先人に学ぶ恋愛のすすめ


 とあるYouTubeの動画(5chのスレを取り上げた動画)にて取り上げられていた書籍で、僕がその内容に感心した部分もあったため共有したいと思い記事にしました。三井善太郎『夫婦和合家運繁栄の秘訣二百十ヶ条』(1935年、普及社叢書)から抜粋した、恋愛に関する条文全49ヶ条(実際には、製本のミスで40条が2つあることになってしまっていて、全48ヶ条になっています)になります。
こちらは戦前の書籍となっており、「結婚を前提とした恋愛観」を説いています。ともすると、現代と照らし合わせて時代錯誤な点もあるかもしれませんが、むしろ今を生きる私たちにとってハッとするような内容も多分に含まれていることと思います。

 この記事は、「いつも2chのネタで盛り上がってます」((297) いつも2chのネタで盛り上がってます - YouTube)さんのこちらの動画の内容を引用したものとなっています。↓




第1条 恋愛は一生涯の事業である

 年に2回、陽気の変わり目ごとに行われるネコの恋の如きものは恋愛ではない。恋愛の花には結婚の実が結ばれなければならない。

第2条 恋愛は盲目なるべからず

 結婚の前提としての真面目な恋愛の場合には、その第一条件はお互いの調和である。恋は盲目なるべからず、無理のない恋愛が理想的な恋愛である。

第3条 恋愛と友情とを区別せよ

 友達のわがままは大目に見て許せる。しかし、わがままな妻、あるいは夫と毎日朝から晩まで鼻を突き合わせて暮らしているうちには、堪忍袋の緒も切れる。
だから、異性の親友として好ましい相手でも、その友情をそのまま恋愛に転化させることができると思ったら大変な間違いだ。それをごっちゃにする人には、後からすぐに後悔がやってくる。

第4条 恋愛と浮気心は全く別物

 電車の中で会った人にも、往来で目に留まった人にも、一寸好ましいと思う人があるものだ。いわゆる「一目惚れ」とはそのことだ。
しかし、そんな浮気心と恋愛とを一緒にすると、とんでもない間違いの元になる。一夜にして咲く花はまた一夜にして散るものだ。
恋愛の花は散れば、必ず悲劇になる。本当の恋愛のためには、そんな浮気心は押さえ付けねばならない。

第5条 胡蝶の如き恋愛専門家に気を許すな

 自分の浮気心を押さえるとともに、また相手の浮気心を見破るだけの用意がなければならない。胡蝶の如く、花から花へと舞い移る専門的恋愛家に気を許してはならない。
少なくとも1年間は交際してみよ。そのうちに、もし相手が浮気者なら、飽きて他の花に舞い移ってしまうであろう。

第6条 恋愛の要求には簡単に応ずるなかれ

 結婚生活に入った後に、こんな人とは思わなかったと、愚痴をこぼすくらい馬鹿な話はない。それは相手の恋愛の要求に簡単に応じたその人の罪である。
夜店の品物を買う時ですら、品物の吟味が必要である。買って帰ってから、すぐ何だつまらないと、後悔するような品物を、商人の口車に乗せられて、うかうか買ってしまうような馬鹿な真似をするなかれ。

第7条 自分一人を恋していると自惚れるな

 彼女または彼が自分一人を恋していると自惚れたら、大変な間違いである。そんな気持ちでいれば、相手も「何だ」と言う気になる。
むしろ、世の中には自分よりも優れた者はたくさんいるものだと思うべし。その大勢の中から自分一人を選んでくれたことに対して感謝の気持ちを持ち、その心持ちで生涯相手に対すべきだ。

第8条 恋愛にも試験時代が必要

 恋愛は一生涯に一度のものだ。だから、人はたった一発きり弾を用意せぬ狩人のような慎重な態度が必要だ。これぞと思う相手を見て、その貴重な一弾を発射すべきだ。
だがその前に、相手の人格をあらゆる方面から注意深く観察するための長い試験時代がなければならない。

