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大人になった友人たちと大人になれない私


 大人にならなくちゃいけないんだ、


 そう、つくづく思えたのが27歳。



 成人という意味の大人になったのは7年以上前の20歳。あれから7年以上経って、それなのに私はまだ大人になっていない。


 大学院修士課程を正規年限までいったから学生を終えたのは24歳。
25歳になる年だった。


 2つ下の弟は一年留年して
私が既卒2年目を終える時に大学を卒業した。兄はとっくに自立して家を出ている。やっと子育ても何もかも終えられるときっと両親は思っていたはずだ。


 一留した弟も、大手企業で働いてすぐに実家を出て自立した。


 本当に、私だけになった。


 自立は、大人になるために、
最重要であり、要であり、必需だ。


 周りの友人たちはだいたいの人が
同じ22歳で大学を卒業し、就職をして、1〜2年後には一人暮らしをして、24〜25歳くらいから結婚する人が増え、27歳の今、出産ラッシュもひと段落してきた。



 そして、第三次結婚ラッシュ。


 26歳のとき付き合った彼とは、
出逢ってすぐだったけれど、
付き合い始めて1ヶ月ほどで、
なんとなく彼と結婚すると思っていた。別に彼とそういう話をしたこともないし、まあ、実家を出たい私の需要と別荘地で暮らす彼の供給、恋愛初期における男性のあるあるパターン?でもし仮にこのまま長く付き合ったら彼と一緒に住むかもしれないと思ったし、彼もそう言ったし、都会での就職先と、就職後の競争に疲れ切り、またのんびりした生活をしたいと思っていた私には、彼の暮らす別荘地は山の中とはいえかなり魅力的だし、実家を出る収入を得られない、実家を出られないことで親と距離がとれない、などに悩んでいた私は、本気で彼といつか一緒に暮らすことを考えて、彼の住まいの近くの就職先も見ていた。


 けれど彼とはたった3ヶ月でダメになった。


 25歳から26歳になる時だった私は、
27歳から28歳へ向かう歳になって、
つまり2年経って未だ非正規労働、実家暮らしから抜けていない。実家暮らしだって色々ある。きちんと家事をしている人もいるし、収入を得ている人もいるし。でも私はどちらでもない。


 そして、新卒で仕事を辞めてきたあと父に言われたことを思い出す。


 外で仕事をしなくても育児家事も立派に仕事だ。昔は女性は家にいることが多かったから嫁修行のようなこともそれもきちんとした仕事だった。家にいるならそういうこともするべきだ 


 そういう話だった。さてあの話をされてから3年。私は結局その仕事もしていない。月々の食費を両親に納めることも、医療費を自分で出すことすらできていない。これでは子どもと同じだ。


 私は全く自立していない。これなら一人暮らしする高校生大学生の子達の方がよほどまともでしっかりしている。


 今、「コタローは一人暮らし」というドラマがやっているが、5歳で一人暮らしをしているコタローの方がよほど立派ではないか。


 出産ラッシュがきて、次々に親になってゆく同級生たちを、友人を見るたびに、「親になってる、すごいなあ」と思う。結婚する友人や同級生を見るたびに、彼らの自立した考え方が滲み出ていて、すごいなぁと思う。


 2歳年下の弟も昨年、家を出た。



大人になるということは、
責任を持つということなのだ

 そんなことは、二十歳の時から
頭にあったはずだった。


 二十歳になるときに、
「いよいよ、もう言い訳が効かないぞ、もう大人だぞ」と勢いこんだのに、あれから7年経っても私は変わった気がしない。今も親の世話になってしまっていて、気づけば周りの友人たちは立派に仕事をして、稼いで、自立して、自立した相手と新しい人生を歩み、守るべき子どもをもって人の親になっている。


 みんな同じように子どもで、誰かの子どもだったはずなのに、次々に誰かの親になっている。


 それをしっかりと認識しはじめたのが27歳だった。親愛なる友人にお子さんができたと知ったのは27歳になる年だった。自粛期間が終わってからあった彼は会うたび、だんだんと人の親になっていた。


 この間はあった時も仕事をしていて仕事も上の役職になって大変そうだったが、
「17時には保育園にお迎えに行かなきゃいけないから」と言っていた。


 ぁあ、親になったんだなあと思った。それと同時に、わたしは自分の生計すら立てられていないのにこの人は、働き、自立し、奥様と家庭をつくり、家を持ち、子どもを作り、子供を育て、人のためにお金を、時間を、人生を生きているんだと思うと、自分がとてつもなく幼く見えた。


 しょっちゅう会うのが彼だけだから、私が疎いだけで、みんな会わない間にどんどん大人になり、自立し、他人の人生に責任を持つほどになっている。


 私なんか、自分の人生の責任すら取れていないのに。。


 自由と責任は表裏一体というが、そもそも、私の人生に起こることはすべて私の責任なのだという認識が最近やっと芽生え始めた。そして、その責任を持つためには覚悟が必要なのだと2020〜2021の間に学び始めた。


