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世界史漫才再構築版32:ルターの宗教改革編

 苦:今回はマルティン・ルターです。ご存じの通り、16世紀初めに宗教改革を始めた人です。
 微:公民権運動のキング牧師の名前のイタダキ先だな。
 苦:英語発音ではマーティン・ルーサーですね。宗教改革を英語ではthe Reformationと書きます。まさにキリスト教の流れを変えた歴史的大事件として認知されています。
 微:イギリスもアメリカもプロテスタントだから大事件扱いなんだろ。迷惑がってた当時の人もいっぱいいただろ。
 苦:まあ、世界取った者勝ちですから。内戦が「イギリス革命」、植民地増税反対反乱が「アメリカ独立革命」と扱いも表記もグレードアップします。
 微:逆に、日本だと増税反対も屈服したとはいえ、「地租改正反対一揆」「秩父事件」どまりで、いかにも当時の農民がバカだったことにしたいか、っていう薩長政府の意図が透けて見える。
 苦:まあ、国民意識がなかった、というのもありますが。
 微:それがないことも政府はわかっていたよな。やっと日清戦争で芽生えるけど。
 苦:まあ、ルターの改革もある意味では国民意識の培養器みたいなことになりますから。ただ、これも領邦教会制のオマケですけど。
 微:で、とにかく、このルターというやつがやった改革って何なんだ?
 苦:それすら知らないとは手強いですね。まず、発端は「これを買えば煉獄の苦しみをスルーできます」証明書をローマ教会が販売したことです。
 微:テーマパークのエクスプレス・パスポートみたいなもんだな。割増し料金を取ったと。
 苦:煉獄は、ダンテのところで出てきましたが、天国と地獄の間にあると考えられた世界です。
 微:丸川が言ってたパラレルワールドか?
 苦:それは現実直視から逃げる詭弁です。煉獄という概念は、中世に生まれ、その範囲はどんどん膨らんでいったんです。小さな宗教上の罪を犯した人間の「謹慎部屋」みたいなもんです。
 微:いや、入国管理局の収容施設かもしれんぞ。入ったら死ぬまで出てこれない。
 苦:キリスト教では罪(sin)を犯すと、天国に行けないことになっていました。しかし、小さな罪、例えばカス映画を見て「金返せ!!」って叫んだことくらいあるでしょ。
 微:しょっちゅうある(自信たっぷり)。
 苦:そういう実害はないけど、人を呪うようなことは罪なんです。でも生きていればというか、生きていくために小さなウソをつくこともあるでしょ。あるいは素人をカモにするとか。
 微:「出ます 出します 勝たせます」の幟を立てていた頃のパチンコ屋なんて典型だな。
 苦:パチンコじゃないですが、負ける客ばかりだと店が潰れます。そこで、「煉獄というところで、少々熱いけど、きれいな体になったら天国に行けます」という言説が広まったんです。
 微:いや、普段の小さな罪を毎週チャラにするための懺悔じゃないのか?
 苦:はい。ですからお金を取る贖宥状の販売は十字軍の時代に始まったんです。異教徒とはいえ、人殺しをしたり、土地を奪うわけですから。
 微:なるほど。あくどいやつがいたもんだ。
 苦:販売元はローマ教皇庁です。その十字軍専用だった贖宥状を一般人に売り、その収益でサンピエトロ大聖堂新築費用に充てようと思い付いたのがメディチ家出身のレオ10世です。
 微:ああ、マキャベリのところで出てきたな。
 苦:消費税増税分のように、福祉に使うはずの財源が建築と装飾、つまりミケランジェロたちの創作活動に流用されていたのです。これだけでもおかしい。
 微:びびったオリラジ中田は一言も触れなかったそうです。
 苦:しかも贖宥状は、今のドイツでバカ売れするんですね。多分、老人が引っかかったようで。
 微:認知症の老人を食い物にする簡保販売や携帯ショップの店員の元祖みたいなやつだな。まあ、「鰯の頭も信心から」という諺があるくらいだから、それで気持ちが安らげばいいけど。
 苦:それは21世紀の日本の話! この贖宥状をおかしいと考えたルターの批判から新しいキリスト教=プロテスタントが誕生するんです。
 微:だからあまりに高額な請求書が来たから「抗議」したんだな、消費者センターに代わって。
苦:まあ、確かにプロテスタントは「抗議する者」だけどな。ただ、ルターは信仰の出発点である聖書まで遡り、根本的な批判をしたんです。一言で言うと「聖書のどこにも書いてない」と。
 微:もっと、「重要事項説明を怠った」と強く出ないと和解に持ち込めないぞ。
 苦:きちんと説明するために、ルターの略歴を言いますと、父ハンス・ルターと母マルガレータの次男としてザクセン地方の小村アイスレーベンで1483年に生まれました。
 微:することしてないのに母は妊娠したそうです。
