メキシコから送信 ―メールが綴る家族とメキシコの物語り―
メキシコから送信
あらすじ
私と妻良子、小学生になる息子準は、海外赴任のため3年間メキシコで過ごした。
学生時代の恩師であり、我々夫婦の仲人でもある斎藤先生と佳寿美夫妻は、いつも我々家族を気遣ってくれていた。ところが、我々家族はメキシコ赴任と重なってしまい、先生の退官式に出席できず、後ろ髪を引かれる思いで日本を後にする。その罪滅ぼしもあり、私はメキシコ滞在中に斎藤夫妻へメールを送り続ける。
日々の生活で、会社で、旅行で、起こったこと、感じたこと、考えたこと、メールが綴る肌感としてのメキシコ。光と影。陽気で、滑稽で、陰湿で、そして悲しきメキシコ人。我々は理解不能なメキシコ人に呆れいら立つのだが、やがてその背後にスペイン侵略に翻弄された悲しい歴史が浮かび上がる。
日々戸惑いながらも充実した生活を送る家族に帰国が近づく。3年間のメキシコ生活が家族にもたらしたものは何だったのか?そして、メキシコとは何だったのか?メールが綴る家族とメキシコの物語り。
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200A/4/13, Thu 03:10
Subject: Re: メキシコに到着しましたか
斎藤先生&佳寿美様
ご連絡ありがとうございます。やっとメールが返信できます。アパートにはまだインターネットがつながっていないため、近所のネットカフェからメールを送っています。日本語のメールを送るためにはお店のパソコンを日本語入力モードにしなければならないのですが、お店のスタッフが日本語の入力設定方法がわからず、なかなかメールを送れませんでした。今日やっとお店のスタッフが日本語の入力方法を解読したところです。でも、ウェブメールを使うと世界中どこからでもメールが送れるので、便利な世の中になりましたね。
ご返事が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。また、先生の退官式には出席できなくて本当に残念でした。大学教授退官記念文集に寄稿させていただいた駄文は、お恥ずかしい限りです(一部限定ということで書けました)。本当はもう少し実証データを集めたかったのですが、赴任前のドタバタの時期に書いていたのでタイムオーバーでした。続編をお待ちください。
さて、こちらの状況ですが、三月二十三日に家族(良子&準)と共にメキシコシティーに到着して三年のメキシコ赴任がスタートました。心配していた空港での食料品の没収、物盗りにも会わずに入国できました。
実は、メキシコ赴任にあたり単身赴任にするか家族帯同にするか良子と揉めたのですが、良子には月一回の家族旅行を約束することで了解を得ました。準とは、大好きなカブトムシを捕ることとカジキマグロを釣ることを約束しました。これは男と男の約束です。家族と一緒に赴任できてよかったと思います。
メキシコシティーの最初の感想は、とても大きな街であること、意外と緑が多いことです。空気の悪さは想像していた程度ではないものの、古い車が多いせいか排気ガスは気になります。メキシコシティーは標高約二二〇〇mと聞いていますが、このときは空気の薄さもまったく気になりませんでした。街中のほとんどの道が一方通行のためまるでパズルで、まだ運転していませんが本当に運転できるか恐怖です。運転の荒さより、こちらの方が気になります。
到着後の最初の仕事はアパートを探すことでした。幸い家具つきのアパートが三月二十七日に決まり、翌二十八日には入居できました。場所は、メキシコシティーです。広さは日本の二倍(それ以上)、お手伝いさんの部屋もついていて、シャワー・トイレ各三つもあり、日本の住宅事情からすると考えられません。ただ、水回りや鍵等の修復に一週間かかりました。といっても、その原因は業者が時間を守らないことによります。私の場合、(時間を約束していたにもかかわらず)五時間遅れが最速で、一~二日遅れが普通でした(うわさに聞いていましたが、これほどとは・・・)。近くにウォルマートやデパートがあり、生活するには非常に便利な場所です。心配していた治安の面でも、気をつけていれば普通に生活できます。また、思っていたよりモノがあり、銘柄を選ばなければほとんどのものは手に入ります(味噌、醤油を自作しようと思っていましたが、意欲が萎えました。ただし、土鍋、菜箸、和包丁、お好みソース等、日本の凝ったものは手に入りません)。最初から家族を連れての赴任は無謀だと何人かに言われましたが、家にいる時間がいちばん長いカミさんが自分の目で見て納得して住まいを決められたので、結果としては成功だったと思っています。
そんなわけで生活の立ち上げは三月中に終わり、四月三日(月)から本格的に会社に出始めています。場所は、メキシコシティーから五十キロメートルほど郊外にあるトルーカという町です(東京から横浜に通っている感じでしょうか、通勤に一~一時間半かかります)。そこに、会社のビルがあるのですが、思ったよりちゃんとした建物で、規模は一般的な公立高校ぐらいでしょうか。開発人員は約二百三十人と聞いていますが、日々採用を増やしているところなので今はもっと増えているかも知れません。トルーカの標高はメキシコシティーより高く、約二千六百mです。さすがに空気が薄く、一階から三階にあがると息切れと軽いめまいがします。わたしはここで開発の仕事をします。私の下に六人の部下がいるのですが、勤続年数は上から十三年、十八ヶ月、十ヶ月、五ヶ月、三ヶ月、一ヶ月です。いちばん上の十三年にしても設計の経験は二年ということで、ほとんどシロート集団です。ですが、メキシコというイメージに似ず、みんなまじめで勤労意欲が高いので、今後に期待したいと思います。彼らを一人前にするというのも大きな私の仕事のひとつです。仕事はすべて英語なのですが、お互い母国語で無い同士、メキシコ人相手ならどうにかやっていけそうです。
それから、四月十一日に準の小学校への入学式がありました(この日は、先生ご夫妻に仲人をしていただいた結婚記念日でありましたが、どたばたしていて、後になってそのことに気付きました)。目標としていた「家族三人で入学式」は達成することができました。一年生は二十六人もいます。こちらでは、入学の季節はさくらではなく、ブーゲンビリアです。本当は入学式の写真も送りたかったのですが、船便が到着していないため道具がありません。これはまたのちほど。
最後に、もしお時間とお金があればぜひこちらにお立ち寄りください。クルマもありますのでシティー周辺なら好きなところへ行けます。
取り急ぎ、近況報告まで。アスタルエゴ!
自宅電話番号&FAX:国際電話発信-52(国番号)-55(メキシコシティー市外局番)-XXXX-0905
陽介携帯:国際電話発信-52(国番号)-55(メキシコシティー市外局番)-XXXX-9272
良子携帯:国際電話発信-52(国番号)-55(メキシコシティー市外局番)-XXXX-9238
住所:Felix Cuevas XXX, Edificio C - Depto. XXX, Col. Del Valle, C.P.03100, Mexico, D.F.(ちなみに郵便事情が悪いため、日本から郵便が届く確率は七~九割だそうです)
茅波@メキシコ
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200A/6/21, Wed 02:30
Subject: Re: メキシコ暮らしに慣れましたか
佳寿美様、斎藤先生
ご連絡ありがとうございます(佳寿美さんは先生のメールアドレスを使っているのですね)。
今、仕事の合間にこの文章を書いています。
こちらからお便りをと思いながら、なかなか時間が取れず先を越されてしまいました。
というのも、赴任後の二ヶ月間は生活の立ち上げのため、土日はほとんど買い物と家の片付け、ビザ等インフラ関係の手続き、おまけに土日を含んだ出張が頻繁にあるため落ち着きません。
でも、やっと最近ひととおり納まった感があります。先日の土日は、家族でTAXCO(タスコ)へ行って来ました。メキシコシティーから車で二時間半ほどです。この町は銀で有名で、無数のアクセサリーショップが軒を連ね、良子は狂ったように買い物をしていました。また、坂に張り付くように広がる町並みも美しく、まるで中世のヨーロッパといった感じです。
メキシコに来てから観光に出たのはこれが二回目(一回目はプエブラという町です、これもタスコと同じくコロニアル都市です)です。家から近いのでいつでも行けるという安心感でしょうか、人類学博物館やティオティワカン(ピラミッド)にはまだ行っていません。メキシコ人に聞いたら、ティオティワカンなんてメキシコシティーの人は誰も行かない、行くのは観光客だけ、ティオティワカンの道を聞いたら「え、何それ?」て言われちゃうよと冗談で言っていました。今はこちらも暑いので、少し涼しくなったら行こうと思っています。
食生活の方では、こちらでは日本の調味料が高く(日本の三~四倍)種類が少ないので苦労しています。特に、凝ったインスタントラーメンやクックドゥなど嗜好性の高い食料は手に入りません。でも、日本から持ち込んだ調味料類で家に帰れば日本と同じ調子で食事ができます。それから、今は松茸の季節でこの前初物を食べました。香りが日本の松茸に比べ弱いのが難点ですが、値段はおそらく日本の五~十分の一です。松茸ごはん、松茸のお吸い物、佃煮、素焼き(すべて私の自作)と松茸づくしを食べました。一晩にして、生まれてこの方摂取した総松茸量を超えました。
また、先日刺身が食べたくなって市場にさかなを買いに行きました。ベラクルス産の鯛(一キログラム)が一匹千円くらいです。家に帰ってさばいて刺身を作りました(刺身用の出刃、柳刃を持ってきて本当に良かったと思いました)。味は日本の鯛にくらべ暖かい場所で取れるためか淡白ですが、充分いけます。
ライムの件は、毎日のようにお酒を作って飲んでます。いつでもどこでも新鮮なライムが手に入ります。でもこれだけ普通になってしまうと、日本に帰ったときどうなるんだろうと心配になってしまいます。
準は学校にもすぐになれたようですが、家に帰ってから自由に遊びに行けないというのが不満のようです。こちらは子供を誘拐して臓器を売り払うという犯罪が横行しているため、子供だけでは外出できません。メキシコ人に聞いたらカブトムシが取れる場所が近く(と言っても車で三時間、大陸の感覚では車で三時間は近くです)にあるそうなので、今度行ってみようと思っています。
あまりサボってもいられないのでこのへんで。またお便りします。
どうぞ機会がありましたらお越し下さい。
それではまた。
茅波
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200A/7/22, Sat 04:01
Subject: メキシコ最近の状況
斎藤先生、佳寿美様
その後お元気でしょうか。
こちらは元気です。良子もこの頃はだいぶメキシコに慣れたと見え、せっせと旅行の計画を立てています。なんともうれしいことは、国内旅行が海外旅行であることです。夏休みはメキシコ中央高原のコロニアル都市を十日間かけ、クルマで回る予定です。このようなコロニアル都市は中世ヨーロッパの町並みのようで、メキシコのイメージが変わりました。先週もメキシコシティーの歴史地区に初めて行きましたが、これも中世ヨーロッパでした。あまりの完璧さにびっくりでした。
ところで、このときはメキシコ人と一緒にメキシコ伝統料理のレストランに行ったのですが、思い切って蟻の卵料理を食べました。ここで食べなかったら一生食べられないかも知れないと思ったからです。見た目はポンポン菓子で、味はにわとりの卵の白身の味を少し濃くした感じでしょうか。どうということはありませんでしたが、話のタネにはなりました。
それから、準のためのカブトムシ取りは失敗の連続で、まだ一匹も捕まえられません。いろいろメキシコ人に聞いて情報を集めているのですが、これがなかなかうまくいかないのです。なぜかというと、メキシコ人はそもそもムシなどにまったく興味がない、その辺にいるものなのでわざわざペットとして飼うことに意味を感じない、ましてやお金を払って買うものでもない、等の理由によることが次第に分かってきました。また、インターネットを調べましたがそもそも興味がないためにカブトムシに関するホームページがほとんどない、あったとしてもスペイン語のため読めない等により苦戦しています。
図鑑によるとメキシコ南部のジャングル地帯に世界最大のヘラクレス大カブトムシがいるらしいのです。ヘラクレス大カブトを自分の手で捕まえるというのは、一生のうち一度有るか無いかの大イベントなので、来年のシーズンまでには必ず居場所を突き止めようとがんばっています。なにやら親の方が夢中になっています。
こちらのおいしいレストランもわかりはじめてきたので、機会がありましたら是非お越し下さい。
それではまた。お元気で。
茅波@メキシコ
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200A/10/9, Mon 11:53
Subject: メキシコ近況(10月)
斎藤先生、佳寿美様
その後お元気でしょうか。
近況をご報告します。
前回、夏にカブトムシ取りに挑戦する話しをしたのですが、結論から言うと何も取れませんでした。その代わり、メキシコ人の部下から小さなカブトムシを一匹もらいました。図鑑で調べるとサイカブトの一種のようで、カブトムシと言うよりは糞ころがしに近いようです。これには準もとても喜んでいましたが、その後放置されることとなりました。ところで、なぜカブトムシが取れないかというと、情報が極端に少ないからです。それと言うのも、メキシコ人はカブトムシを含めて昆虫にまったく興味がなく、なぜそんなものをわざわざ捕らなければいけないのか理解できないのです。日本人からすれば、石ころやゴミを拾って集めるような感覚でしょうか。日本に行ったことのあるメキシコ人は、「街で虫同士が戦う不思議なゲームを見た。とても奇異だった。日本人がなぜ虫を求めるのか、それはゲームメーカーの陰謀だ。」などと分析して見せましたが、「それはムシキングと言って、そもそも日本人がカブトムシ好きなのでビジネスとして成立しているゲームだ。逆だ。」と説明しなければならなかったのです。そんなわけで、興味が無いメキシコ人が情報を持っているわけも無く、どこに行けば捕れるのかまったく分からなかったのが原因です。どうも調べていくと、メキシコより日本のほうがメキシコカブトムシ情報は豊富のようで、日本に出張した折りに雑誌等を購入して調べようと思っています。
夏休みはメキシコ中央高原コロニアルシティーを車で巡る旅行をしました。特に印象に残ったのはサカテカスとグアナファトです。サカテカスは、建物がピンク掛かった白い石で出来ていて、ヨーロッパと錯覚するくらいとてもきれいな町並みです。
この街には恐らく世界で唯一つの闘牛場を改修したホテルに泊まりましたが、ここに泊まるだけでもサカテカスに行く価値があると思いました。また、グアナファトは地下に網の目のように昔のトンネルが残っていて現在は自動車道路として使われています。トンネルは昔の排水溝や銀鉱だったものですが、壁がレンガ造りになっていてトンネル自体が中世の建物のようです。このように街が地上の建物と地下の通路の二つからなっているのですが、それがまるでヴェネチアを連想させるものでした。地下のヴェネチアとでも言いましょうか、グアナファトも世界で唯一の街だと思いました。
旅行の話が続いて恐縮ですが(月一回の旅行は良子との約束なので仕方ありません)、先日独立記念日の連休を利用してロスカボスに行ってきました。ロスカボスはカリフォルニア半島の先端にあるリゾート地で、高級リゾートホテルが沢山あります。ここでの最大のイベントはゲームフィッシングでした。ロスカボスはゲームフィッシングで有名な場所なのです。二十八フィートのクルーザーに大枚四百五十ドルを払って太平洋に繰り出しました。準も乗り込みました。ご記憶でしょうか、新婚旅行のときもモーリシャスで挑戦して何も釣れなかったのですが、それ依頼十数年ぶりの挑戦です。準は、以前マグロ漁師の特番を見て感動して、これが楽しみでメキシコに来たようなものです。良子は船酔いが恐くてキャンセル。心配は準の船酔いでしたが、一生に一度の経験になるかも知れない大イベントなので、置いていくことはできません。ところが、船酔いしたのは私のほうでした。釣り場に付いた頃はヘロヘロになっていて、十分間に一度はもどすほどでした。これほどの船酔いは経験したことがありません。どれくらい苦しかったかというと、いままででいちばんひどい二日酔いくらい苦しかったです。準はまったく問題ありませんでした。そんな状態でしたが、何か獲物が掛かりました。すごい引きです。意識朦朧としながらも竿を引き、リールを回し獲物を手繰り寄せました。腕がもう動かなくなってもうダメ、というところでようやく魚影が見え、釣り上げることができました。六十センチメートルくらいのキハダマグロでした。
準は大喜び、私はぐったりでしたが、その後二匹を追加してトータル三匹のキハダマグロを釣り上げることができました。
最後はもう疲れてこれ以上掛かってくれるなと願ったほどです。小さなマグロ程度で釣り上げるのに十分以上かかるので、特大のカジキを釣り上げるのに何時間もかかるのは納得しました。準には大きくなったら「老人と海」を読むように教えました。念願のカジキマグロは次回にお預けとなりましたが、充分に楽しむことができました。
ところで、こちらの生活にはだいぶ慣れてきたのですが、メキシコシティーの道路事情についてひとつ。メキシコシティーは世界でも有数の交通事情の悪さです。ウインカーを出さずに突然割り込む、赤信号でも平気で進む、渋滞時に交差点に入って止まる、ちょっとのことでクラクションを鳴らす等々、日本人には考えられません。なぜウインカーを出さないのか?メキシコ人に聞いたことがあるのですが、「そんなことをしたら気付かれて入れてくれないじゃないか」ということです。また、渋滞時の交差点はほとんで喜劇なのですが、交差する道路の車がお互いに交差点に入って止まるので、いつまでたってもお互いに進めません。どうしてそんなことをするのか?と思い、一度日本のように渋滞時に交差点で前を空けて止まったことがあるのですが、わけが分かりました。前を空けていると次々と他の車が割り込んできて、やはりいつまで経っても前に進めないのです。そうしていつしか自分もメキシコ人のように交差点に入り込んでいました。それから、渋滞時にクラクションを鳴らすというのは、「鳴らしても何も変わらないのに、どうして鳴らすんだ?」と不思議でたまりませんでした。しかしある日、自分も渋滞の時にクラクションを鳴らしてみました。するとどうでしょう。たちどころに意味が理解できました。すっきりして、気持ちがいいのです。逆に日本がいかに抑圧されているか、気が付いたしだいです。
そんなわけで、だんだんメキシカンに染まりながら生活している今日この頃です。
茅波 陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/1/6, Sat 01:55
Subject: メキシコ近況(十二月~一月)
200B年は、ブエノスアイレスで迎えました。そういうとカッコいいのですが、どうも欧米系の国は新年を祝うという感覚が弱いと見えて、ホテルから見る街の風景は車と人通りが少ないだけで、なんら正月らしい雰囲気を感じさせません。
やはり正月には門松や初詣が似合う・・・。
新年明けましておめでとうございます。
実は、冬休みを利用して南米に行って来ました(旅行にばかり行っているようですが、それが赴任前の良子との約束なので仕方ありません。赴任手当も危険手当もすべて旅行に消えそうです・・・。ちなみに、赴任前の準との約束はカブトムシを捕ることとカジキマグロを釣ることです。これは、前にも書いたかも知れませんが)。イグアスの滝、パタゴニア(南米大陸の南の端)の氷河、ブエノスアイレスの三ヶ所です。南米に行けるのもメキシコにいる間、特にパタゴニアは南極を除けば日本からいちばん遠い場所、思い切って大枚はたいて行ったのですが、メキシコからでも南米は遠かったです。それはさておき、地球の最果て地パタゴニアは今まで見たどの風景とも違う、印象深いものでした。ほとんど草しか生えない荒涼とした砂漠がつづき、その先には氷河をたたえた山々が連なります。南半球は今真夏ですがパタゴニアは真冬の服が必要です。氷河観光は、エル カラファテという小さな町が拠点になります。そこからバスに乗って八十キロメートルほど離れた氷河に向かいます。氷河はあまりにも大きくて、そして今まで体験したこともない物体のために、何か夢を見ているようでした。氷河が湖に崩れ落ちるときにとてもゆっくり見えるのです。氷河の高さがあるので、氷の破片が落ちるのに時間がかかるからです。
イグアスの滝は「今まで体験したことがあるものの延長線」であるためか、氷河に比べるとわかりやすいものでした。滝の上の川の水が流れ落ちるすぐ近くに展望台があり、五~六mぐらいまで水に近づけます。滝はもちろん圧倒される迫力ですが、滝の上にもかかわらず滝のしぶきが雨のように降り注いでいます。雨合羽が必要です。ところで、この周辺はヘラクレス大カブトがたくさんいるらしく、シーズンになると道端の街灯に集まったカブトムシを車が轢いて、カブトムシの角でタイヤがパンクするためやっかいもの扱いされていると、ガイドがぐちを言っていました。あいにくシーズンは十月らしく、準はがっかりでした。
さて話は変わりますが、先日会社の日本人スタッフを対象に、メキシコの文化を知る研修が行われました。日本人がメキシコ人の部下に日本風のやり方をそのままやったりしてメキシコ人がすぐ辞めてしまったりする事件が多発しているからです。
日本とメキシコの文化の違いはたとえば、約束の時間は日本人にとっては当然まもるべきものですが、メキシコ人にとっては望ましい時間またはできたら良い時間であったりする。
メキシコ人は相手が喜ぶ情報を伝えたがり、人が悲しむ話をしたくない。そのため、仕事がうまくいっていないことを上司に報告しない。人に道を聞いても、知らなくても知っているかのように教えてくれる。日本人にとってこれはウソだが、メキシコ人にとっては相手が喜ぶ情報を伝えているだけである(相手が喜ぶとは思えないんだけど・・・)。
メキシコ人はルールを守らない(ように日本人には見える)。
しかし、メキシコ人にとってルールとはアドバイスのようなもので、状況に応じてまたは個人の解釈で対応して良いものなのです。
メキシコ人は謝らない。これは謝るという教育を受けていないためか、メキシコ人の奥底にある劣等感(メキシコ人には、たとえば日本人の外人コンプレックスのような、国民共通の劣等感があると言われています。これは、西洋文化を尊敬し、先住民文化を軽蔑しながらも先住民との混血であるメキシコ人特有の歴史からくるとも言われていますが・・・)の反動なのか、日本人にはまったく理解できません。
とにかくこの研修でメキシコ人の性格はわかったもののそのままでは仕事にならないために、次回の研修はメキシコ人との討論会が予定されています。日本人とメキシコ人がお互いに着地点が見つけられるのか、今から楽しみです。
それではまた。
茅波@メキシコ
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/2/10, Sat 10:14
Subject: メキシコ近況(200B/2)
斎藤先生、佳寿美様
お元気でしょうか?
