今年のお盆期間中の、8月14日、父の新盆だったこともあり、鎌倉霊園に墓参りに行ってきた。父は昨年の9月13日に82歳で亡くなった。ちょうど僕とは24歳違い、ぼくが58歳の誕生日の9日前だった。その2年ぐらい前に下咽頭癌が見つかり治療を続けてきたが、最後は自宅で旅立っていった。 PaPa、子供のころから僕は父のことをパパと呼んで、それは大人になっても変わらなかった。さすがに他人の前では「おやじ」「父」と呼んでいたが、家族、実家に帰ると「パパ」と呼んでいた。とは言っても、見た
もう何年だろうか、ネットでひろし君を検索しては、見つけることができない。苗字も一般的で、漢字では「広」なので苗字と繋げると駅名のようになってしまい、まったく手がかりなし。彼と最後に電話で話したのは、妹が亡くなった1997年、24年前になるだろうか。10月に妹が医療事故で亡くなった直後、彼に連絡したのだが繋がらず、しばらく後にようやく電話が通じて話をしたのが最後。話といっても、こちらから一方的に話しても、彼はほとんど喋ることなく、すぐに電話は切れてしまった。 ひろし君は、僕と
OSくんは、同い年の友人。中学2年、僕が仙台に転校した時の、ブラスバンドで出会った。頭が少し大きく、メガネかけていて、肩幅は少し狭く、でも頭は良いな、というのが最初の印象。ブラスバンドの部長だった。 中学時代は、同じクラスになることもなく、部活、そしてクラブ(リコーダークラブ)で一緒で、ブラバンよりも、リコーダーでは、彼とよく一緒に演奏して、休みの日にも一緒にリコーダーを吹いたりしていた。やがて高校受験、彼は二高、僕は三高に進学。 高校は別々だったのだが、二人ともブラスバ
来月は誕生月、57歳になる。 大学卒業が平成元年、アパレルメーカーに就職。よく言われたのはバブル世代は役に立たねえな〜、なんてことを先輩社員の皆さんからよく言われた。あとは、財テク、なんて言葉もよく言われてましたね。実際に、自分が就職した会社も本業よりも、財テクでなんとか成り立っていたらしい。 その後、32歳で外資系に転職、当時はヘッドハンターに声かけられ、今振り返れば、有頂天になってた、間違いなく。都内のホテルで何度か話を聞き、いよいよその会社に行って、面接、内定出たま