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微苦笑問題の哲学漫才22:フロイト&ユング編(前編)

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回は精神分析学の創始者ジークムント・フロイト(1856~1939年)と、その弟子で臨床心理学者河合隼雄の種本の著者カール・グスタフ・ユング(1875~1961年)です。
 苦:最初に言っておくと、日本では臨床心理学としてユング心理学は学問と思われているけど、海外ではユングは一種のオカルト扱いだからな。
 微:身も蓋もないことを言うんじゃありません。敵を増やすだけだよ!! フロイトはオーストリアの白人系ユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳で名門のウィーン大学に入学し、物理学、医学を学びました。
 苦:ユダヤ系で金持ちって、サンデル教授と同じで最高の学問的スペックじゃん。
 微:フロイトは医学部では両生類・魚類の脊髄神経細胞を研究し、また脳性麻痺や失語症を臨床研究し論文も業績を残しています。
 苦:一度に達成するためにアリエルを解剖したそうです。
 微:ディズニーファンに襲われるぞ。このことから、彼が早くから脳の構造と人間の行動、さらには心的活動に深い関心を抱いていたことを物語っています。
 苦:そこからヒステリー研究、精神分析学に進んだんだから、さしずめ「ココロのボス」だな。
 微:赤塚不二夫のキャラじゃねえよ!! 1881年の大学卒業後、1885年にヒステリー症状の治療法を学ぶため、パリの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーのもとへ留学しました。
 苦:ヒステリーという言葉は今は放送禁止というか、PC用語だな。
 微:翌年にウィーンへ戻ってクリニックを開業します。ヒステリーの催眠療法を開業医として実践に移したんですが、本当はユダヤ人差別から大学に学者として就職することは当時不可能だったからです。
 苦:ドイツ帝国だったら、影の文部大臣アルトホーフが救ってくれただろうけどな。
 微:日本でどれだけの人間がアルトホーフを知ってるんだよ、混乱するだろ。患者を診察していく中で治療経験を改良を重ねるうちに、最終的にたどりついたのが自由連想法でした。
 苦:昭和の頃、NHKで面白くない『連想ゲーム』という番組があったな。
 微:これを毎日施すことによって患者はすべてを思い出すことができるとフロイトは考え、この治療法を精神分析と名づけました。
 苦:レクター博士は「人間」「美味しい」「レアが一番」と答えたそうです。
 微:『羊たちの沈黙』じゃねえよ!! それに脳のソテーを忘れてますよ。
 苦:脚本読んでジョディ・フォスターが逃げ出した『ハンニバル』のオチだな。
 微:1895年、フロイトはヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論を発表しました。アメリカから広まった、今日で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものです。
 苦:これなしにはハリウッドは映画を製作できない、元兵士は補償を請求できない重宝な概念だな。
 微:それは脇に一旦置いて、フロイトは自由連想法によってヒステリー患者が無意識の領域に封印した内容を回想し言語化して表出することができれば、身体的病理症状は消失すると主張しました。
 苦:「なかったことにした」ことを認めて言葉にできれば解決ですと。