最近ふと思うと、まったく回りの景色に刺激を感じていないことに気付きます。メキシコに来た当初は見るものすべて目新しく、新鮮だったのですが慣れとは恐ろしいものです。今回は佳寿美さん待望?のメキシコ人vs日本人文化衝突特集(悪口特集?)にしました。お楽しみ下さい。思いの丈を吐き出したのでまとまりがありませんが、お許し下さい。
佳寿美さんは、日本は腐っている!と感じていると思います。私も日本にいるときはそう思っていました。でも、こちらに来て日本の腐り方はまだマシだと思うようになりました。腐っても鯛とはこのことです。メキシコの腐り方は日本の比ではありません。
例えば、メキシコには平日の朝からレストランでブランチを食べている夫婦がいます。その後仕事に行くかと思うと、一日中ぶらぶらして過ごします。なぜそんな人たちがいるのか不思議でたまりませんでしたが、最近分かってきました。この国には相続税がありません。そのため、親がアパートを数軒持っていると、それをそのまま引き継ぐことができます。一軒分の家賃で生活費をまかない、残りの家賃収入で新しいアパートを買います。するとどんどん資産が増えていきます。そうして富める者が苦労もせず、どんどん富んでいきます。アメリカの観光地や都市にはたくさんのメキシコ人がいます。不法移民ではなく、旅行をしたり高級品を買い漁ったりしているメキシコ人の富裕層です。このようなメキシコ人は、メキシコと他の国との二つの国籍を持っている例が多くあります。メキシコという国を信用していないのです。いつでも何かあれば他国に逃げられるようにしているのです。メキシコの下層の人から富を吸い上げ、いざとなったら切り捨てるつもりなのです。こういう人たちが上層にいて、メキシコの政治や経済をコントロールしているのです。
一方下層の人たちはというと、政府により最低賃金が法律で決められていますが一日四百円ぐらいです。いくらメキシコでもこれでは食べるのがやっとで、下層の人たちはいつまでたっても這い上がれません。最低賃金を決めても意味がありません。これは、下層の人たちの生活を守る法律ではなく、お金持ちの人たちが安い労働力を好きなように使うために(賃金水準が上がらないように)作った法律としか思えません。日本でも格差問題だとか二極化だとか話題になっていますが、下層の人たちをつくることが目的のように思えてきます(実際はグローバリズムの副作用なのでしょうが)。下層の人たちがいるととても都合が良いのです(お金持ちには)。たとえば、私の回りでも手洗い洗車は二百円、お手伝いさんは一日千円など、とても安くサービスの提供が受けられるのです(我が家もその恩恵にあずかっているのですが・・・)。
普通の会社の善良な社員でも、納入業者を決める担当はバックマージンをもらうのに罪悪感がなかったり、当社でも会社から支給された車を売り飛ばして自分の懐に入れたり、子供を誘拐して臓器を売り飛ばす組織の一員が警察にいて組織の手助けをしていたり、政府の高官が公金を結婚祝い金として公式に受け取れる制度を作ったり、この手の話はつきることがありません。
このような社会は最終的にどのようになるでしょうか。この国の労働者には意欲がありません。下層の人たちは働いても這い上がれず、富裕層の人たちは働かなくても食べていけるという状態が固定化していることが原因だと思います。唯一中間層の人たち、子供に大学教育を受けさせることができる人たちは浮き沈みがあるためか、労働意欲があるように見受けられます。
こんな話を聞きました。あるとき、メキシコ人のパーティーに日本人のお母さんが行きました。そこには子供が何人かいたそうです。パーティーが始まり、そのうちにケーキが出てきたそうです。日本だったら子供の数だけ等分して分けるとか、子供が自分だけ勝手に取ったりすると叱るなどするでしょう。そのとき、メキシコ人のお母さんたちは自分の子供に、「ほら、早く行って取ってきなさい!」と叫んだそうです。そして、自分の子供が首尾よくたくさんケーキを取ってくると「よかったね~」と褒めたそうです。それには日本人のお母さんも開いた口がふさがらなかったそうです。とにかく、道徳とか公共の概念とか公平とかそういったものが欠如しています。
以前、メキシコ人の特性として「すべては個人的に解釈される」というのと、母の日の前やクリスマスの前になると強盗が増える話をしたかも知れません。この強盗はプロの強盗ではなく、普通の人がこの時期に強盗になるのです。メキシコはカトリックの国です。クリスチャンがそんなことをするなどとにわかに信じられなかったのですが、最近ロジックが分かってきました。メキシコ人は敬虔なクリスチャンだ、ただし教えは個人的に(自分に都合よく)解釈される、ということらしいのです。
例えば、誰かの机の上にペンが置いてあったとします。それは、「神によってもたらされたもの」であり、「ありがたく賜る」のです。誰かにプレゼントをあげたいがお金がない、そんなときお金を持った人が「神によってもたらされる」のであり、少し強引ですが「ありがたく賜る」のです。彼らには罪の意識はあまりありません。「神の思し召し」だからです。
そういえば、メキシコ人と日本へ出張したとき一緒に居酒屋へ行ったのですが、彼がスーパードライのグラスが気に入って「茅波さん、これ持って行っていい?」と言うや否や懐に隠したときは慌てました。「ダメダメ!ここは日本だぞ!」と思わず叫びました。
ところで、メキシコ人にはどのようなイメージをお持ちでしょうか?陽気とか楽天的とかそんな感じでしょうか。私が最近感じていることは、嫉妬深い、女々しい、執念深いとかどちらかというとネガティブな部分です。たとえば、会社で仕事の評価や昇進などがあると、なぜあいつに対して俺の評価が低いのかだとか、評価の基準が不明確だとか、日本人の管理職はメキシコ人の訴えに忙殺されます。本来の仕事よりも、外見ばかりを気にして本質は二の次です。我が家ではこれを「張りぼて文化」と呼んでいますが、仕事ばかりでなく人の性格にもデパートの包みやアパートの作りにもすべて共通しています。
それから、メキシコに来た当初、交通事故で人を轢いたら死ぬまで轢けとか、次の日の飛行機ですぐ日本に帰れとか言われました。メキシコ人は執念深いので必ず復讐されて殺されるそうです。殺されるまで至らないにしても、プチ復讐は日常茶飯事です。例えば、日本人が仕事でメキシコ人に文句をつけたりすると、そのメキシコ人は他のメキシコ人に手を回して、日本人が書いた書類のどうでも良いようなミスをしつこく指摘して仕事を妨害したりします。私もこれを一回やられました。他の人も同じような経験がありました。小学生のイジメでももう少しレベルが高いと思うのですが、仕事で見返そうなどという昇華は見られません。
ここまで書くと、メキシコがゴミ溜めのような言いようですが、もちろんすべてのメキシコ人がそうであるわけではありません。個々のちょっとした性格の傾向がトータルとしてこのようになっているのかも知れません。でも、このように悪口を言って不満を吐き出すとすっきりします。
さて、前回のメールでメキシコ人との討論会があると事前予告しておいたので、その報告をしなければなりません。
研修では、まずお互いの性格や考え方を評価しました。時間を大切にしているとか、家族が大切かとか、言葉を使ったコミュニケーションをするかとか、質問に従って答え、お互いの性格や考え方の違いを認識しようというものです。結果はどうだったでしょう。驚いたことに、私の職場の日本人とメキシコ人はほとんど同じ場所に分布していて、違いがあまり見られませんでした。また、日本人は一般的な日本人とも離れ、メキシコ人も一般的なメキシコ人ともまったく違った傾向でした。なんだこれは!?ということになったのですが、おそらく同じ職場で働いているという環境が同じ性格や考え方を形成するのではないか、そしてメキシコ要員として選ばれる日本人と、日本企業で耐えられるメキシコ人というのも一般的な日本人、メキシコ人論議が当てはまらないのではないかとういことで、みんな納得しました。
それでは、私の職場の摩擦はどこから生まれるのでしょうか。メキシコ人と日本人がお互いに衝突した経験を紹介して、何が原因だったのかみんなでディスカッションしました。いちばんの原因は、コミュニケーションの問題です。一般に西洋の文化は言葉に頼ったコミュニケーションをします。それに対して日本は、阿吽の呼吸とか、一を聞いて十を知るとか、気が利くとか、察しが良いとか、言葉に頼らないコミュニケーションが得意です、というか前提にあります。そのため、日本人がメキシコ人に指示を出すときにそれに付随する役割も期待するわけですが、メキシコ人に言わせると「言われていないのでやらなかった」となります。それを受けて日本人から出る言葉は、「バカ!そんなの言われなくても分かるだろ!」になります。それに拍車を掛けるのが、分かってなくても分かった振りをするというメキシコ人の特徴です。前に書いた張りぼて文化のひとつの面ですが、「上司に質問をしたりすると自分の能力が低いと思われる」というのが根底にあるようです。本当かな?と思って親しい部下に聞いたところ、「当っている」と正直に答えてくれました。結論としては、お互いに相手の理解を確認するという行為を入れることで“理論的には”この手のコミュニケーション問題は防げるため、今後コミュニケーション方法を変えていくことにしました。
もうひとつの摩擦は、日本人の態度が悪いというのです。具体的には、厳しい口調で問い詰めたり、机をたたいて大声で怒鳴ったりという日本人の怒り方にメキシコ人は非常な拒絶を示します。日本人にしてみればこのような怒られ方は、耐えられないことではありません。会社では普通のことです。ところが、メキシコ人にしてみれば耐え難き苦痛らしいのです。どのように耐え難いのか実感できないのですが、本当にイヤなようです。この研修のときに、上から日本人の態度を改めるワーキンググループのメンバーに任命されたので、後日何人かのメキシコ人に話を聞きに行きました。
今までメキシコ人の悪口を書き過ぎたので、メキシコ人による日本人の悪口を書きます。以下メキシコ人談。
日本人は大きな声で怒鳴る、「なぜやるんだ!」こんな風にです。自分たちの能力が日本人に対して低いことは分かっている。でも、ここで働くメキシコ人にとって今回の仕事は始めての経験だし、日本人は仕事の仕方を教えてもくれないのに、経験のないメキシコ人が最初からできる分けが無い。それなのに頭ごなしに怒る。それで、日本人の上司が怖くて夜の十一時まで残っていたりする。大切な仕事があれば夜中まで働くことは厭わない。でも、今は仕事が無くても帰れない。それで、Xさん(日本人)がトイレに行った隙に帰ったりします(ちなみにXさんはメキシコ人がコソコソ帰ったりするのを見て、「あいつらコソコソ帰っている、後ろめたいことがなければ堂々と帰れ!」などと不満を言っています)。
自分は日本に行って仕事の勉強をしてきたので日本人の態度や考え方が分かっている。でも、新入社員はそんなこと知らないし、メキシコでも一流の大学を卒業してきているのでプライドもある。それをいきなり怒られたらプライドも傷つくし、新人にしたらまったく理解できない。反感が残るだけだ。日本人は小さいときからそういうトレーニングを受けているかも知れないが、メキシコ人は受けていない。
日本人も相当言われてます。
それから、メキシコ人による反省の弁もあります。
“メキシコ人は悪い情報を上司に伝えたがらない”というのは当っている。そのため「明日報告しよう」とか、延ばしてしまうことがある。それで二日遅れたりする。それから自分で勝手に判断してしまうことがある(すべては個人的に解釈される・・・が近くにいました)。それでこのまえ勝手に帰ってしまって怒られた。メキシコ人は自分たちのカルチャーが低く見られるのを嫌う。上司への質問は不満や反抗、自分の無能の暴露を意味すると思われている。だから質問しにくいのだが、結局上司の指示が理解できなかったりする。メキシコ人はこれを乗り越えなければならない。
いろいろ書きましたが、一年もいると不満もたまってくるということでしょうか。まあ、それでも楽しく過ごしているので、人間と言うのは許容範囲が広いものです。
それではまた。
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/3/13, Tue 04:01
Subject: Re: もう一度お便りを
佳寿美様
お便りありがとうございます。
あまりメキシコの悪口ばかり書いてしまったので、悪い印象を与えてしまったかも知れません。文化を理解するには、良いところにも目を向けなければいけません。ついつい悪いことは印象が強いので力が入ってしまいますが、メキシコはもちろん良いところもたくさんあります。
こちらに来て感じたことは、とにかく人に対して関心(好奇心)が強い、人と人とのつながりを大切にする、人に優しいということです。私が赴任した当初の出張時も、お腹が空いていないかとか、疲れてないかとか過剰なまでに心配してくれましたし、日本での経験談や家族の話などすると本当に興味を持って聞き入っています。私が何かメキシコ生活で分からないことを聞くと、友達の友達がその商売をやっている、友達の友達に頼んでみる、というようにすべてヒューマンネットワークで解決してしまいます。本当に人と人のつながりが強いんだな、と実感します。日本では、最近このような人と人との関係が希薄になっていることを感じさせられます。
メキシコで働く日本人でうまくいかない原因のひとつに、はなからメキシコ人を見下すということがあります。確かにメキシコ人の能力は日本人に比べれば劣るのですが、それを見下して接すると相手も共感を持ってくれず、結局うまくいきません。
一旦相手のレベルに降りて話を聞き、理解しあい、共に方向性を見つけ出す、というようなやり方をすると付いてきてくれます。結局これって、文化や能力の問題ではなく、信頼関係の問題だと思います。国や文化や人種が違っても、気持ちは変わらないということを実感します。
メキシコ人は自分の国はダメだ、と思っているふしがありますが、日本は良いのか?と思うと首をかしげてしまいます。確かに日本は経済で成功しましたが、仕事でこんなに沢山の人が病気になるのは日本だけではないでしょうか?そんな今日この頃です。
ところで、明日から家族で日本に一時帰国します。おいしい魚を食べるのが今から楽しみです。時間の都合で今回は福岡には行けませんが、いつかメキシコの土産話をお話できればと思っています。
それではお元気で。
茅波 陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/3/27, Tue 10:54
Subject: Re: メキシコ民芸品有り難う!
