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感謝を込めて、花束を。

花屋の店先に並んだ、
いろんな花を見ていた。


探していたのはピンクの芍薬。


生花店で売っている花は時々見る。

だから、

ドルチェ・ヴィータとか
ヴェラ・ヴィータという薔薇があることも、
(ちなみにドルチェ・ヴィータは
生花店に売っている花の中でもかなり好き)
春先にはガーベラやラナンキュラス、スイートピー、サクラが売っていることも、


そのサクラにしても啓翁桜や八重桜、吉野桜
など名前があって

少し夏が近づくと芍薬やデルフィニウムが増えてきて、6月になれば紫陽花が売っていて

その、芍薬(ピオニー)にしても
鮮やかだけどほんのり薄いピンクの
コーラルチャームがあったり


ピオニーと少し似ているけれど
大きな花をもつダリアにも
赤や白、さまざまな色があることも知っている。


カーネーションもある。
カーネーションは母の日っぽいお花だけど、
秋冬にも置いてあって、青とか赤だけではなく
(自然に咲いている花とは違って)生花店らしく
人の手によって染められた
レインボーカーネーションもある。


 レインボーカーネーションには、
「感謝」という花言葉があるから
一昨年の両親の結婚記念日に贈った。


花より団子とはよく言ったもので、
我が母も花より団子派だし、私も甘いものは大好きなのだけれど、私は結構お花が好きだ。
団子より花、くらい好きかもしれない。


好きとは言っても、前述の通り詳しいわけではないし、お部屋も全然片付かないし、そんなに働けていないからお部屋に花瓶をおいて季節ごとに花をかえるなんて理想は、理想のままで一向に叶わない。

でも、花は好きで、両親へのイベントごとを口実に買ってくる。



 今日は母の誕生日だ。
 昨年は、還暦祝で結構奮発できたけれど、今年は昨年ほど働いていないし、母の日は何も買う余裕がなかったから、昨年ほどにはできないけれどお花を買って帰ろうと思った。


今日買った3種だけでも1500円だったわけだから今どきだいたいお花一輪、一種400〜500円くらいはする。そうなってくると、
目減りする資産、短期保有のものにお金をかけるというのは、お花を定期的に買うっていうのは、贅沢なことなんだなと思う。

3輪ずつ一回1500円くらいを
10日に1回で買ったら年間54000円、
1ヶ月に1回だけ買うとしても18000円。


これで気持ちが華やぐならとってもいい選択だと個人的には思うけれど、自分のために花を買うのは、非正規雇用で親の世話になってるような所得の私には辛い。


だから、本当は自分のために、家のためにお花がほしいけれど、イベントを口実に、母や父や誰かにあげるために買うことを密かに楽しみにしている。


まあ、父も母も、花より団子の人たちだから、
結局買って行ったところで…って部分もあるけれど、母は花より団子で本当にお花をなかなか買ってこないから、私は自分の楽しみのために買うの。それに、プレゼントしたら母は喜んでくれるし。




昔海外に住んでいた時は、大きな白いユリの花が大きな花瓶に入って、お花専用の机にちゃんとお家にいつも飾られていた。


母が特別花が好きというわけでないとしたらあれは、なんで飾っていたのかは知らないけれど、

その、昔海外で住んでいた家は、マンションだけど、マンションの共用施設を除いて私たちの家だけ(玄関を開けたいわゆる私的スペース)で350平米あったから、玄関を開けて見える一角に机を置いて大きな花を生けても、全然スペースとらなかったんだろうね。210cm級っていうのかな、の大きさのクリスマス用のツリーも年中、そのお花の隣に置いてあったけど、それでもキックボードで家の中走り回っても、ソファがあっても、平気なくらいリビングルームだけでも大きかったし、そのリビングルームと同じくらいダイニングルームも広かったし、そのほかにお部屋が4部屋あって、各部屋にお手洗いとお風呂がついていたから、家に4ベットルーム、4トイレ&バスルームで、本当広かった。

あの家が私の最初の記憶の家だし、小さい頃だったから350平米は今の私が見る以上に大きく見えたと思う。
 家の中でキックボードしても、エアホッケーおいても、三輪車みたいなの走らせても狭くないくらいだったのは結構な贅沢な暮らしだ。


 話がちょっとそれちゃった。まあ、そんな家だったから、玄関開けた正面のところにいつも大きな花瓶にお花が入ってたのが私の記憶に強く焼き付いている。ああいうふうに家にお花を置きたいのが理想。


でも、うちは、昔からモノが多くて、今だって客観的に見れば狭い家ではないと思うけど、海外暮らしの時の荷物ほとんどそのまま持って帰ってきてるし、両親は片付けがとんと苦手過ぎて全然片付けられない人たちだし、父も母もお花にはそんなに関心があるわけじゃないみたい。父も記念日の時にたまーにお花を買ってきたことがあったけれど、私の記憶にあるのは昨年の母の誕生日に
大きなコットンキャンディー(紫陽花)を抱えて帰ってきただけ。