 微:はい、自分の治療経験からフロイトはそう考えました。この治療法を「除反応」と呼びますが、これを医師免許のない人間がやるとカウンセリングになりますね。臨床心理学の知識と経験は必要ですが。
 苦:『エクソシスト』の元ネタ『尼僧ヨアンナ』の修道女の抑圧された性欲の話みたいなもんか。
 微:まさにその通りで、自然科学者フロイトの目指す精神分析はあくまでも「科学」でした。
 苦:「科学」を強弁する学問はニセ学問だし、宗教はもっとエセだぞ。
 微:フロイトは確信していました。脳神経の働きと心の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在はおろか、その働きについてもすべて実証的に説明できると。
 苦:そのためには生体人体実験が不可欠だからな。ナチスとドイツ医学界が提携するまで実証実験は不可能だな。
 微:その代わりと言っては何ですが、心理学や心因性の謎の病気の解明が新たな挑戦課題となっていました。彼はこの課題に挑み、ヒステリーに深く係わる「性」という領域に行き着きます。
 苦:それって、ユダヤ教徒というかセム系一神教が最も抑圧していた領域だな。自分から地雷を踏みに行くスタイルだったのか。
 微:気をつけて欲しいのは、裁判と金儲けに走る今のアメリカのカウンセリング業界とは違うことです。
 苦:マクドナルド・ドライブスルー訴思い出すだけでもアメリカ司法制度は狂っているもんな。
 微:フロイトの自由連想法は、患者が語る「無意識の領域に封印していたのだけれども、催眠によって思い出した真実」、ほとんどの場合が「父親からの性的虐待」を文字通り真実と考えなかった点です。
 苦:ああ、子どもが「過去に親から受けた虐待の補償を請求する」裁判がアメリカで流行したな。
 微:最近は、子どもが思い出した性的虐待はカウンセラーの誘導によるフィクションで、今度は親子でカウンセラーを訴えるというオチになってきました。
 苦:ロジャーズ式カウンセリングの弊害だな。何でも受容し、真実と受け取る。
 微:アメリカの多くの親子が捏造された心的外傷によって引き裂かれました。
 苦:結局、もうけたのは弁護士とカウンセラー、それらを育成する大学院。まさにアメリカ!!
 微:フロイトは、どう考えても荒唐無稽な封印された過去の真実を語る患者の話を信じませんでした。
 苦:「嘘の効用」を見切っていたのか。さすがだな。
 微:たとえ嘘でも、それを物語ることを通してで患者が自己を回復していくことは事実であると、その効果に注目していたのです。
 苦:つまり心のマッチポンプ、あるいは自家発電式プラシーボ効果だな。
 微:まあ、そうです。治癒というか快復というか、効果があればよかったんです、開業医としては。
 苦:方法や哲学の正しさよりも効果があるか・ないか。治療者だな。
 微:彼は臨床経験と自己分析を通じて洞察を深め、1899年に『夢判断』を出版しました。自分の精神分析学が20世紀を代表する学問となることを確信していたので、奥付はわざと1900年としました。
 苦:すごい自信だな。
 微:ですがフロイトの弟子は多くなく、そのほとんどがユダヤ人でした。
 苦:同類相哀れむといいか、昼間のレム睡眠というか。
 微:そして数少ない『夢判断』の読者に、純粋ゲルマン人で、永世中立国スイスのドイツ語圏のチューリッヒ大学講師カール・グスタフ・ユングがいたのです。
 苦:「ユダヤ臭さ」を消すデオドラント効果を期待したわけか。
 微:フロイトはユングに特別の期待をかけ、「王子(プリンツ)」とまで呼びかけていました。ユングも初めはフロイトを深く敬愛しました。
 苦:「ユング王子」を和訳すると若王子だな。昔フィリピンで人質になった支店長じゃねえか!
