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人生を変える30日チャレンジ25


毎日こうして振り返っていると、

怠惰 という言葉を多用しなければ
ならない自分の生活の怠惰さ加減を
思い知らされる。


今日だって、
一度目覚めた時点で10時前、

もう2回もキャンセルしていたヨガを
またキャンセルしなくては
いけなくなってしまった。
申し訳ない。

どうもあのヨガスタジオの体験に
行けない。

タイミングが合わないというのは、
もう、合わないということだろうな…


私はそういう都合のいい
解釈をする人間なのだ。


いや、そうでもしないと、
罪悪感に苛まれて寝込んでしまう…

昨日の、最後のジムの疲れなのか、
3日前の仕事の疲れなのか、

どうも体力のない私は、やはり
2日おきか3日おきにしか
予定を組めないもんだなと思う。


仕事だって連日で5時間ずつでも
働くのは今はもう耐えられないと思う。


そう考えると2019年秋冬は
本当によく頑張っていた。


新卒ですぐ、仕事を辞めてきたあと
ぐったりした身体を起こせずに、
外にやっと出られるようになった頃
大学の同級生だった男性友人に、

身体使わない仕事、っていうか
お金の稼ぎ方っていろいろあるじゃん、投資とかさ

と、おそらく、
私の身体が、まともに働けるほど
頑強ではないのを多分考えて
言ってくれたことを今思い出す。


あのころだって今だって、
株にも投資にも興味はあって、
既卒1年目か2年目の頭くらいには
少し勉強したりもしたけれど、

税金の知識すら知識を入れたのに、
実生活に利益をもたらす、なるべく
損しない方法を取り入れることは
出来ていない気がする。


後悔した時がはじめるとき、


とか聞いたことがあるけれど、


私は結局、大学院在学時、または
修了した時に、仕事を辞めた時に
興味あることで手をつけたものどれも

極めなかった。


英語も、

投資や株や税金などのお金の勉強も

大学院までの専門分野も、

教師、教育者としての知識も、

今の教育動向を追うことも、

関心があって調べたフロイトも法も
経済学も、組織論も。


結局この3年間、
何もかも突き抜けるほどに
何かを得たものは何一つなかった。

それでいて、

"才能を持たない重いカラダ"、がと


小学生のときから好きだった
加藤千恵の『ハッピーアイスクリーム』
の才能ある言葉を
そのままを当てはめているのだ。


昔から、終わりの見えないものを
続けるのは苦手だった。

何をすればいいのか
具体的に分からないと
パニックだった。


何をもってゴールというのか
分からない絵画の時間も、

おはじきをどう使うのか
分からないままついていけないのに
どんどん進んで先生に分からないと
言えなかった算数の時間も。


大人になっても、長期的な計画や
長期的なものを見るのは苦手だ。

修士論文を書く時も結局、
2年間の計画も1年間の計画も
1ヶ月の計画も、1週間の計画も
立てられなかったし立てたとて
それを履行できなかった。



働く、ということにおいても、
内定をとるという明確なゴールへの
就職活動はできたとしても、
そのあと、内定を受諾し、
入社したら働くのだ、ということは
頭の中に絵を描けなかった。

社会人生活、みんなが当たり前に
送っているその生活も、

どのようにしたら送れるのか
未だに分からない。
少し前までは面接の後に
どうしようもなく
耐えられなくなった。


そんなのは甘えだな、と、
自分自身で吐き捨てながらも。

どうやったら"みんな"が、
"当たり前"に送っている生活を

私も送ることができるのか、
全然分からない。



転職活動の仕方は違うのだ、
履歴書や職務経歴書の書き方は
皆教えられずともきちんとわかるのだ

ということを私は2020年に、
転職活動3年目にして初めて知った。


転職活動では、いつも書類の提出や
面接までのスピード感についていけなくて、途中で離脱してしまう。

そしてついに昨年からは、
応募要項を見ているだけで
そのスピードについていけなくなって
応募することすら疲れて、怖くなって
しまった。


周りの皆が、"まっとうに"生きている
この世の全ての同世代や、
少ししたの年代を含めた
"大人たち"が、遠い遠い存在に感じる。


転職活動をまだ頑張っていた頃、
メンターと言われる人に、
2ヶ月以内に一社内定、
頑張りましょう!


