断り上手になるために。
アメリカの番組だったと思う。
番組が用意した悪人役が、
街中(カフェなど)で若い子に話しかけ、僕と一緒に来たら君の夢が叶えられるみたいなことをいう。
その子は、断れなくて困っている。
すると、その場にいた周りの人
(街中の人)はどうするのかを
モニタリングする。
そういう企画の番組。
それをSNSに流れていたのを
少しだけ見た。
その時は、歌手の夢を追いかける女の子に、一緒にきたら夢を叶えられるだとか何とかいって誘い出そうとする男を、周りの人が見ていた。
カフェで彼女の近くの席に座っていた
女性が、その男に彼女から離れるように、あなたが居なくても彼女は夢を叶えられるだとかなんとか話して追い払った。
その後、番組レポーターみたいな男性が、その追い払った女性にインタビューをした。
彼女はこう話した。
この言葉を聞いた時、
じーんときた。
断れない業界の重鎮にいた私は、
最近、2021年から少しずつ"断る"ことを覚えはじめた。
断れなかったのは、
断る時に、相手が少なからずマイナスのエネルギーを発するそれを感じ取ってしまって私が疲れるからだった。
言葉に発されない謎の
断られた時のマイナスのエネルギーを、
勝手に私は作り出していた。無意識のうちに。思えば物心ついた頃から「嫌だ」とほとんど言わない子どもだった。人に嫌だとか、結構ですというと気を悪くさせるんじゃないか、怒るんじゃないかと思っていた。
親にもそうだったからかしら。
親にも気が乗らないお出かけに「私はその用事は行かないでおく」と言えるようになったのは25歳の時だった。
思えば小さい頃から、父は忙しくて
家にほとんどおらず、専業主婦の母が「親」だったが、何か提案されたりした時に断ると、「あんたのためを思って言ってやったのに」と言われたし、習い事も学校もなんでもかんでも何があるたび「あんたにいくらお金をかけてると思ってる」とお金の話をさ小さい頃からされていた。
今もまあそれは変わらないけれど、
未成年までは特に何も言えなかった。
何かあるたびに「親に従うのは子どものお前の義務だ」「親に歯向かうなど許されないことだ」「昔の時代はもっと子どもは親に尊敬があった」「子どもなんだから意見などいらない」「誰がお金を払ってやってると思っている」「親の意見が気に食わないなら家を出ていけ」のオンパレード。
小学生までは、母と諍いになれば(まあ、私が悪いことをしたりが多いのだけど)夜でも玄関の外に出されて何時間もこちらが謝るまで家を入れてもらえないから、むかついてるこちらはわざとピンポンを連打したりドアを蹴ったり、そのうち解放感が生まれてきて、団地の中の公園に行ってブランコで遊んだりしていた。
中高生の時(学校の最終下校時刻から家までの通学時間である+1.5h)や大学生の時(23:59まで)は門限を破ったら、連絡していたとしても、しばらく家に入れてもらえなかった。
一人目の元彼と別れた時なんて、
結局話が長くなったのか、23時半をすぎてバイバイしてバスもなく、走って帰ったけれど1分間に合わなかったから午前2時だか3時まで玄関の外にいた。
そうやって生きてきたし、三人兄弟の中間子で、兄も我慢強くわがままを一切言わない人で、親は「お兄ちゃんは偉い。お兄ちゃんは3人の中で1番我慢してて可哀想」と小さい頃からいうので私も、兄ほどではないが比較的我慢をした。無意識に。
特別、どうしても無理になるまで、
無理し続けていたし、嫌と言えないし、お友達にも親にも断れないできた。
嫌だも言わない、嫌なことも言えない、断れないから周りの人に
「あんたは騙されやすいよ」と言われる。
親にすら言われる。むしろ、親がそう言ってくる。
騙されているわけではないとおもうが、街中の宗教勧誘もキャッチも右から左に話を流しながらも受け答えして話が盛り上がりつつ、もうそろそろ、予定があるから急いでるんですとかなんとかいって断っていいかなってくらいに時間が経ったら断る、そんな方法でしか回避できなかった。話を中座させたり、無視するのができなかったし、いつでも自分から下手に出ていた、、どんな相手にも。
27歳になった頃まで。
結果として、街中で話しかけられたら話がひと段落つきそうだなっていうところまで話を聞く、電車の中で痴漢まがいのことや完全に痴漢されても、(もちろん恐怖や周りの人に知られたくない気持ちが強いのがあるが、それと同時に)ここで私が声をあげてしまったらこの人の人生は終わってしまうんだ、私さえ我慢すれば…と本気で思っていた。お前はこんなことだけのために他人の人生壊すのかと誰かに言われている気がしていた。
