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革命

業界に革命を起こしたい

革命児になりたい

世の中に革命を起こしたい

なんていう言葉を聞いたことがないという人はあまりいないのではないかなと思う。しかしながら、革命を起こした、革命児、なんて言葉は他者からの評価であって自分で使うことではないとつくづく思う。

まあここまで書いてみて自分が、革命を起こしたい、と言っている人に対して僻んでいるように見えてきたのでこれ以上はやめておこう。

革命、大小はあれど自分の中で他者に対して革命と呼べる事項がなかった人などいないだろう。例えば幼き日のブロック遊びで、あのブロックはあんな積み方ができるのかという衝撃や、小学生や中学生の頃に理路整然と先生に反抗している人を見た時の、驚きと憧れに似た衝撃など、とにかく何かしら自分の中で革命と呼べる事項があったはずである。もちろん私にもそのような経験は何度もあり、その度にその人に対して尊敬の眼差しを向けてきた。

今回、こういった革命を起こす人達に対して自分の中で1つの考えを見つけたので話す。

様々な場面で革命を感じるようなことはあったが、例えばいわゆる「社会の規範」(ここでは社会における暗黙の了解的なもの)を否定するような革命の時、例としては、義務教育を受けないことを声高に発信する、など、私自身としては中学くらいまでは行った方がいいんじゃないかとは思うが(何の根拠もない)、そういった革命の時、その選択をした人のうちの多くが、しばらくせずに「規範」にのまれているように私には思える。

それはなぜか

理由は簡単で、社会の規範が社会というもののため、つまり今回であれば人の集団におけるルールやできるかぎり持っていて欲しいツールの集合体であり、それが経験も含めたモノの上で成り立っているからである。
それは漢方の、古来より何百万人何千万人、果ては何億万人と、お腹が痛い時には、その木の根っこや葉っぱを煎じて飲んだらなんか効く、という経験による薬作りと同じように、何人もの頭のいい人が知恵を絞って考え、その後の幾度もの実際行ってみたのちのブラッシュアップ、という経過を踏んでいるのである。

ここからもわかるように、いわゆる「規範」というものは、たくさんの人がおそらく正しいとして選んでいるので多くは正しく、また、悪い道ではないのである。そのため、一旦、革命のために否定的に外れたとしても、外れた後に、自分が外れたかった類の規範ではない、別の規範は自分に合っていることを知り、戻ろうとするが、規範というものは、自身を否定した者に対して厳しく、元の同じ枠組みには入れようとしない。しかし、本人は規範に帰属することを希望し、規範はその立場が上になってしまう。そのため、規範にのまれてしまっているように見えるのだ。

ただ、100人、人間がいれば100通りの人生があるし、100人全員にこの規範毎度同じように適用できるわけではないというのは至極当然なことだ。だから必ずしもみんな全ての規範に沿って生きているわけではなく、ちょいちょいそれたり戻ったりしながら生きているのである。あくまで、「ある状況の時、多くの人はこうした方が望ましい」というものなので、ある時は無理なく規範内に入れていても、別の時は規範内にいることがつらくて仕方ないということも大いにあるのである。

誰しもがこの規範の中を行ったり来たりしてはいるのである。

さて、話が少し散らかってしまったが、では逆に、「社会の規範」を否定するような革命が成功する場合とはどんな時か考えてみる。

それは社会の規範が実際は社会の規範となっていない時である。つまりどういうことかというと、多くの人がそれを良いとは感じていないままその風潮が広がってしまっている、または、その規範に対し反論したときに多くの人が反論に賛同する、ということである。それは歴史における上下の身分をつける制度であったり、皮膚色による差別であったり、そういったものは社会の規範としては成り立っていないため淘汰されてきた(減っただけで全く無くなってないが)。

こういった場合には否定するような革命が成立しうるのである。

では「社会の規範」を否定しないような革命はどうか。そのような革命は、いわゆる経済や工業、学問的な革命である。これは規範の否定が無い分、社会への帰属も可能であると考える。今の日本で革命と呼ばれるようなことの多くはこちらであると思われる。こちらの革命に関しては、その革命を起こす人の思慮深さにただただ依存すると私は考える。

しかしながら、現在の日本ではこの後者の革命は、前者の革命のように扱われてしまうことが多いと感じる。研究に対する費用の差や、研究のみでご飯は食べられないことなど、多くの問題を抱えている。これは私は問題であると考える。

もしこれを私が否定しようと思ったら前者の革命になると思うが、これが社会の規範ではないと受け入れてもらえるかはわからない。

長々と書いてしまったが、最初は革命を起こす人達について書こうとしていたのに、最終的には日本の研究環境は良くないという結論になってしまった。最悪である。最初書こうとしていたのは、

ホリエモンや前澤社長など革命を起こす人々は、少し引いて見られがちだが、そんな中、あれだけ成功しているのは、

・革命を起こし続けようとしている
・社会の規範をよく理解している
・自分自身をよく理解している

という二つの点があるからであると考える。1点目は読んで字の如くで、革命を起こすための努力を怠らないことである。2点目と3点目は混ざり合っているのだが、社会の規範をよく理解している分、自分と齟齬を生みそうな部分に対してうまく別の方法や考え方を採用して生活をしており、それは自分を理解していないとできないことなのである。。。

みたいな話を書こうと思っていたのだが、文章って難しいものである。

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