![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47229342/rectangle_large_type_2_eb96543f72cfdfb8cab5691ea71e5c12.jpg?width=1200)
世界史漫才04:アレクサンドロス大王編
苦:今回はアレクサンドロス大王、英語でAlexander the Greatです。正確には古代マケドニア王国のテメノス朝の国王アレクサンドロス3世であり、「大王」は後代の人間が付けた尊称です。
微:「俺ってグレート?」って歌いながら訊いていた奴か?
苦:アラジンなんて昭和の一発バンドなんか誰も覚えてねえよ!!
彼は前356年7月に生まれ、前323年6月10日にバビロンで死にます。国王に即位した前336年には弱冠20才ですが、一代でギリシア世界とオリエント世界を統一しました。即位のきっかけとなったのは父フィリッポス2世の暗殺でした。
微:??? 訳がわからん・・・
苦:昔は一夫多妻制で、アレクサンドロス以外にも母の異なる兄弟がいました。暗殺の舞台は娘クレオパトラとエペイロス王アレクサンドロス1世の結婚式でした。
微:夫が殺されたとはいえ、アレクサンドロス大王の母は大喜びだっただろうな。
苦:まあ、彼女が首謀者と考える人がいますが、政治情勢的にはアケメネス朝ペルシアの刺客と考えた方がいいでしょう。というのも、父フィピッポス2世がアテネ・テーバイ連合軍を破った前338年のカイロネイアの戦い勝利も18歳のアレクサンドロスの活躍が大きかったですから。
微:これが18歳選挙権の根拠になりました。
苦:まったく関係ありません(きっぱり)。
微:しかし、なかなかエグい母ちゃんだな、元王女とはいえ。
苦:アレクサンドロス3世の母はエペイロス王女オリュンピアスでアキレウスを祖とする家系でした。また父はヘラクレスを祖とする家系です。あくまで自称というか、そう思われていました。ギリシア本土からはバルバロイ扱いされていたマケドニア王国ですが、家系的栄誉はギリシア随一でした。
微:源氏や平氏の祖先伝説みたいだな。日本なら源頼義的ポジションか。せめてプーチンにように紅茶に放射性元素という優しい殺し方にしてやれよな。
苦:それはさておき、フィリッポス2世はアレクサンドロス大王のために、幼年期に古代ギリシア最大の哲学者アリストテレスを家庭教師に迎え、彼にギリシアの基礎的な教養を身につけさせようとしました。前342年から前340年までマケドニア出身の学者アリストテレスは都ペラから離れた「ミエザの学園」でアレクサンドロスとその学友を教えました。
微:『トリビアの泉』のオープニングに出てくる彫刻のオッサンだろ、「人間は知ることを欲する生き物である」という言葉を残した。ってことは、アリストテレスの授業が面白かったら、アレクサンドロスがボタンを押して「へぇへぇ」がいっぱい点いたのか。ビビる大木が生徒だったら楽なのになあ。
苦:その頃にそんな番組はないよ! でもアレクサンドロスは師を尊敬しながらも勉強は嫌いだったようで、アリストテレスに「王子よ、勉強とは長くそしてつらいものなのです」と懇々と説教されています。おそらくは単純で威張りたい幼児的性格だったんでしょう。でも、師の願いである「東の世界の果て」にあるオケアノス発見やナイル川の源流探しもやってますから。
微:勢い余ってインダス川上流まで行ったってか! 付き合わされた兵士は大変だったろうな。
苦:実際そうで、兵士の反乱がなければもっと東へ進軍していた可能性は大きいです。ちょっと話が東方遠征に入ってますけど、即位直後に話を戻します。アレクサンドロスは、父の遺志を継いで前334年にスパルタを除くギリシア軍を率いてペルシア東征に出発します。
微:スパルタはイケメン揃いだったんだな。
苦:そうじゃなくてマケドニアに屈服しなかったからです。アレクサンドロスは遠征に先立ってデルフォイの神託を求めに行きますが、そのとき神託所は休業日でした。ですが、アレクサンドロスは強引に神託を求め続けた、うんざりした巫女が「あなたは決して負けない人だ」と皮肉を言ったんですね。
微:オリンピックにこだわる森元みたいなやつだな。
苦:でもアレクサンドロスは勝利が予言されたと満足して立ち去ったんです。そして小アジアでギリシア軍3万はグラニコス川の戦いでペルシア軍4万と対峙します。この時、アレクサンドロスは騎兵の先頭に立ち、自ら馬を駆って突進して敵将ミトリダテスを投げ槍で仕留めます。
微:実際に投げたのは室伏だったそうです。
苦:時代も違うし、競技も違うよ! この衝撃的な勝利でアレクサンドロスは味方将兵の信頼を得、敵に対しては計り知れない恐怖心を与えることになりました。
微:そりゃ、薄ら笑いする室伏を見たら、怖いわな。
苦:室伏から離れなさい! カリスマ性を帯びたアレクサンドロスに率いられるギリシア軍は、小アジアに駐屯するペルシア軍を蹴散らしながら東進を続けて行きました。
微:「おらと一緒に「ぱらいそ」さいぐだぁ! と言いながら進んだんだよな。
苦:それは諸星の『生命の木』だろ! その後、アレクサンドロスはペルシア領リディア王国の首都ゴルディオンを占領します。町の中心にあるゼウス神殿に一台の古い戦車が祀られていて、その戦車は「ゴルディオスの結び目」と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられていました。
微:まだワイヤレスじゃなかったんだな。