そしてこれまで痴漢やストーカーや顔見知りの人ではあるが無理矢理キスされたり触れられたりがあっても親には結局一度も報告したことはない。したくもなかった。
否定される気がしていたのだと思う。
そうやって本当に何もかも
断れずにきた。
でも、2020〜2021年、少しずつ少しずつだけど、アリの速度と言っていいほどだが、断る練習をしてきた。
2021年になってから断るまでの速さが少しだけ速くなったと思う。
断るというのは、決断力が必要で、むしろ結局断るのならば、断るまでの時間は速い方が相手の時間を使わない、失礼ではないのだと知った。そして、苦しみながら少しずつ断る練習をして、やりませんと、嫌ですという練習をして、そのいうまでのスピードや決断するまでのスピードも速くなった。
けれど、まだ家族や友人や職場で嫌だとか無理だとかをあまり言えない。
これまでの恋人にもわがままも言わず、嫌とも言えず、無理も言えなかった。
そして私はそれを、
はやくに直しておきたいと
最近思うようになっていた。
コロナという自粛による、人付き合いの少ない間に、断れる人間に、嫌なことは嫌だと、無理なことは無理だと言えるようになりたいと思っていた。
しかし、なんとなく、相手が誘ってきたり頼んできた時に断った時、相手は負のエネルギーを発している感じがして言えなかった。
けれど、そんな私に先ほどの
アメリカの番組での女性の言葉は
すーっと通るようになった。
誰も彼もを信じなくていい。
みんなにとっていい人になる必要はない。
断ることは無礼じゃない。
そんなことを私が知ったのは
27歳になってからだった。
そして、断るか断らないか
決断するかしないか、どんな決断をするのか、全て私の責任で、誰かのことを気にして自分の感情を押し殺しても、自分の欲望ややるべきことややりたいことを逃しても、その誰かは私の人生になんの責任も取ってくれないということを、人間関係で苦しんで過労で倒れて、それでも嫌な人間関係を切れずにいた私は27歳になってやっとわかってきた。
どんな感情になっても、どんな結論になっても、それらは全て自分自身の責任においてなのだということを自覚しなければ大人ではない。責任感がない。
断れない、ではなく自分自身が責任感を果たせず断れてない。
なにかのせいでイライラする、ではなく自分自身が感情をコントロールできていない。
そういうことだと。
起業家Maria Forleoは、
こう言っていた。
(英語の訳はざっとこんな感じ)
彼ら彼女らのいうことが
27歳でやっとわかってきた。
私自身にも言えるが、他人の感情に対しても言えることなのだと今はわかる。
親が怒っていたとしてイライラしていたとして、友人が自分の思うようにならないからと不機嫌になったとして、恋人が面倒くさがって私に気持ちを押し付けてきたとして、街中の人がイライラしていたとして、怒鳴っていたとしてそれらは私の責任じゃないということをちゃんと頭で、身体でわかってきた。
昔より少し他者に萎縮しなくなった。やっと少しだけ行動に起こせるようになってきたところで、私はまだ不安定だしまだ断れないしまだ現状を変えられていないしまだ自分の思考を変えられていない。
こういうことが若い時からわかっている人は、きっと自分の人生に責任を持って豊かに歩んできたのだろうと最近とても思う。
自立し、良きパートナーを得たり、仕事が充実していて、人生を楽しんでいる感じのある友人たちは皆、こういうことができる人たちだと気づいた。
そして私も彼らと同じようになりたいとこの半年ほど強く思うようになった。
謝り癖があるのも小さい頃からだった。何かあるとありがとうよりごめんなさいが先に口に出る。
やってもらったことや時間を割いてもらったことなども、相手にやってもらってしまった…とかこんな私にこんなに時間割いてしまわせた…と思っていたから、ありがとうではなく、ごめんなさいばかりいっていた。
20代に入って、付き合っていた恋人や好きだった人など数人に、
「ごめんじゃなくて、ありがとうと言われたかった」とか
「そんなに謝らないでくれるかな、なんかこっちが悪いことした気分になる」と言われた。
だからなるべく、何かしてもらった時はありがとう、だけをいうように意識しはじめてやっとそれが行動に移せるようになったのが27歳。
