音が聞こえなくなってきた
かん、かん、かんと
バチの音がして、
あ、涙のふるさとだ、と瞬間的にわかった。
私が中学生になった頃の曲。
中1だった自分が聴いてた曲ということとか、BUMPを完全に好きになつたのが、
中学受験を終えて中学生になったこのあたりだったとか、歌詞もあいまって、エモいとは、このことかとわかるのが、涙のふるさとだった。
中高生当時は、帰りの電車、それもお友達とバイバイした後の数駅分くらいしか音楽を聴いていなかった。中学入学以降から毎日何かしら小テストがあったし。
全く進学校とはかけ離れた環境で、キリスト教大事な学校だったわりに宿題も結構出ていたし、朝は8時からHRだから6時には起きてに家を出て6:30に出るし、部活のある日は帰ってきたら早くて19時前、遅いと20:30とかで、毎日必ず宿題のある英語、数学、国語、それから毎日小テストのある英語と、火曜日と木曜日金曜日にテストがあった漢字と英単語、そのほかに授業中にテストがあった英語。
高2、高3になって選択授業になっても、
そもそも高2までは全員週5日で6時限あって、
2〜3限の間に礼拝があったから中休みなどなく、昼休みの45分間以外休んだことない6年間だったけれど、高3になって選択授業になっても、塾に行かない分学校の選択授業をとっていてから水曜が5時限目までで、あとの月・火・木・金曜日は6時限目まであった。
そういうふうにして、確かに中高生の時には中高生らしい忙しさがあったのに、喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうやつか、もうすっかり忘れてしまっている。大学生の時どれほど大変な日常だったのか、塾講の時どれほど多忙だったのか、院生の時どれほど大変だったかとか。
全部、もう忘れてしまっているくらい過去になっている。そして、それは良いことなのだと思うようになった。
いつまでも、その大変だった時が心に、頭にあるということは、今をちゃんと生きられていないということなんだと思う。それは、仕方ないことであったとしても。24歳から28歳まで、ずっと体調と心の調子が良くなくて、それを作り出したあの2015〜2017の苦しみと憎しみがどこかにずっとあった。
ひとつ、いえば、私は一生あの人たちを
許すことなんてないし、私の知らないところで
めちゃくちゃに苦しんで、この世のすべての、抱える必要のない人が苦しんでいる苦しみは彼らにすべて降り掛かってほしいと思うくらいに恨んでいる。なんなら、死んでくれて構わないとまで思っている。あの人たちと同じ地球の空気を吸っていると思うだけで反吐が出る。
最初の元彼だった方は観覧車ですべて流してきた。だからもうあまり何も思っていなくて、私の知らないところで、かなり苦しんで幸せに生きていけば?と思うけれど、彼女たちにはそう思えない。
でも、だからと言って、彼女たちのことをいつも心に置いているかというとそうではない。そんなに暇でもないし。でも、まあまあ暇だからやはり恨んでしまう。
そしてわかっている。恨んでいる限り、同じ低次元にいるんだと。それももう2020年くらいにわかった。だから、恨んでしまう時というのは、持病の調子が悪い時。
高校生の時、高校生としての生活を目一杯に楽しんだ。不器用で、理解や生きていくペースが遅い何にもできない私なりに結構頑張った。だから、高校時代に戻りたいなんて思わない。
大学生の時、大学1年の半年間は祖父母の介護で母が往復していたし、秋に祖父母ともに亡くしたし、アルバイトは店長に不服がありすぎたり、祖父母が続けて亡くなってお休みをいただいたりしたら辞めてと言われたり、大変なこともたくさんあったし、2年次は、英米上級クラスの英語クラスに振り分けられたのに、塾講に勤しみすぎて大学生としての生活は塾講師の記憶しかないし、大学3年は就活一色って感じだったし、大学4年の時は、就活→卒論→院試で終わったという印象。
そうやって、出来の悪い私は、普通に生きていたら、周りの"社会のペース"についていけないから、"普通に生活する"ために、いつも走っていた。休んだらいつもついていけなくなるから、走っていた。走っていてもついていけなかったけれど。ずっとそうだった。幼稚園児の時から。ずっと走っていた。
走り続けて、走り続けないと、周りと同じように同じペースで、同じように当たり前の生活を送れない。
だから、ずっと走ってきた。そして不器用すぎる私は、走っている間のthoughtlessに、自分と他人の境目をはっきりさせることを知らずに、自分のタスクと他人のやるべきことの線を引けずに生き続けて、結果、自分の人生の責任を果たさないまま20代後半になった。27歳になる頃、
「断れないということは、責任感がないということだ」と言われてから随分と楽になって断れるようになった。
涙のふるさとは、定期的に聴くと、
中高生の時に聴いていた頃とは全く異なる味わいがある。大人になった今になると、
"ふるさと"という言葉の背景に浮かぶ映像は、
中高生の時よりずっとずっと広がったし、
涙を流した回数は、当たり前だけど増えている。
私は、確かに変わっていると思える。