といわれた。


だめになった。


休んで、再開した時の
人材会社の方に、

あなたの年齢で職歴のなさだと、
結構厳しいから、とにかく、
数を打つ必要がありますから、

数社を並行して考えて、
ダメだったら次へ
どんどんいきましょうと言われた。


教員の採用においても、
紹介会社の担当者に

「あなたの場合、教員歴も社会人歴もないですし、当たって砕けろです」
と言われた。


そうなってくると、
次々と募集要項の紹介がきて、
次々と履歴書だの職務経歴書だの面接だの、準備するものがあっという間に増えて、

面接だって突然、じゃぁ明後日なので
それまでに履歴書と模擬授業作ってくださいだとか、

それに、私はついていけなかった。


転職活動はもう3回か4回やって、
そのすべてが、転職活動をはじめては
途中で心身がついていけなくなってやめ、心が追いつかなくなって疲弊してやめ、を繰り返しているのだった。


今や、目標は、

「人間らしいまともな
生活をまず送ること」

と成り下がっている。


まともな時間に寝て、
十分に休み、しっかりご飯を食べ
心身を安定させ、何を言われても
負けず、ブレず、傷つきすぎない、

そんなことが私はとても苦手なのだ。


昔から特に、ちょっとした
ストレートでジャブを入れられた
くらいの言葉ですら、苦手だった。



通りすがりの見知らぬ人に、

ブス!と吐き捨てられただけで、

26にもなっておいおい夜の公園で
泣き出して、当時の彼氏をきっと
困らせた。

そのブス!の声が何度も頭に再生されて、そこから半年ほど経っても

苦しくなるほど弱い。


ブスだとか、デブだとか、
おっぱいが小さいだとか

特に身体にまつわることを言われて
まともにそれを受けて、交わせずに
傷ついていた。


それをやっと、やっと26~27歳で、

人間関係をかえ、付き合い方を変え
相手からの言葉の受け取り方を
少しずつかえ、自分が発する言葉も
見直そうと

やっと、そこまでたどり着いたのだ。


友人たちから見れば、
目の前の仕事探しや体調の管理を
きちんとすることこそが今私が
すべきことだと見えているだろうし、

親だってそう思っている。


けれど、そのためには、
自分自身が何を言われても
倒れない強さが必要だったし、
ただ呼吸をしてぼーっとして
生きているだけで様々な情報、

例えば今日の空気の冷たさの感覚だとか、外のコインランドリーのちょっと機械の焼けたようなにおいだとか、
排気ガスの色だとか

電車に乗る見知らぬサラリーマンの
発しているような疲れの感覚だとか


街を歩くイライラした女性のカツカツとした心の音とか、

家の中にいても、
イライラしてお皿をガッシャンガッシャン音を立てる母のその心の荒波だとか

家族と話す時とは声色の違う
リモートで会議をする父の
その声のトーンだとか



そんなちっぽけな情報の一つ一つを
身体のストレスとして昔から、
小さい時から吸収して、
それが溜まると疲れやぐったりとして気絶に陥ったり、街中で突然、一瞬
意識消失をしたり、

