅時間は21時から22時頃になり、(彰人の証言によれば)お風呂に1時間くらいかかるので、お風呂に入って、髪を乾かしたり、スキンケアをしたりしているうちに、あっという間に日付が変わります。そのまま、ニーゴの活動を始め、明け方(まさに東雲の頃合い)に眠りにつく、というのが絵名の日常です。ほかにも、休日の夕食でしょうか、父親と同じ食卓につくのを避けていることがうかがわれる描写もあります。このように、絵名の父親が絵名と普通に会話しようと思ったら、帰宅した絵名を捕まえるのが一番確実なのです。

似たもの父娘

ということで、長々と絵名の父親について触れましたが、まとめると、絵名の父親は、絵を描く絵名の姿をしっかりと見守っているのです。
あの「お前に絵の才能はない」という言葉も、絵名が描いた絵をずっと見てきたからこそ、出てくる言葉なのです。

プロセカにはいろいろな親が登場しますが、絵名の父親は、その中でも一番、親の役割と責任に向きあっている姿が描かれているキャラクターだと思います。
絵名の母親のほうが、あのまふゆの母親と対比して描かれることもあって「いい親」のイメージが強いのですが、絵名の両親が、ともに絵名を見守っているということが、多くの人に伝わればうれしいです。

そして、みなさんとっくに気が付いていると思いますが、慎英と絵名は、本当に、似たもの親子です。
性格面から見ると、口が悪いところとか、思っていることをはっきり口にするところ、苦しそうにしている姿を見ると心配でほうっておけないところ、でも心配してるとは言えなくて強く言いすぎちゃうところが、そっくり(要するに、二人ともツンデレ)。嗜好についても、二人とも、絵が好きで、甘いもの(パンケーキとチーズケーキ)が好きで、にんじんが嫌い。
大部分は彰人にも共通しています。そして、子どもである絵名と彰人がともに努力型であるということは、きっと、慎英も、生まれもっての天才肌というよりは、努力して今の名声を手に入れた苦労人タイプです。
慎英が口にする「画家の苦しみ」は、実体験に根差しているのでしょう。身をもって知っているからこそ、同じ苦しみを娘にさせたくない。その想いは、紛れもない親心です。

母親のあたたかさ

絵名の母親については、いわずもがなですので、簡単に取りあげましょう。

象徴的なシーンは、『願いは、いつか朝をこえて』で描かれた東雲家の食卓です。東雲姉弟の母親のあたたかさは、まふゆの心にも届くものでした。

3回目の絵名バナー箱イベント『願いは、いつか朝をこえて』では、まふゆが東雲家を訪れます。

絵名の母親は、絵が好きで、でも好きな絵のせいで苦しんでいる絵名を、心配しながらもそっと見守っています。ときには叱り、ときには励ましながら。
きっと、娘と夫の関係について、悩みもあるのでしょう。しかし、夫の画家としての孤独や苦しみも分かっていて、夫が口上手な人じゃないこともよく知っている彼女は、夫が、一人の画家として娘に真剣に向きあっていることを理解しているはずです。
そして、よく似た父娘だとため息をつきながら、あたたかく見守るのです。

そんな絵名の母親は、母としても、妻としても、とても素敵です。

東雲家の食卓で食事するまふゆ。

絵名のこれから

決意

ワールドリンクイベント『水底に影を探して』の絵名チャプターでは、絵名が変わらず画家を目指していること、そして、その目標のため美大受験に挑むことが示唆されています。

「25時、ナイトコードで。」のワールドリンクイベント『水底に影を探して』

ただでさえ美大受験は厳しい競争です。絵名は、絵から逃げ出した自分に美大を目指す資格があるのかと問いかけます。
前に進むことを戸惑う絵名の背中を押したのは、湖の中にある一枚のデッサンでした。まふゆの想いから生まれた湖に、絵名が描いたまふゆのデッサンがあるのを見た絵名は、自分の成長を感じ、歩みを進めることを決意します。