第9条 恋愛にも年齢あり

 文豪ゲーテとかストリンドベリとかは老年になってから、まだ20にもならない少女を恋した。いくら相手が彼らの如き大文豪でもそんなおじいさんでは少女の方で問題にしなかったのは当然だ。
またたとえ、少女の方で老人の真情に同情してめでたく結婚生活に入ったとしても、その結果はどう考えても不幸だったに相違ない。
恋愛が結婚に行き着くものである以上、やはり年齢のことについても考慮するのが当然である。

第10条 恋愛の経験は尊からず

 何事についても経験と熟練ほど尊いものはない。しかし恋愛だけにはこれは例外である。
恋愛の経験は少ないほど尊く、また熟練を積まぬほど尊い。否、恋愛の経験はその将来の夫または妻に対するただ一度限りのものであってほしい。

第11条 恋愛保菌者に近付くな

 病気には、一度それにかかったら二度とかからぬ免疫性のものと、一度かかった人ほど再びかかりやすい業病とがある。恋愛病もその業病に似ている。それには予防注射も発明されない。
うかうか近寄ると感染する恐れがあるから、恋愛病の保菌者に近付く時は十分な用意が必要である。

第12条 恋人を買い被るな

 『恋愛論』で名高いスタンダールも「恋愛の結晶」ということを説いている。平たく言えば「あばたもえくぼ」ということで、相手のくしゃみの仕振りまでも何となく嬉しいという心理である。
これが一朝恋の熱度が冷めかかってくると、相手のくしゃみの仕振りまでもが何となく癪に障るという心理に転化するのであるから恐ろしい。
だから相手を悪く見積もるほどではなくても、冷静な批判的な態度を失ってはならない。そうした態度がなければ、後になって必ず後悔するはめになってこよう。

第13条 恋人に自分を買い被らせるな

 自分の恋する人の前では、誰でも無意識のうちに自家広告をしているものだ。自分をできるだけ相手に気に入るように見せようとするのは人情である。
けれども、恋愛は結婚への関門であり、結婚生活は一生涯のことだから、後で段々箔が剥げてきて地金が出てくるようになると相手は失望し、結婚生活が面白くいかないことになる。
だから、自分の美点とともに、欠点を理解させることも忘れるなかれ。

第14条 結婚争闘は禁物なり

 自分の他に競争者があることを発見した場合には、直ちに諦めて舞台裏に引っ込むことが賢明な態度である。「諦め」と一口に言えば簡単だが、これが実際には中々困難なことは言うまでもない。
しかし、もし競争者が自分以下の者なら、そんな者を相手にしている自分の恋人を「見損なった」と諦めるべし。またもしも競争者が自分以上の者ならば、そこへのさばり出ることは、すなわち恋人の幸福を妨害することだ。勝つにしろ負けるにしろ、結果の面白からぬは明らかなことだ。
恋愛小説によく出てくる三角関係を味わってみるべし、小説としてのん気に読んでいる時には面白くもあろうが、実際自分がその渦中にあるものだとして考えてみたら、まったくご苦労千万とも、馬鹿らしいとも何とも言えぬ余計な暇潰しであることに思い当たるだろう。

第15条 恋愛も生活から

 生活を考えぬ恋愛は有閑紳士有閑婦人の恋愛である。遊戯に過ぎない恋をして、恋人同士が銘々の家を飛び出して、温泉場など嬉々として遊び回っているうちに金に窮して、遂に死を図ったなどということは三面記事の材料として、新聞記者を喜ばすだけの価値きりない。
まず自分の生活、相手の生活を考えよ。生活の中から生まれ出た恋愛こそ本当の恋愛である。