私は、結構、お花が好きで本当は
自分の部屋には

季節のお花と
アロマキャンドルを
常に置きたいんだけれど、


なまじ紙類、本、化粧品とモノが
溢れに溢れて全然片付かないし、
紙類が多い時点でアロマキャンドルも諦めているし、モノが溢れる5.5畳間でお花を生けるだけのスペースは窓際しかないけれど、窓側がそんなにモノを置けるほど幅があるわけじゃないし、
季節ごとに花を手入れしていくだけの気力や余裕を持てないままこの歳になってしまって


花のある暮らしは夢のまた夢になっている。



お花は、贅沢だから、
人にあげるには買えるけど、
自分のためには買えないんだろうね。


そんなこともあって、母の日、とか
母の誕生日とか、父の日、とか結婚記念日、とか

その時々(まあそうはいっても父は花をそんなに喜びそうな気がしていないから主に母宛に)に生花店へいってお花を選んでブーケにしてもらって持って帰ってくるのを、私自身がかなり楽しみにしている。


生花店の花は、人の手が加えられているから、
散歩をしていて公園や道で見る花とは違う。

だいたいきれいに手入れされ、剪定され
見栄えの良いものだけが並ぶし、
花にはお花の名前とは別に商品名がついていて、
およそ道端で見ないような華美な花が並ぶ。



 2020年のコロナ禍の休業中、
公園を歩くうちに、ツツジやチューリップやノースポールやマーガレット、ネモフィラ、ヒメジオン、ガクアジサイなんかみて、

 結構お家の周りにもいろんな花が咲いているんだなと思ったけれど、自然に咲く花には、


 ドルチェ・ヴィータはいないし
 紫陽花の中でもコットンキャンディはないし、
 レインボーカーネーションなんて絶対にない。


 自然の花には自然の花のいいところがあって、
歩いている時、さまざまな季節ごとの花を見つけるのも楽しいけれど、時々お花屋さんに入って売られているお花を見るのも楽しい。


 桜だって、ヤマザクラとか八重桜とかソメイヨシノくらいなら自然の中で見られるけれど、啓翁桜を街中で見ることはない。ないし、仮にあったとしても、おお、これは啓翁桜だ!とわかるほどに私は詳しくない。


 だからだろうか、それだから、
家族の記念日に託けて、生花店で花を選ぶ時、
お花を買う時、贅沢な気持ちになるし、とても嬉しい。


 プレゼントにお花をもらったらとっても嬉しいなと思うけれど、もらえることはほとんどないのが残念だ。


 唯一、記憶があるのは、大学院の修了の時に6年間お世話になった入試センターでピンクのチューリップをいただいたことだけ。


あれはとっても嬉しかった。



お花は結構高価なものも多いから、買うのはちょっと贅沢だ。今日も一輪平均447円しているし。



 それでも、日々の生活に、家の中に
花が生けてあってほしいと思う。




 普段、バタバタとした日常を過ごしていて、
誰かにお花を買ってきても自分に買うことはないし、誰かに買ってきた花を整えることはあっても、毎日水を必ずかえて、少しずつ手入れしてなんてこともしない。私みたいな大雑把で面倒くさがり屋にはお花のある生活はあんまり向かないだろう。

 毎日働いていない、実家暮らしで、おまけに体力の問題もあるけれどそれにしたって全然家のこともできていないほど何もしない私が、お花を丁寧に育てる暮らしをしようなんて、結構心を入れ替えないと、習慣をかえないとできっこない。

 こまめに水をかえたり、丁寧にお世話して、愛でる余裕が必要だ。

だから、自分の生活のために花が欲しいなと思うことがあっても買うに至らないのだろう。お金を出しただけの手入れをできる気がまるでしない。


自分のためには買えないけれど、人のためなら買える。化粧品や香水など、自分の好きなモノを自分のために買うことはよくあるけれど、自分のために花を買わない私を振り返って、自分のために大切に買うというのは、人のために買うより難しいことなんだと気付かされる。


人のために買うほうが気楽だ。
渡す時の気持ちが大切で、渡すまでの
考えている時、選んでいる時、買う時の気持ちが大切で、渡して仕舞えば相手のものになるから。



 その時欲しくて自分のために買ったのに、前に使っているものが全然使い切らないがために未開封のままのYSLの基礎化粧品一式や
MON PARIS、DIORの化粧品や、母が25歳か26歳の誕生日に買ってくれたまだ全然なくならないマキアージュのアイシャドウなんかを思い浮かべる。ほとんど未開封のまま部屋に置きっぱなしになってしまっている。アイシャドウは、そろそろ開けて使わないと化粧品期限がきてしまうなと思う。思うけれど、デパコスは普段使いにはもったいないと思っていた25歳当時の自分が買ったドラコスのアイシャドウとか、自分の想定より全然なくならないんだもの。だから次が開けられない。



 自分のために買う化粧品や香水は、気に入ったものを特別に感じられて気分がいいけれど、人に買うお花はかなり気分がいい。誰かへのプレゼントなのにひどく自己満足的な気持ちになる。


