涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり")


先に書かせてもらうが、これはあくまで自分自身の感覚でそう感じたからだが、ハッキリ言って私は悟った(覚醒した)と思っている。

その感覚から言えることは、この世で悟ってもなにも楽しみはないということに気付いた。

何故なら、悟るとはあらゆる欲を捨て去ることで心の安寧を保つことが出来るわけだが、これが出来た暁月には何も動けない自分が出来上がっていたことに気付き、何一つ楽しみがない状態となっていた。

でも何故楽しみがなくなってしまったのかっていったら、この世、この世界(地球)では思ったことがすぐに実現できる状態じゃないため、たとえ欲を外してもそれを超える楽しみを具現化出来ないからだと思った。

ここで思ったことは、私たちが何故わざわざ地球へ転生し苦しむことをあえてするのかの理由がようやく分かった。

涅槃(覚醒)してしまえば確かに安寧の心は持てる。だけど、その状態は心地良いが刺激(学び)はない。
学ぶということは成長することだが、魂や意識体だけの状態だと何でも出来てしまうため成長に欠ける。このことをお金持ちの人の気持ちとして考えてみると納得出来る。

お金の自由がきく人はある時から欲(物欲)がなくなるという。
これはこの世界(地球)では何でもお金で手に入れられるという自由を手にしてしまったため欲がなくなった(目覚めた)ということに気付くのである。

私たちの魂、意識が宇宙に生まれた以上、成長するほかないのである。
後退はない。停滞か前進かのどちらかだ。

欲を超える楽しみを現実にするなら解脱しかないと思ったが、先のようなことで私たちが地球に居るということを考えると、涅槃の世界も色々と解消しようとすることがあるんだなと思った。

そのことが分かれば地球にいる価値、存在意義はないわけだから、私が次生まれ変わるとしたら地球の輪廻から抜けるだろう。これが解脱なわけだから。

ただ今は私自身も解脱の方法は分からないため今はどうにも出来ない。

もう少し先の未来に可能性はあるが、人々がこのような状態、状況になるにはまだまだ先なんだろうなと思う。

いいなと思ったら応援しよう!