斎藤先生、佳寿美様
ご連絡ありがとうございます。
民芸品、よろこんで頂いてうれしいです。
メキシコシティーの東にプエブラ州というのがあって、その外れのなんちゃら村のなんちゃら族という人たちがいて、その人たちの作品だそうです。有名らしいのですが名前を忘れてしまいました。思い出したらまた連絡します。
鳥と蝶と花はメキシコでは吉兆だそうで、いろいろな民芸品のモチーフになっています。
すでにお気付きかも知れませんが、メキシコ便りはほぼ隔月刊となっています。暇なときに気づいたことを書きためておいて、二ヶ月を目処にまとめて送っています。もっとたくさんたまったらエッセイ集にでもしようかなと思っています。
こんな文章でも喜んでくれるのであれば人に見せてもぜんぜんかまいません。人に見せるなら、もっと受け狙いしようかな・・・
先生のお母様が亡くなられたとのこと、私の親もだいぶ年をとり、人ごとではありません。先日一時帰国で親に孫の顔を見せに行ってきたのですが、海外にいると一年に一回しか親に孫を見せられないのがかわいそうでなりません。父には、「準といっしょに酒を飲むまでは死んじゃだめだよ」と言っていますが、仕事を続けているせいかおかげさまで元気です。
先生の再就職、おめでとうございます。通勤大変ですが、「アルコールが身体に及ぼす影響」を研究しながら帰宅するのはいかがでしょうか?
ところで、先日の一時帰国ですが整体に行ったり、温泉に入ったりと、日本を楽しみました。日本で食べたくなったトップスリーは、ハマグリ、ラーメン、カツカレーでした。ハマグリは抜きにしてどうもジャンクフード系が食べたくなるようです。刺身は、種類は限られるもののメキシコでも食べられるのですが、ジャンクフード系はビジネスになりにくいためか、メキシコにはおいしいものがありません。
それでは、次回のメキシコ便りを期待しないでお待ち下さい。
お元気で。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/4/24, Tue 06:11
Subject: メキシコ近況( Apr-200B )
斎藤先生、佳寿美様
お元気でしょうか。佐賀までの通勤は慣れましたでしょうか。
昨日、メキシコ赴任一年目にして始めて人類学博物館へ行きました。準がたいくつして結局二時間が限度でしたので、メインのアステカカレンダーだけは見逃さないようにしました。とにかく展示物がすごい量なので、今度は準が学校のときにゆっくり行こうかなと思っています。
さて、今回は路上で稼ぐ人たちのことを書きました。以下本文です。
メキシコでクルマを運転していると、道路上で生活の糧を得ている人たちと出くわす。このような路上労働者は大きく分けると、物売り、こじき、路上サービス、路上パフォーマンスの四種類だ。
まず物売りだが、毎朝の通勤で必ず会うのが新聞売りと電話カード売りだ。信号で止まるたびに黄色や緑の派手なツナギを着た、おじさんやおばさんの物売りが新聞や電話カードを売りにくる。メキシコでは携帯電話の料金はカードで払う。カードといってもテレフォンカードではなく、暗証番号が書かれたカードだ。暗証番号は黒の塗料で隠されていて、その塗料をコインで擦ると暗証番号が現れる仕組みだ。その暗証番号を携帯電話に打ち込むとカードの金額だけ携帯電話が使える。どうしてそのような面倒なことをするのか、銀行振り替えで良いじゃないか?と思うのだが、メキシコには銀行振り替えがない。まず、
支払う側は電話会社を信用していない。銀行振り替えなんかにしたら、知らないうちに大金を引き落としされかねない。引き落とされたあとに電話会社に文句を言っても無駄だ。絶対に返してくれないし、第一調べようとしない。「電話会社は間違っていない」の一点張りで、文句を言った人が疲れてあきらめるまで知らぬ存ぜぬを貫き通す。また、電話会社のほうも客を信用していない。銀行振り替えなんかにしたら、銀行にお金がなく、料金を徴収できないかも知れない。かくして、携帯電話会社、利用客双方の不振によりメキシコでは銀行振り替えが成立しえない。
ところで、この電話カードだが千円、二千円、三千円、五千円がある。五千円を買うと九千円分話せるのだが、路上で買うというのは騙されるリスクを伴う。特に渋滞の中などでは、偽のカードを売っておいて物売りはどこかに逃げられるからだ。そのためか、あんなに沢山の人が路上で電話カードを売っているが、買う人をほとんど見かけない。ちなみに、自分でも二千円のカードを買ってみたが大丈夫であった。
また、通勤や退勤時の渋滞で便利なのがガムや飴などの物売りだ。日本で言うと駅弁売りのような箱を持ったおじさんが、箱の中にチューインガムや飴やスナックなどを詰めて売りにくる。これは騙される心配がないので安心だ。みんな気軽に利用している。ただし、メキシコの駄菓子は日本とセンスが違うので私は買う気はしないし、買ったことはない。
お菓子といえば、週末となると綿菓子売りを見かける。ドピンクとスカイブルーの三角帽型の綿菓子をいくつも秋田の竿灯祭りの提灯のように竿につけて売るのだが、遠くから見るときれいだ。きれいなのだが、それを食べた子供のうんこはピンクになるそうだ。
手作り系のお菓子も良く売っている。いちど「要らない」と断ったところ、「試食してみて」と言われて食べたところ、薄焼きせんべいのようでとてもおいしかったことがある。はっとして顔を見ると、先住民の若いお母さんのようだったが、表情の中にやさしさとともに賢さが感じられた。「このおいしさはこの人の人柄がでているんだ」と納得したのだが、物売りからは買わないというのがくせになっているせいか買いそびれてしまった。
それから、高速道路の料金所にも物売りがいる。メキシコの高速道路の料金所は日本と見た目同じで横一列にゲートがならぶ。そして、少しでも空いたゲートを目指して入り乱れてクルマが走るのだが、その隙間に物売りが来る。ボーッと走っていたら轢いてしまいそうになるが、物売りのほうはクルマの動きを読みきっているので轢かれることはない。その身のこなしとなるや、近所を散歩するかの如く自然で無駄が無く、しかも隙がない。まさに剣豪の風格漂うのだが、それができない人はすでに淘汰されたのだろう。
このような料金所では、瀬戸物、木彫り、編み物等々地方色豊かな民芸品を見ることができる。ただし、買うほうも一瞬の判断で買わなければならず、衝動買いや安物買いは多いようだ。
暑いときには水やジュースやアイスクリーム売りが出る。プラスチックのバケツに氷を入れて冷やして売っているのだが、特に水は便利だ。値段は市価の倍ぐらいだったと思う。
以上が主なものだが、メキシコシティーの路上ではあらゆるものが売られている。クリスマスグッズや子供のおもちゃなどは分からないでもないが、自動車のハンドル単品や水道の部品、アーティチョーク(野菜の一種)だけ等、それだけ買ってどうするの?というものまで売っている。とにかく物があればとりあえず売って見ようというのがメキシコ流のようです。
次の路上労働者はこじきだ。だいたい、信号数本に一本はこじきがいて物乞いに来る。自分の持分が決まっているらしく、同じ信号で止まると同じこじきに会う。こうしたこじきは大きく分けると3種類に分けられる。先住民系のおばあさん、子持ち、身体障害者である。先住民はやはり社会の最下層に位置しているためか、こじきには先住民が多い。田舎の先住民は農業や民芸品などでほそぼそながらも生きていけるのだろうが、メキシコシティーに出てきた先住民はやはり職に有りつくのが難しいのだろう。
メキシコシティーでは貧民とそうでない人たちが住む場所は明確に分かれており、結構離れている。こじきは当然貧民地区に住んでいるはずで、こじきの職場は基本的に金持ちが住んでいる場所なのでそこまで移動してこなければならない。彼らはどのように交通費を捻出しているのだろう。そう言えば、私の見たこじきのひとりは木陰で休んでコーラのペットボトル(一.五リットル?)を飲んでいた。いかにメキシコの物価が安いと言ってもコーラの大ペットボトルはそんなに安くない。日本より若干安いくらいだ。少なくとも彼らはコーラの大ペットボトルくらいは買えるくらい収入はありそうだ。そう言えば、メキシコでは最低賃金法で一日の賃金は四百円以上と決められているそうだが、百円玉(十ペソコイン)を四個もらえば最低賃金と同じだ。また、私がアパートの大家さんと車で走っているとき、大家さんが十ペソをこじきにあげていたことを考えると、私に対する見栄はあったとしても十ペソはこじきに与えるお金としては適当な部類に入るのだろう。また、こじきにめぐみを与える割合を観察していると車五~十台に一台の割合であり、これは一回の信号で一回程度おめぐみにありつける計算になる。
このように考えると、こじきは良い実入りは期待できないものの、メキシコの最低賃金程度は稼げているのではないだろうか?これはこじきに聞いても教えてくれないので確認のしようがないのだが。ここで思うことは、いかにメキシコの最低賃金が安いかだが、メキシコ人に聞いたところ低所得者は実際にこの賃金で働いているそうである。
それから、メキシコではこじきに限らず片足が無い人などをよく見かける。これはメキシコ特有な風土病とかそういうものではなく、医者が不器用なために面倒な手術は切ってしまうからだそうだ。メキシコで複雑骨折は出来ない・・・
路上にはサービス業を生業とする者もいる。主なものは、車のガラス拭きだ。信号で止まると有無を言わせず洗剤をフロントガラスにかけてきて、拭いてしまう。目にも止まらぬ早業で、フロントガラス一枚を拭くのに数えたことはないが十五秒くらいだろうか。事前に首を振って拒否をしめすのだが、それでも半数は強引に拭いてしまう。勝手に拭くのだからお金は払っても払わなくても良いとのことだが、やはり日本人はお金を払わないと悪いと思ってしまう。相場は十円~二十円。前に最低賃金のことを書いたが、メキシコ人に商売として成り立つのか聞いたところ、払っても払わなくても良いとのことだが多くの場合はやはり払うのだそうだ。そうすると三十回ぐらいの赤信号で最低賃金分になる。五分に一回赤信号になるとしても一日八時間で約百回の赤信号があるので、なるほど千五百円くらいにはなる。メキシコ人に聞いたところ単純労働者の賃金は、一日あたり最低賃金の四百円から高くても二千円だろうとのこと。頑張りが報われる分、単純労働よりはやりがいのある仕事かも知れない。
メキシコに来たばかりの頃、メルカド(市場)の近くの路上に車を止めたところ、どこからともなくおじさんが来て話しかけた。スペイン語もほとんど理解できない頃だったが、いくつか分かった単語と彼の身振り手振りを総合すると、「本当は駐車禁止だけど、僕が見張っておいて上げるよ!」ということらしい。後からお金を要求するんだろうことは容易に想像できた。
はたして、買い物から帰ってくるとまたどこからかさっきのおじさんが来て、物欲しそうにしている。「十五ペソ!(百五十円)」と奮発したつもりだが、「ノー、二十ペソ!」と切り替えされてしまった。外国人と見て吹っ掛けられたようだが、相場を知らなかったのと最初に値段交渉しなかったのが敗因だ。
このビジネスもそれぞれ縄張りがあるようだ。ちなみに、私が後日駐車違反でつかまったときは罰金千円だったし、レストランでのバレットパーキング(係りの人に車と鍵を預け、駐車場への出し入れをやってくれるサービス)のチップは百~二百円なので、見張りの二百円というのは案外リーズナブルな料金かも知れない。
駐車禁止ではない路上に車を止めた場合もうかうかしていられない。車を出そうとすると、これまたどこからともなくおじさんがやってきて、頼みもしないのに誘導してくれる。無視しても良いのだが、チップをあげる場合は十円~二十円。
四番目の業界は路上パフォーマンスだ。毎週土曜日には決まって近所の交差点に手回しオルガンが出る。ひとりがオルガンのハンドルを回し、ひとりが各車を回ってお金を集める。郷愁を誘う良い音色がするためか、お金の集まり具合は良いようだ。
見ていて楽しいのが曲芸師だ。たくさんのボールを空中に投げるおなじみの曲芸だ。ご丁寧に脚立まで使って遠くの車にも見えるようにしてくれる。最初の三十秒が曲芸の時間で、信号が青になるまでが集金の時間だ。中にはプロ並みの人を感動させる芸を見せてくれる曲芸師もいて、こんなときはみんなチップを弾む。そういえば、口に含んだガソリンに火をつけて噴出す「火噴き男」もいる。路上でこんなことしていいの?と思うのだが、法律に関してアバウトなメキシコならではなのだろう。
芸のある人は曲芸ができるが、芸のない人のパフォーマンスもある。私が「腕立て伏せ男」と呼んでいる彼のパフォーマンスだ。信号が赤になると上半身裸の格好でいちばん前の車の前に走って行き、いきなり腕立て伏せを十回ほどやるのだ。最初見たときは驚いた。同じ日の朝と夜に見たことがあるので、もしかしたら一日中やっているのかも知れない。だとしたらすごい重労働だ。その後、腕立て伏せに加え腹筋もレパートリーに加わったが、見ている方にしてみれば楽しいと言うよりかわいそうになってくる。煤で体は真っ黒になり、だんだんやせ細ってくるように見える。あまりにもかわいそうなので、彼には五十円をあげた。実は腕立て伏せは車の下の方でやるために、ドライバーからは見えにくい。そのためか、チップはあまり集まらなかったようだ。彼の、無芸でも突拍子も無いことをやって人を驚かすというアイデアはよかったのだが、観客から見えなければしょうがない。しばらくすると彼は消えた。以後彼の姿は見ていない。
ということで、メキシコでは路上がひとつのマーケットとして成立しています。やはり、最低賃金が低いことが原因だと思われ、かわいそうな気がする反面、活気があるようにも思えます。
これはこれで、メキシコの良いところかも知れません。
それではまた。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/5/31, Thu 08:52
Subject: メキシコ近況( Jun-200B )
斎藤先生、佳寿美様
メキシコに来て一年を過ぎました。日本を離れると見え方も違ってくるものです。
いつぞやはメキシコの悪口を書き連ねましたが、今回は外から見た日本を話題にしたいと思っています。これは確か佳寿美さんからのリクエストだったかと思います。
最近思っていることは、日本の犯罪の異常さです。
ある意味メキシコの犯罪は理解できる犯罪です。こういう言い方が正しいかどうか分かりませんが、健全な犯罪です。メキシコの犯罪の多くは動機が「金」で説明できます。確かに殺人も少なくは無いのですが、「強盗に抵抗した」とか「マフィア同士の抗争」とかで、夜遅く外出しないなど気をつけていれば防げる犯罪です。
ところが、日本の犯罪で思うことはまったく理解に苦しむ点です。例えば、小学校に押し入って子供を次々に刺しただとか、ショッピングアーケードを車で暴走したりだとか、母親を殺して首を切って持ち歩いたりだとか、日本には理解できない殺人が溢れかえっています。そういえば、アメリカでも学校で銃の乱射があったりと、日本と共通点があるように思えます。
また、いじめの話もメキシコでは聞いたことがありません。意地悪やケンカの類はあるでしょうが、「長期的に続く陰湿で執拗な、表面化しないように巧妙ないやがらせ行為」というのは日本独特ではないでしょうか?準はメキシコの日本人学校に通っているのですが、この学校にはいじめはありません。先日、準の幼稚園時代の友達が日本でいじめにあっているという話を聞きましたが、いじめの心配をしなくて良いというのはメキシコに来て本当に良かったことです。
なぜ日本の「いじめ」が陰湿なのか、なぜ日本には理解に苦しむ犯罪が多いのか分からないのですが、メキシコに来て感じることは、日本の社会が非常に息苦しいということです。私が感じるこの息苦しさを一言で表現するのは難しいのですが、見えない縄で縛られているというか、常に重い荷物を背負っているというか、常に何かに追いかけられているというか、実態が見えないものに圧迫される息苦しさです。
例えば、会社の勤務時間を見てもメキシコでは仕事が無ければ早く帰るし、仕事があれば遅くまで残るというのを普通にやっています。しかし日本では、自分だけ早く帰って申し訳ないとか、早く帰ると暇だと思われてもっと仕事を突っ込まれるかも知れないとか、そもそも物理的に処理しきれない仕事を持っているので仕事を残して帰るとかえって不安になって休めないとか、帰ろうとするタイミングで上司から「あれ、出来たのか?」と言われたらどうしようなど、いろいろなことが頭をよぎってしまいます。こうした不安にさいなまれるよりは、残業するという選択のほうが幾分精神的負担は少ないために、みんなそのような選択をしている気がします。帰ろうと思えば帰れるが、不安という見えない縄で縛られて帰れない状態です。
子供たちもこのような息苦しさを感じているのではないでしょうか。勉強へのプレッシャーは言うまでもなく、親や学校からは「良い子」を強要され、同時に「良い子」でなければ内申書に響くなどと脅迫され、子供の精神的な逃げ場初は昔に比べると少なくなったような気がします。また、学校が終われば塾に行きますが、ここも管理された場所です。逃げる場所にはなりません。子供はどこでストレスを発散するのでしょうか。このような子供のストレスが水面下にもぐり、見た目に分からない形で発散されるのは理解できることです。ちょうど、取り締まりを厳しくすると裏社会ができるのと同じ原理です。
また、もうひとつ思うことは日本では人と人とのつながりが希薄になってしまったということです。以前も書いたと思いますが、メキシコでは友達同士のネットワーク、家族や親戚のつながりというのがとても強いのです。ですから、孤独な人を作らないとか、困っていたら助け合うというのが非常によく機能していると思います。(一方、知らない人のことは気にしない、というのもあるのですが・・・)日本で異常な事件を起こす若者の共通点として「良い子(問題の無い子)だが、おとなしく、目立たない、友達が少ない」というのを聞いたことがあります。そういう人たちが、息苦しい日本のシステムになじめず心に歪を溜め、人と人とのつながりを絶たれ、誰にも助けを求められない。そしてあるときその歪が爆発する。私にはそのように見えます。
