2025年の日本はどうなっているかしら
あれは、私が就活真っ只中だった
大学3年、2014年のことだった。
一応大学1年の冬に、
朝日新聞の就活イベントみたいなのに、当時のふたつ上の人たちに混ざっていき、そこからは、塾講師の1年間に明け暮れ、
大学3年の6月から本格的に
就職活動に動き出した私は、
21歳の冬、ある会社でこんなことを聞いた。
ケータイの歴史をふりかえる。
1990年以前に、ショルダーフォン
というものが登場した。
しもしも?と平野ノラさんが
バブルネタで使っているもので
初めて見た。きっとみんなそう。
私もそう。
そしてこの端末と一緒に、
売り出されたのが、
「カーフォン40形10形」という
ものらしい。
ショルダーフォンと連携したデザインで車の中で使える、家以外で電話を持ち歩ける、というところからつくららたそう。
これらをつくったのが、KDDIの前身、IDOとトヨタらしい。
この、家の外に電話を持ち出したい、というところから、ついに、
1985年、日本初のショルダーホンが登場する。
長いアンテナに、百科事典を横向けにした大きさに、総重量2.6kg。
肩から鞄のように下げなくてはならなかった。これはひとえに、バッテリーゆえだったそう。
自動車電話の時代の携帯電話、
登場その携帯電話を持てるのは、
一部のエグゼクティブや工場現場など
どうしても必要な会社のみで、
今のようにどこでも誰でも手軽に、
持てる時代ではなかったという。
そして1987年、ショルダーじゃない
携帯電話が発売され、「辞書型」と呼ばれる端末で、名前の通り小ぶりな、国語辞典程度を片手で持っている、という携帯になったそうだ。
バブル経済真っ只中の日本で、
その小ぶりになった携帯は、あっという間にヤンエグ(ヤングエグゼクティブの略らしい。今でいう若手起業家みたいなもの??)やOLの流行りになったと。
ちょうど世はバブル景気。
最新がもてはやされ、遊びまくり、新しいものが自慢のタネになる時代に合っていた。
記事にはそう記載されていた。
私は1990年代のはじめのほうに
生まれたからこのバブル景気の時代を知らない。
超小型携帯から、2000年になると、
J-フォンの社員の方が、シャープに協力をお願いしカメラ付き携帯が発売されたらしい。当時、社ではこんなのは売れないなどと言われたそうだが、
自撮り用鏡も備え付け、また当時ニュースになって問題になった隠し撮りから、写真を撮る時音が出るように設定して発売されたとのことだ。
確か、カンブリア宮殿か
ガイアの夜明けか何かで
そんなことを言っていた。
これが、世の中の最初の
カメラ付き携帯電話だったそうだ。
番号そのままに携帯会社を
かえられる、番号ポータビリティ
(MNP:Mobile Number Portablity)
が導入されたのが2006年。
私はもう、中学生。
えー、そんな最近なの?
なんて思うけれど、確かに、
昔は携帯を変えたら番号もアドレスも
かわる、って当たり前のことだったのかも。私は小6の時に塾の帰りに迷子になったことで携帯電話を塾の日は持たされたけれど、それがなかったらきっと携帯は中学生まだ買わなかったし、
中高は、帰り道危険だし非常時などのために、携帯を持ってくるのはOKの学校だったけれど、学校では出してはいけない仕組みだったから、
迷子事件がなかったら中学生になっても携帯をもっていなくて迷子事件をさらに起こしていたかも。
まあ、携帯を持っていても迷子になって、最寄駅から学校まで行けなくて
担任の先生に迎えにきてもらったり、
家の最寄駅から家までの道で迷子になって何時間も帰宅しなかったり、
とにかく、方向感覚も
今通ってきた道もないし、
自分の家の付近の地図を頭に描く、なんてこともできなかったわけだけれど。
少し話がそれるが、
私は最寄駅から家までも迷子になったし、学校から最寄駅も迷子になっていたし、学校行事があればその度に、
集合場所にたどりつけなくてクラスのバスが出発できないみたいな事件を起こしていたし、
水泳大会に行けば水着を忘れて帰り、体育記録会にいけば着いてから
靴がないと気づいて母に届けてもらったり、普段の学校通学も、私の記憶にはなかったけれど、中学入学してすぐは、最寄駅から学校にいけないから