中高生の時から聴いてきたBUMP OF CHICKENのようなアーティストの歌は、
聴いて育ってきた分、その時々の、それぞれの曲と出会った頃の自分の人生を思い起こしてくれる。 "エモい"のなかには、こうした、これまでの自分の人生というコンテクストの中で、さまざまな経験や思い出を通して味わった気持ち、感情というものがあって、それが呼び起こされるから、エモいんだと思う。
人間は忘れっぽいもので、忘れっぽい私なんかはさらにあの頃の感情や気持ちは、時間が経てば忘れてしまうけれど、曲とか、ご飯とか、小説とか、そうしたものによって引っ張り出されてくる過去の自分の経験や感情の再体験は、日常では全く思い出さない"あの時"を思い出させてくれる。一方で、やはりそれは再体験なのであって、あの頃と同じように体験できるわけじゃないことも29年も生きていればわかってきた。
気づいたら消えてしまっている思い出や感情や感覚というものがある。若い時にしかわからないのだと思う。
先日、モスキート音がもう聞こえなくなっていることに気づいた。モスキート音というのは、17500Hzの高周波音で、これは加齢と共にこのくらいの高周波音を日常的に聞いてない限り聞こえなくなっていく。
人間というのは、賢いもので、使わない音は聞こえなくても良くして、使う音にもっと神経を集中させていく、使わない脳の分野は、退化させて必要な部分を成長させていく。
これは、神経科学的な話では、
"脳の可塑性(plastisty)"というのだけれど、
(修士生の時の研究分野範囲だった)
知らない間に、私の日常にないものは
見えないように、聞こえないように、
気づかないようになってしまっているんだと思う。
英語の勉強をあんなに頑張っていたのに、
18歳以降(英米文学科に入学したのに)英語を勉強しなくなって院卒して24歳以降全く英語に触れなくなったら、どんどん英語が聴こえなくなって、聴こえないから、自分でも発音できなくなってきた。若い頃はもっと発音よかったはずなのにと、時々思う。
英語は、勉強し続けないと、どんどん英語を使うための力がダメになる。
よく、英語学習を、筋トレと一緒にする人がいるけれど、これは似ている部分があると頷けるところとそうでない部分がある。
筋トレと同じなのは、動かさなければ、
そして継続的に続けなければ、弛緩して
使えなくなって弱くなって脆くなっていくという部分だ。それに、いきなり筋トレをガンガンやり始めたら無理して怪我してしまうのと同様、英語も基礎なく、いきなりガンガン複雑なことばかり勉強すればできるようになるわけじゃない。
でも、筋トレのように少しずつでもやったら身体が何歳からでも柔らかくなって必ず効果が出るというわけでもない部分もある。
研究が進んできたと思うけれど、
一般的に、英語をはじめるのには、
幼い方が良いという早期教育論は、
必ずしも正しいわけではない。
特に、リーディング力、ライティング力、スピーキング力などは、若ければ十二分かといえばそうではなくて、何年も勉強し、知識を十分蓄えて鍛えた人たちが、使いこなすことができところがある。ただ、リスニング能力だけは、一定程度の早期教育論が当てはまる。
これは、ひとつに、上記に書いたような
脳の仕組み、神経可塑性が関係していると思われる。
人間は、生まれてきた時には、すべての言語の音が聞こえる耳を持っているが、生きている環境のなかで、日常に自分が使う音をよく聴き取れるようになり、使わない言語音を聴き取るという無駄なことに力を使わず、使わないものはかりとり、必要な部分に神経が集中するようにできている。
バイリンガル家庭に育っていれば、
二言語以上を耳や脳が受け入れ発達していくのは、可塑性によって刈り取られないからであると考えられる。
私の場合、英語学習は、中学入学ではじめた。
英会話を習ったこともないし、英語教室に通ったこともない。中学入学でアルファベットの読み方から勉強したので、かなり一般的な英語学習者、むしろ最近の若い人たちや、小学生の時に英会話教室に通っていたなど話していた同級生たちと比較すると、スタートが遅かった。
そんな私は、英語を(英語以外もだが)勉強し続けなければ、すぐに筋肉が硬くなって、
柔軟や筋トレを続けなければ、身体はかたくなって、筋肉が落ちて何もしていなくても怪我をしやすくなったり、日常生活で動かせなくなるのと同じように、
英語を毎日少しずつ使わなければ衰えるばかり。既に衰えているのだ。老化の道を辿る一般的な人間の身体の筋肉に例えればらおそらく既に英語力は、85歳寿命のうちの60歳くらいまではきていると思う。
でも、もうあの頃には戻れないし、あの頃のことは、音楽や小説や日記みたいなものを読んで、あの頃を追体験しないと身体に思い出せない年齢になっているわけだから、多分、英語を今からちゃんと習得する時にも、
1番英語が得意だった(とは言え英語力低かったが)高1〜高2くらいの、もしくは大学3年くらいの英語力を取り戻すためには、
なんとか、日常的に英語を吸収する機会を得ながら怪我しないようにちゃんと準備運動して頭を少しずつ柔らかくしつつ、あの頃の英語学習をしていた時代の、自分を追体験するところから、はじめる必要があるんだろうなとよぎったけれど、