[絵名の卒業時期]
標準的な定時制のカリキュラムは、4年かけて卒業することを前提としています(まれに、1日の授業時間を全日制並に確保して、標準3年卒業のカリキュラムを組んでいる学校もあるようです。)。絵名が通う神山高校の定時制は、一般的な夜間定時制にように見えますし、絵名が、3年で卒業するために単位や授業を詰め込んでいる様子もありません。
そうすると、プロセカ世界の教育システムが現実と同じである限りは、絵名が高校を卒業するまで4年かかるはずです。美大受験までの準備期間としては、ちょうどいい塩梅かもしれません。

必然の選択

もちろん画家への道はひとつだけではありません。
ですが、美大ルートは、メインストリームといえるでしょう。画家になるために経歴は関係ないとしても、物的・人的に環境が整っている一流美大が研鑽の場として秀でていることは間違いないからです。
それに、「経歴」とか「肩書き」とか「名声」は、あって困るものではありません。「東雲慎英」の名前が、まふゆの母親を説得するのに役立ったように。

そして、絵名が、美大ルートを選ぶことに違和感を覚える人は少ないと思います。いつも「まっすぐ」な絵名が、その道を選ぶことは、とても自然だから。
絵名としても、一度逃げ出した自分だからこそ、もう逃げたくない。大変な道のりだとしても、そこに向き合わないといけない。そう思っているはずです。

恐怖

絵名にとって、美大受験はとても険しい道のりです。

かつて、高校受験に失敗した絵名は、絵が描けなくなり、その心に深い傷を受けました。絵名にとって、美大を目指すということは、一度は乗り越えたトラウマに、もう一度正面から向きあうことを意味します。


画家を目指す覚悟が試されるだけではありません。あの時の苦しさに再び襲われるかもしれないという恐怖に向きあわなければならないのです。

試験当日に描けないかもしれない恐怖
たとえ描ききれたとしても、不合格になるかもしれない恐怖
そして、再び「描けないなら、認められないなら、消えてしまいたい」という感情に支配されるかもしれない恐怖

絵画教室に通い、課題の絵を描きあげるだけでも、吐きそうなほど苦しくて、絵名の心は限界寸前でした。

受験は、絵を描き上げるだけでは足りず、合格点を超える絵を完成させなければいけません。強い精神的圧力の中で、かつてないほどの恐怖と向き合いながら、美大受験という山を越えなければならないのです。
その道のりの険しさは、過酷という表現では、到底足りないでしょう。

夢を叶えるために

それでも、絵名は、「絵が好き」という強い感情に支えられ、一歩ずつ進んでいくはずです。恐怖に立ち向かうためには、画力をいっそう高め、失った自信を取り戻すほかなく、そこには近道も抜け道もないのです。

絶対的に足りていない画力をどのように補うのか。
才能が不足する分だけ、努力し、苦しみに耐える覚悟があるのか。
高校受験のときに負った心の傷に向きあい、恐怖を克服して、美大を目指せるか。

画家への道を目指すにあたり、絵名は、父親の問いへの答えも見つけなければなりません。その答えが見つかったときには、自然と、父親とも向き合えるようになるはずです。

絵名は、多くのものに向き合わなければなりません。そして、なにより絵名の物語が苦しいのは、絵に関して、絵名はつらい経験をたくさん持っているからです。
絵名が進もうとする道は、至るところに地雷が埋まっていて、それを避けて通るのは難しい。絵画教室しかり、受験しかり。コンクールに応募して賞をもらえたら、自信も得られるし、父親とも向き合えるはずですが、そのコンクールも絵名にとっては苦しい過去のひとつです。

ニーゴのひとりとして

絵名がすべきことは、自分の夢に向かって進むことだけではありません。

絵名には、瑞希の友達として待ち続けるという大事な役目がありますし、まふゆが自分を取り戻すのも支えてもらわないといけません。
そして、もちろん、奏を「呪い」から解き放つという、奏の曲に救われたニーゴメンバーゆえの使命も残っています。

本当に、やることはいっぱいです。
でも、絵名なら、きっと望む未来を手にすることができるはず。苦しさと向き合いながら、夢へと向かっていく絵名の姿を、これからも、見守り続けたいと思います。


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