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世界史漫才16:ムハンマド編

 苦:今回はイスラーム教創始者ムハンマド(570頃~632年)です。
 微:イエス=キリストや釈迦や老子、神武天皇と違って、実在は確実なんだよな。
 苦:アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家の一員。イスラーム教では、モーセ、アブラハム、イエスの他に続く、最大にして最後の預言者です。
 微:ノストラダムスは入ってないのか。
 苦:入るわけねえだろ! 五島勉のトンデモ本だし、本人も2020年に「ゴメンナサイ」したよ! まあ、それにしても日本では見かけ上はムスリムは少ないから身近な宗教ではないけどね。
 微:うちの近所の空きビルの一階が、いきなりモスクになっちゃってびっくりしたぜ。
 苦:東京ジャーミーという立派なモスクもできましたが、日本各地で信者集会所ができています。ちなみに日本最初のモスクは名古屋に、二番目は神戸にできました。信者の寄進でできたんです。
 微:おー兄弟、サラーフ・アッディーン、アッラーフ・アクバール。わたしお金ない。バクシーシ。
 苦:何を急にムスリムになってんだよ! それに最後はインドの言葉だろ! もういいよ。話を戻しますと、ムハンマドの父は彼が誕生する数ヶ月前に死に、母アーミナもムハンマドが幼い頃に没しました。天涯孤独となったムハンマドは祖父アブドゥルムッタリブと伯父アブー=ターリブの庇護によって成長しました。要はキャラヴァンの一員として実地で商売を仕込まれたわけです。
 微:左門豊作のように、こき使われつづけたんだな、幼い弟たちを食わせるために。
 苦:それは知りませんが、成人後は商人としての才覚を発揮し、シリアへの隊商交易に参加します。25 歳の頃、富裕な女商人ハディージャに認められ、15歳年長の寡婦だった彼女と結婚しました。
 微:金さえあれば年の差なんて。メッカの「小柳ルミ子と大隅賢也」と呼ばれたそうです。
 苦:そっちが後の時代だろ! そしてムハンマドはハディージャとの間に2男4女をもうけます。
 微:おいおい、終わりの方って、奥さん50歳近いんじゃねえのか?
 苦:成功し、一財産築いたムハンマドは瞑想にふけるというか、悩みから逃げるためにメッカ郊外のヒラー山の洞窟に行くのが趣味でした。
 微:黒服が入り口に立っていて、「開け、ゴマ」って言ったら入れたんだよな。
 苦:どこのクラブだよ!! 610年頃ですが、瞑想というか半分眠っていたムハンマドは、そこで大天使ジブリール(ガブリエル)に出会い、唯一神アッラーの啓示を受けたとされています。
 微:ムハンマドはオンラインゲームのガチャにはまっていたんだな。背景に気迫の炎が見える。
 苦:スーパーサイヤ人じゃねえよ!! その後もジブリールから啓示は次々とムハンマドに下されます。
 微:強制インストールされたんだな。
 苦:預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、近親の者たちに自分に下った啓示、すなわちイスラーム教を説き始めました。
 微:「この幸福のペンダントをつけると恋人ができます」ってやつか? そうやって友人を失うんだよな。
 苦:まあ、ある意味霊感商法的部分はありますね。最初に入信したのは妻のハディージャで、従兄弟のアリーや友人のアブー=バクルがそれに続きます。
 微:アブー=バクルは殺してでもムハンマドに布教止めさせるはずだったのに転がされたんだよな。
 苦:坂本龍馬と勝海舟みたいですね。613年頃から、ムハンマドは公然とメッカの人々に教えを説き始めますが、メッカの有力市民たちは、ムハンマドとその信徒たちに激しい迫害を加えました。
 微:そうだよな、夢に現れたことを一方的に話されるんじゃ、本当かどうかも、酔っぱらいの話か、電波なのか判断できないもんな。
 苦:622年にムハンマドは、メディナの住民からアラブ部族間の調停者として招かれ、メッカを離れることを決めます。信徒たちも次々にメディナに移住します。メッカから送り込まれた刺客をかわし、甥のアリーの協力を得て、新月の夜にアブー・バクルと共にメディナに到着しました。この事件をヒジュラといい、のちにイスラーム暦元年と定められます。
 微:「この町が いいねと君が言ったから 7月6日は メディナ記念日©」
 苦:俵万智のパクリだろが! ムハンマド率いるイスラーム共同体は周辺のベドウィン諸部族と同盟を結んだりしながら急速に勢力を拡大します。そして630年に1万の大軍を率いてメッカに侵攻します。予想以上の兵力を誇るムスリム軍にメッカは戦わずして降伏しました。
 微:大学入試で最初の英語の問題見て、そのまま教室から出て行ったキミと同じだな。
 苦:ムハンマドは敵対者たちに当時としては極めて寛大な姿勢で臨み、ほぼ全員を許しました。ですが、カーバ神殿に諸部族が安置した数百体の神像・聖像はムハンマド自らの手で破壊されました。
 微:代わりに隕石を安置したんだよな。オレだったら漬け物石だが。
 苦:632年のメッカへの大巡礼の際、ムハンマドにより五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)が定められました。大巡礼を終えてまもなくムハンマドの体調は急速に悪化し、ムハンマドは「アラビア半島から異教徒を追放するように」「自分の死後もコーランに従うように」と遺言しメディナの自宅で没し、この地に葬られました。彼の自宅跡と墓はメディナの「預言者のモスク」になっています。
 微:要するに、ひたすら戦勝と仲裁で君臨した男、元祖アメリカ外交だな。
 苦:全世界で11億人がイスラーム教の信者です。当然、イスラーム教の解釈やムハンマドに求めるものも時代によっても、イスラーム化する前の古代文化の影響によっても変わってきます。西はモロッコから東は熱帯雨林のインドネシアですから。
 微:戦前日本の「天皇は人でありながら神である」と同じタイプの怖さがあるな。
 苦:ムハンマドは敬愛されるだけでなく、一種の聖者と見られています。ヒジュラ暦でムハンマドの誕生日とされるラビー・アル=アウワル月の12日は、預言者生誕祭として大々的に祝われます。
 微:キリスト教でも仏教でも実態は聖者や菩薩を通して多神教として機能してるもんな。
 苦:ムスリムの聖者崇拝では、聖者を神の特別の恩寵を与えられた者と考えます。半分神ですね。
 微:通天閣のビリケン様と変わんないな。
 苦:イスラーム神秘主義(スーフィズム)においては、神との合一を成し遂げたスーフィーの聖人たちは、師資相承されてきたムハンマドの本質性、精神を継承する者として捉えられています。
 微:しかし、なんと言ってもイスラーム教とくると、一夫多妻です。
 苦:伝承よるとムハンマドが25歳で結婚した15歳年長の寡婦ハディージャと最初の結婚をし、彼女の死後、ウンマが拡大するにつれ、ムスリムや他のアラブ諸部族有力者から次々と妻を娶っています。そのうち、アブー・バクルの娘アーイシャが最年少かつ最愛の妻として知られるんですが、彼女は結婚当時何と9歳(満8歳)で、ムハンマドは50歳!
 微:世界中のあぶないオタクが聞いたら、勇気百倍になるかもしれない危険な結婚だな。
 苦:アーイシャ以外はみな寡婦や離婚経験者で、メッカ追放から再征服までは戦死者が続出して、救済措置として寡婦との再婚が推奨されていました。ムハンマドも自ら率先したんでしょう。
 微:そう言ってるキミは信じているの?
 苦:ムハンマドが12人目を迎え入れた際、神からの啓示が下され、迎え入れた女性に対し平等に接するため、妻は4人までと定められたとコーランには記されています。
 微:自分を棚上げして、すごいものだな。
 苦:まあ、会食自粛を要請している政府関係者が夜の会食やりまくっているのと同じですね。次に妾以外の正妻一覧です。あくまで正妻ですよ。