 苦:聖母マリアじゃねえよ!! 父はアウクスブルク銀山の鉱夫、つまりドイツの富豪フッガー家の下で働いていました。そのフッガー家はドイツの贖宥状販売総代理店です。
 微:贖宥状批判は公憤からではなく私憤だったのか。
 苦:ルターは本来は法律家になるべく1501年にエアフルト大学に入ったんです。ですが、1505年のある日、大学へ向かったルターはシュトッテルンハイムで激しい雷雨に遭います。
 微:まあ、フッサールは本来数学者だったし、許す。
 苦:落雷の恐怖に、死すら予感したルターは「聖アンナ、助けてください。修道士になりますから!」と叫び、一命を取り留めました。先に言っておくと、ヘソを取られると心配してはいません。
 微:天罰を受けるだけの罪を犯していた自信があったんだな。
 苦:修道生活に転進したルターは1506年には司祭叙階を受けますが、初ミサを主催する中で、弱く小さな人間である自分がミサを通じて巨大な神の前に直接立っていることに恐怖を覚えます。
 微:会場はケルン大聖堂のてっぺんだったそうです。
 苦:そりゃ怖いけど、誰もしないよ!! どれだけ熱心に修道生活を送り、祈りを捧げてもルターは心の平安が得られないと感じていたからでした。
 微:私もミッション系女子校に通っていた頃、そうでした。シスターによく相談してね。
 苦:お前は男だろが! ルターの両親は修道院に入ることには大反対で、結局、父親の同意すら得ずに大学法学部を離れ、エルフルトの聖アウグスチノ修道会に入りました。
 微:ツルハシで子どもを脅したら一発だっただろうにな。
 苦:星一徹でもしねえよ!! その後、ヴィッテンベルクに戻り、そこで神学の博士号を取得し、聖書注解の講座を受け持ちます。同僚にはヘブライ語のロイヒリンやメランヒトンがいました。
 微:そういう助っ人がいたからか。
 苦:その頃のルターの心を捉えていたのはパウロの『ローマの信徒への手紙』に出てくる「神の義」の思想でした。
 微:昔「カナダからの手紙」って歌があったな、確か畑中葉子・・・。
 苦:もういいよ! いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないよう努力し、できうる限りの善業を行ったとしても、神の前で自分は義である、すなわち正しいと確実に言うことはできない、と。
 微:日本の政治家なら、みんな平気で自分は正しいって言うよ。二階とか。
 苦:ルターは苦しみ続けましたが、ある日突如、ルターは人間は善行でなく、信仰によってのみ義とされること、人間を義とするのは神の恵みであるという理解に達します。
 微:金持ちが巨額の寄付を最後にやっても、罪はチャラにならないと。貪欲は大罪だしな。
 苦:ここでルターが得た神学的発想が「信仰義認」と呼ばれるものです。
 微:まあ、あれだな、アルコール依存症から脱出するために禁酒していたブッシュ大統領が譫妄状態の幻覚でまぶしい光を見て立ち直ったのと同じだな。
 苦:ブッシュは回復したんではなく悪化して現在に至ってるんですが、まあいいでしょう。
 微:でもポスト・トランプの時代、まだ子ブッシュがまともに見えるのが怖いな。
 苦:司祭として告解も聞いていたルターは、信徒たちもまた罪と義化の苦悩を抱えていることをよく知っていました。そんなルターにとって贖宥状は見過ごすことができなかったのです。
 微:「そんなもんで煉獄の苦しみから逃れられる、と思うから負け犬なんだよ!」と言えないし。
 苦:贖宥状販売のフッガー家は1519年の皇帝選挙でハプスブルク家のカルロス1世を支援して当選させます。皇帝としてはカール5世で、彼に敗れたのがフランス王フランソワ1世でした。
 微:え、そのフランソワ1世って、イタリア戦争をし、オスマン帝国のスレイマン1世と同盟を結んだ、あの人?
 苦:そうです。皇帝の戴冠が終わったカール5世は、内心では贖宥状のドイツでのバカ売れを快く思っていませんでした。
 微:自分のドイツ収入がローマに流れて行くわけだもんな。
 苦:日本ではあまり知られていないけど、特にドイツ国内で大々的に贖宥状の販売が行われたのは、当時のマインツ大司教アルブレヒトの野望も加わってました。
 微:販売員は全部契約社員で、中抜き率は90%に達したそうです。
 苦:パソナかよ!! 彼はブランデンブルク選帝侯の弟で、ローマ教皇庁への多額の献金をひねり出すため、フッガー家を担ぎ出したんです。
 微:その上、水増し請求させ、差額を差し出させたんだな。
 苦:オリンピックの委託事業かよ!! サン・ピエトロ大聖堂建設献金名目での贖宥状販売の独占権、ローマ教皇庁への献金という最初の部分のあくどいビジネスモデルを提案したわけです。
 微:やっぱ、水増し請求じゃねえかよ!