第16条 恋人の第一の資格は飽きのこぬ人たること

 「目に付いた女房そろそろ鼻に付き」、それでは困る。一生涯恋しても飽きのこぬ人。否、長く一緒にいればいるほど、ますますよくなってくるような人でなければ真面目な恋愛の対象にはならない。それが恋人の第一の資格だ。

第17条 誰からも好評な人を選ぶべし

 あの人はみんなに誤解されているが、自分だけはあの人の真価を知っているなどと、自惚れるなかれ。それは恋愛のために正気を失った場合に誰でも言うことだ。
元より、世間の評判などはごく皮相的なもので、そんなものに囚われることは間違いだが、その人の兄弟姉妹とか、ごく親しい者がその人をどんなに批評するかを注意しなければならない。
その人が日常親しく接触している人の誰からも好評であれば、その人を恋人に選んで間違いがない。

第18条 恋愛の陶酔に正気を失うなかれ

 恋愛と生活を取り換えっこしてはならぬ。一生涯恋愛の陶酔の中に生活することが不可能であるのはわかり切ったことだ。
だから一時の感情のために生活をめちゃめちゃにしてしまっては何にもならぬ。生活を豊富にするのが恋愛である。生活を破滅させるのは退廃である。恋愛の陶酔の中にも正気を失わぬことだ。

第19条 結婚に至らぬ先に恋の油を燃やし尽くすな

 金銭の浪費は生活を破綻させ、愛情の浪費は恋愛を破綻させる。
恋愛が一時の遊戯に過ぎないものならそれでもいいが、しかし恋愛は長い結婚生活の大道に続く関門であることを忘れてはならぬ。
熱愛しすぎた同士が結婚生活に入る頃にはそろそろ恋愛の倦怠期になっていたりするようだと、その人々は味気のない結婚生活を送らなければならないことになる。
西洋のことわざで「結婚は恋愛の墓」と言うのも、このことを言ったものだ。

第20条 打算する人に許すな

 理性と打算とを混同するな。理性的でなくてはならぬ。しかし打算的な恋愛をする人に決して許してはならぬ。そろばんが外れた時には恋も終わりとなるようでは言語道断である。
理性がある場合には自己犠牲をさえ要求するものである。

第21条 親しき仲にも礼儀あり

 恋人同士の間に遠慮は野暮の骨頂である。遠慮がなくなることに比例して親密の度は増してゆく。しかし礼儀というものは遠慮とは全く性質の異なったものだ。
相手の人格を無視した言動や、自分勝手の要求ばかりしているようでは相手を憂鬱にさせ、やがて飽きられる。それをしないのが礼儀である。

第22条 人に疑惑を持たせるような言動は禁物

 智者も学者も踏み迷うのが恋の道である。賢明な人でも恋人のこととなるとつい熱してきて、そばの人が「はてな」と思うような態度を見せたりする。しかし、こんなことは百害あって一利なき余計なことだ。
成功すべき恋愛が、そばから水を差されて失敗に終わるようなことが起こるのは、往々こうした軽率な態度に原因しているのだ。

第23条 口達者には警戒せよ

 新聞に時々現れるいわゆる「色魔」の特徴は口の達者なことだ。
自分はこれこれの大学の教授だとか、自分の父は華族だとか、自分は有名な芸術家だとか、言葉巧みにホラを吹いて相手を煙に巻いておいて、巧妙に魔の手を伸ばすのである。
全くのホラではないとしても、とかく自己広告をしたがる者には気を許してはならぬ。そういう種類の者には堅実な人物がいたためしがないのである。

第24条 不平家に警戒せよ

 何にでも不平を抱く人がある。
そんな人物に限って天下国家の問題で大きな不平を抱くというような気概はなく、自分の家庭、自分の友人、自分の地位に対して常にぶつぶつと不平を呟いているもので、そんな人物と結婚したが最後、箸の上げ下げにまで文句を言われなければならない。朗らかな家庭生活なんかは望むべくもない。深く警戒すべし。