 微:そんな昭和の事件、誰も覚えてないって!! フロイトは1910年に国際精神分析学会を創立した時、文字通り精神分析学の「ユダヤ臭さ」を抜き、同時にユングを自分の後継者として認知させるため、ユングを初代会長に就任させました。
 苦:木木木喜朗に推薦された橋下聖子的ポジション! 嫌だっただろうな。
 微:招待されたアメリカのクラーク大学に二人で一緒に行くなど、個人的にもしばらく蜜月状態ともいうべき時期が続きました。
 苦:手をつないで出勤したそうです。
 微:幼稚園児かよ!! ですが、無意識の範囲や夢の基盤など学問的な見解の違いから両者はしだいに距離を置くようになり、1912年に二人は決別しました。
 苦:性欲対集合的無意識じゃあなあ。無意識のうちにフロイトを避けていたんだな。
 微:フロイト56歳、ユング37歳の時でした。2年後の1914年にはユングは国際精神分析学会を脱退しました。
 苦:その旅行期間中、二人で自分が見た夢を分析し合ったんだろ、そりゃ決裂するわな。ちなみに、業界ではこれを同床異夢ならぬ「臨床異夢」と呼ぶそうです。
 微:話を作るんじゃねえよ!! それでも1938年にナチスがユダヤ人を学会から追放しようとした時、ユングは自分が会長を務める「国際心理療法医学会」会員だったユダヤ人医師の身分を保証しました。
 苦:ハイデガーとは雲泥の差だな。
 微:それともう一つ。学会の機関紙にユダヤ人医師の論文を自由に掲載することも決定し、それをフロイトに打診しました。かつての師とその弟子たちを守ろうとしたのです。
 苦:ええ話やねえ。
 微:ですが、フロイトは「敵の恩義に与ることは出来ない」と言って援助を拒否しました。
 苦:よほど個人的怨恨というか未練がないと拒否しないよなあ。コカイン中毒者のくせに。
 微:このため、ナチスはユダヤ人医師を医学界から追放しました。ユダヤ人医師たちは仕事を失っただけでなく、強制収容所のガス室に送られて機械的に処分されていきました。
 苦:ナチスという悪夢をどうフロイトは分析したんだろうな。
 微:それはあくまで比喩で、現実ですから。最終的にフロイト自身はロンドンに亡命しましたが、弟子たちがしきりに勧めていたのにフロイト本人は最後まで逃亡しようとしませんでした。
 苦:いや、現実から逃避してるやんか。
 微:逃避もしたくなるでしょう。1939年、全身に転移した癌の苦しみもあり、モルヒネを大量に注射してフロイトは自ら命を絶ちました。
 苦:まあ、まあ、かつてはコカイン中毒者だったんだから、妙に納得できる話だな。
 微:それはさておき、無意識の発見に移ります。フロイトのモデルに従うと、意識とは「心という氷山」の海面に出ている部分であり、様々な欲動が蠢く無意識と連続しています。
 苦:デカルト的に明晰に区分けはできないと。
 微:そうです。デカルトの理性とは明晰な疑いかつ分析する意識ですから、意識と自我は同一視できました。喩えて言うなら、意識は確固たる岩盤であり、理性はその上に立つ堅牢な建物だったのです。
 苦:ああ、阪神大震災で震度7を経験した人間にはよくわかる話だな、ポートアイランドは知らんが。
 微:それをフロイトは粉砕しただけでなく、正常と異常の境界も明確なものではなく、グラデーションを描く帯状のものでしかないことになりました。
 苦:誰にでも「異常」と判定される部分を持っていると。
 微:言い方を換えると、正常/異常の線引きは恣意的なものにすぎなくなるのです。ですからフロイトによる「無意識の発見」は西洋哲学を根底から揺るがす事件でした。
 苦:それでLGBTのシンボルは虹色なのか?