 苦:実際、煉獄の霊魂の贖宥の可否についてはカトリック教会内でも議論が絶えませんでした。
 微:はい、一等賞金を12億にするか、キャリーオーバーを認めるかで大激論でした。
 苦:多カラくじじゃなくて宝くじじゃねえよ!! ルターは1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会の扉にその旨を記した紙を張り出し、討論を呼びかけました。
 微:怒りのあまり、スプレーで落書きしたかったそうです。
 苦:スプレーないよ、まだ!! これが「95ヶ条の論題」で、実はラテン語で書かれてました。
 微:それだけの数の要求を列挙したら、どこかの県の「指導の重点」みたいに「どこが重点かわかんねえよ」になることに気づかないのかよ。
 苦:あれは漏れがないことが命で、重点は絞ってないの。「95ヶ条の論題」はすぐにドイツ語に訳されて国内で広く出回り始め、ルターが神学問題に関する教皇への挑戦者と見なされてしまいます。
 微:モハメド・アリみたいに挑発したんだな。
 苦:友人だったインゴルシュタット大学教授ヨハン・エックも敵に回りました。「ルター説はかつて異端と断罪されたヤン・フスの説と似ている」とエックは指摘し、ルターを激怒させます。
 微:そりゃウィキペディアから流用したことを指摘されたら怒るわな。百田は別にして。
 苦:以後、二人は激しい論戦を繰り返すことになります。
 微:その頃からドイツでは『朝まで生テレビ』を放送してたんだな。
 苦:そんなわけねえだろ! そして1519年7月、ライプツィヒで討論会が行われることになり、エックとルターが論戦を行います。
 微:NBCが独占放映権を巨額の献金で獲得したそうです。そのため、開始時間が変になりました。
 苦:水泳の時間帯かよ!! そして誘導尋問にかかったように、討論の中でルターが公会議の権威をも否定してしまいます。神学上の問題が政治闘争の様相を帯びてしまいました。
 微:戦前の天皇股関節、いや天皇機関説問題みたいだな。
 苦:文字でしか理解できないボケをありがとう。カトリック教会との断絶が決定的となったこのころ、ルターの周囲にはメランヒトンやトマス・ミュンツァーなどの賛同者たちが集まり始めます。
 微:売れない芸人たちが群がって近所から苦情が殺到したそうです。
 苦:その中でルターは1520年に相次いで『ドイツ貴族に与える書』、『教会のバビロン捕囚』、『キリスト者の自由』といった宗教改革の歴史の中で非常に重要な文書を発表します。
 微:3密で三部作を書くとは、イソジン吉村に名指しで怒られるぞ。
 苦:『キリスト者の自由』では人間は信仰によってのみ義とされるという持論を、聖書を引用しながら主張しています。
 微:『幸福の科学』の優秀なイタコのゴーストライターを雇ったんだな、ルターは。
 苦:お前、あの世で小川知子に糾弾されるぞ! そして運命の1521年4月、ルター支持の諸侯たちや民衆の声に押される形で、ルターのヴォルムス帝国議会への召喚が行われます。
 微:フスもここに呼び出されたんだよな。
 苦:皇帝カール5世はルター問題が諸侯に利用されてドイツが解体へ至ることを恐れていました。カール5世はルターに自説の撤回を求めますが、それを拒否します。
 微:知ってる、知ってる。確か、「われ、ここが・・・」
 苦:「われ、ここに立つ」! そこに1524年からドイツ農民戦争が始まり、農民たちは「聖書に書かれていないことは認めることができない」というルターの言葉に期待していました。
 微:オレも入試の時に「合格可能性5%以下は0%ではない」という塾の言葉に騙されました。
 苦:かつての同志であったトマス・ミュンツァーは社会変革を唱えるようになります。
 微:SDGsを掲げたそうです。
 苦:それはただの言い訳だろ!! さらに農民たちがルター説を根拠に暴力行為に走ると、ルターはミュンツァーと農民たちを批判し、二人は互いに攻撃しあうようになりました。
 微:若貴兄弟、ネルーとジンナーみたいなもんだな。
 苦:再洗礼派の過激な教説も農民暴動の火に油を注ぐ結果となり、ドイツ農民戦争を当初は支持したルターが、1525年に『盗み殺す農民に対して』で領主による農民の殺害を認め、決裂します。
 微:おいおい、信仰義認説はどこに行ったんだ?
 苦:どっか行っちゃったんです。諸侯らはカール5世との政治的駆け引きにルター派を利用し、ドイツの宗教改革は1555年のアウクスブルクの宗教和議という政治的妥協で終結するんです。
 微:オレとお前のコンビみたいなもんだな。(チャンチャン)

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