 花言葉を考えて、その時々のシチュエーションに合う花を考えて、季節によって置いてある花のなかから、相手に渡す時のことを考えて、相手の喜びそうなことを考えて選んでブーケにした時の色合い、花瓶にいけた時の色合い、それを置く場所の照明が当たった時の色合いなんかを考えて、これもいいけど、この花とこの花の組み合わせや花束はちょっと好みじゃないんだよなあ、この花入れたいけど、花言葉としてあんまり今回渡すシチュエーションに合わないんだよなあ、なんてことを考えて、ああでもないこうでもないと悩む時間もかなり楽しい。


 化粧品なども服も即決であることが多い私にしては、こんなに悩むのは花を買う時くらいかもしれない。


 昨年の母の誕生日は、「感謝」の花言葉のある白いダリアと、davinesのヘアケア商品一式を贈った。   




 父の日は、サンリッチフレッシュオレンジと東北八重の2種のひまわりと、アズールブルーというデルフィニウムをブーケにした。
(サンリッチフレッシュオレンジの花言葉は「未来を見つめて」、東北八重は「活気がある」、アズールブルーは「幸福」)



 今年もプレゼントを口実にお花を買える日が来た。

 本当は、少し前から、Aoyama Flower Marketに置いてあった涙みたいな形の花瓶か、オクタゴンベースがほしくて、お花とそれを買う予定だったんだけれど、こういう花瓶は、小さめのお花の一輪挿し用だから、今日プレゼントしたい花束と買っても今日のお花を入れられないとわかってやめてしまった。




 今年の母の誕生日は、ピンクのピオニー(芍薬)「コーラルチャーム」(ピンクにはとても見えない)と、黄色いカーネーション「エルメス」。それから、白いデルフィニウム「ピクシーホワイト」を買った。




 誰かのために買うお花だからちょっと高くても買ってしまえるわけで、誰かのために買うお花だからじっくり選ぶ時間をつくろうと思える。自分のためではないお花でも、家族に買うとそのお花のおかげでしばらく家にお花がある。お花のある毎日は、しかも自分が選んだお花のある日々は、かなり心地いい。



 母とは今までに色々あったし、今も分かり合えるわけではないけれど、大人になっていくにつれて、母の経験してきた中でしか思考できないその考え方:私や父や弟からしたら、え、、と引いてしまうような考え方ばかりに辟易しながらも
その母だってこれまでそれなりに頑張って生きてきたんだよなあと思うし、


 だから今までも、父や弟が
「お前は専業主婦で世の中知らないから」と母に言うたびに、心が痛くなった。

確かに母は、信じられないくらい意味わからん考え方する時多いけど、やっぱり働いていた30年前35年前の思考のままのこと多いけれど、でも専業主婦だから、というのを彼女との口論に持ち出してはいけないと私は思ってきたわけだし、

 そうは思っても私もどうしても我慢ならないようなこともあるし、私には母の考え方も価値観も、母の友人たちの思考や価値観も全然理解できないし、私とはまるで違うけれど、


 でも、それでも、母の存在はそんなに好きではないけれど、好きか好きじゃないかとは別に、感謝はしているし、好きではないけれど母には母の人生を幸せに送って欲しい気持ちもあるから、


 母の日や誕生日くらいは母が
「妻」や「母」としての役割だけではなくて
彼女自身の日常や人生を楽しく過ごして欲しいと思うようになってきた。



 20代後半になって、ぶつかることは多少あっても少しずつ彼女のことを肯定できるようになってきた。


 自立するのが、今の私ができる最高の親孝行だっていうのはよくわかっているけれど、それが今はまだできないから、せめて、母にとって大切な、特別な「誕生日」という日くらい、幸せな、嬉しい気持ちで過ごして欲しいと願う。そう思って今年もお花を渡すことにした。


 母にお花をプレゼントすることで、
普段、なかなか買おうという余裕を持てない私もお花を買える口実を得られて、それだけでひとまず嬉しいから。



 両親が還暦になるまでに経済的に自立する、

 そう決めたのは25歳の時だった。あれから3年経ってしまって、母は、もう還暦をこえたのに私は今も親の庇護下になければ生きていけない情けない暮らしをしている。


 あと数年のうちにいつかちゃんと自立できることを目標にすることが、今の私ができる最大の親孝行として、

 今日くらい、最小限だけれども、母の日常に、花を生ける心の余裕を、渡そう。


お友達とご飯に行っていて珍しく
夜中に帰ってきた母に、花束を渡して
早速いつもの場所に飾られた。


本当は花瓶がもっといいのがあったらよかったんだけど…と母がいう。


私もこの花を綺麗に生ける花瓶を買いたかったけれどこの花を生けられる気に入ったものがなかったんだ。



 人にプレゼントして私も気分が上がるから、
今後も定期的にお花のプレゼントしたいな。


 今年は、母の日に何も買えなかったから、
いつもより少し奮発して花束にしてもらった。


 渡す相手の母も、私と母と共に住んでいる父も、少し心が明るくなるといいな。


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