よく考えたら、私はこの29年の人生で、
まともに英語を勉強したのは、高1のときの、たった1年だったことを思い出した。
それでも、それを永遠言ってるは、
ダサすぎやしないかと思う。
そうなのだとしたら、今から勉強していくしかないわけだし。今から筋トレ始めるしかない。とはいえまだ頭も部屋も整理されていないのだけれど。
結局、2020年に筋トレを始めたのだって2021年1月末で辞めてしまってから一切やらなかったからすっかり身体は衰えてしまった。
29歳になる前から、30歳という年齢についてぼやんと思っていたけれど、29歳という旗を通り過ぎて、30歳にむけてほんとに歩み出したら、加齢していく私の脳と身体を思い知らされた。これから先も、若くなることはなくてどんどん聴こえない音が増えて、身体は硬くなって、頭も硬くなってしまう。
BE:FIRSTをシャッフルして何曲か聴いていたら、彼らの若さが、とてつもない力であることを思い知らされた。若いというだけでどれほどのものを持っているのか、29歳になってやっと気づき始めた。
今の中高生くらいの子たちが、私くらいの年齢になった時、エモい〜と聴くのはきっとBE:FIRSTの曲だったりするんだろう。
加齢は止まらないし、年齢も戻らないし、時間も戻らないし、身体も日々使って擦れていくうちに、加齢を重ねて錆びていく。子宮だって卵子だって、もう29年ものなんだって思うと、最近、29年ものって、お酒で例えても十二分に熟しているんだよなあと思わされて、今はまだ
成熟、かもしれないけれど、30年ものになってきて、35年ものになってくると今度は、熟しすぎていくんだと気づいた。
私は、子どもが欲しいし、別に子どもが欲しいからという理由ではないけれど結婚もしたい。そう思っていたけれど、きっと心のどこかに、頭のどこかに、
"いつかできるはず"と思いこんでいたんだろう。
新卒以降、仕事に就けていないことで、
恋愛をしてもうまくはいってないことで、
努力や何かをしなければ、できるわけがないとわかっていたはずで、それでも私は全くわかっていなかった。
いつかは、経済的に自立できるはず、
いつかは、愛し合える誰かとちゃんと出会って愛しあえるはず
いつかは、結婚したりして子どもを迎え入れて親になれるはず
いつかは、幸せな人生を送れるようになるはず
って。そう思ってやっと、
人生は、誰かに恨みを抱え続けられるほど長くないし、ずっと変わらなかったら、気づかないうちに老いているだけだってことがわかってしまった。
29歳なんて先のことだと、U-29の第二新卒の説明会に出た26〜27歳の頃は思っていた。でもあっという間にというほどあっという間ではないけれど、やるべきことをやらずに29歳になってしまった。
結局私は、自分が処理すべき残飯を処理できないまま後回しにしているだけなんだろう。自分の人生で堆積する残飯は、自分で処理しなければならないのに、後回しにしてきた。
後回しにしてきた分だけ、ただ体だけが加齢した。
成熟と加齢は違うんだと、ちゃんと思い始めた。
涙のふるさとは、頬を伝って落ちた涙の雫の行方を戻ってたどろうとする。
その言葉がくるくるとまわりはじめたころ、
Spotifyは、BUMP OF CHICKENの「アルエ」を流し始めた。やっぱり、青春の中にバンプがいたなと思ったと同時に、今私が聴いているバンプは、あの頃の私が聴いていたバンプとは違うんだと、あの頃聴いて感じていたあの感受性は、あの時のもので、あの頃聞こえていた音は聞こえなくなっていて、今は想起しても決して同じではないのだろうと知った。
脳も、身体も、心も、トレーニングしないと加齢して、弱って、ぐにゃんぐにゃんにやわになる。
時々年齢を聞かれて答えると
「20代かあ若いな」と言われる。
若いの指標をどこに置くかだけれど、
今の私は、若くないと思う。年齢に釣り合う成熟もなく、自立もないままだし、それなのに聴こえなくなる音が増えているから。
聴こえない音は、たぶん、この歳からでも鍛えれば少しは戻ると思う。
音が聴こえることも、生活力や自立も、
少しずつ準備運動しながら、鍛え続けていくことが必要なんだろう。
それでも、まだ、動き出せないような私だけれど、動かないとこのままだし、面倒見がいい親愛なる友人も、今はまだ家においてくれる親も、彼らの人生があって、私は彼らの人生のほんの一部なのであって彼らに甘えてはいけない。
お金が貯まったら自立しようなんて考えていたけれど、順番が逆だったようだ。自立することが最優先。お金はそのための手段でお金を貯めることを目的化したままではたぶん私はずっとこのままなんだろう。
英語の学習も。
手段と目的がごっちゃになって何もできなくなった。
いつもそう、手段と目的を取り違えてしまう。
29歳は、10ヶ月半らしい。
手段と目的を明確にしていくことを、
定めていこう。
ふるさとってのは、どこか別なところへ行ったことで生まれるものだから。
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