 微:関係ないです。ドイツではマルクスやニ-チェと、イギリス王立科学協会からはニュートン、ダーウィンに並ぶ存在として評価されています。
 苦:イギリスはパブリック・スクールで同性愛に目覚める知識人も多いしな。納得。
 微:また、シュールレアリズム運動を率いた作家たちはその美術運動の理論的基礎をフイトによって与えられたとも言えます。
 苦:ダリの絵とかムンクの『叫び』とか、「不条理の万人が理解できる表現」はそうでもしないと理解できないもんな。
 微:やがて彼の関心は心的外傷から無意識そのものへと移り、精神分析は無意識に関する科学として方向付けられ、自我(エゴ)・イド・超自我(スーパーエゴ)からなる構造論と神経症論を確立します。
 苦:「これはあくまでイメージです」ってやつだろ。スーパーの広告チラシじゃないけど。
 微:はい。フロイトの心理モデルに入りますが、あくまでモデル、「こう考えたらうまく説明できる」という作業仮説だということを忘れないように。
 苦:でも心理学って、みんなそうだろ。要はクライエントの治療に成功したかどうかが勝負であって。
 微:フロイト精神分析学における概念は、アメリカのストレイチーによってラテン語訳された上で日本語訳されています。
 苦:それで英語やラテン語が混ざっているわけだ。
 微:das Ichは「自我、エゴ(ego)」、Über-Ichは「超自我、スーパーエゴ(super-ego)」、Esは「無意識、イド(id)」として流布しています。
 苦:最後のは兵庫県知事が無意識というか直感で動いているという当てこすりか。
 微:そうかもしれませんが、自分を投影してはいけません。「自我」は、フロイトの定義では、1923年以前までは意識を中心にした「自己」の意味、つまり私や意識に近いものとして使われていました。
 苦:つまり自分で認識できる範囲に限定されていたと。
 微:1923年以後、彼が意識と無意識の区別によって精神を把握するモデルを使ってから、自我の概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化されました。
 苦:訳した奴は無意識のうちに「自我」自賛するスーパーエゴイストの可能性が高イド。
 微:誰が三題噺をしろと!! 自我は、エス(無意識)からの欲動の実現要求を、超自我からのそれらを制御命令を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持っています。
 苦:プラトンの「魂の三部説」を思い出したな。
 微:心と体の無意識的防衛を行い、エスからの欲動を防衛・昇華したり、超自我から提示される禁止や理想と葛藤する、調整的な存在です。
 苦:つまり中間管理職、ヘタすれば名ばかり店長みたいな悲哀に苦しむところだな。
 微:まあ、そうです。一般的には、自我はエス・超自我・外界に悩まされる存在として描かれます。
 苦:いや、サービス残業強要の時代、気をつけてほしいな。
 微:気をつけて欲しいのは、自我は意識とは異なるもので、飽くまでも心の「機能」「構造」から定義された概念で、フロイトの格言にも「自我はそれ自体、意識されない」というのがあります。
 苦:存在するけど意識されないと聞くと、キミみたいな素材感のないやつだな。
 微:サッカー用語の「オートマティズム」ですね。自我が最も頻繁に行う活動の一つに各種の防衛反応、例えば逃避や同一化などがが挙げられますが、これらを人間は無意識的にやってますよね。
 苦:じゃ、植草元教授の手鏡やマーシーの覗きは防衛反応の何になるんだ?
 微:知らねえよ。本人に訊いてこいよ!! ああ、紙数が尽きたので、延長戦だよ、トホホ。

作者の補足と言い訳
 現在なら十分に自慢になる話ですが、「さて、心理学とはどんな学問なのだろう」と思ってフロイトの『夢判断』を文庫本で読んだのが高校2年生の時でした。まあ、当時は高校生が普通に岩波新書緑版を読んでいた時代ですから、自分の知的関心が半歩遅れていたことを示す悲しいエピソードでしかなかったのですが、20世紀末になるとテレビの『それ行け! ココロジー』を見て心理学を大学で学ぼうとする無謀な高校生が現れました。21世紀に入ると、心理学専攻希望の高校生のほとんどは「かまってチャン」というか「ワタシのことをもっと理解してください」タイプになってしまいました。「自分から傷口に塩を塗るのか・・・」と思うのですが口にはできません。
 個人的には、心理学は性に合わないですし、悪意を少しこめて言うと「占いとどこが違うの?」「経験的な知恵が必要なだけで、科学的とは言えないのでは?」と思っています。
 そうは思っているのですが、「プロレスラーがそれぞれの物語を背負ってリングに立つ」ように、人間はそれぞれ自分の物語を持ち、それなしには生きていけません。その意味では、心理学は「物語の修復を手伝うことができる」ので有用なのだと、その存在価値は認めています。
 ただ、心理学業界の人は口にしませんが、フロイトの言っていることは「説」というか、理解モデルでしかありません。つまり「こう考えたらうまく説明できる」というものであって、社会契約説のように、絶対に証明することができないものだということです。その割り切りというか、「使用上の注意」をきちんと説明してほしいです。

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