昔からそうなっていた。


それをやっとやっと、
この2020年末から年始にかけて
自ら勝手に負のエネルギーを感じないように、訓練してきた。


それでも、それをもってしても、

既卒満3年になる、職歴無しの人間が、
転職活動へ注がねばならない
エネルギーの量は、計り知れなかった。


「安定して働けるところに
就職しましょうね!」

「内定をとることを目標にしましょうね」

「あなたのこれまでのキャリアだと
職を選んでる場合じゃないのでとにかく私が出したところどんどん履歴書出してください」

「明後日面接いいですか、面接には、履歴書、模擬授業、準備お願いします」

「とりあえず、やっぱ働かなきゃじゃん。」


これまで、周りの人に言われてきた転職活動に関する言葉が頭の中にこだまする。


「まずは、まともな生活を送りなさい、ちゃんとご飯食べてちゃんと朝起きて、夜は1時までには寝る、それをまず目標にしなさい」

母の言葉もこだまする。


私は、私の目標を、
世間に決められるのだ。

それは、私が、立派な大人としての
義務を果たせていないからだ。

それは十分にわかっているつもりだ。


わかっている。

働かねばならない。

働くために雇ってもらわねばならない

雇ってもらうために採用活動を
通過していかねばならない。

採用活動を通過していくためには
まず応募しなければならない。


過程はきちんとわかっている。
これでも、一応、学部生のときに
採用活動の波に乗っていたのだ。

根本はおなじ。


それでも、何度もダメだと言われ、
準備するものにおわれるうちに
自分の生きられるペースでなくなる
うちに、私はこの、社会の波には全く乗れない落ちこぼれなのだと
何度もつきつけられた。


波に乗れず、転び、溺れ、
苦しくなって、そして私は何度も
中断した。


周りの人からは、
「はやく働けるようになるといいね」と言われる。

とてつもなく面倒見のいい友人が
自分のところが
人材を募集している、と

怖くなって腰が重くなって
全く転職活動を辞めてしまった私を
よんで、パソコンも貸してくれて、
書き方まで教えてくれて、
手取り足取り履歴書作成まで
導いてくれた。


それも私は結局、応募しなかった。


応募、履歴書、という言葉だけで


過呼吸になる。

気持ち悪くなって目眩もして

頭を抱えて、布団に潜り込んで
出られなくなる。


最近は言わないようにしてくれているが
呆れて、心配して両親も、
「やりたいことがあるなら別にそれは
いいけど、なんでもいいからまともに
働かないと、みんなはどんどん進んでるからね」

「仕事選んでる場合じゃない」

と。


両親の願う限りの、
私が思う限りの、
仕事を選ばなくてこの結果なのだ。
多分、本当に命や水商売や
そういう、生きていくために
こだわらないでという意味でいえば
制限をかけていると思う。

けれど、私がなれる職など、
はなからない。


専修免許を持っているし
教員ならなれると思っていた。

教員にすらなれないと気づき始めた。


受かる落ちるの前に、応募すら
できなくなってる自分がいた。


才能を持たないカラダは、
重すぎて、この世の暗い海の中に
沈んでゆく。



SNSにいる時は、
誰かとあっている時は
アルバイトをしている時は

何とか人間らしい形を保とうとしても
1人の時空間になった途端、

働けないという気持ちと
採用活動の恐怖と
目の前に迫り来る履歴書と
期限に追われている時計の音の気配が
大きくなって、

うずくまって、藤原竜也並みに
叫びそうになる。


ぅゎぁぁぁぁぁああああああああ!!

なんでだよぉぉおおおおおおおお!!


はっ……!!
取り乱してしまった。。


深呼吸をして、
今日のチャレンジに目をやった。


時は既に17時30分。


チャレンジ25日目
「目標を書いて何度も見る」



ここまで書いておいてなんだが、
ここは正直に言おう。

3日坊主どころじゃなく続かない、
と言った私、30日チャレンジも、
毎日note投稿もちゃんと続けているが

とんでんもなく飽き性のわたし、
25日目のチャレンジにして
完全に飽きている。

チャレンジに
飽きるってどういうこと?