余談ですが、メキシコシティーに住んでいる日本人は恐らく二、三千人だと思います。日本人学校では、小学校中学校合わせて百三十人です。この人数は“村”のサイズです。そして生活環境の厳しいメキシコシティーでは、お互いに日本人同士助け合って生きていかなければなりません。するとどうでしょう。“近所にお醤油を借りに行く”だとか、“近所の子供を預かる”だとか、昔よく見た風景がよみがえっているではありませんか。小さなサイズと生活環境の厳しさは“村”を形成し、人と人とのつながりを強めるもののようです。
ところで、最近私の部下のメキシコ人が「KAROSHIって何ですか?日本語ですよね?」と聞いてきました。「カロシ?そんな日本語ないよ・・・」と答えながら、「もしかしてカローシのこと?」と叫んでしまいました。そうです、「過労死」です。
メキシコ人スタッフの間で過労死に関するメールが回っているらしく、本当にそんなことで人が死に至るのか不思議でたまらなかったようです。そこで、「確かに上司が厳しかったりするのも一因だが、自分で責任を感じて仕事がたまり、誰にも助けを求められずに抱え込んで精神的にも病気になったりして、自殺したりすることだよ。日本人の、必要以上に責任を感じる性格が影響していると思う。同じ日本人でもおかしいと思うよ・・・」などと説明しました。メキシコ人のひとりは「うーん、分かるような気がする」などと言っていましたが、やはり実感としては理解し難いようでした。
こうして日本を離れて思うことは、いかに日本でのサラリーマン生活が息苦しかったか。そして、あの息苦しい日本の会社へは戻りたくない・・・ということです。
話は変わって食に関することです。
メキシコの食で思ったことは、野菜に味があるということです。キャベツも人参も野菜がもつ本来の甘さを感じます。また、肉もそうです。特にステーキなどは脂身のない全くの赤身でも、とても濃い味がして肉の旨みを堪能できます。ステーキには一応ソースがついてきたりしますが、ソースをつけると肉の味がごまかされてしまうので、塩とコショウで食べるほうが楽しめます。また豚肉も、スペアリブに塩コショウして魚焼き器で焼くと、噛むと肉汁がじわっと口にひろがりとても甘く感じます。これは我が家の人気料理のひとつになりました(体に悪そうなのであまり頻繁に食べられません)。
それに比べて日本の野菜や肉は味がありません。一時帰国して食べた日本の野菜は、確かに見た目は野菜だし、食べるとそれらしい味はするのですが、味が薄いと言うか旨みや甘みは感じられませんでした。また肉も、赤身の味というよりは脂の味が主体になっています。トンカツも肉自体はほとんど味が感じられませんでした。
日本に行ったメキシコ人に、「日本食どうだった?」と聞いたところ、「何か肉に味が無くておいしくない・・・」と答えが返ってきました。逆に「アジの刺身は美味しかった」と言っていたので、素材の味についてはメキシコ人の方がうるさいかも知れません。そういえば、「アルゼンチンの肉は旨い!」と噂を聞いていたので、アルゼンチン旅行のときに食べてみたのですが、結果は「メキシコの肉の方が旨い・・・」ということでした(以前も何かで書いたかも知れませんが)。
よく、日本の料理は素材を生かしているのが特徴だ、などと言いますが、本当にそうなのか疑問に思えてきます。例えば、野菜サラダはドレッシングをかけて食べますが、野菜本来の味を生かしているかというと、妙に強く人工的な旨み、つまり化学調味料がドレッシング全体の味を支配していることに気がつきます。野菜がみんな化学調味料の味になってしまっているのです。サラダだけでなく、漬物も化学調味料の味がするし、そうでなければ焼肉のたれだとかトンカツソースだとかの濃い味で薄い味をごまかしているとしか思えません。
日本人は見た目を気にするあまり、野菜も肉も形だけの食物になってしまったのではないでしょうか。そして、味が無いのをごまかすために味の濃い、化学調味料たっぷりの調味料が氾濫するようになってしまい、そのことに気が付かないようになってしまったのではないでしょうか。
何か日本人の味覚が危ない気がします。
野菜に関連して別の話ですが、メキシコのスーパーで本当に良いシステムだと思うのは、野菜や果物の売り方です。野菜も果物もむき出しで山積みされているのですが、客はそれを欲しい分だけビニール袋に入れてレジに持って行きます。レジの台が測りになっていて、商品のバーコードを読み取ると商品名と重さで自動的に価格が計算されます。スピード的には普通に商品のバーコードを読み取るのと変わりません。包装も簡略化されるし、好きな商品を選べるし、恐らく農家の選別作業も簡単だし、スーパーで商品が余ったときの生ゴミとしての処理も簡単だし(メキシコで生ゴミの有効利用をしているかは疑問ですが)、包装や選別の手間が省ける分だけ値段も安くできるはずだし、不合理なメキシコでもこれだけは合理的なシステムだと思います。
日本の社会システムについてひとつ。むかし、日本の物価は他の国に対して高い。どうしてこんなに高いのか?などとよく話題になったことがありました。その当時は私自身、規制とか利権に寄生している官僚だとか、業者だとか、政治家だとかが悪く、そいつらがシステムを維持しているために余計なコストがかかって物価高になるのだろう、などと思っていました。しかし、メキシコに来て「物価高は富の再分配システムだったのか?」などと思うようになりました。私は経済学者ではないので証拠や確固とした論理があるわけではないのですが、メキシコの格差社会を見るにつけそのような思いが浮かぶようになったのです。
日本は長くデフレや規制緩和で物価が安くなったと思いますが、物価安は何をもたらしたのでしょうか。我々の暮らしは豊かになったのでしょうか。競争が激化し、個人商店は量販店やコンビニに取って変わられ、正社員は派遣やアルバイトにとって変わられ、地方は衰退して中央に集中し等々、結局“富の集中”が進行し、社会に下層の人たちを生み出したのだと思います。
メキシコは物価が安いですが、下層の人たちがいるために安い労働力が簡単に手に入るのが一因です(前も話したと思いますが)。つまり少々強引ですが、「富の集中する国は物価が安い、富が平均化している国は物価が高い」という法則が成り立つのではないでしょうか。式で言うと少々強引ですが、物価安=安い労働力=下層の存在、物価高=高い労働力=中間層の存在、です。
根拠は上記のようにあまりないのですが、北欧など社会保障が厚い国は物価が高いし、アメリカなど富の集中している国は物価が安いのでイメージに合います。
それで何が言いたかったかというと、昔の「一億総中流で物価高」時代の日本は案外良かったのかなぁ、と思っています。
さて、「外から見た日本」は以上です。今、いくつかテーマを決めてそれぞれ日記代わりに思いついたときに書きためています。これもそのように書いたものなので、途中で文体が変わったりしていますが、気にしないで下さい。その他、もしテーマのリクエストがあったら教えて下さい。新たな視点でメキシコを見ることができて、筆が進みます。
ちなみに、今執筆中のテーマは、「メキシコ人を理解する統一理論」と「メキシコ・カブトムシ紀行」です。特にこの夏休みは観光地に行くのを止め、去年の雪辱を晴らすべく準と私二人でメキシコのカリブ海側のジャングルにカブトムシ捕りに行くことにしました。事前調査もバッチリです。ちなみに良子は「何で私がそんな暑くてムシの出る場所に行かなきゃいけないの?」ということで、家でのんびり留守番です。
それではまた。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/6/17, Sun 00:50
Subject: Re: 異文化の中で。
佳寿美様
たくさんメールをいただき、ありがとうございました。
ご返事が遅れてしまいした。
しばらく出張続きだったのと、今週担当がひとり辞めてしまったため、そのリカバリーで仕事が忙しく、なかなかメールが見れませんでした。
中国の話、うんうんと頷けるものがあります。ちょうど私の部下が辞めてしまったことと関連するので少しふれたいと思います。
最近、メキシコ国内でG社がN社の社員の引き抜きをさかんにやっています。G社も財務状況の悪化のため、アメリカからメキシコに開発を移そうとしています。
G社はN社より二割ほど高い給与で一本釣りしているのですが、十年ほど働いたエンジニアがいとも簡単に、悪びれもせず(メキシコ的というか陽気に)、突然去っていくのです。日本では、会社にお世話になったから申し訳ないとか、突然辞めると回りが困るから、次の担当が育つまで待とうとかそういう心理が働くものですが、そんなことは微塵も考えません。しかも、メキシコでは「辞める」と言えばその日に辞められます。逆に首を切るときも「明日から来なくていい」というだけで良いのです。
このへんの感覚は日本人にはまったく理解できないのですが、今執筆している「メキシコ人を理解する統一理論(仮題)」で詳しく述べたいと思います。
私のセクションではこの三ヶ月に三人辞めてしまいました。一人はG社に引き抜かれ、一人はイメージした仕事と違った、一人は離れている家族と一緒に暮らしたいから。最初の二人は私が出張している間を見計らってこっそり辞めていて、会社に戻ったらいなかった、という状況です。もう一人は円満退社でした。
他の日本人が日本的やり方を押し付けて失敗しているのを見ているので、私の場合は文化を理解し、意見を尊重し、決して怒らず、ほめてモチベーションをあげてと至れりつくせりのマネージメントをしたのですが、それでもこのありさまです。
何か自分のやり方が悪かったのかと思い、信頼できる部下に「オレ、何か悪かった?」と聞いてみたのですが、「いやいや、茅波さんはここの日本人のなかでいちばんいいですよ。茅波さんはまったく問題ないですよ」と答えてくれたのですが、「じゃあどうして・・・」となぞは深まるばかりです。
これは恐らく、上司への個人的な恩(恩という概念が彼らにあるかという問題もありますが)と会社を辞めるということは、彼らにとってまったく違うことなのだと思います。一方で、「楽しく宴会をやった次の日、会社でいつも通り接する」というのは日本では普通のことですが、メキシコ人にこれをするとすごくショックを受けるそうです。「なぜ、他人のように接するの?昨日あんなに楽しんで仲良くなったじゃない!」となります。つまり、個人的な付き合いと仕事上の関係を一緒に考えているわけです。
辞めるときは個人と会社を切り分け、宴会のときは個人と会社を分けない・・・なぜこうなるのでしょうか。
この矛盾をどう考えたらよいのでしょうか。メキシコ人を理解するのは一筋縄ではいきません。メキシコに赴任するとき、異文化研修というのを受けました。文化の違いを認識してうまくやっていくことが目的ですが、なぜメキシコがそのような文化やものの考え方をするのか、納得のいく説明を求めましたが得られませんでした。
たぶん、異国でうまくやっていくには文化の違いだけでなく、なぜそのような文化が生まれたのかや心理構造を理解する必要があるのだと思います。それがゆえに、「メキシコ人を理解する云々」を書いているのですが、これはむしろ自分の中のもやもやをすっきりさせたいがためなのでしょう。ただ、正直言っていつ完成するかわかりません。
そういえば、三人目の円満退社した部下は、最終日に一枚の紙を持ってきてこれにサインしてくれというのです。見ると「この者はN社として優秀と認めた者であり、採用を推薦する云々」と書いてあり、「N社を辞める人はみんなこの推薦状をもらうんですよ」と説明するのです。どう考えてもそんな話はありえません。実力でもなく、そんな紙ペラで就職したところで自分は本当に満足なの?仮に本当だとしても、そんな紙ペラで採用する側は信用するのだろうか?どちらにしてもメキシコ得意の薄っぺらなハリボテと同じだ・・・。それで幸福になるならそれでも良いし、ダメならダメで自分でどうにかすればよい・・・、などといろいろなことが頭を駆け巡ったのですが、だまされた振りして「あ、そうなの?オーケー」とにこやかにサインしてあげました。まったくもって不可解な国です、メキシコは。
それではまた、お元気で。
茅波
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/6/29, Fri 08:50
Subject: Re: ごめんなさい
佳寿美様
今日は少し仕事がヒマだったので、時間を有効利用して書いてます。
「ごめんなさい」、というのは男がビビる言葉のひとつです。ほかに、「何か忘れてない?」とか「今日、何の日かわかる?」など怖い言葉が、男にはあります。ということで、ドキドキしながらメールを開きましたが、佳寿美さんが気にされているようなことを思って書いたわけではありませんので、全然気にしないでください。文章がグチっぽかったかも知れません。
確かに総論では「こうすると良い」というのはあるのですが、佳寿美さんが言われるように現場は各論の嵐なので、それらをひとつひとつ片付けていかなければなりません(総論賛成、各論反対と同じようなものです)。現場は鉄砲玉が飛んでくる戦場のようなもので、そのときは必死で分からないのですが、後から振り返ってみると、何が大切だったか分かってくるのかも知れません。それが現場の難しさであり面白さだと思っています。実のところは、このような苦労もどちらかと言うと私自身楽しんでいるのです(なので本当に気にしないでください)。
さて、ついでなのでメキシコ人と仕事をしていくうえで、もっとドロドロとした事例をひとつ紹介します。
私が所属する部署は設計ですが、部品の仕様を決定していく上で正確な価格を知ることが不可欠です。一方、N社には調達という部署があります。簡単に言うと、下請け(今風の言葉で言うとサプライヤ)から部品を購入するときに値段交渉する部署です。通常、設計と調達は連携して値段を下げる活動をするのですが、そのときに重要になるのが価格情報です。特にここメキシコでは、部品の価格を見積もる技術を持った人がいないので、下請けから報告される価格情報だけが頼りです。当然、日本ではこの情報は調達と設計間で共有されるのですが、メキシコではそうは問屋が卸しません。
調達は設計に最終価格をポンと渡すだけで、計算の過程を明かしません。下請けも、調達からの要求でないと答えられないとの一点張りで設計には情報を出しません。つまり、調達が総てコントロールしているのです。調達に文句を言ってもダメです。のらりくらりとかわすか、これしか情報は無いと言って開き直るかです。これだけならまだいいのですが、ここで不思議なことが起きます。たとえば、ユニットから五百円の部品を取り外すとします。普通に考えればユニットの価格は五百円安くなるはずですが、下請けからの見積もりは百円しか安くならないのです。調達は平然としています。四百円はどこに行ってしまったのでしょうか?四百円は生産量を考えたらバカにできない額です。販売数量を月五千個として四年間生産するとして一億円です。一億円ものお金を取り損ねて、なぜ平然としていられるのでしょうか。一方、私は原価目標を達成できず泣きそうになってしまいます。
どう考えても何か、ダークな関係を勘繰りたくなります。なんとかして尻尾をつかんで暴いてやりたいのですが、敵もサルもの、なかなか尻尾を出しません。調達の上に言ったらどうか、という話もありますが、運の悪いことに調達は上から下まで全員メキシコ人です。上が黒幕だったら勝ち目がありません。良子に話したら、金額が金額だからあまり深入りしない方がいいんじゃない?などと心配してくれます(メキシコでは見せしめのためマフィアに殺される人が多いです)。最終的に、大物政治家の悪事を暴くジャーナリストのような活躍ができるかどうか分かりませんが、殺されない程度にやりたいと思います。
ところで話は変わりますが、ついにメキシコでカブトムシ第一号をゲットしました。メキシコシティーから標高三千mの峠を越えた温暖な隣町、クエルナバカの山中の夜中のガソリンスタンドで見つけました。スタンドのお兄さんに、「カブトムシ探しているんだけど・・・」と話すと、「それなら知っているよ」と言うや、仕事も忘れてあたりをほじくり返して探してくれました。「給油のクルマが待っているのにいいのかな・・・」と思いながら一緒に探していると、やがて、「ほら!」と誇らしげに手の上に乗せて見せてくれました。大きさは日本のカブトムシぐらい、トリケラトプスのような三本の角があるカッコいいカブトムシで、準は大喜びです。「ムーチャス、グラシアス!」と何度もお兄さんにお礼を言って別れました。子供にとってこれ以上の体験はないでしょう。オヤジの面目躍如です。準はさっそく次の日に学校に持っていって友達に自慢していました。次はオオカブトが目標で、メキシコ湾に面した熱帯雨林に一週間滞在してカブトムシ捕りに没頭します(これはもう書いたかな?)。詳細は後ほど「カブトムシ紀行」にて。
それから、メキシコの雨について少し。灼熱の大地にサボテン、というのはアメリカ人が作ったメキシコのイメージで、実際アメリカとメキシコの国境沿いはそういう砂漠です。でもメキシコの文化、歴史の中心はメキシコシティーを中心とした中央高原という地域です。ここは、一年を通じて安定した気温と、メキシコ湾で十分水蒸気を含んだ空気が中央高原に当たって降らせる豊富な雨で、空気が薄いことを除けばとても過ごし易い地域です。で、メキシコの雨なのですが、さすがにメキシコ湾育ちの熱帯の雲が五千m級の山脈に当たって降らせる雨はハンパではありません。日本でもそんな激しい雨が降るということは、温暖化で日本も熱帯化してきたということでしょうか。斎藤先生、お体にお気をつけ下さい。
上のカブトムシのところでも出てきましたが、スペイン語の国メキシコで仕事や生活の言葉をどうしているか、恐らく疑問に思われていることでしょう。コミュニケーションを取るにあたり、キーになるところです。次回は(約束できませんが)そんなことでもテーマにしようかと思っています。期待しないで待っていてください。
それではまた。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/8/6, Mon 11:34
Subject: メキシコ近況( Aug-200B )
佳寿美様、斎藤先生
お元気ですか?