第25条 道ならぬ恋は禁物

 道ならぬ恋のために身の破滅を招いた人々の記事が、毎日の新聞紙上から絶えたことがない。まさか自分がそんなことをするはずがないとは誰もが思うだろうが、運命の戯れは神秘である。
誰も自分の将来を知っている者はない。しかし、どんな機会に、どんな立場に置かれようとも、「道ならぬ恋はすまじ」と固く心に銘じておけば、他人を苦しめ、自らも苦しむこの地獄からは救われるであろう。

第26条 石橋も叩いて渡れ

 恋愛に大胆勇敢は禁物である。石橋も一度叩いてみてから渡る小心と臆病が必要である。
何故なら恋愛は一生涯に一度たるべきもので、その失敗は一生ついて回るものだからだ。あまりに臆病なために一度の機会を逃しても、再びよりよい機会がくることもあろう。
しかし、用心を欠いたために、一度の機会に失敗してしまったら、取り返しがつかぬ。

第27条 子供たちに聞かせても恥のない恋愛を

 同じ恋愛小説でも、その筋の命で発売を禁止されるような醜いものもあれば、学校の教科書にも使用されるものもある。
できるならば、自分の子供たちに語って聞かせても恥じないほどの、美しい無理のない恋愛から、結婚への筋道を通りたいものだ。

第28条 明るみに出されても恥なき恋は最上の恋

 ガラッと障子を開けられて、アッと逃げ惑うような恋はなすべからず。
明るみに出されても、恥なく、堂々と大手を振って通れるような恋は最上の恋だ。恋愛に、無理もなく必ず成功する秘訣は、こうした恋をすることだ。

第29条 度を過ぎた期待を持つなかれ

 「これほど愛しているのに冷淡だ」とか、「あれほど愛してくれたのに、今の冷淡さ」とかいう愚痴が出るのは、相手に度を過ごした期待を持つためだ。
いつも強度に熱していれば、電線だって切れるではないか。たまには息を抜くのもよろしい。「恋愛にも休日あり」とはフランスの詩人の言葉だ。
だから、他に気が移ったというようなことならいざ知らず、たまに恋人が冷淡な態度を見せることがあっても、一々取り上げて問題にしてはならない。あまりうるさくするとかえって悪い結果を招くものと知るべし。

第30条 両天秤にかけられるな

 何事でも競争者があれば、自ずと熱中したくなるのは人情だ。たださえ熱中しがちな恋愛となると、この傾向は最も激しい。
だが、「あなたばかりが私に恋しているのではない」などと、両天秤にかけられて、焦ったりしてはならぬ。焦ればつまづく。だから君子危うきに近寄らずだ。
そんな場合には黙って身を引いてしまうのがあなたのためであることが、後になってから必ず思い当たるだろう。

第31条 不自由な恋もまたよし

 「まああんな天使のような娘が私を騙していました」と愚痴をこぼす神のような親がある。それも恋人に会いたい、会った上は片時もそばから離れたくないという、止むに止まれぬ娘の恋心からだ。
しかし家庭が厳格だったり、人目の関があったりして、恋愛のためには不自由な境遇も、必ずしも呪うべきものとは言えない。
そうした不自由な恋愛を通過した結婚生活においてこそ、誰にも遠慮しない楽しい家庭の味がひとしおなのだ。

第32条 最悪の場合にも備えよ

 「夜半に嵐の吹かぬものかは」である。名船長は平和な海を航海する時にも、嵐が突発する時の用意と覚悟を忘れない。
それでこそ船を遭難から救い出すことができる。最悪の場合に徒に狼狽するようでは、船を暗礁に難破させてしまうだろう。恋愛にも名船長の用意と覚悟が必要だ。