これでも、この30日チャレンジは
毎日チャレンジ内容が違うから
結構飽きずに新鮮な1日1日を過ごして
きたのだ。


結局、「目標を書いて何度も見る」の

その、目標を書いて、
にたどり着かないまま、

17:30を迎えた。


今日は、20時から2時間ほど
好きなバンドの撮影されたLIVEの
配信がある。

それまであと2時間半を切った。


やっと、そこまできて

『涼宮ハルヒ』の長門有希の

ーあなたの判断で行動すればいい。
未来における自分の責任は現在の自分が負うべき。それがあなたの未来。ー


という台詞がうっ、、とくる。


耳が痛い。


そのあと、アニメ、『デュラララ!』の門田京平という人物の放った言葉も目にしてさらにえぐられる。

ー 過去から逃げるのは許してやる。だけどな、せめて今と明日からは、逃げるんじゃねぇよ。ー

(この辺、アニメみたいなぁ……)

目標……。

とりあえず今日は、一つだけ
小さな目標を達成した。

noteを欠かさず投稿すること。


2021年の目標を、
心に強く刻んでみようと、
唱えてみようと手帳を出す。


ー 人生は時間配分。
最適な時間配分のための
合理的意思決定により、幸福度を
最大化する。ー

ATSUさんの言葉だ。


それから、手帳に書いている標語を
唱えてみる。

自分が今やっていることに自信を持つ



「幸せでいること」
「ご機嫌でいること」
それをコントロールする



10個たてた27歳の目標のなかで
今取り組んでいるが
なかなか到達出来ない目標を口にする。

ー 夜は1時までに寝て6時間以上寝る。
まずは何時に寝ても7時に起きるところから。ー


どう考えても
27歳の目標ではないけれど。


色々なことが
達成されていないけれど、

私は知っている。


目標も夢も、まずは文字に書く、
それから口にする、

それだけで、こんな三日坊主の私でも
意識するようになる。


そして、ある程度、形が整い、
大枠のやることがわかっていれば、

この私でも1ヶ月続く。


だから、やるべきことも、目標も、
小さい区切りにして
やるべきことを細かく決め、
それをルーティンに
組み込む必要がある、のだと。


今年最初の、大きな目標は達成した、


昨年の11月下旬から1月末まで
通っていたジムを最後まで頑張ること。

仕事が入ったり、午前のみの土曜
営業にいけなかったり、
入ってすぐは体力がなくて
仕事のある日はジムに行かなかったり1月は思った以上に行けなくなってしまったりで、結局59営業日中42日間しか行けなかったが、それでも最後の日まで通った。

それから、やらないなら、
きちんと断ること。

まだまだ、きっぱりと断るまでに
時間がかかるようだが、全く断れなくてズルズル引き込まれていた私には
ありえないほど、断れるようになった。


そしてふと気づく。


27歳の目標を書いた手帳のページは
毎日チェックしているし、
2020年の10月に手帳に書き直した
観たい作品をリスト化したものも、
定期的に見返すし、

本やYouTubeで読んだり観たり聞いたりしたことで、手帳に記しているものは結構頻繁にペラペラめくってみている。

実行するしないにかかわらずだ。

だから、意識の奥の方で、

これ、やろうとか、

これみたいんだよね、とか

そろそろこれに取り組まないと
期限までに達成できないぞ!だとか

定期的にそういう行動がくる。


人間は言語で世界を切り分けている。

だから、言葉になっているものは認識する。

言語化すると認識する。

言語化したとしてそれがソレそのものかは確認できなくても、

言語化されることで客観視したり、
触れられるものとする。


気持ちだってそうだ。

言葉にならない
言葉にできない

不明なもの、得体の知れないもの、

だから一層恐ろしく、大きく感じる。

しかし、言語化できるようになると
トラウマは克服し始める。

言語化することによる再体験、
という負にも成りうる副産物があったとしても、言語化できれば、認識できる。

逆に、言語化できないものは
認識できない。意識下に入らない。

だから、目標は
夢は、言語化すべきなのだ。

そして、そこに至るまでの道を
細かく示し、具体的な一つひとつの
ゴール設定ができればなおいい。

やはり、目標設定の話をした時と
同じ結論に至った。

目標達成までの手順は分かっている。

1.目標設定
2.現在地確認
3.ギャップ測定(数値化)
4.ギャップ構成要素分析
5.戦略と戦術の立案
6.実行
7.結果測定
8.戦略と戦術の改善
9.再実行
10.結果測定
以下8に戻る。