謝り癖というか、ありがとうの代わりにすみません、ごめんなさいを使いがちな日本人一般はきっと、私と同じようにこう言われる。
謝るのを少しずつやめてきたが、
それでもまだ謝り癖はある。小さい時からのくせは簡単には抜けない。
謝り癖とともに、私は人に甘えなさすぎる、頼らなさすぎるらしい。
昔付き合ってた人に言われた。
「頼ってよ、相談してよ。
俺ってそんなに頼りない?」と。
親愛なる友人にも言われた。
「お前は、男に頼りすぎなんじゃなくて、頼らなさすぎるんだよ。甘えなさすぎるんだよ。大丈夫って言っちゃったら、相手は、ああ大丈夫なんだなしか思えないんだよ」と。
こういうことを20歳から8年かけて学んで、少しずつ、27歳になってからやっと少しだけ行動に移せるくらいになってきた。
30歳になる前で良かったと思うほかない。
自分の意見を言うことに、
頼まれたことにNOということに
何の戸惑いも持たなくていいらしいということを私は最近知った。自分の意見がない訳ではなかったけれど、家族にも友人にも街の人にも恋人にもうまく言えなくて強く言えなくて、飲み込むことが多かった。
恋愛でも、従順傾向が強かったと思う。嫌だなと思っても不満があっても不安があってもうまく言えないから言わずにいて、爆発するまで言えないとか、爆発もさせられずに終わらせるとか。
でもそんなのって結局幸せじゃない。
だから私は、自分に素直に、
自分を押し殺さないように、
少しずつ解放させてみたい。
何年か恋愛して、少しは恋人という関係を経験して、その度に、うまく自分を出すことができず、相手を信頼することもできず、自分を解放することができなかった私だけれども、学んだこともある。結局のところ、いいたいことや主張が言葉になるまで時間がかかるし、言語化できたとて、相手のタイミングが…とか考えてしまうような人間だったけれど、
自分の悲しみや痛みや寂しさや喜びに感づくのに時間がかかるなんて鈍感すぎる。私はもっと自分の心に耳を傾けて素直になってあげなければいけない。
それに、やっと言葉になった時、
相手の状況だとか、今は忙しいかもとかそんなことを考える必要なんてない。もしそれでぶつかってダメなら、その程度の関係性なのだということだ。
ぶつけたら壊れるだろうとわかっていたからぶつけられなかったのだけれど、ぶつけたら壊れてしまう関係なら遅かれ早かれダメになる。ダメになるなら早い方がいい。それに、言っても言わなくても後悔はするから、言ってしまった方がいい。
相手が不機嫌になったり、
相手が疲れていたりするのは
私の責任じゃない。だから、
私が我慢しようとか、気を遣おうなんて無駄に考える必要はないらしい。
自分の責任の範囲内をきちんと把握していないということになる。責任感を持つということは、責任の範囲を定めているのであって、自分で変えようのないことまで変えようとするのは、責任の範囲を捉えられていない。
素直にぶつかって、
ちょっと疲れてるんだとか、
今は話したくないんだとか、
言われたらその時配慮すればいいだけの話だし、相手はそれを伝えることが私への配慮であって、逆の立場の時も同じ。
私も、自分が疲れてまで相手を配慮する必要もないし、私は彼より大変じゃないなんて、私は友人たちより大変じゃないはずだなんて勝手に下手に回らなくていいんだと。
27歳まで、そんなことを知らずに生きてきた。
逆を言えば、
断れなかったのなら
断らないのなら最後まで運命を共にする責務を負わなければならない。
断らなかったのなら断らなかった責務を、その結果を背負わなければならない。
その時の疲労感や負のエネルギーを想像して、断った時感じる負のエネルギーを、嫌だと主張した時に、はぁ?などとイラつく相手の負のエネルギーを一瞬我慢しなければ。どうしてもエネルギーを感じてしまうのだから。
世界が息苦しいなら、
それは私の思考の仕方の問題だってことが、ここ数ヶ月よくわかるようになってきた。
頑張りすぎちゃう人は、
き・く・な
を意識すると良いらしい。
気にせず休む
苦しい時は言う
なるべく無理はしない
してはいけないのは、
ちん・げん・さいとも言うらしい。
沈黙する
限界まで言わない
最後まで我慢
こういうふうに、
自身をコントロールしていくことが
重要なんだと思う。
そしてそれは
自立していることであり、
責任を持つことであり、
自身で自分を満たせる人なんだろう。
私は、
自分を幸せにするために断る。