第33条 あまりに甘き恋人は反動化する

 うるさいほどお世辞のよい人がある。靴の紐まで結んでくれるし、ステッキまで持たしてくれる。そのあまりにも甘い恋人は、結婚生活に入ると必ず反動化するものだ。
というわけは、そういう娘さんに限って、感情的で機嫌買いであるって、気に入らない点がぼつぼつ見えてくると、ヒステリーを起こしやすいからだ。
いつまでも平和な結婚生活を楽しみたいと思うなら、この種の人には注意して近付かなければならない。

第34条 押しに負けるな

 石にかじりついてもお花客を繕うという御用聞きのしつこさをもって、手を替え品を替え恋の押し売りをする人がある。
この押しの強さを、真面目さを取り違えて、ついほろりとして、しまいには押し切られてしまう人がある。後になって、それを残念がってももう遅い。

第35条 見ぬ恋は後悔の原因を作る

 よく文学少女などが、一面識もなく、その人柄も知らぬ芸術家に、その作品なり、名声なりに憧れて、まだ見ぬ恋をすることがある。
それと同じ筆法で、往々未婚の紳士諸君が某家の令嬢とか、あるいは某ダンスホールのダンサーとかに、人の噂を聞いただけで、まだ見ぬ恋をして、相当悩むことがある。
しかし噂と現実とはいつも食い違っているものだ。間に立つ人がいて、この恋が成功したとしても、決していい結果が生まれないのも当然だ。

第36条 手形のインフレはなすまじきこと

 財政の破綻はインフレーションから。商人の失敗は不渡手形の乱発から。恋愛においても、恋人を喜ばせるために、結婚してからのことについてあまりにも多くの約束をするのは失敗の因である。
決してそれが心にもない嘘を言ったわけではないにしても、いざ結婚してみると、中々思ったようにならないのが常である。
毎週1回ずつ温泉に行こうと約束しても、それがどうして1年に1回も実行できないことになる。その結果は「騙された」の「裏切られた」のと言う騒ぎになる。
だから、恋愛時代には不渡手形を乱発して、あまりに大きな期待を持たせぬがよい。

第37条 人形を愛するなかれ

 人形のような可愛がり方をするならば、愛される方でも物足りないものだ。愛する方でもやはり物足りない。長い間には寂寞を感じ始める。
こっちで愛するだけのものを愛し返すことのできる恋人を選べ。その張り合いがあってこそ夫婦の愛は長続きするのである。

第38条 容色自慢の人を持つな

 どうせ恋人とするからには、少しでも美しい人がよい。だがその美を意識して鼻にかけるような人を恋人に持つな。また決してその美を意識させるようなお世辞も言うべきではない。
初めのうちは成功しそうに見えた恋愛が、次第に結果がよくなくなっていく原因も、その辺に根差していることが往々にあるのだ。恋愛の妙味は人間味のうちにあるので、決して美の中にあるのではないのだから。

第39条 文化的な恋人は避けたきこと

 もちろん時代遅れの恋人も困るが、あまりに文化的な人を恋してはならない。
1枚30何銭の座布団で済むところを、テーブルと椅子のセットの一組何十何円なりのものでなければいけないことになり、郊外の野原をぶらぶら散歩するなんてことは退屈だから、銀座へお茶を飲みにいこうということになる。
万事がこの調子だと、単に金がかかってやり切れないというようなことばかりではなく、こうした上面ばかりの浮つく調子の文化の中に、生活の真実味を解消してしまうような結果になって、一生浮かばれないことになる。

第40条 趣味に取り入る恋は曲者

 音楽がお好きですか、それともハイキングですかと、相手の趣味に探りを入れて、自分も同じ趣味であるかのように見せかけるのは、恋愛技巧家の常套手段だ。
とかく同じ趣味からは恋愛に入りやすいからだ。しかし、趣味から入った恋愛は、結婚生活の地味な苦労に耐え難く、そこでたちまち破れやすい。
まして付け焼刃の趣味を利用して恋人に取り入ろうとするような人は、敬遠しておくのが安全第一だ。