前回、メキシコのジャングルにカブトムシ捕りに行く予告をしましたが、その報告です。とは言っても帰ってきたら仕事がたまって大変なことになってしまい余裕がないので、今回は写真集でごまかします。
結局のところ、生きたカブトムシは捕ることができなかったのですが、山あり谷ありの大冒険でした。スペイン語も多少話せるようになり、現地の人とのコミュニケーションも楽しみのひとつです。
こういう旅行を経験してしまうと、もう普通のツアーでは満足できなくなってしまいます。困ったものです・・・。
詳細は、いつになるかわかりませんが「メキシコ・カブトムシ紀行」にて報告します。
それでは、また。
写真一:山奥で会ったカウボーイ(カウアンクル?)のおじさん。白馬に乗っている。カブトムシを見たことがあるかとたずねると、商談が始まった。一匹十ペソ(百円)でカブトムシを購入することで交渉成立。三日後家まで来てくれと言う。住所を聞くと名前を教えてくれて、「この名前を会った人に言えば、自分の家を教えてくれる」とのこと。
写真二:ジャングルでカブトムシを探していて見つかったタランチュラの一種。大人の手のひらほどもある。写真は取れなかったが、モルフォ蝶が飛んでいるのも見ることができた。
写真三:まるでドキュメンタリー映画の世界。悪路が行く手を阻む。よく帰って来れたものだ。この写真は、「石の川」。うっかり石に乗り上げるとカメのように立ち往生になる。
写真四:人に道を聞き聞き写真一のおじさんの家(山奥)にどうにか到着。生きたカブトムシは取れなかったが、めずらしいピサロタテヅノカブトの死骸ゲット。おじさんに「死んだやつじゃなく、生きたやつでないと買わないよ」と値引き、十九匹を六十ペソ(六百円)で購入。もって帰って標本にしよう。
写真五:夜間の灯火採集で見つけたガマガエル。カエルもビッグだ。
茅波陽介、準
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200B/11/1, Thu 00:56
Subject: メキシコ近況( Oct-31st )
佳寿美様、斎藤先生
お元気にお過ごしでしょうか。
メキシコシティーは今、日本で言うと朝晩は十一月~十二月、昼は九~十月という感じです。もともと建物の造りが寒さに対して無防備なので、アパートにいると相当寒いです。先週、家で今年初めての鍋をやりました。もちろん日本酒もつけました。日本が恋しくなりました。ちなみに、鍋はこちらでは高級料理です。
今年の日本の夏は暑かったようですね。こちらから日本のニュースを見ていると気の毒になりました。ここメキシコシティーは高原のため、二十五~三十度程度の春のような夏です。乾燥しているためほとんど暑く感じません。過ごしやすいのはいいのですが、季節感がないので日本人としては物足りない気がします。二回の夏をメキシコシティーで過ごしてしまうと、もう日本の夏には耐えられない体になってしまった気がします。
仕事の方は相変わらず忙しい日々を送っています(忙しくてなかなか筆が進まなかったのですが、目標の二ヶ月に一通、偶数月発行は、メキシコ時間最終日に間に合ったようです)。メキシコ人相手になかなかうまく行かず、少しまいっています。メキシコ人には効率性とか透明性とか時間や約束を守るという仕事は向いていないのかも知れません。つまり、そもそも最低限の仕事の基本ができていない!ということなのですが、セクショナリズムや秘密主義が根強く残っていて、そちらの方が彼らには優先するためなのではないかと思ったりしています。これについてはまた別の号で。
さて、今回は語学とコミュニケーションの話です。
メキシコの公用語はスペイン語です。会社内では英語が共通語ですが、工場はスペイン語でないとコミュニケーションできません。私のところ開発は、日本人、メキシコ人、アメリカ人がいます。それから、付き合っているサプライヤー(昔の言葉で言う下請け企業)はアメリカ系、日本系、そのまたメキシコ現地法人があり、これまた日本人、メキシコ人、アメリカ人が登場人物です。はっきり言ってぐちゃぐちゃですが、強いて言えば仕事上は八割方英語でやって、残り二割を場合によってスペイン語と日本語で補足という形が分かりやすいかと思います。
私自身もメキシコに来る前はアメリカに何度も出張していたので少しぐらいは英語をしゃべっていたのですが、出張のときはテーマや論点が決まっているので事前に準備できます。したがって、しゃべると言っても原稿を読みに毛が生えたようなものです。でも、赴任となると話は別です。話を聞き、不明点を聞き返し、理解し、説明し分からせ、説得し、交渉し、ケンカし、弁解し、褒め、諭し、励まし、なぐさめ、勇気付け、世間話をし、ジョークを言って場を和ませなどなど、仕事で必要なあらゆることを英語で表現しなければなりません。これは、さすがに最初は大変でした。
たとえば、部下を励まそうとして「がんばれ!」と言いたいのですが、そのま「Do your best!」と言おうとしてふっと考え込んでしまいます。「がんばれ!」という言葉には、(それが良いか悪いかは別にして)「努力によって限界を超える、限界のその先を目指す」というニュアンスがありますが、「Do your best!」にはそのようなニュアンスはなく、「限界まではやる」が「限界以上のことはやらない」と受け取れます。もし私が、「Do your best!」と言うとその部下は「ベストをつくしました。でも障害があってできませんでした・・・」となるでしょう。「がんばれ!」という言葉には、「何とかして障害をも乗り越えてくれ」との願いがあるのですが、「Do your best!」は障害が現れた時点で限界が定義され、それ以上先は期待できません。したがって、部下に障害を乗り越えることを期待する場合は、「Do your best!」はそのまま使えません。「目標はこれこれで、目標達成するためにいろいろな障害が現れるだろう、ともするとその障害は解決不能に見えるかも知れないけれども、その障害を乗り越えることを期待しているし、それが君の価値だ。Do your best!」と言わなければなりません。これをちゃんと言わないと、こちらの期待値は通じません。
日本人には何か上司の指示があった場合、その指示に至った目的や期待値を酌んで行動します。「コピー機どこ?」との問い合わせに対して「私がコピーを取って来ます」という反応は日本人では普通にあり得ます。メキシコでは「あちらです」で終わりでしょう。逆に日本人でそのように答えたら、「気が利かねーなー。」などと影で言われかねません。日本人のこの反応は世界標準から言えば特殊です。言葉でちゃんと伝えるというのが世界標準です。これを理解しないと外国人とうまくコミュニケーションできません。
また、「このチャンスを使わないともったいない」などと言いたい時はさらに困ります。「もったいない」に相当する英語が無いのです。「効率的に」とか「有効に」というのが一般的で近い英語のように思えますが、我々日本人にはピンと来ません。でも結局は、「このチャンスを有効に使おう」と言っています。
それから、デリケートな場面では直接表現すると場をぶち壊したり、勘違いされたりする危険があります。この場合は、部分否定の使い方を習熟して置かなければなりません。
赴任当初は何を言うにもスムーズに出てこなかったのですが、毎日このような場面にさらされた結果、二ヶ月ほどで仕事に困らない程度の英語がしゃべれるようになりました。英語は「習うより慣れろ」とよく言いますが、そのとおりです。今いちばん難しい英語は、自分が悪いのにウソを言わないで自分が悪くないように言い訳する英語(これは日本語でも相当難しい・・・)と、英語で洒落を言うことです。
会社の中では英語が標準語なので、日本人が大勢いる会議のなかでひとりでも外国人がいると日本人同士でも英語で話をしなければなりません。これはチームで仕事をするうえでとても大切です。日本語で会議をやって後から誰かが英語で説明したりすると、話の流れが伝わらず同じ理解に立てないのです。最初は日本人同士英語で話しをするのにとても違和感があって、笑い出しそうになっていましたが、これもすぐに慣れました。日本語ではうまくはぐらかせることも、英語でははぐらかせるほどのテクニックがないので返って意味がクリアに伝わる場合もあります。それはそれでやりにくいこともありますが・・・。
このように、仕事上は英語でほとんど事足りるのですが、生活ではそうは行きません。高級ホテルや高級レストラン、観光地の客引きやタクシー、一流企業の従業員などは英語がしゃべれる場合が多いですが、普通のレストランやスーパーの店員、警察官、会社の作業員、事務員などはまず英語をしゃべれません。メキシコ人で英語をしゃべれる割合はイメージ十パーセントぐらいでしょうか(それでも日本人よりも英語をしゃべる割合は多いです)。そういうわけで、日常生活はほぼスペイン語です。メキシコに赴任する前、一日八時間×五日間のスペイン語研修を受けたのですが、中学一年生の半年分の英語の習熟度ぐらいでしょうか、最低限のコミュニケーションを取るにも至らないレベルに留まりました。英語で言うとBe動詞と現在形ぐらいです。それというのもスペイン語の活用の多さが原因です。どれだけ活用が多いかと言うと、一人称、二人称、三人称×単数、複数×現在、未来、点過去、線過去、進行形の組み合わせですべて単語が変わります。ひとつの単語を覚えるとき、計算上三十通りの活用が発生します。これではまともにやる気がしません。
メキシコに来ていちばんスペイン語が必要になる場面はレストランです。実際問題、三十通りの活用を覚えなくもレストランで注文はできます。活用よりも大切なことは、メニューが読めることとお酒をオーダーできることです。そこで、気に入ったレストランのメニューをもらって片っ端から単語を調べたり、旅のスペイン語会話集などを何度も読み返したりして勉強しました。食い意地が張っているということは恐ろしいものです、ついにレストランでは何不自由なく飲み食いできるようになりました。
ところが、夏休みのカブトムシ捕りの時はそうは行きませんでした。レストランやホテルは良いとしても、道を聞く、カブトムシを見たことがあるか、どこにいるか、季節はいつか、ガイドを探す、森でカブトムシを捕っているときに怪しまれて言い訳をする、現地の人と交渉する約束する、警察から職務質問されて答えるなどなど、まったくのメキシコのど田舎に日本人の親子が単身飛び込みで行くのは言葉の面でも修羅場の連続です。
メキシコ湾に面した山塊の裾野が広大なジャングルになっていて、ジャングルを縫う道路の脇になぜか小さな広場がありました(ここは、ジャングルの中に町や村が点在しているような場所です)。そこで灯火採集のスクリーンを張り、電灯を灯していると若い男女がどやどやとやってきてみんな何をやっているのかと興味津々です。そのうちのひとりがついにがまんできなくなって何をしているのかと聞いてきました。山奥にどうして若者がどやどやとやってくるのかと思ったのですが、その場所からほんの少し街の夜景が見え、どうやら恋人同士が愛を語らうロマンチックな場所だったようでした。そこに無粋にも虫取りのスクリーンを張って煌々と光を灯してしまっているのでした。
メキシコ人には虫を愛でたりペットにしたりする習慣がありません。何をしているかと問われて、カブトムシを捕っていると言って理解してもらえるだろうか。相手はただでさえ愛の語らいの場を取られてムッとしています。考えたすえ、「ソイ ハポネス、 ソイ サイエンティフィコ イ プロフェソール デ ウニベルシダ、 エステゥディオ インセクトス」(私は日本から来た科学者で大学の先生だ、昆虫を研究している)と説明すると、妙に納得して周りの若者に、「日本人の科学者だってさ」などと説明しているのが聞こえる。どうも科学者は彼らにとって尊敬の対象らしく、首を縦に振ってそうかそうかと深く感心している。多少の後ろめたさを感じながらもスクリーンのセッティングを続けていると、みんなで手伝ってくれました。若い男女は愛の語らいを奪われたが、代わりに興味深い見物をさせてもらった満足感からか、「がんばってね、じゃあね!」などと口々に言って去っていきました。
ところで、カブトムシ取りで大事なことは、聞き込みによる情報収集です。ガソリンスタンドのお兄さんや商店のおじさんおばさん、観光案内所などに行って、「サベ エストス エスカラバホス?」(こんなカブトムシ知っている?)、「ドンデ アイ エストス エスカラバホス?」(どこかに、こんなカブトムシいる?)などと聞きまわります。気をつけなければいけないことは、彼らは知らないときに「知らない」と答えない場合があることです。悪気があるわけではなく、人の期待に反する答えを言いたくないのだそうです。人を悲しませたくないというのが理由のようなのですが、知らないことを知らないと言ってくれた方がよっぽど親切です。とにかく、スパッと答えないで、知っているような知らないような結論がはっきりしない答え方をするヤツは知らないと思ったほうが正解です。
この辺の詳細はいつになるか分かりませんが、「メキシコ・カブトムシ紀行」で。
先日、アメリカの取引先に出張したときに、私がメキシコ人にスペイン語で挨拶してアメリカ人と英語で論議しているのを見て、「茅波さんすごいですね! 英語にスペイン語に日本語ですか!」と言われて「いや、スペイン語は挨拶程度でして・・・」と恥ずかしい思いをしました。でもまあ、スペイン語でカブトムシ捕り程度のコミュニケーションが取れるまで、知らない間にスペイン語も上達しているということでしょうか。
話を英語に戻しますが、アメリカ人と会話していて困ることは、彼らの英語がとても聞き取りにくいということです。メキシコ人の英語は日本人にとってとても聞き取りやすく、これはスペイン語の母音が日本語と同じアイウエオであることと、母国語でないことから変に訛っていないからだと思っています。ところが、アメリカ人の英語は分かりません。でも、メキシコ人は日本語と同じ母音のはずですが、かなりの程度アメリカ人英語を聞き取ります。メキシコ人に、「アメリカ人の英語分かる?」と聞いたところ、「普通のスピードなら分かるけど、エキサイトして早口になると聞き取れない」とのことでした。でも、メキシコ人が日本人に比べ格段に英語の聞き取り能力に勝ることは確かのようです。メキシコ人がなぜ英語の聞き取りが日本人に比べて優れるのか、RとLを区別する、thなど英語と同じ発音がスペイン語にあるなど、子音に少しだけ英語と共通点があることが理由のように思えます。逆に、日本人がスペイン語をしゃべるとアメリカ人からうらやましがられます。発音が上手だと。
またまた話は変わりますが、メキシコ人の部下から報告を受けるといきなり詳細から話し始めるので、「ごめん、ちょっとまって、何の話だっけ?」と言う場面がよくあります。確かに日本人でも報告に慣れてないとそうなりますが、相当ひどいです。なぜメキシコ人は報告が下手か疑問に思っていましたが、二つの理由があるように感じます。ひとつは、メキシコの文化が個人主義的(自分勝手主義?)であることです。相手のことを考えずに話を始めるのです。なぜそうなのかはいずれ「メキシコを理解する統一理論」のなかで考察を紹介したいと思います。
もうひとつの理由は、言葉自体の構造がそうなっているからだと、最近ふと感じました。そして言葉の構造は、思考の構造に影響しているのではないかと。こんな言い方をすると何のことか分からないと思いますので例をあげて見ます。例えば、住所の書き方ですが、日本では県、市、町内、名前の順で書きますが、ヨーロッパ語圏では逆の順です。日付も同様、日本では年、月、日の順ですがメキシコでは日、月、年の順です。語順もそうです。日本語では、「本日は晴天なり」ですが、英語「晴天なり、本日は(It is fine today)」と逆です。そもそも彼らは、言葉のつくりやその言葉によって思考される論理の構成がすべて日本人と逆なのではないか?などと仮説を立てたりしました。
そこで、一度部下の話をさえぎらないで最後まで話を聞くことにしました。すると延々と、ああでもないこうでもない、ああなってこうなって、という話が始まって、背景がだんだん分かってくるのですが、「で、結局問題は何で、結論は?」と聞かなければなりません。部下の話は最初から最後まで詳細がならんでいるだけでした。
どうも彼らの頭の中は詳細に優先度が置かれ、それらを再構成し系統立て本質を抽出し結論を導く、というプロセスに優先度が置かれていないように見えます。例えば英語では最初に重要なことを言い、修飾語はあとから続くため結論が明快だと言われます。でも、あとからいくらでも修飾語を続けることができるので、だんだんと何の話か分からなくなってきたりします。逆に日本語は文章の最後に結論を持ってくるので、結論の前の修飾語と結論に筋が通っている必要があります。日本語は論理的な思考に向いた言語なのではないかと思います。
そういえば、メキシコ文化の教科書に言語について載っていました。曰く、「メキシコ人は、詩的な表現・優雅な表現を好む、しゃべること自体に価値がある、云々」と、言葉の構造以外に文化的な要素もありそうです。彼らの思考の起源を知るにはもう少し時間がかかりそうです。
それではお元気で。
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/2/22, Fri 06:31
Subject: メキシコ近況( Feb200C )
斎藤先生、佳寿美様
お元気にお過ごしでしょうか。
今年の日本の冬は寒そうですね。メキシコでは夏も冬もそんなに極端に気温が変わらないので、体がだいぶなまってしまいました。
一~二月は出張の連続で殺人的に忙しく、実は日本にも出張したのですがたった二日でとんぼがえりという状態でした。
こういうときに限って、良子が盲腸で緊急手術、入院となってしまい、したがってあまり書けなかったので今回は会社のホームページに乗っていたメキシコ人から見た“ここが変だよ日本人”を無断転用することにしました(文末を参照ください。著者はメキシコ人と結婚し、現地採用でN社に在籍する日本人の方です)。
ところで良子は先週末退院し、現在は自宅療養中ですが術後の経過も良く元気です。盲腸といえどもメキシコでは舐められません。ベラクルスで盲腸を発症したが手術の設備がなく、メキシコシティーに運ばれる途中に亡くなった日本人女性が以前いたことを、誰かから聞いたことがあります。
でも、病院にもよるのですが、今ではメキシコの病院は結構レベルが高く、設備も良いのでびっくりです。技術や設備を主にアメリカから取り入れているらしく、納得です。
病室は総て個室で、トイレ、洗面所付き、しかも大理石張りでホテルのようでした。
主治医は日本人なのでコミュニケーションは問題なかったのですが、看護婦や病院の受付は総てスペイン語というのが困りました。看護婦が一時間おきに来て、具合は?痛むか?と聞いてくるのですが(たぶん)、何を言っているか分かりません。
また、親族がいないため、病人や子供の面倒を全部自分でやらなければならないというのも大変苦労しました。ですが、近所に住む日本人が持ち回りで食事を作ってくれたり、子供の面倒を見てくれたりと、親族に成り代って助けてくれました。
このような助け合いは最近の日本では少なくなったと思っていましたが、メキシコではやはりお互い環境の厳しさを認識しているせいでしょうか、みんなで助けてくれます。日本人の何人かは同じアパートに住んでいるのですが、心情としてはアパートというより長屋といったところかも知れません。
それではお元気で。
茅波陽介
-------------以下会社のホームページから転用、ここが変だよ日本人---------------
一.オフィスで靴を脱ぐ。
【解説】
この回答が最も多く寄せられました。心あたりの人はいませんか???