 責任の持てない人間は、
運や周りの環境や周りの人のせいにする。


 そもそも仮に周りが悪かったとしても、周りが原因だったとしても、自分の人生に起こったことは、例えどんな理由があれ、自分が受容し、責任を持っているのだと思うと自ずと私は変わっていった。まだまだ、変わり始めたばかりだけれど。


大人にならなくてはならない


そのために、


 責任能力が必要だ



 そして、それをきちんと負えるようになるためには、周りに飲み込まれやすい私は、責任能力のある人を周りにおかなばならないのだとやっとわかってきた。


 結婚するかもと密かに思っていた彼とは、はじめからずれていた。そして、自立できていないことが近年の私の人付き合いの上での大きな重荷になっていた。いや、正確にいえば、経済的自立ができていないことがこの環境をかえられていない、抜け出せない全ての要因であることは25〜26歳からわかっていた。それでも就労に至れずかといって身体に無理させることもできず、雇われず何も環境を変えられずにいた私は、多分そのタイミングで付き合い始めた夜神くんの存在を、自分の自立のためのリードだと思った。




 だからこんなにも引きずっているのかもしれない。結局それは、夜神くんの生活圏に依存していたのかもしれない。


 けれど現実はうまくいかなかった。

 夜神くんと別れてからずっと、、親愛なる友人がそばにいてくれていた。
けれど、彼も親になった。彼も自分の人生があって私はただの同級生兼後輩のようなものなのだ。
 夜神くんの存在を親愛なる友人に置き換えて、依存先を変えていただけなのかもしれない私は、それを、受け入れて、自分だけの力で立てるようにならなくてはいけないということをやっと少しだけ身体で覚えた。


 しかし私にはわからない。


 周りの友人がなんの疑問もなく高校に進み、大学に進み、就職していく中で、私は毎度環境の変化についていけなかった。どうしてみんなスムーズに働くへ移行できるのかまるでわからなかった。


 もちろん、大学院は研究したいこと、もっと勉強したいことがあったから進んだのだが、周りの同級生がスムーズに就職へ向かう中で、働いたことのない私はどうやって働くという環境へ行くのか想像できずに、これまでの学部と遠くない「大学院生」という道を選ぶのには恐怖がなかったのだと思う。



 そして大学院を修了して、いざ新卒になったら怖くてたまらなくて、同時に疲れてしまっていたという事実はあれど、もともとゆっくり休みたかったという事実はあれど、私は逃げ出した。正社員という道から、働くという現実から、教員という責任から逃げ出した。逃げ出した分のマイナスはもちろんある。

 私は自分で自由に使えるお金がほぼない。アルバイト代だけだし、家は両親のもので、家の中には両親がいて自由ではない。


 けれどそれは、私がこの歳になっても自立せずにいる分引き受けなければならないことから考えたら瑣末だ。本来、もう少し家のことをしたっていい。わかっている。けれどいつも、目の前のことしか考えられなくて、目の前のことで精一杯になって、目の前のことだけしか見えなくなって目の前なことすらわからなくなる。


 世のなかのスピードについていけないし、周りの子が疑問も持たずにいられることができないし、みんなが躓かずに移行できることがわたしにはできない。小さい頃からそうだった。ずっとそうだった。


 周りより成長が遅い。その認識は昔からあるけれど、そんなのは言い訳にはならない。周りより成長が遅い事実を受け入れつつ、大人にならなくてはいけないんだと思う。


 だいたい周りより7年くらい遅い。
だから多分、今の私はやっと周りの人が20〜21歳でわかることがわかり始めたくらい。


 小さい頃からいつだって、止まらずに進むしかない年齢のスピードに、成長が追いつけなかった。



 身体の成長も遅かった。身長と体重は立派に成長したけれど、第二次性徴がきちんと始まったのは25〜26歳だった。だいたい周りの人より7〜10年遅い。


 身体の成長も環境も、自分で変えられないことはたくさんあるけれど、
でも、自分の捉え方や考え方は自分で変えられる。人に何かを言われてただ傷つくような私ではいけない。


 そうじゃないと、私しか私を守れる人はいないんだから。私しか私の人生の事考えてはくれないんだから。


 親だって友達だってみんな自分の人生で精一杯。そのなかで親になれば責任は生まれる。けれど、それは自分の人生の中で親になったというステージに対する責任であって子どもの人生の責任を取るわけじゃない。


  そういうことがやっとわかってきた。
ましてや10代ではなく赤ん坊でもなく27歳。自立して、他者とともに人生を歩み、人をつくり、人を育てる側になる歳。


 二十歳の時に、
大人にならなくてはと意気込んでから
7年以上の月日が経って、周りの友人たちは一緒に生きていく人を見つけ、大切な自分とその一緒に生きていく他人が物理的に本当に繋がる子どもをもったりしている。
 自分の産んだ子どもでなくても、いや子どもがいなくても、大人になっている。昔、同じクラスでガハガハ、キャッキャと笑っていた同級生たちが次々に仕事をして自立して誰かとともに人生を歩み、誰かの人生を作り出す側になっている。