担任の先生がわざわざ最寄り駅まで私のために迎えにきて、一緒に歩いて行っていたそうだ。
全く記憶にないけど。
ずいぶん話がそれてしまったが、
そうこうして私たちが中高時代は、
まだガラケーと言われるものが
当たり前だった。
スライド式の携帯に憧れを抱いたし、携帯自体にスパンコールみたいな
キラキラしたものが埋まってるデザインが可愛くて気に入っていた。
そうしたこれまでの当たり前に、
一石を投じたのが、iPhoneの登場だったと思う。
Appleが世界で初めて、
iPhoneを発表し発売したのが2007年。
二代目のiPhone「iPhone3G」は
3Gのデータ通信規格HSDPAに対応しておりここでやっと日本にiPhoneが上陸した。
今では当たり前のタッチパネルディスプレイも、Bluetooth、無線LAN対応もPC同期もここで生まれた。
私が高校生だった2010年頃から
iPhoneが普及し、私も、
大学1年の5月にはじめて、
スマートフォンを手に入れた。
ショルダーフォン、超小型携帯時代からおよそ10年で、人々はiPhoneを手に入れた。
iPhoneから10年。
2019年にはApple Watch、AirPods Proなども発売され、
電話だけだったはずの
「携帯」は、カメラをもち
メールができ、電卓やネット回線をもち、パソコンと同じことができるようになり、ポータブル音楽プレイヤーの機能ももった。
そうした携帯の発達とともに
それまでパソコンをよく用いる人が使っていたSNS文化は、変化し、
Twitter、Facebook、Instagramと形を変え、種類を増やしていった。
それに合わせてカメラの質や
ネット回線も増えたし、
スティーブ・ジョブズがこだわったことでフォントだってたくさん増えた。
私が20歳だった2013年に、
2020年の夏季五輪が東京開催と
決まった。
さて、2014年、就活生だった私が
そうした携帯の歴史を知らされ、眺めた後に、言われたのは
「今からおよそ10年後、
2025年の社会は、日本はどうなっているだろう」だった。
「2025年問題」という言葉が出てきたのも、ちょうど2014〜2016年頃、私が就活真っ只中→採用活動真っ只中→大学院生の間だったと思う。
オックスフォード大学の
オズボーン博士が、「10年後に消える職業」を発表したのも2014年。
iPhoneが当たり前になり、
スマートフォンの代名詞にもなり、
スマホ発売から5年ほどが
経って多くの人が所有し、
当たり前にスマホのある世界を共有しはじめた時だった。
あの頃、私が想像できなかった、
あの頃お話を聞いていたあらゆる企業の方々が話した10年後。
あの頃、あの2014年の就活の頃、
「2025年のあなたは何をしていると思う?」と問われ、
2025年といえば32歳、
バリキャリで、でも結婚して
子どももその頃には2人くらい欲しいななんて淡く思い描いていた。
当たり前に、どこかに就職し、
そのうち、好きな人と結婚し、
幸せな家庭を築くのだ、
と思っていた。
当時は、まだバリキャリ志向で、
子どもを早くに産んで、早いうちに
仕事に戻るんだ、なんて考えていて
30までに子どもを産み終えていると
思っていた。
2025年は、
あの時、就活生同士で話し合い
あの時のシャカイジンの方々と
描いた未来は、
超高齢化社会
少子化だから外国人労働者が増える
少子化だから学校数は減る
働き手が少なくなるから定年退職年齢は引き上げられると思う
年金制度も完全にないかも
オリンピック前後の好景気が終わって不況に転じるタイミングかな
世界的に食糧問題が加速する
そうなると国家予算の使い道が改めて問われるようになるだろう
少子化も相まって、新卒採用という概念は完全に崩れ、大手企業でも採用方法がかわるし、終身雇用制度なんてものは空虚なものだとすべての会社で起こるし、新卒一括採用から、完全実力主義になるんじゃないかな、
といったものだった。
2021年になってこれを振り返る。
オリンピックが開かれなかったこと、あの当時、経済が、人が世界的に往来し活発になるのと同じような新しい感染症もあっという間に広がる、ということが想定できなかった以外は、