他人の前で靴を脱ぐのを嫌がる(下品に思う)メキシコ人にとっては、この行為はとてもおぞましくて、信じがたい行為なようです。
二.会社でサンダル履き。それも靴下まで脱いで。でも自分のオフィスを出て、他のフロアへ行くときは、靴に履き替える。
【解説】
一見合理的だし、水虫予防と対策にいいんですけどねえ。。。
な~んて言ってると、日本の若い人からもオヤジ扱いされますよ~。
三.歩く時、日本人は足を引きずるように歩き、足音がうるさい!
【解説】
「日本人はみ―んな足を引きずるようにして歩いている」とか。メキシコ人には足音で日本人が来たことがわかるらしい!
四.足音も立てるが、食事のときも音を立てる。
【解説】
お蕎麦やラーメンは音を立てて食べないと、おいしさ半減ですが、外国ではホドホドに。
五.挨拶で何度も何度もお辞儀する姿が異様。
【解説】
・・・の必要はありませんね。日本人のこんなシーン、ハリウッドの映画にも出てくるし・・・
六.皆そろって足が曲がっている。(O脚・X脚)
【解説】
う、うるさい、大きなお世話! でもそう言われれば・・・正座と胡座(あぐら)のしすぎでしょうか・・・?
七.誕生日・クリスマス・新年にお祝いの抱擁に行くと、ものすごい恥ずかしがる。
【解説】
だって、そんな習慣ないですから・・・。
八.笑い声が異様に大きい。
【解説】
日本人だけ?お互い様ですよねー!でも、たまに「ウッヒヒヒ。」と変な笑い方をする日本人はいますね。ハイ。
九.疑い深すぎる。
【解説】
疑い深くさせているのは、誰のせい??
十.日本人の持ち物はいつも全てが日本製。
【解説】
メイドインジャパン、万歳!!でも日本に行ってみたら、ほとんどが中国製だった!との声も。
十一.返事(相槌)の回数が異様に多い。日本語だと「はい、はい、はい、はい」。それがそのままスペイン語になって「Si,Si, Si, Si….」ちょっと変。
【解説】
それを言うなら、メキシコ人が英語で“YES“というときに、”ジェース“になってる人が、私には気になる。
十二.上司なのに、部下の私に何か仕事を頼む度に、いつも、ぺルドン、ぺルドン、を繰り返していた。
【解説】
これはその人の性格?
でも逆にメキシコ人も謝りませんからねえ、例えばお国の名前がついた航空会社、一時間遅れようが、二時間遅れようがお客の都合にはおかまいなし。
十三.何も無くてもいつも怒っている日本人上司がいた。
【解説】
これこそ、その人の性格だよ!?
十四.オフィスや待合室.電車の中等々、何処でもすぐ眠る。
【解説】
これが出来るのは、安全な国に住んでいる証拠?メキシコでは深い眠りに落ちたあと、目が覚めたら、所持品が残っていませんから。
十五.スマホ依存症。(日本に行ったとき、電車の中で、中高生から5,60代の大人まで皆がスマホやっていて、気味が悪い。)
【解説】
確かに。電車での風景は、椅子取り競争に始まり、運良く椅子を確保すると、すぐ寝に入るか、椅子取り競争に勝っても、敗れても、まずはスマホでメールチェック?ゲームスタート??
十六.混んでいるエレベーターや電車から降りるときに、無言で人をかき分けて降りる。一言、「降ります!」と、言えばいいのに。。。
【解説】
メキシコ人は、知らない人でも、その場限りでも、まるで二十年来の友のように話しかけますが、日本人は、なるべく他人とは関わらず、を心に決めている!?
でも、メキシコシティの地下鉄は、人が降りていようと、乗ろうとしていようと、戸が閉まるので、混雑時の、乗車・下車は、我先にと、殺人的雰囲気を感じることがありますが・・・。
<後書き>
さて、「メキシコ人て奴は・・・」と常日頃思っていたのに、自分たちのここが奇妙がられていたの?と驚くところがありましたか?「フムフム」と納得するところ、「だったら君たちは!!」と思わず反論したくなるところ。。。メキシコ人の夫を持つ私も、お互い常に「ここが変だよ!」と思う日々です。最近では、年末に日本の実家へ夫とスエグラ(姑)を連れて帰ったとき、私の実兄が熱々のおうどんをフゥフゥしながら食べていたら、それを見ていた私のスエグラが、うどんのどんぶりより大きいボウルにお水を入れ、おもむろに兄の食べていたどんぶりをそのボウルの中に入れ、これで食べ易くなった、といわんばかりに満面の笑みを浮かべていました。熱いものを我慢しながら(?)食べている姿が信じられなかったのであろうスエグラと、何故そんな事をするのかが信じられなかった日本人一家。
これからも我が家の国際摩擦は続くのでした...。
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/5/6, Tue 09:10
Subject: メキシコ近況( Apl-200C )
斎藤先生、佳寿美様
お元気にお過ごしでしょうか。
メキシコ赴任も三年目になりました。
いよいよ最後の年(今のところ)、カウントダウンが始まった感じです。
良子もすっかり元気になり、お酒などもまったく問題なくイケるようになりました。メキシコの医療技術も大したものです。
さて、最近はメキシコ人に関する文章を書くのが億劫になってきて、あまり気乗りがしません。それというのも、来墨(らいぼく:メキシコに来ること)以来、メキシコ人とは何かを考えてきたのですが、知れば知るほど不可思議というのが正直な感想で、何かをテーマに書こうとすると、その奥にある精神構造や歴史など、到底自分などには分からないのではないかという無力感みたいなものが出てくるからです。
先ごろも、私のところに非常に優秀な部下がいて、どうにかプロモーションしようと考えていたのですがついにできませんでした。プロモーションには他の上司の推薦が必要なのですが、彼はある上司に睨まれていてどうしても推薦がもらえなかったのです。
後から本人に聞いたところ、何年か前にその上司と会議で議論になり公衆の面前で負かしてしまったそうです。それ以来ずっと冷遇されてきたとのことです。公衆の面前で恥を掻かせたことが悪かったと本人もわかっているのですが、問題はそれを根に持ち何年も冷遇し続ける上司です。それが、見るからにいやなやつなら理解しやすいのですが、とても聡明で人当たりも良く、少なくとも個人的な感情と仕事は分けて考えられると思われる人なので分からなくなってしまいます。
見た目とは裏腹に、なぜ陰湿な恨みを何年も執拗に持ち続けることができるのはなぜでしょうか。考えてみたら怖い話です。
それが、このような人はメキシコでは別に珍しいわけではありません。その証拠に、あちこちで恨みによる殺人が横行しています。
スペイン人は先住民との間に生まれた子を奴隷として扱ったようです。このような人たちはメスチーソ(先住民とスペイン人の混血)と呼ばれ、メキシコ人の八割を占めます。奴隷ですから歯向かえば殺されます。表面上は従順を装い、影で分からないように仕返しをするというのが、彼らが身を守りながら復讐を遂げるために身に付けてきた方法ではないかと言う人がいます。その人が何年も中南米で過ごして感じたことだそうです。真偽のほどは分かりませんが、もしそうだとしても奴隷として扱われたことがない日本人が理解できるだろうか?と感じてしまいます。
最近読んでいるメキシコについての本では、メキシコは仮面を被った国と言われ、なかなか正体を見せないなどと書かれていました。どうも、メキシコが不可思議な国というのは万人に共通した印象のようです。ですが、仮面の下はどうかについては触れられていませんでした。おそらく、この著者もメキシコについては私と同じような感情を抱きつつもその理由については未だ説明できる理由を見出せていないのではと勘繰っています。
というわけで、このようなテーマはもっと経験と勉強を積み重ねないと書けないと悟ったのです。いや、自分の赴任中には恐らく解明できないのでは、と弱気になってきました。そこで、この話題は少しお休みにしたいと思います。
話題を変えて、二月の下旬に念願のモナルカ蝶を見に行ってきました。ご存知でしょうか、メキシコの山地で集団を作って越冬し、春になるとともに北上し四世代かけてカナダまで行き、またメキシコに戻って越冬するという蝶です。戻ってくるときは一世代で戻ってくるそうです。
メキシコの中央高原ではそのような越冬地が十数か所あるそうで、そのうちのひとつがメキシコシティーから車で約二時間という比較的近くにあります。良子は病み上がりというのと、ムシに興味がないというのと、前に行った人から何やらホコリがひどいと聞いているので行きませんでした。そのため、準と一緒に行きました。
駐車場に車をとめ、そこから徒歩で山道を登るということで準と二人で登ろうとすると、係員らしき人から呼び止められました。どうやら、観光客が勝手に登ってはいけないそうな。必ずガイドをつけろということで、ガイド料が百七十ペソ。馬に乗って行きたい場合は一人一頭百十ペソ。ここで準が馬に乗りたいとせがむので、準だけ馬に乗せ出発したのですが、ケチらないで二頭にしておけばよかったと後から後悔しました。
乾季で乾燥した地面は踏み荒らされて砂埃がパウダーのように数センチ体積しています。そうっと歩いてもパウダーがふわっと舞い上がります。それが、標高二千五百m(推定)空気の薄いところで急な坂道を登り、息がゼーゼーしているところに肺に入ります。
馬に乗っていればゼーゼーもしないし、地面から離れたところに顔があるのでパウダーもあまり上がってきません。
歩くこと数十分、やっとポイントに来ました。蝶は数本の特定の木にいるらしく、保護のため近くには寄れません。三十mぐらい遠くから見るのですが、感想は「本で見たのといっしょ」というものでした。それよりも埃と坂道のほうが印象に残っています。ですが、いままで見たいと思っていた蝶なので見ることができて満足です。
メキシコの日本人学校は日本のカレンダーと同じで、ゴールデンウィークがあります。会社はメキシコのカレンダーなので休みではないのですが、ひんしゅくを買いながらも休暇をとって家族でアメリカに旅行に行ってきました。グランドキャニオン、モニュメントバレー、バリンジャー隕石孔などをレンタカーでまわる旅でした(贅沢と言わないでください、メキシコからだととても安く旅行ができるのです)。アメリカでのドライブはいつも出張で行っているので慣れたものですが、旅行するとなるとどこに行くにも延々と走り続けなければならず、あらためてアメリカの大きさを思い知らされました。子供の頃、図鑑で見て以来ずっと行ってみたかった場所なので、ン十年?ぶりに願いがかなった感じで感慨深いです。
それはそうと、準にこのような偉大な風景を見せたいと思って行ったのですが、メキシコ赴任以来いろいろとそういう風景を見ているせいか、どうも慣れっ子になってしまったようです。
準がこの先、世界視野で物事を見られる人間になれば良いのですが、単なる不感症の人間になってしまうのではないかと、行く末を案じています。
それではまた。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/6/29, Sun 23:02
Subject: メキシコ近況( Jun 200C )
お元気にお過ごしでしょうか。
こちらは元気に過ごしています。私の赴任は今年度で終わりなので、そうなると急に焦ってきてあちらこちら出かけている今日この頃です。この週末は屋台のタコス屋めぐり、おしゃれなカフェ探訪でした。
さて、前回メキシコ人の性格に関することはしばらく書かない、と宣言したばかりなのですがやはりまた書くことにしました。
私の部下があるメキシコ人上司に冷遇されている話を覚えていますでしょうか。仕事もでき、人望も厚い、でもしつこく恨みを抱き続けている例の上司です。彼が最近会社を辞めました。
正確に言うと、懲戒解雇か諭旨免職といったところでしょうか。会社の金を、業務上横領といかないまでも、法に触れるか触れないかギリギリの線で着服していたということらしいのです。どうもメキシコ人は出世すると個人と公(会社)の区別がつかなくなるようで、会社を私物化する傾向が強いようです。
話は代わって、以前も書きましたが路上で物を売って生活している人がたくさんいます。わずかばかりのおもちゃや民芸品を信号待ちの車の間を縫って売り歩くのです。時に親の後を子供がついて行きながら、時に子供だけで。そうやって貧困が遺伝していく、彼ら/彼女らは、いかに努力しようともその貧困のサイクルから抜け出せない。最初はそう思っていたのですが、どうもメキシコ人から見た目は違うようです。
良子は今、メキシコ人の先生から英語を習っているのですが、その先生から聞いた話によると、彼らは努力次第で貧困のサイクルから抜け出せるのに抜け出そうとしない、ということらしいのです。確かにメキシコは階級社会で貧富の差が激しい、たくさんの階級の壁を一気に越えることは難しい。だが、階段を一段だけ上がることは難しいことではない。そうやって一世代毎に上がっていけば、三世代でだいぶよくなるそうです。実際にそのように向上している人たちも、多数とは言えないまでも珍しいことではないそうです。
問題は、そのような生活をしている人たちの多くには向上という概念がないことだそうです。いかに貧乏だとしても今の生活に満足してしまっていて、いや満足しているかどうかは分からないが、とにかく良くしようという発想がない、良くしようとしない。メキシコの格差問題は、社会システムの問題であると同時に、精神の問題でもあるようです。
ところで、どうしてメキシコの貧しい人たちは向上しようという発想がないのでしょうか。どうも教育によってコントロールされているようです。貧しい人たちが社会の矛盾や向上心に目覚めると、現在の社会システムが転覆しかねない。現在の社会システムは金持ちや権力者など一部の人間に利益があるように作られています。ゆえに、貧しい人たちが目覚めないように教育を受けさせないまたは受けさせても支配層に対して従順になるように教育する。
会社に入ってくる新人(中間層)を見ても、上に従うように教育されてきたことがよく分かります。また、メキシコ人社会の中でも上に従順な者を良しとする考え方が、彼らの意識しないうちに浸透していることがよく分かります。逆に、メキシコシティーには経営者や政治家の子供でなければ入れない学校があり、庶民とは違った教育がされています。
つまり、メキシコの貧困や格差は教育政策によって意図的に作られているというのが、メキシコ人先生と我々の一致した見解ということになりました。
上記の辞めたメキシコ人上司の例でも、支配層が会社を私物化するというのはメキシコ人としては当たり前の感覚なのかも知れません。たまたま日系の会社だったので咎められただけなのかも知れません。ある意味、中間層は社会の矛盾に気付いていながら、それを良くしようというよりも、自分が上の立場になったら今度は自分の番だと言わんばかりに、同じように甘い汁を吸おうという発想が働くのかも知れません。
また話は代わりますが、メキシコもカブトムシの季節が始まりました。メキシコは六月から雨季が始まるのですが、雨季の始まりと同時にカブトムシがいっせいに出てきます。シテイー自体は標高が高いこともありカブトムシはいないのですが、となりのクエルナバカという町にはたくさんいます(前に言ったかも知れませんが)。となりと言っても、三千mの峠を越えて車で一時間かかります。ソチカルコ遺跡、テポストランの修道院群など世界遺産があり、アステカを征服したコルテスが晩年過ごした地としても有名です。我々親子はそんなことには眼もくれず、カブトムシ捕りに熱中しています。
気がつくと私はどうもメキシコに住む日本人の中でいちばんカブトムシに詳しくなっているようで、先日もメキシコの旅行会社の人と飲んでいてその話をしたら、「是非とも帰任する時にはノウハウを残して置いてくれ、カブトムシツアーを開発するから」という話になりました。
数年後には茅波家監修のカブトムシツアーが出来ているかも知れません。
それから、この春から現地採用でスペイン語通訳の日本人が会社に雇われました。二十代後半のかわいらしい女性なのですが、この人がなんと、私がメキシコ赴任前に日本で受けたスペイン語研修の先生だったのです。再会も驚いたのですが、なぜ日本で働いていた先生がメキシコの現地採用なのか?そのほうが大きな驚きでした。種明かしは、先生が学生だった頃、日本に留学していたメキシコ人と友達になり、そのメキシコ人が帰国後N社に就職。先生がその友人の結婚式に誘われてメキシコに来ていたとき、N社に通訳の空きが出ていたのでついでにN社の面接を受けたところ受かってしまったということです。それにしても、二十代の女性が単身メキシコに乗り込んで就職とは、見た目では想像のつかない勇気とバイタリティーにもますます驚きです。
それではお元気で。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/8/25, Mon 06:30
Subject: メキシコ近況 Aug 200C
斎藤先生、佳寿美様
今年の夏も日本は暑かったようですね。