世の中のPDCAサイクルなるものは
要するに細かく説明するなら
こういうことをいうのだ。

今の世の中の速さを鑑みれば
Planからというよりは
もう、Doからはじまり
D→C→A→P
(Do→Check→Action→Plan)だとか
かもしれないけれど。


6からはじめて1にもどって
というサイクルをまわすために
私に足りないのは結果的に、

行動にうつす決断力だ。

とにかく行動できないのだ。

予定だけ立てて崩れるのも、
頑張ろうという意思だけ
あっても頑張れないのも、

目標達成を細かくしよう!
と決めてからもなかなかに
進みが遅いのも、もっというと、
ものによっては、その、目標に
至るまでの道のりが分からないのも、

Actionが起こせなくなっているからなのだ。


意識の遠くから夢の国の創造主
ウォルト・ディズニーに囁かれる。

ー現状維持では、
後退するばかりである。ー


Actionを起こすというのは、
現状(現在の状態)を破壊する、
ということになるのだ。


才能を持たない重いカラダを
引きずりながら、疲れて寝込むような
毎日を生きる私の、この現状を
破壊しなければ、新しいことは何も
創造されない。


そして、そのために必要なのは
意識でも気持ちでもガッツでもない。

具体的行動なのだ。

そして、
その具体的行動を引き起こすためには
これまでの日常生活と、
時間配分を変えなくてはならない。


おうおう、
これまでnoteに書いてきたことが
次々と目の前の必要事項として
「お前はまだ出来ていないぞ、」と
ふりかかってくる。


ここまで書いて、

・言葉を発しすぎない。
・きちんと自分で自分を整える。
・即断即決する。
・まずは行動する。何事もまずは
今いる位置から脱却する。
・そして、毎日noteを書き続ける


の5点が、ほかの目標達成に
必要なのだと認識した。

今日の終わりまで、
そして明日からも、
まずはこの5つを見つめてみよう。

そう考えて何度も唱えた。

#人生を変える30日チャレンジ

#目標を書いて何度も見る

追記:この日は、好きなバンド
Swish!のLIVE配信日だった。
緊急事態宣言がなければ、
生配信ライブだったし、
コロナ禍でなければそもそも
LIVEができているのだが、

それでもこの状況下で、
最高、最善を提供してくれたと思う。
途中かたまってしまったりは
あったけれど、嵐の生配信LIVEだって
途中かたまったのだから、
撮って出し、よくやってくれた!
と感謝してる。


リクエストした曲を
全部歌ってくれた。嬉しかった。

LIVEのときに、2025年、
活動20周年を迎えるときにできるよう
「本気で武道館ライブを目指す」
と宣言したメンバーの言葉に、
ワクワクした。


いつからだって、
何歳からだって、
やりたいと思った時が、
やるぞ!と決めた時が、
はじまりなのだ。


決まっていないことを、
宣言するというのは、
とても勇気のいることだ。

でも、宣言するから
応援しようと思う。

実際に、頑張ってもがいて、
何かをやって、動いているから
ファンになるし応援するし、
コンテンツを楽しむし、一緒に歩む。

最後に、何度も見られるように、
私も大きな夢を、挑戦を、
今思いつく限りのやりたいことを
ぱぱっと書いておこう。


修士論文を書き直す
(研究に戻る。)


新しい研究の道へ進む


英語学習をする


(英米修士卒なのにこれまで、
英語の勉強は高1の1年間しかしてこなかったことをただ後悔だけして、
それなのに踏み出せていない)


自立する
(精神的にも、経済的にも)


文才を磨く。


それから、最後。

人をまっすぐ愛せるような
自分を大切にできる
自信を持つ。


#目標達成

#pdcaサイクル

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