大学病院編①
ども🤗すさきのすです
まだなんとか毎日更新✨
アウトプット訓練…に、なっているのか❓❗️今日までの投稿。笑 まあまあ、リアルノートに日記ならすでに終了💬なとこでした。
話を戻して
無事看護師になった私は、附属の大学病院に入職しました。
広いホールで、病棟名、メンバーを読み上げられ配属先が決まりました。
実際よばれたのは、血液内科(白血病や血友病、骨髄からくる癌や貧血など)呼吸器内科(肺がん、肺気腫、気胸など)膠原病(リウマチやエリトマトーデスなど)の混合病棟でした。
メンバーはこれまた個性豊かな(私を含めた)6名です✨
結果からいうと、3年後NICUへの異動を命じられ、大学病院を離れてしまうのですが…体力的にもハードで、患者さんとの関わりも深くそして、別れも多いあの病棟で最初のあの時期を過ごせてよかった。
私が3年目の頃の1年めにあたる代が、30歳を迎えた頃…当時の研修医含め、看護師、医師で集まり同窓会を持つ機会がありました。
当時新人類(古っ👀)で「最近の子は〜」なんて先輩を悩ましてた私ら同期が、病棟でチームリーダーやら、教育委員やらしてる姿に驚かれたもんでした😜
配属したオリエーテーションで寝てしまい…💤ならば立って回ろうって立っての説明時に💤…初日から大先輩にジャブ…
今もけして器用ではなく、繰り返すことで習得するタイプで…新人時代も例外ではなく…緊張しいなところもあいまり、ワゴンを倒したり、ものを壊しちゃったり、点滴やら針刺しやら…ヒヤリハットコンプリートしちゃうんやないかい❓ってくらいでした。
当時はまだ怒らない教育ではなく…
申し送り(シフトが変わる時に今日あったことや引き継いで欲しいことを伝える場)の時にはペンをくるくるまわしながら、話してる私と違う方をみて「で❓❗️」「だから❓❗️」なんて言われることもしばしば…
手取り足取り、2年で一人前❣️…なんて最近の話…
1回みて2回目やって、自立😱GW明けには夜勤も自立😱って時代でした。病棟の重症な方や、検査や処置が多い方は新人がみる❗️そんな時代…
同じ扱いだった当時の研修医と、処置1時間以上かかる患者さんのところに入り出てきたら浦島太郎…汚物室でガーゼ200枚カウントする…50本を超える抗がん剤の入れ物(アンプル)を50本の溶解液でとく作業…そんな事もありました。
ただ、今の時代を思うと、たとえそういう時代だとはいえ、新人をある程度信じてくれて任せてくれるって勇気がいる事。
ましてやおっちょこちょいな私😭
大変な処置に関わる時に患者さんや先生へのフォローで大変なのは先輩達、ピカピカ新人同士の夜勤で気が気でなかったのは紛れもなく一緒に入った先輩達だったなと。
それでも、経験しないとわからないと、でかい許容でみてくれ、自主性を伸ばしてくれた先輩達がいたから、結果自信がうまれ、のびのび楽しく過ごせるようになったなと。
楽しすぎて、頼まれもしないのに飲み会のたびに同期で余興してましたが🤫🤫
私の直属のお姉さんに1年後、お世話をかけてすみませんでしたと言うと…
「スタート時点がどうなることやらって方が伸びしろがでかいから見てて楽しかったよ。」「いつも、ガッツがあるのがよかった」
と笑顔で言ってくれたのは、今でも忘れない嬉しい一言でした。
のちに、私が後輩指導、新人指導をする際に大事にしている言葉です。