春のようなメキシコの夏を過ごすのも三年目です。体が鈍ってしまって、もう日本の夏には耐えられない体になってしまいました。
また部下が辞めました。
七月に二人です。もう歯止めがかからない状態となってきました。
一年から二年働いただけで辞めるというのが私の勤める開発事務所の若い者の傾向です。それ以前はあまり辞めるひとも少なかったのですが、最近になって増えたのはいくつかの理由があるようです。
・かつての日本のようにメキシコがバブルのような好景気になっている。
・日本企業に勤めたという経験が価値を高める(メキシコで一番良い学校はN社だとG社が言っているらしいです)
・金がすべてという風潮になっている。
共通するのは金です。金、金、金です。
まず、メキシコの好景気です。クルマの売れ筋も私が赴任した当時は小型車主流でしたが、今では毎年すごい勢いで大型車や高級車の売れ行きが伸びています。アメリカのサブプライムローンの影響がメキシコにもあるかと思いましたが、あまりありません。どうもアメリカの景気悪化は、仕事をアメリカからメキシコに移すという作用に働いているようであり、メキシコ人の間ではアメリカの景気が悪くなればなるほどメキシコの景気は良くなると信じられているようです。
高い給料での引き抜きが横行し、引き抜かれる方も金しか目に入っていません。浅ましいというか、見苦しいというか、メキシコ人得意の見栄はどうしたと言いたくなります。
G社に行くから辞めるという部下については、「仕事は金だけじゃない、やりがいとか誇りとか達成感とかそういうのもあるんじゃないのか?」などと辞める前の面談で言うのですが、それはそれでかっこ悪さはあるようで、「自分が別の会社に行くのは金だけじゃない、こういう仕事がやりたかったんです」などと言います。「わかった、そういう仕事がしたかったのか、じゃあ君にこの仕事をやろう」などというと、「でもサラリーが・・・」(やっぱり金じゃん)という感じで、そんなレベルの低い会話の後に辞めていきます。
もう一人については、大学院へ行くからということで相談を受け、本人が勉強したいというのならその意向を尊重しようと暖かく送り出したのですが、実はまったくのウソというのが辞めた後で判明しました。表面的には誠実さを装い、誠実さのかけらもありません。彼は、私に対する申し訳なさでウソをついたのではありません。一人目の部下のように私から言われたら、自分が傷つく。それが怖かったのかも知れません。
彼らは頭が悪い分けではありません。面接時には自分がいかに仕事に意欲を持ち、金などよりも自分自身の向上だとか達成感とかが大切だなどと、演出して見せます。社会的にはそういうものが受けるということを知っているし、そう演技できるのです。
メキシコの社会はそのような精神的に成熟した状態をたてまえでは良しとしながら、実質は大変未成熟な社会であると最近思っています。メキシコ特有の見栄のため、精神的に成熟した人間を演じながら、実は子供の集団なのです。クレバーだけどインテリジェンスではないのです。
メキシコ人の二面性をどのように理解したら良いのか、なにか複雑な歴史がそうさせるのか、というのをずっと考えて来たのですが、私なりにだんだん結論に近づいて来た気がします。彼らは表面的なかっこ良さ(職位、学位、タイトル、服装)に非常なこだわりを見せる反面、仕事や生活に見せる精神レベルは非常に低い。約束を守らない、会社を私物化する、クルマの窓からゴミを外に捨てる。それは単に文化の違いでためではありません。彼らは明確にそれが悪いことだと知っているのです。
メキシコのクルマのマナーが非常に悪いのもこれで説明がつきます。クルマは顔が見えないので表面的なかっこ良さに影響を及ぼさないのです。あるときメキシコ人に、「クルマの窓からゴミを捨てるのって、メキシコ人はどう思ってるの?」と聞いたことがあります。即座に「良くないことだ!」と答えが帰ってきました。それを悪と判断することはできるようですが、心底悪と思っているかは疑問です。
それでは、なぜ精神的に未熟な社会が許されているか、存続しうるのかというのが次の疑問です。
ベースにラテンの血があるのかも知れません。スーパーのレジの近くに行くと、色々なものが置いてあります。レジの近くに色々なものが置かれているのは当然ですが、問題はそれが陳列されているものではなく、買い物客がレジの列に並んでいる間に、いらなくなったものが山のように置かれているのです。ガムや雑誌の上に、肉のパックや野菜・果物等々。雑誌の上に肉を置いたら汁が漏れて売り物にならなくなるだろうと思うのですが、お構いなしです。このような責任感や計画性のなさはクリオージョ(入植当時のスペイン系白人メキシコ人)の特徴だそうで、今のメキシコ人の特性はラテンが色濃く影響しています。
それではすべてのラテンアメリカ諸国が全部そのような状況かというとそんなことはありません。ペルーやアルゼンチンは交通マナーも良く、街もきれいでした。ラテンアメリカの雄と言われるメキシコですらこのような状態なのだから、南アメリカに行ったらさぞかしハチャメチャだろうと想像していたのですが、整然としすぎて拍子抜けでした。メキシコがいちばん(我々が想像するハチャメチャの)ラテンアメリカっぽいという感じです。
なぜメキシコはハチャメチャでもやっていけるのか?答えは「それで生きていけるから」ということだと思っています。メキシコの文化の中心中央高原は一年を通じて春のような気候で、気候的な厳しさがありません。冬は凍死することなく、夏は熱中死することもありません。それどころか、暖房も冷房も要りません。メキシコ湾からもたらされる湿潤な空気は、豊富な野菜や果物をもたらします。地面を掘れば銀や石油が出てきます。アメリカに隣接しているという地理的条件から、アメリカからメキシコに仕事が流れ込んできます。
なぜメキシコ人は二面性を持っているのか?私なりに(現時点)たどり着いた結論は以下です。
結論:もともとのラテン的性格に、精神的未熟が加わっているから。そして、精神的未熟を許す経済的、気候的、地理的条件がベースにあり、さらに精神的未熟を利用している政治や支配層がそれを維持する体制をつくりあげているから。
いかがでしょうか。帰任前に、気になっていてしょうがない疑問に正しいかどうかは別にしてとりあえずの結論をつけられてほっとしています。
それではお体に気をつけて。
茅波
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/11/4, Tue 20:44
Subject: メキシコ Oct-200C
斎藤先生、佳寿美様
お元気でしょうか。日本は寒くなりましたでしょうか。
メキシコシティーは最近冷え込み、朝は十℃を切り、日中は二十℃を少し越えるくらいです。
帰任が近付くにつれ、遣り残したことがないかと焦りだしている今日この頃です。
遣り残したことのひとつがカブトムシ捕りです。先日は、週末を利用し準と一緒に再びメキシコ湾岸のジャングルにカブトムシを捕りに行きました。生きたものは捕れませんでしたが、村人から死んで乾燥したものをもらいました。世界最重量のゾウカブトです。子供が角に紐をくくりつけて遊んでいたそうですが、その巨大さにびっくりで、生きたものを捕るまでは日本に帰れないと心に誓った次第です。
さて、前回に引き続きメキシコ人の謎についての続報です。
前回メキシコ人はラテン+精神的に成熟していないと結論付けましたが、やはりこれでは浅すぎましたと思い返しました。なぜ精神的に成熟していないか?これを考えるうえでもうひとつ大事なことがあります。それはメキシコの歴史です。現在メキシコ人の大部分を占めるメスティーソ(スペイン人と先住民の混血)の歴史はたかだか五百年前に始まりました。五百年というとアメリカの歴史二百年と比べると長いような気がします。
スペイン人は先住民を征服すると、先住民の女性との間に子供をもうけたそうです。しかし、その子供は父であるスペイン人からは子供として扱ってもらえないばかりか、奴隷として扱われ、母である先住民からも疎まれる存在であったそうです。おそらく、初代のメスティーソは親からまともな愛情も教育も受けることができなかったでしょう。十分な教育を受けていない親からは、二世である子への教育は十分ではなかったでしょう。スペイン人、先住民双方から疎外される存在であることも続いたようです。
もちろん、言葉や食事などの表面的な文化は受け継がれたでしょう。しかし、道徳やものの考え方など、親子が深く接していないと伝わらない文化の深層部分はあまり受け継がれなかったことでしょう。
つまり、メスティーソは五百年前に忽然と現れた新しい人種であるばかりか、文化的にもスペイン人、先住民どちらとも断ち切られた人種であると言えるでしょう。
このような人種は、ラテンアメリカを除いては、ほかに例は少ないのではないでしょうか。アメリカがたった二百年の歴史で人種がまぜこぜだといっても、親から子へとちゃんと教育(文化の伝承)がなされてきたはずです。それはまっとうな親子関係がずっと続いているからです。でもメキシコは違います。国のレベルでまっとうな親子関係が一度断ち切れているのです。
建築や工芸は、文化の継承を目に見える形で知るためのひとつの材料と仮定しましょう。教会や庁舎などの支配層の建築はスペイン文化を継承しているため非常に良く出来ていますが、一般の建築物はまったくいい加減です。先住民の手先の器用さ、仕事のきれいさは、現在の工芸品などに受け継がれていますが、工業製品には受け継がれていません。文化的に断ち切られている証拠でしょう。支配層の文化は支配層に受け継がれているし、先住民文化は先住民に受け継がれているが、メスティーソだけは受け継がれる文化がないと考えられます。
グアダルーペ寺院というカトリックの大本山がメキシコシティーの北側にあります。一五三一年、コルテスのアステカ征服から十年後、インディヘナ(先住民)のひとりがお告げを受けバラが咲かない時期にバラが咲いた奇跡をきっかけに寺院を立てたのが最初です。メキシコ人に絶大な人気があり、工場や商店、タクシーの運転席にまで神棚のように飾っています。このグアダルーペ寺院は、マリア様(グアダルーペの聖母)を祭っているのですが、このマリア様が変わっていて、褐色の肌をしています。先住民の象徴なのです。
メキシコ人を理解するにはどうしてもグアダルーペの聖母を知る必要があるだろうと思いました。そこで私は部下のメキシコ人に二つの質問をしました。
一つ目は、どうしてグアダルーペの聖母はメキシコで絶大な人気があるのか。
二つ目は、グアダルーペの聖母の教え、戒律、御利益は何か。
一つ目の質問に対しては、言われてみるとよく分からない。スペインに征服された歴史は知っていますか・・・とその後、口ごもった。理由は本当にわからないようでした。ですが、過去の不幸な歴史が絡んだ結果だというのはうすうす感づいているのか、あるいは知っていて外国人には話したくないのか、いずれにせよ彼ら心の中にいまだに複雑な感情として潜伏していることは感じ取れました。
二つ目の質問に対しては、教えや戒律など何もありません。ただ、奇跡をもたらすだけです。と答えました。え、本当に何もないの?「うーん、これと言って・・・」ということでした。
これには驚きました。宗教には詳しくありませんが、普通よく生きるための知恵とかルール見たいなものがつきものだと思っていたからです。例えば、仏教は生き物を殺すなとか、イスラム教なら酒を飲むなとか、キリスト教は慈愛だとかそういうのがありますが、そんなものはまったくないということです。何の教えも戒律もなく、ただ奇跡をもたらすのみです。ある意味、日本の神社に似ています。が、日本人の神社に対する信仰心はそこまで強くありません。ですが、メキシコ人のグアダルーペの聖母に対する信仰心は非常に強いのです。
当初私は、グアダルーペの意味を次のように考えていました。
先住民はスペイン人に自分たちの宗教を破壊され、キリスト教を強要されました。ですが、自分たちの宗教を欲していたのは当然です。でも、スペイン人が支配する世界では、異端の迫害を避けるためキリスト教の姿を借りざるを得なかったのでしょう。そこで、グアダルーペの聖母という“発明”をしたのでしょう。実際に、グアダルーペの聖母は、先住民の間で信仰されていた女神に多くの共通点があるそうです。
グアダルーペの聖母は、征服された先住民、それと同じ境遇のメスティーソが絶望的な状態のなかで、ただ心の救済だけを願って作り出され、生き続けてきた神様ではないかと。したがって教えも戒律もいらないのです。そして、人々はそれに盲目的に従ってしまったことにより、今日のメキシコ人の性格の一端が作り出されたと。
ところが、他のメキシコ人からはまったく別の話を聞きました。グアダルーペの奇跡があったのは一五三一年、コルテスのアステカ征服の十年後です。しかも、お告げを受けたのは先住民です。先住民が征服者の神のお告げを受けるというのは、ちょっと不自然です。うがってみれば、とても作為的な感じがします。
また、現在のグアダルーペの収入はどこに流れているのか?そのほとんどは、バチカンのサンピエトロ寺院に流れているそうです。ローマ法皇がグアダルーペを訪問するというのもうなずけます。
つまり、グアダルーペの奇跡は、既存の宗教を破壊しキリスト教化するため、すなわち先住民を精神的にも征服するために作為的に仕組まれた話である。先住民の共感を得るために先住民の神の特徴を受け継いでいる。そしてそれは先住民の支配、つまり最終的には搾取という当初の目的を今も受け継ぎ、メキシコ人からの集金マシンとして機能している。盲目的に従わせるために、努力も要求しないし良く生きるための知恵もくれないばかりか、甘やかすことにより人々の向上の機会を奪う神であるというのです。
どちらが正しいかは検証のしようがありませんが、現在のグアダルーペは支配層にも被支配層にもどちらにも都合がよい寺院であるようです。
もうひとつ、メキシコ人を考える上で不可解なのは二面性です。
支配層との対立が二面性を生んだのかもしれない、という仮説は比較的理解しやすいと思います。支配層に対しては、従順で上が望む態度を演じながら、内心沸き返る復讐心を自分に責任が生じない「仕返し」という形に向けて来たのでしょう。
頼まれたことを半分やる、他の人に頼んで相手を困らせるというのは教科書に乗っているほどメキシコの典型的な仕返しです。日常茶飯事です。
メキシコは二回の国家的大変革を経験しています。
一八一〇年のメキシコ独立。一九一〇年前後のメキシコ革命です。この二つの大変革はメキシコ人を自立させる働きがあったのでしょうか。
メキシコ独立。これはスペイン本国から利益を横取りされるクリオージョが利益の独占を狙って起こした戦いである側面が強い。メキシコ革命。これは、長引くディアス政権から利益を奪われた荘園領主が起こした戦いです。このふたつの大変革は支配層から支配層への権力の移動であり、フランス革命のように一般の人たちを目覚めさせる働きはなかったのだろうと思います。
その後大きな変革は起きていませんし、メキシコが支配層と被支配層から構成されているのは周知の事実なので、この二面性が脈々と受け継がれているのはいるのでしょう。
例をひとつ。メキシコの航空会社のサービスは最低です。オーバーブッキングも平気でやります。一度、二時間前にチェックインしてもオーバーブッキングで飛行機に乗れなかったことがありました。散々文句を言ったのですが、「搭乗口に早く来なかったお前が悪い」の一点張りでした。知り合いのメキシコ人にメキシコ人はこんなときに文句を言わないのか?と聞いたのですが、影では文句をわめき散らしているものの、航空会社には直接言わないと答えました。言っても無駄というか最初からあきらめてしまっているとのことです。航空会社=大会社=支配層には逆らわないというのが染み付いているように感じました。
最近、メキシコに長年(三十年以上)住んでいる人と、仕事のためラテンアメリカを何カ国も転勤したひとに話を聞くことができました。
メキシコに長年住んでいる人は、「長年住んでいても、メキシコ人の危機感のなさはまったく理解できない。自分たちは先進国と威張っているが、メキシコが世界に誇れる自国の技術、ビジネス、ブランド何もない。外国から入ってきた企業に頼っているだけなのに、それに問題意識が何もない」
また、ラテンアメリカを何カ国も知っている人は「ラテンアメリカ中で、メキシコだけは特別変な国だ。モラルもマナーもまったく低い。チリやコロンビアなどはもっとしっかりしている」ということで、メキシコに対する疑問は私だけでなくメキシコ人と深く接した人共通の謎のようです。
あるメキシコ人は自虐的にメキシコのことを次のように言っています。
神は、資源のない小さな島に勤勉な者たちを集めた、これが日本だ。
不毛の大地にヒーローを集めた、これがアメリカだ。
資源豊かな美しい土地にクズ人間を集めた、これがメキシコだ。
さて、前回分も含めて、改めて結論です。
なぜメキシコ人は精神的に未熟か?