第41条 卑劣な手段を恥じざる恋を許すまじきこと

 目的のためには手段を選ばずということは、恋愛の場合には真理ではない。その手段によって、その人柄が自ずとわかるもの。
途中に待ち受けて話しかけたり、時ならぬに恋人の居間に侵入したり、またはいわゆる「付け文」をしたりするような非常手段を取る人に、熱心のあまりだと同情すると馬鹿な目を見る。
恋愛のためにどんな手段をも恥とせぬような人物は、他の場合にもまた手段を選ばぬ恐るべき人物である。

第42条 世間体を気にしすぎる恋人を選ぶまじきこと

 父が便所掃除人夫をしているのに、市の衛生課の役人ですと言ったり、大学の小使いをしているのに、研究室に出ていますと言ったりするような人を恋人に持ったら、一生涯の不覚だ。
何事も世間体世間体で、いつも嘘とごまかしで固めた紋付袴でびくびくと世間を渡らなければならない。およそ朗らかさとは縁のない生活だ。

第43条 恋愛は内密に、結婚は大っぴらに

 草花でも双葉のうちは風の当たらぬ苗床で育てねばならぬ。しかし、いよいよ花を咲かせ実を結ばさせる時がくれば、適当な日光と風がなければ生育しない。恋愛もまた草花のように微妙なものである。

第44条 恋愛と結婚とを混同するな

 古人曰く「結婚の美酒は貞操の栓によって味を保つ」と。恋愛時代において、あまりにも早く栓を抜くと、結婚時代になって味も香もない気の抜けた酒を飲まねばならぬ。
二度と訪れぬ青春の香に酔いたいのは誰しも同じだが、そこが忍耐のしどころだ。

第45条 相手を不幸にするな

 相手を不幸にしておいて、どうして自分一人が幸福でいられようか。たとえ断腸の思いをしても、絶たねばならぬ絆は絶つべきである。
先生と生徒の場合、主人と召使いの場合、道ならぬ道の場合など、無理な恋愛はともすれば相手を不幸にしやすいものだ。

第46条 先入観に囚われるは愚なり

 某博士令嬢、某大将令嬢と聞いただけで、もうすぐにその少女をありがたがってしまう軽率な人がいる。そんな人に限って、その少女の実質がどんなものだか、よく見極めもしないで、無我夢中で恋愛に焦る。
その結果は一生涯の悩みの種を背負い込むことになろう。彼女が案外にも低能であったり、不良少女だったりするというのは極端な例だが、そうでなくっても、人格、教養、趣味の点で、自分の相手としてどうかと思うと、後になって次第に気付いたところで後の祭りだ。
こんなことは誰でも心得ていると、言ってしまえばそれまでだが、それでいて、案外誰でも簡単にごまかされるものだ。

第47条 圧迫される恋人を持つな

 いつも圧迫されているようでは生活が面白くないことは理の当然だ。のみならず、意気衰えて伸びるべき才能も伸ばすことができず、発展すべき事業も行き詰まりとなる。
極度に気の強い者、才知弁舌が自分よりも優れていて、常にやり込められてばかりいるような者、それから体力の点でも自分を圧迫するような者とは恋はすまじきことだ。

第48条 よき友達を持たぬ恋人は面白からず

 「朋友の善悪によって、その人を知る」とは古いことわざだが真理はいつまでも真理だ。酒が嫌いな癖に酒飲みの友達とバーばかり回り歩いているわけはない。
相手の口からの出まかせを信ぜず、そっとその友達を観察すると化けの皮はすぐ剥げる。

第49条 「女性の味方」を信用するな

 私は女性の味方ですなどとご婦人の前で臆面もなくまくし立てる人ほど当てにならぬものはない。本当の女性の味方ならば、婦人の前でぺらぺら喋るようなことはしない。
黙っていて知らぬ間に親切を尽くしてくれるものだ。自称「女性の味方」に限ってわがままで不親切な男が多い。



 




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