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世界史漫才08:釈迦編

 苦:今回はお釈迦様ことガウタマ・シッダールタです。
 微:麻原彰晃こと松本智津夫みたいなもんか?
 苦:全然違います! 仏罰が当たるぞ、まったく。本名はゴータマ・シッダッタ(パーリ語)またはガウタマ・シッダールタ (サンスクリット語)。「釈迦」は釈迦牟尼(シャーキャ・ムニ)の略で、釈迦は彼の部族名もしくは国名、牟尼は「聖者」の意味なので釈迦牟尼は「釈迦族の聖者」となります。仏陀(ブッダ)は「悟りを開けし者」を意味します。
 微:麻原彰晃が信者から「尊師」と呼ばれるようなもんだな。
 苦:レベルが全然違うよ! 釈迦は前5世紀頃、現在のネパールにいた釈迦族の王子として生まれました。生没年は有力な二説でも前463~前383年、前560~前480年と100年近い差があります。神格化されている人ですから、数々の伝説がつきまとっていて、真実の姿に迫るのは難しいです。
 微:しかし、あれだな、ようやく麻原も事件への関与を認めたらしいな、「私はグルである」って。
 苦:そのグルは意味が全く別のグルだろ! しかも釈迦はインドでは19世紀にイギリスが進出してくるまで忘れ去られた人でした。何よりもインドでも、ネパールでも仏教徒は今も少数派ですから。
 微:中国よりも日本の方が一人当たりのギョーザ消費量が多いのと同じなわけだ。
 苦:訳のわからない例え話はいいよ! 釈迦は現在のネパールにあるカピラヴァスツ国を形成していた釈迦族の出身です。カピラヴァスツ国は当時の二大強国マガダとコーサラの間に挟まれた国でした。
 微:ジャニーズとバーニングに挟まれたホリプロみたいな国なわけだな。いや、ナベプロか。
 苦:無用な喩えはいらねえよ!! 生まれた家柄は王ラージャ(王)とよばれる名門で、カピラヴァスツ国の城主、シュッドーダナ(浄飯王)を父とし、隣国コーリヤの執政の娘マーヤー(摩耶)を母として生まれ、ガウタマ・シッダールタと名づけられました。ちなみにマハラジャは「大王」を意味します。
 微:『踊るマハラジャ』って映画があったよな。黒塗りしたパパイヤ鈴木みたいなオッサンが主役の。
 苦:余計なことを言うな! ガウタマは「最上の牛」を、シッダールタは「目的を達した者」という意味で、釈迦は母親がお産のために実家へ里帰りする途中、ルンビニの花園で休んだ時に誕生しました。
 微:その時、脇の下から生まれたという噂があるけど、マジですか?
 苦:生後一週間で母の摩耶は亡くなり、その後は母の妹マハープラジャパティーが育てましたが、当時は姉妹婚の風習(姉妹全員まとめて結婚)があったことから、マハープラジャパティーもシュッドーダナの妃だった可能性があります。
 微:相手が叶姉妹だったら、すごいことになるな。一年経たずに破産だぜ、そのカピバラ国も。
 苦:カピバラは世界最大のネズミ! スルーします。釈迦は、産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられています。
 微:えっ、この像って、脇の下を指さしてるんじゃないのか!
 苦:バカもそこまで行けば大したもんです。生まれてすぐに天を指さした様子を描いたものです。
 微:バカボンのパパと一緒じゃねえかよ。釈迦はバカだったのか、「賛成の反対なのだ」って、わめいて。
 苦:それは赤塚不二夫が後からパクったの! 釈迦は父の期待を一身に集め、二つの宮殿や世話係・教師などを与えられ、ラージャにふさわしい教養と体力を身につけた、多感でしかも聡明な立派な青年として育ちました。
 微:それって、小さいことにこだわってしまう、という難儀な性格の婉曲表現か?
 苦:褒め言葉です、純粋に。16歳で従妹のヤショーダラーと結婚し、息子ラーフラをもうけました。なお妃は他にもマノーダラー、ゴーピカー、ムリガジャーなども見受けられます。
 微:最後のやつはジャガー横田か? でも奥さんが4人って、もしかして隠れムスリム?
 苦:そいつの旦那は歯科医だよ!! それにまだムハンマドは生まれていません。話を戻すと、当時、ウパニシャッドを背景にヴェーダの権威を認めない六師外道と呼ばれる思想家たちがバラモンの権威を否定し、自由な思想を展開していました。
 微:妖怪腐れ外道の親戚の、人食い妖怪かよ!