文化のよりどころを持たない新しい人種→道徳の欠如、自分勝手な解釈、信じるものがない、家族のつながりが強い。
なぜメキシコ人は二面性が強いのか?
支配層からの迫害の歴史→二面性、仕返し、権威(組織)を恐れる反面信頼しない、直接的な対立を避ける、上下の関係は弱いが、横の人間関係は強い(ただし精神的に未成熟ゆえか表面的?)。
なぜメキシコ人は危機感がないのか?
地下資源が豊か、気候が温暖、食べ物が豊富、疫病になりにくい(豊かで快適)、仕事がアメリカから降ってくる→危機感を持つ必要がなかった(ある意味水と安全はただと言われた日本のような環境です)
なぜメキシコ人は考えずに行動するか?
ラテンの血を受け継いだ→考えずに行動、時間にルーズ
いかがでしょうか。もう少し踏み込めたでしょうか。
それではまた。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/11/9, Sun 09:06
Subject: Re: メキシコ Oct-200C
佳寿美さま、
ご返信ありがとうございます。
昨日から、腹痛と下痢のため家でうなっています。出張で食べた取引先の昼食が中ったかと思います。取引先が主張するコストアップを十分の一で出来ることを暴いたため、復讐に毒を盛られたのかも知れません(冗談です)。
メキシコ人に関する考察は今回で一応完結ですが、先日、部下が通う大学院にゲストとして参加してくれないかと言われ、新たな展開を期待しています。
ビジネススキルを学ぶコースのようなのですが、日本、中国、アメリカを始めビジネスの分野で活躍する国民の文化や習慣から成功の秘密を探る、というのがテーマのようです。その中で、日本人に対してまったく勘違いしていて、他の学生に何を言ってもわかってくれないので、それなら日本人を呼んで実際に話を聞こう、ということになったようです。
日本人をどう勘違いしているか興味がありますが(察しはつくのですが)、日本人とメキシコ人の違いに論議をすり替えなぜメキシコ人がそうなのか彼らに考察させるのが狙いです。
それにしても、ラテンアメリカを知れば知るほどスペイン人の罪の重さを痛感します。メキシコ人と話をしていてスペイン侵略に話が及ぶと、決まって目の奥に悲しみの色を見せ、節目がちに口ごもります。五百年たった今でも心の傷として癒えないでいるのでしょうか、私はその表情が見えた瞬間にいつも話題を変えざるを得ません。
日本の政治状況はこちらでもニュースで知っていますが、まったくPoorであるとしか言いようがありません。自己浄化作用が働く政治システムになっていないというのが問題の気がします。水は淀むと腐ってきます。淀まないよう、定期的に政権が代わるようになれば良いのでしょうか。
それから、我が家の電話番号が変わりました。
+52(Mexico)-55-XXXX-5868
現在は冬時間ですので、日本の時間を昼夜逆転して三を引くとメキシコ時間になります。日本でお酒を飲んでいい気分になった夜十時頃がメキシコの朝七時になります。
それでは。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200C/12/24, Wed 21:04
Subject: メキシコ近況 Dec 200C
斎藤先生、佳寿美様
日本は今、大変寒いと思いますが、お元気にお過ごしでしょうか。
赴任最後の長期休暇でフロリダ半島を訪れています。
今、フロリダ半島の西側ケープカナベラル(スペースシャトルの発射台)のビーチの近くのホテルでこのメールを書いています。昨日、キーウエストから車で七時間かけてここまで来ました。
今日から、近くの港からでるクルーズ(ディズニークルーズ)に出発です。
キーウエストとヘミングウェイマイアミから点々連なる島々を橋でつなぎ、終点のキーウエストまで続く国道一号線を車で走るというのが兼ねてからの憧れでした(島は全部で五十、橋は四十二ということですが、五十の島なら四十九の橋がありそうな気がします。実際は島と島を堤防のようなもので繋ぐ場所もあるので、この場合は橋とは数えないのでしょう)。映画やCMでも良く出てくる場所ということもあるのですが、作家ヘミングウェイが愛した島ということでも有名な島です。日本からはなかなか行くことが出来ない場所なので、どうにか赴任中に行きたいと思っていましたが、今回ようやく実現しました。
キーウエストを訪れた目的のひとつに、ヘミングウェイの家を訪ねるというのがありました。名作が生まれた場所を一目見てみたいと思ったのです。メキシコに赴任以来五回のカジキマグロ釣りに挑戦しました。まだ一回も釣り上げることは出来ていないのですが、なぜそこまでカジキにこだわるかというと、中学生の時に読んだ「老人と海」の影響が強いのだとキーウエストを訪れてあらためて感じました。深層心理に刻み込まれた老人とカジキマグロの死闘の場面が、今もなお無意識のうちにカジキ釣りへの挑戦に誘うのだと。
キーウエストではカジキ釣りはしませんでしたが、彼の足跡を訪ねることができたことは満足が行くものでした。売店で「老人と海」の英語原版「The old man and the sea」を求め、今読んでいます。短くかつ簡潔な文章を連ねることで力強さが生まれ、名文といわれる所以が英語版を読んで納得させられます。
明日からのクルーズでゆっくり読みたいと思います。
大学院での講義
十二月四日、かねてから部下のRaulに頼まれていた大学院での講義が実現しました。聴講者は教授と学生含めて十六人でした。学生と言っても全員社会人で、年齢は三十台前半から四十台前半、銀行や証券などさまざまな業種の関係者だそうです。このクラスはMBAの夜間コースらしいのですが、ある日、授業の中でメキシコの産業と将来について論議になったそうです。Raulが自分の勤めている日本企業の例を取って説明したところ、信じてもらえなかったり、まったく間違った認識をしていたりといったことで論議が紛糾し、それなら実際に日本人を呼んで話を聞こうということになったそうです。
どんな話を期待しているのか事前にRaulと話をしました。私から、テーマは「メキシコどこへ行く?」というのはどうかと提案すると、まさに大学院ではその論議をしている、Very Goodだということでした。さらに「刺激を与えたい、意識を変えたい」という意図も見え隠れしていたので、そうしたことも考慮して資料つくりに着手しました。
私のプレゼンテーション内容は、以下の三点でした。
メキシコの強さ、弱さ、脅威、チャンスの現状把握(俗に言うSWAT分析)から、メキシコの強みも弱みもアメリカに依存しすぎていること。
メキシコと同じ時期に工業化がスタートした韓国とを比較すると、メキシコは恵まれない韓国に大きく負けたが、これは、恵まれ過ぎた環境により戦略や努力が欠如していたため。
メキシコが成功するためには、国や企業レベルでは戦略が、個人レベルでは意識改革が必要。
プレゼンテーションのあと、質問攻めにあいました。
教授がひとつ、ちょっと怒ったような様子で質問しましたが、何を質問されたか覚えていません。少し悪口を言い過ぎたかと思いましたが、後からRaulが言うことには、貧富の差を説明するときにカルロス・スリム(世界第二位の金持ち、昨年は世界一位)を例に取ったが、教授はカルロス・スリムの一族と知り合いだそうで、懇意にしている人を悪い事例に出したのでムッとしたのだろうということ。
あまりに多くの質問が浴びせられたため、こちらから逆に質問することが出来なかったのですが、それだけ関心を持って聞いてくれたのはとてもうれしいことです。後からRaulに、本当のところの反響はどうだったのか、本音の感想を聞いてきてくれとお願いしたところ、次のようなコメントを得たとのことでした。
・目からうろこが取れた(メキシコ人でも日本と同じ表現があって面白いです)。目が覚めた。
・ショックだった。外部の人から我々がどう見えているのか分かった。
・最初悪いところを言われてムッとしたが、でもそのあとそれが真実と納得した。自己の改善に結び付けたい。
・教育の質問をしたところ、Appendixに就学率のデータがちゃんと用意されていたのには驚いた。このような質問を想定していたのか?
おおむね好意的に受け止めてくれ、また各人の自己啓発にもなったようで、私としてもやってよかったと思いました。ただ、MBAの夜間コースに来ている社会人と言えば、メキシコ社会のなかでは最も意識が高い人たちと思うのですが、それにしては自分たちの状況を知らなさすぎると思いました。また、なぜそうなってしまったのか、どのように改善したら良いのかなど、ディープな論議の応酬を期待していたのですが、メキシコ人の特性として先生への質問は時に尊敬していない態度とも捉えられるためか、それとも外国人に自分の恥を聞かれたくないのか、こちらからの一方的な説明に終始しました。
ということで、メキシコ人の深部に入り込むまでは行きませんでしたが、メキシコのビジネスマンがどう考えているか知ることができて大変有意義な講義になりました。
カブトムシ続報
話はまったく変わりますが、とうとうメキシコの巨大カブトムシをゲットしました。昨年も報告したメキシコ湾岸の熱帯のジャングルです。十月に再度そこに行き、聞き取り調査の結果、ある村の人から乾燥したゾウカブトの死骸をもらった話は以前書きました。
そのとき、「やっぱりいるんだ!」期待はにわかに高まりました。あいにく生きたものは捕まえられなかったので、村々を巡り、カブトムシを捕まえたら連絡くれと触れ回りました。連絡と言っても村には電話が一台しかなく、それを共同で使っているとのことで、何らかのモチベーションがなかったら電話してくれないという可能性は十分考えられます。「カブトムシ捕まえてくれたら買うよ」と言い、電話代と称して五十ペソ(約五百円)を渡してお願いしました。十一月十二日、お願いしていた人の一人からカブトムシを捕まえたとの連絡が入りました。「また、ゴキブリを捕まえてカブトムシだと言っているんじゃないの?」などと疑いながら話を聞くと、「前に持って行ったのと同じ形だ、二十匹くらいいる」とかなり具体的な説明。「わかった、十一月二十二日にそちらに行く。一匹三十ペソで買う」と答えました。一匹三十ペソというのは村人にとっては破格の値段であることは分かっていましたが、ここで値切ってモチベーションを下げると、せっかく捕まえたカブトムシが世話をされないで死んでしまうという恐怖感がありました。
十一月二十一日、同じアパートに住む親子もさそい、六時間かけて現地まで行き、ホテルに一泊しました。翌日、熱帯の雨が降る中、村に向かいました。車で村につくと、前回約束したおばさんが早速現れました。こちらに来いと促され、民家の中に入りました。民家と言っても小屋といった方が正しく、下は土間、中は薄暗いが張り合わせた板の隙間から漏れる光で最低限の家事は可能と思われました。中におばさんの夫と思われるおじさんがいて、手短に挨拶するとこれだと言って、木の枝葉が詰まった鳥かごのようなものを出してきました。そして、おじさんはかごに手を突っ込み、葉っぱのあいだからカブトムシを取り出しました。
待ちに待った瞬間ですが、子供たちは無言でカブトムシを受け取りました。喜びのあまり、ボーっとなってしまったというのが正直なところでしょう。ちなみに、カブトムシは十八匹いて五百四十ペソ(五千四百円)で買い取りました。味を占めた村人からは、「次いつ来る?」と催促されましたが、「また来年」と逃げました。心の中で、「ごめん、来年はもう来れないんだ」と呟きました。
写真を五枚添付します。
一.カブトムシをゲットし、小屋(民家)の前で記念写真
二.ホテルに帰り、改めてカブトムシを手に取りうっとり。
三.カブトムシの拡大写真
四.アカプルコに行って釣りをしました
五.大学院での講義風景
それでは、良いお年をお過ごしください。
茅波陽介
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From: 茅波 陽介 <ysk_kynm@XXXXX.co.jp>
To: 斎藤 春彦 <sosen@XXXXX.co.jp>
Date: 200D/3/26, Thu 22:59
Subject: メキシコ近況(最終号)
斎藤先生、佳寿美様
とうとうメキシコ赴任生活も、本日を残すのみとなりました。
明日、三月二十七日の便で日本に帰国します。当初の予定は三月二十四日だったのですが、事故で便が欠航となり、二十七日帰国に変更となりました。三日間のメキシコ滞在延長を贈り物と思って楽しんでいます。メキシコシティーの南方に位置するテポストランは、今までカブトムシ捕りのため準と一緒に何度も訪れました。実は世界遺産だということを知っていたのですが、観光で訪れたことは一度もありませんでした。この三日間で、テポストランの古い教会群を家族でゆっくりと散策しました。
公私ともあまりの忙しさに、長い文章を書いている余裕がありませんでした。ですが、最後にメキシコ赴任とは家族にとって何だったのかを簡単に振り返って最後のレポートにしたいと思います。
海外から見た日本
以前佳寿美さんから、海外から見た日本はどうですか?という宿題をもらったことがありました。回答したはずですが、どう答えたか忘れてしまいました。最後にもう一度振り返ってみたいと思います。今の率直な意見は息苦しく、滑稽な国ということです。息苦しいというのは、監視社会のようにお互いの行動をチェック・抑制されている気がします。それは意識には上ってきませんが、たとえば洋服や外出時間など常に近所の目が気になったり、会社での残業時間など知らず知らずの間に自らの行動や言動を抑制している気がします。それでいて、お互いに助け合いことなど希薄な気がします。滑稽な国というのは政治の状況です。これは説明するまでもないので省きます。
メキシコは滑稽な国ですが、息苦しくありません。メキシコの政治は日本以上にダークな部分や、利益誘導が横行しています。これは日本と同じです。ですが、メキシコでの生活は息苦しくありません。
メキシコ人は動物的に生きている
以前斎藤先生から、メキシコ人は動物的に生きている気がするとコメントを頂き、ハッと思いました。確かに、良くも悪くも動物的です。なぜそうなのかをずっと考えていたのですが、答えが見つからず返事ができないままとなってしまいました。今でもそれはよく分かりませんが、ひとつの理由は「自分に都合の良い(自分勝手な)解釈や判断が許される」、ということだと思います。メキシコの社会は日本人からすると、ぐちゃぐちゃに見えます。まったく無秩序に見えるのです。ですが、その中に何か暗黙のルール、ルールと言うよりはそのときそのときの状況と当事者相互の関係により感覚的に答えを選択するという共通の認識があるように思えます。ただそれは、その部分だけを切り取ると良好に見えるのですが、全体的に見ると大変な非効率だったりして、日本人に理解を不可能にしています。
メキシコに三年住むと、この無秩序の中のルールはだんだん心地よく思えてきて、ストレスのない、それこそ動物的な生活ができることに気がついています。
我々家族にもたらしたもの
メキシコに来る前は安全や教育面で不安がつのり、良子とも、“来る、来ない”でだいぶもめましたが、振り返ってみていちばんメキシコをエンジョイしたのは良子です。何より沢山の友達ができ、学生のように飲むという生活が復活しました。メキシコという厳しく狭い生活環境の中で、互いに助け合い、心を開き合った結果、本当に深いところで共感できる友達ができたということだと思います。
準は、小学校の一年~三年をメキシコで過ごしましたが、日本では経験できないことを沢山経験できたことと、将来世界に広がっていく友達を作れたことが良かったことです。メキシコのカブト虫を捕ったこととカジキマグロを釣ったことは良い経験となりました(実は、一月から三月の間は毎週末のように準とアカプルコに通い、カジキマグロ釣りに熱中しました。この三ヶ月でついに二本のカジキマグロを釣り上げました!)。また、日本人学校の友達は将来メキシコに住む人、今後とも世界のあちこちを渡り歩いていく人がいて、我々の子供時代には考えられない広がりです。準の財産となることでしょう。一方、誘拐等の危険のため子供だけで遊ばせるということが今までできなかったので、ギャングエイジがはじまったこともあり、日本に帰ったら子供だけで遊ばせる経験をさせてあげたいと思います。
私といえば、今までレポートしてきたようにメキシコ人、メキシコ文化と深く付き合うことができ、知ることができたこと、それを通じて人の心の奥深さを感じたことが心に残りました。歴史の話をするときのメキシコ人の戸惑いと悲しげな表情が、今でも脳裏に焼きついて離れません。また、カブト虫とカジキは赴任時の準との約束でしたので、それが果たせてよかったです。
家族三人とも日本には帰りたくないと言っています。確かに不便さや苦労はありましたが、メキシコ生活は家族にとって本当に公私とも充実した三年となりました。
メキシコの独立記念日に、大統領が大統領府のテラスから国民に向かって投げかける言葉をもってメキシコ赴任を締め括りたいと思います。
ビバ・メヒコ!、ビバ・メヒコ!!、ビバ・メヒコ!!!
それでは、日本でお会いできる日を楽しみにしています。
茅波陽介