①ハディージャ                  
②サウダ・ビント・ザムア 
③アーイシャ(アブー=バクルの娘)         
④ハフサ(ウマルの娘) 
⑤ウンム・サラマ・ヒンド(アブー・スフヤーンの娘) 
⑥ザイナブ・ビント・フザイマ 
⑦ウンム・ハリーマ・ザイナブ・ビント・ジュフシュ 
⑧ジャワイリーヤ・ビント・ハーリス 
⑨ウンム・ハビーバ・ラムラ・ビント(アブー・スフヤーンの娘で上記⑦の姉妹)
⑩サフィーヤ・ビント・フヤイイ          
⑪マイムーナ・ビント・アル=ハーリス 
⑫コプトのマリア(ムハンマドの末子イブラーヒームの母。エジプト出身のコプト教徒の娘) 
⑬シャラーフ・ビント・ハリーファ・アル=カルビー(ベドウィンの出身でムハンマド在世中に死去) 
⑭アーリーヤ・ビント・ズブヤーン(ムハンマド在世中に離婚) 
⑮ファーティマ・ビント・ダハーク・アル=ハズィーリー(ムハンマド在世中に離婚)

 微:ラグビーのチームが作れるな。
 苦:ムハンマドは生涯で7人の子供を得たと伝えられ、うち6人はハディージャとの間に生まれています。ムハンマドの結婚は部族間の結合関係を保証するためのものだとイスラーム側は弁護しています。
 微:なんか、『つまらないものですが、お中元です』って感じで娘を差し出しているな、ごく普通に。
 苦:末娘ファーティマはムハンマドの従兄弟である第4代カリフのアリーと結婚し、ハサン、フサインの2人の孫が生まれました。これもけっこうな近親結婚です。
 微:結婚界のプルサーマル燃料だな。濃縮と再利用とリミックス。
 苦:ムハンマドの血筋は、外孫のハサンとフサインを通じて現在に至るまで数多くの家系に分かれて存続しており、サイイドやシャリーフの称号などで呼ばれ、非常に敬意を払われています。
 微:日本の「源氏の血を引く」「桓武天皇の血を引く」という自称とはレベルが違うな。
 苦:現代なら、イラン革命の指導者のホメイニ師と前イラン大統領モハンマド・ハータミー、イラク・カーズィマインの名門ムハンマド・バキール・サドルやその遠縁にあたるムクタダー・サドル、ヨルダンのハーシム家やモロッコのアラウィー朝といった王家もサイイドの家系です。
 微:つまり、これからの世界はチンギス=ハンの子孫とムハンマドの子孫の戦争になるわけだな。
 苦:日本も北朝鮮も「バカ息子」「アホ孫」だしな。(チャンチャン)

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