 それなのに、私はいまだに、
誰かの子ども(親の子供)という存在に甘んじていて、何も環境を変えられていないのだと。



 大人になるということは責任能力を持つという事なのだ、責任能力は努力しなければ身につかないのだ、


 そんなことにやっと気づいた27歳。
これまで怠っていた努力をしなければいつまでも身につかないのだとやっと頭でわかってきたのにまだ行動にうつせないでいる。それは、結局、意志が弱いというより、自分の人生に責任を取る覚悟が足りていないだけなのだと。


何かあった時に自分の責任を持つという意識が希薄なのだと、遅すぎるがわかってきた。それでも踏み出せないのは何故だろう。。


 失敗する自分を認められないからだ。人に失敗する自分を見せられないからだ。否、失敗した責任を取る意識がないのかもしれない。責任を取ることを当たり前に認識しなければ、失敗を自分のものとして受け入れ、責任を取れない。失敗の責任を引き受けなければ、自立はない。


 私は、失敗する責任を持つという考えが希薄なのだ。というより失敗を人に見せられないのは、失敗する自分を他人に知られたくないプライドは、自分が失敗した時の責任を持つ能力の希薄さに由来していたのかもしれない。責任を持って失敗する、
 成功も失敗も責任として自分に持つ、そういう考えを今からでも植え付けなければ、30になっても40になっても80になっても私はきっとこのままだとやっと体感でわかってきた。


 人は、勝手に大人になっていくのではない。二十歳になったら自動的に大人になるわけでも、就職したら大人になるわけでもない。

 むしろ、すべてのことに、責任を持つ能力を身につけた人がだんだんと大人になったのであり、みんなそうしてだんどんと就職して働くことができ、自立ができ、親になれるのだとやっとわかってきた。



 親愛なる友人に昔こう言われた。


「東京は競争が激しい。
みんなこっちに出てきたくて
頑張ってる。
ここで生き残りたいならそれ相応の努力が必要だし、東京に未練がないなら自分が生きていけるペースの地を見つけていくしかない。ただそこは、東京ほどの利便性もなければ親もいないし、田舎には田舎の大変さがある。今まで大都会の裕福な家計に、自分の力でなく生きてきたのが親の与えてくれた環境だから気付いてないだけだよ。ずっとそうではいられない。そういう責任をどっちかとらなきゃいけない」


 それを言われた時、ずしんときていたと思っていたが、理解の遅い私はあれから1年半経ってやっと彼の言っていたことを少し認識するようになってきた。

 確かに何一つ不自由なく、
渋谷も新宿も池袋もすぐに行けて、
いや大井町も東京駅も大手町もどこもかしこもすぐいけて、最新のものはすぐ手に入る状態で、家にいたらご飯も出てくるし光熱費も払えてないし、何も親にできないどころか医療費も払ってもらっている。その病院だって、行こうと思えばすぐ行ける。
 私は、なかなかにこの環境しか知らないから、Wi-Fiのない、コンビニも歩いていけない元彼の家での5日間もちょっと不便だと思っていた。そうだった、、埼玉すら遠いと思っている。それは私が生きてきた環境だった。でも、それらは私が手に入れたものではない。


 都会の生きていくスピードについていけない、と書いたけれど別に都心から出たとてついていけるわけではないと思っている。けれど、自分の能力に見合った環境にしか生きられないということはよくわかってきたし、その上で都会の転職競争には追いつけない。


 もう、27歳だけれど、いや、

もうすぐ28歳だけれど、今からでも責任を取らなければ、責任を持って生きなければ、これ以上引き伸ばしても、ずるずると甘えて生きているだけなのだ。だって新卒から4年目に至る今までずっとそうだったんだから。
 私は確かにこの4年でずいぶん変わったしやっと変えられるようになってきた。


 周りより習得ペースの遅い私はやっと18〜20歳になる程度の責任しか持てていない。けれど、努力しなければ責任能力が身につかないのなら、努力を怠ってはいけないし、これまで怠った分は引き受けなければならない。


 5歳のコタローだって、必死に生きているんだから。


#自立

#責任能力


#コタローは一人暮らし


#大人になる


 まずは、やはり、就職しなければ…経済的自立はあらゆる自立を支えるのだと、それがこの3年間で学んだこと。、

 そして、それらを支えるためにはやはり筋トレしなければならない。筋トレは心を、身体を、頭を支えるから。
この弛んだ身体を。


 そういえば親愛なる友人に5年前から「お前はまず筋トレしろ」って言われていたな。言われたのにやらなかったのは私なんだ、5年前からやっていたらきっと違う私だったけど。そして私はきっとこう思っても行動できない私なんだ。。こういうところが大人になるのに足りない行動力だ。意志が弱すぎる。変えたいなら筋トレしろ。

#筋トレ

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