たった一つだけ、未来を選べたあの日。
2023年は2月にも、3月にも、6月にも、7月にも、そして、8月にも9月頭にも、
生きてるのが苦しくなった。
6月末に、友人に会いに行ったのは、
30になる前に死のうかしらと、どこかで思っていたからだったんだと思う。29歳の間に死のうと決意した時に会いたい人には全員会っておこうと思って最初に連絡したのが彼で、そしたら、あれよあれよと会う予定が立って本当に会いにあった。
夜神くんには、最後直接会わずに関係を切ったのをずっと後悔していたから会いに行ったのは、あるのかもしれない。
いつか、ふとしたことで、ふとした瞬間に、
関係が切れてしまうこともあるんだ、って。
29歳の間に、自立できなかったら
生きていられないという気持ちは、
29になった時からずっと心のどこかにあった。
い
し
ほ
て
せ
な
し
い
た
に
し
い
し
る
く
い
た
り
な
に
く
ら
う
も
↑
そう、思っていた。
でも、なんとか、目の前に垂れてくる"蜘蛛ノ糸"を掴んで、それがぷつん、と切れなかったおかげで、ここまで生き延びてきた。
これらは、それぞれサビ部分である。
なんとか、未来を選んでこられた。
30歳になる誕生日の前日も、死にたくて苦しくて家に帰ったら生きなければならない、生きるしか選択肢がなくなる、と思ったら家にしばらく帰れなかった。29歳の最後の数日は毎日苦しくて泣いていた。
でも、なんとか乗り越えて
なんとか生き延びた。
noteで「もう自殺をするのをやめた私」という立場で、自殺について書いてきたわたしだけれど、それでもやっぱり今も、こうして年に1〜2回、すごく苦しくて、ここで生きるのをやめたら、楽になるなって、思うよ。
どんなに楽しい旅行の予定やライブの予定を入れていても、それでも思うよ。
どんなに好きな人がいて、会いたいとか、話したいとか思ってても、これまで生きていたくないとか、死にたいとか、思ってきたよ。
でもね、死んだら、本当に終わりなんだよね。
本当に終わらせてしまいたいって気持ちは、
何度も経験してきたからよくわかる。
けれど、死というのは、
もう二度とやり直せないゲームオーバー、
リセットが効かないってこともちゃんと分かってて、だからこそ、死を選ぶ人がいるのも分かってて、
わたしの場合は、それでも今のところはこれまで、ずっと「楽しい予定もあるけど苦しすぎる」「好きな人がいるけど、会いたいととかも思うけどもう生きてるのは辛い」とかそういう、本当に楽しいことや幸せなことや今後の予定が0じゃないで生きてこられた。そして、その、0じゃない楽しみに、なんとか救われて生きてこられた。
だからね、自殺記事を書いてきたとき
「もう死にたいと思わなくなったわたし」なんて書いたけど
今はそれを少しばかり訂正するよ。
時々「生きていたくない」とも思うし、
「このまま今死んで仕舞えば」とも思うし、
やっぱり苦しい時は苦しいよ。
でも、苦しい気持ちや死にたいとか生きてるのが苦しいとか、そういうの抱えたまま、抱えてるのはすごく辛いんだけれど、でも抱えたまま、
そんなことのために?と思われるかもしれないけれど
「どうせ死ぬならNissyと握手しないと、死んでも死に切れないよな」
「いやいや、12月のEXITのライブ当たったからそれまではとりあえず生きよう」
「リョーマ様の誕生日までは生きておこう」
って、少しずつ延ばしてるんだ。
そんなことって思われるかもしれないけれど、
そんなことでわたしはなんとか縋りついて生き延びられている。で、生き延びていたら、その日、死にたかった日や生きるのが苦しすぎた日に感じていた苦しさが、幾許かおさまる日が来るんだ。消えるわけじゃなくても。
だから、やっぱり、
今わたしと同じように、
生と死の狭間で、揺れて、
毎日を、やっぱり明日が来る前に
いや、今日だけはなんとか、って
迷いながら
生きている人がいたら、
わたしはその、生きる日を延ばすことでくる苦しみにも共感した上で
死ぬ怖さに震える自分にも共感した上で
他人から見たらそんなことって言われるかもしれない理由で
死を選ぼうとしたり、今日だけは生きておこうって思う人と分かち合って
やっぱり、狭間にいる人に、それでも今は
とりあえず生きてほしいと思う。
わたしには、ありがたいことに、
本当に苦しい時、勝手に吐き出しても
縁を切らず文句を言わない友人がいる。
少しばかり苦しいことに関してSNS等に書いたら心配して連絡をくれる友人がいる。
誕生日前に死にたくなって、苦しくて
でも誕生日前にそんなことを少しばかり、
はっきりとは書かなかったけれど吐露できたら、すぐに連絡してくれた友人がいて、
そして、誕生日になったら、いつもはそんなに連絡を取り合わない方々や友人たちから
お誕生日おめでとうって連絡がきた。
誕生日前日、
予定通り30になる前に
死のうとしていたあの日、
家に帰れずにあのまま死を選んでいたら、
見ることのなかったメッセージたち。
わたしを、あの日、あの夜、
死から救ってくれたのは、
DISH//のしわくちゃな雲を抱いてと
嵐のファイトソングだった。
わたしが、このまま家に帰ったらしばらく生きなければならない、今ここでやめれば、わたしは楽になれる、と思いながら、けれど立ち上がったら本当に死を選ぶのが分かっていて座り込んで立てなくなってマンション下で、声を殺して涙を流していた時に、この二曲が流れてきて、わたしは涙を流しながら助けられて家に帰って生きる選択をした。
大人になっても、働くこともできず、うまく生きてこられなくて、なんで生きていていいのかわからなくて30を超えても悩むけれど、
29歳最後の日、このまま30歳を迎えてしまうくらいなら…と立ち上がれなくなった自分の、あの時の思い詰めた気持ちから、いざ30歳になってしまったら、何にも変われなくて何もできない日々は変わらないけれど、少しばかり生きる方向に気持ちが向いて、
とりあえずあの時死ななくて良かったと今は、思う。
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