苦:パソコンの接続ではありません。この結び目には解いたものがアジアの支配者になるという伝説があったんですが、アレクサンドロスは腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断しました。
微:短気だったんだな。絶対、漁師にはなれないな。
苦:アレクサンドロスは、運命とは自らの剣によって切り拓くものであると兵たちに宣言したんです。そして同じ前333年、アレクサンドロスとその軍団はアンティオキアの北西イッソスでペルシア王ダレイオス3世率いるペルシア軍10万と遭遇します。
微:アレクサンドロス軍があまりに少ないので気がつかなかったそうです。
苦:盗賊かよ! アレクサンドロスは将軍が進言した夜襲を拒否し、夜が明けるのを待って戦います。結果的に夜襲を警戒して寝ずの番をしていたペルシア側の歩兵はヘロヘロだった。彼は騎兵とファランクスを縦横無尽に指揮してペルシア軍を敗走させました。
微:この時のために「赤上げて、白上げて、白下げないで」と訓練を積んだそうです。
苦:昭和のテレビ番組かよ! アレクサンドロス大王は逃げ出したダレイオス3世の母・妻・娘を捕虜にしました。このときペルシャから和睦の申し出がありますが、拒否しさらに進軍を続けました。
微:素人のパチンコみたいな失敗だな。最初の当たりの時点でサッサと止めればいいのに。
苦:アレクサンドロスはシリアとフェニキアを屈服させてエジプトに侵入します。前332年、解放者として迎え入れられたアレクサンドロスはファラオとして認められ、「メリアムン・セテプエンラー」という名を奉られ、アメン神殿にその像を祭られます。遂に彼は神の子となったんです。
微:感激のあまり、「ジーザス・クライスト!!」と叫んだんだよな。
苦:そっちの神の子じゃねえよ! さらに西部の砂漠にあるシーワのアメン神の聖地で自らをアメンの子とする神託を得ます。その後ナイルデルタの西端に都市を建設し、アレキサンドリアと名付けました。
微:調子こいて征服地に70ほどアレクサンドリアを作ったんで、宅配業者が困ったそうです。「どこのアレクサンドリアかわからない! って。
苦:その時代には佐川もクロネコもありませんから。前331年、アレクサンドロス率いる47,000人の軍は、ティグリス川上流のガウガメラで30万人のダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破り、ダレイオスはカスピ海東岸に逃れます。ペルシア帝国の中枢に乱入したギリシア軍はザグロス山脈を越えてペルセポリスに入城し、ここで初めてアレクサンドロスは略奪を認め、ペルセポリスも破壊します。
微:ペルセポリスの破壊って、宴会で酔っ払った勢いでやっただけだろ。
苦:翌前330年、ダレイオス3世が側近で王族出身のベッソスに暗殺されると、アレクサンドロスはベッソスの不義不忠を糾弾して殺し、ダレイオスの遺骸を丁重に葬った後、前329年から前327年までソグディアナ遠征に向かいます。そこを平定するとバクトリアへ、ここの平定が終わると前326年にインダス川を越えてパンジャーブ地方に侵入しました。
微:兵士が「軍事遠征のバンジージャンプだ!」って叫んだらしいな。
苦:言わないです! さらにインド中央部に向かおうとしますが、部下がこれ以上の進軍を拒否したため、やむなく兵を返すことになりました。彼が屈服した唯一の場面でした。
微:「これくらいで堪忍しといたるわ」の捨てセリフはここで生まれたんだよね。
苦:それは池乃めだかだろ! アレクサンドロスはインダス川を南下し、全軍を三つに分割して、残る敵対勢力を駆逐しながら前323年にバビロンに帰還し、マケドニア兵を故郷に帰しました。
微:この時、出迎える人たちに向かって「恥ずかしながら帰って参りました」って挨拶したんだろ?
苦:それは半世紀近く前の横井庄一さんだろ、あれはフィリピンのジャングルに戦後30年間潜んでいた人。高校生は誰も知らないよ! さて、バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していましたが、ある夜の祝宴中に突然倒れ、10日間高熱にうなされ「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言してあっけなく33才で死去してしまいます。
微:曙も挑戦したんだろ?
苦:それもいつの時代だよ! それに1ラウンドもたねえよ! 残された大帝国は後継者を名乗るアンティゴノス、プトレマイオス、エウメネス、カッサンドロス、リュシマコス、セレウコスらの諸将によって、ディアドコイ戦争が勃発し分裂してしまいました。そして王妃ロクサネと王子アレクサンドロス4世、庶子(妻以外の女性との子)のヘラクレスは、ディアドコイ戦争の混乱期に殺されました。
微:力道山が死んだ後の日本のプロレス界というか、格闘界みたいなもんだな。
苦:譬えが古いんだよ! アレクサンドロスは図書館などを完備してギリシア文化の浸透を推進し、帝国の公用語にギリシア語を採用しました。さらに東西融合に心を配り、自らダレイオス3世の娘を娶りペルシア人と部下の集団結婚を奨励しています。
微:その中に桜田淳子たちがいたんだな。
苦:それは統一協会の集団結婚式! まあ、アレクサンドロスはすごいのか何なのかよくわかりません。
微:まあ、あれだな、外国に出稼ぎに行ったきりの女癖の悪い親父が、死ぬ直前に帰って来て、「後は勝手にやれよな」って、無責任な遺産と遺言残して死んだようなもんだな。
苦:財布が空っぽのオマエが言うな!」(ペシッ!)