 苦:初音ミクで遊んでいてくれ。まあ、中国の諸子百家と同じようなもので、戦乱期は基本的に社会の上昇期です。上昇期ですから働きもしない舌先三寸の人間と言えば言い過ぎですが、宗教家や思想家を養うこともでき、暇な時間にふと、人生に悩むこともできるんです。
 微:さすが元「授業中の哲学者」。こんなくだらないことをなんで勉強するんだ、って顔してたよな。
 苦:キミとは高校も大学も違います。当時は多くの国が争いを繰り広げ、混乱の度を増す最中にありました。そんな世の中に疑問を抱き、釈迦は裕福な生活を捨て、29歳で出家しました。
 微:29才で家出かよ。オレなんて14才だったぞ。
 苦:出家と家出は違うよ! 出家は家族も世俗の地位も棄てて宗教上の修行に入ることです。釈迦の出家の動機として語られるのは「四門出遊」の故事です。釈迦が城の東門から出る時に老人に会い、南門より出る時に病人に会い、西門を出る時に死者に会い、生ある故に老も病も死もある(生老病死:四苦)と無常を感じた。そして北門から出た時に一人の出家者というか修行者に出会い、世俗の苦や汚れを離れた清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったと言われています。
 微:オレは毎日近所のスーパーでで老人と病人に会うし、診療所が近いから病人にも会うぞ。ついでに淀川の河川敷を散歩するとホームレスにも会うぞ。
 苦:お前はそういう地域に住んでいるだけだろ! そもそも当時の広い意味のインド世界に生きた人々はカルマ(科、とが)による六道の輪廻転生を恐れていました。
 微:シャアにだまされて死んだやつだな、ザビ家の末っ子。
 苦:まあ、「坊やだからさ」でつながるので、否定しません。さて、一人息子のラーフラですが、この子も伝説に包まれています。日蝕や月蝕を意味する禍々しい名前で、20世紀末に話題になった「悪魔」くん以上のひどい名前です。子のかわいさが出家の決意を蝕むことを予測しての名付けだそうです。
 微:後先考えずに子どもを作って、キラキラネームつけて、途中で嫁さんも子どもも投げ出して、ヤンキー以下じゃねえかよ。
 苦:止むに止まれなかったんだよ! 王宮を抜け出て出家した釈迦は、まずバッカバ仙人を訪れます。
 微:バカバカ仙人?
 苦:お前、わざとだろ! その苦行を観察するのですが、バッカバ仙人は天道に生まれ変わることを最終的な目標としていたので、そこを去りました。
 微:文字通り、馬鹿馬鹿しいと思ったんだな。
 苦:オマエのボケの方が馬鹿馬鹿しいよ! 次にアーラーラ・カーラーマを訪れます。
 微:古代インドには、そんな変な名前しかいないのか? 次はアラマー・オシサシブリー師か?
 苦:名前の音に責任はありません。ちなみに磯野家のカツオくんはイタリアではヤバい名前です。アラーラは、空無辺処が最高の悟りだと思い込んでいて、それでは人の煩悩を救えないと、そこを去ります。次にウッダカラーマ・プッタを訪れますが、そこも真の悟りを得る道ではないと、去ります。
 微:シッタカブッタはそんな頃から連載されていたのか!
 苦:もう返す気力もありません。空っぽです。
 微:大乗仏教でいうところの「空」だな?
 苦:知るか! この三人の師の元を離れた釈迦は、ウルヴェーラの林へ入り、五比丘といわれる5人の沙門を連れ、減食、絶食、不眠など6年間の苦行というか厳しい修行を行いました。しかし心身を消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行を止めます。
 微:6年かけないとわからなかった、ってバカじゃねえのか?
 苦:そこで釈迦は、全く新たな独自の道を歩みました。ネーランジャナーで沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図って、ガヤー村の菩提樹の下で、49日間の観想に入ります。そして、ついに12月8日の未明に大悟しました。
 微:祖父が総理なのにロック歌手になったわけだな。
 苦:それはメンタリストじゃない方の、竹下元首相の孫のDAIGOだよ! 釈迦は、この悟りを得た喜びの中で、このまま浸っていようと考えましたが、弟子たちの元へ行きます。
 微:そうだよな、特許権、最低でも知的財産権を登録しないと損だもんな。
 苦:そんなセコイ考えじゃないよ! 「慈悲」の心から、自分の悟りを伝えようと思ったんだよ! そして鹿野苑へ向かい、初めて五比丘にその方法論である「四諦」「八正道」を相手に合わせて説きました。これが初転法輪です。釈迦の教団はどんどん膨れ上がっていきます。
 微:東京都の新型コロナの新規感染者数並みだったそうです。
 苦:それはパフォーマー小池に訴えてください。これより後、最後の一年間まで釈迦がどのように伝法生活を送ったかは、よくわかりません。
 微:つまり、感染経路が不明なんだが、増殖したというかオーバーシュートしたんだな。
 苦:キミのボケこそ本来のオーバーシュート、的を外してます。釈迦の伝記の中で最も克明に残されているのは、『長阿含経』の中の「遊行経」などの記録です。それによると、雨季が終わるって弟子のアーナンダを促してチャパラの霊場に行き、ここで鍛冶屋のチュンダのために法を説き、食事を提供されますが、食後に激しい腹痛を訴えます。
 微:意地汚く食べ過ぎたんだな。
 苦:原因は毒キノコです。チュンダは知らなかったんですが、釈迦は毒キノコと知っていながら食べたんです。自分の寿命を悟っていたんで、知ってて食べたんです。
 微:それは慰謝料狙いか?
 苦:自分と同じにするんじゃねえよ! カクッター河で沐浴して、最後はクシナーラー近くのヒランニャバッティ河畔にあるサーラの林に横たわり、そこで入滅しました。前386年2月15日のことです。
 微:つまり、体を張ってモテなくて成仏できない男子のために、バレンタインデーの翌日を狙ったと。
 苦:自分から離れろ!(パシッ!)

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