およそ同じような状況になった気がする。
変化は悪いことばかりではない。
あの頃にはまだ非日常だった
タッチパネル操作は今や
多くの国民が当たり前に享受する。
非接触で注文したり配達してもらったりするサービスが発達していたおかげでコロナ禍で食料が家に届く。
少しずつ進んでいた、リモートワークのための技術が、コロナ禍で需要が増えて急速に成長した。
買い物に現金を使わない人もかなり多くなったし、完全無人店舗だってある。
iPhoneの登場から10年で
スマートフォンは、
電話、テレビ電話、
メール、カメラ、ビデオ、
パソコン、
メモ帳、手帳、お財布、ソーシャルコミュニティ、テレビ、ナビ、音楽プレーヤー、本(Audibleなどアプリを入れれば)、目覚まし、ポイントカード、
などその他にもさまざまな役割を担う。
たった一つの、
手のひら程度の機械で、私たちは
24時間365日時間をスマホに使えるほどに色々なことができる。
アプリをつかえば会議すらできる。
まさに、
DX(Digital Transformation)
によるものであり、これからも、
不可欠だ。
あの頃と比べると、
小中学校数だって減っている。
小学校は2014年時点では20852校あったのが、2020年では19525校に、
となっている。
(中等教育学校と高校は若干増えている)
子どもの数は減っている。
けれど、高等教育を受ける割合は
少し増えたのかもしれない。
2014年時点では、
2020年も、2021年も2025年も、
同じように「ずっと先の未来」という気がしていた。
気づけば2021年も2ヶ月が
終わろうとしている。
2020年2月頃から騒ぎ始めたコロナ。
ワクチンが日本国民全員に摂取し終わるのには、2年弱かかるという記事もあった。しかし、冬に再び
感染拡大するだろうという見込み。
つまり、
ワクチン摂取がはじまってもその間に2021年冬を迎えれば、来年までコロナ収束は現実化しないと。
さらに、順調にコロナウイルスの
対策、ワクチン普及がされたとしても
経済が元に戻るのは2023年〜2025年という見込みらしい。
2025年にこうなっているなど、
10年前誰が考えただろう。
2025年。
少子高齢化が進んでいるということは、
機械を導入できない場合、
国外からの労働者を増やすしかない。
超高齢化社会になれば、
10人に1人はボケていると。
政策研究大学院大学名誉教授の
松谷先生は、2016年からの10年間で日本の人口は700万人減り、
15〜64歳の生産年齢人口は
7000万人まで落ち込み、逆に
65歳以上の人口が3500万人突破すると言われる。
つまり、国民の3人に1人が65歳以上、
5人に1人が75歳以上になる。
さらに、
国際医療福祉大学教授の高橋氏は
軽度を含め2016年時点で820万人、
それが2025年には1.5倍の1200万人以上になる予測だと書いていた。
2025年を待たずに
医療崩壊は進んでいる。
郊外の、村の過疎化は進んでいる。
既に外国からの労働者なしには
回らない職も多い。
しかし、外国からの労働者は
在留資格を得るために日本語学校に通う学生として来日し、実のところは出稼ぎ、という実態がある。
不法滞在だけではなく、
留学生のアルバイトは週28h以内という法律も形骸化しているそうだ。
オリンピックもあるかわからない。
オリンピック特需を期待していた経済部分はどうなるだろう。
2014年、あの時、想像していた
2025年の世の中。
超高齢化社会
外国人労働者増加
学校減少
定年退職年齢の遅れ
年金制度は無い
携帯という媒体は無くなるかも
オリンピック後の不況
食糧問題
国家予算の使い道の問題
企業の求める人材変化
(新卒一括採用から完全実力主義へ)
医療崩壊と感染症の爆発、
世界人口の減少、
リモートワークの必須、
オリンピックもできるかわからない
まできた。
すべての事象は社会に内包されている。
社会について考える時は、
PESTで分析するらしい。
大学3年の就活時に学んだ。
P Politics(政治)
E Economics(経済)
S Society(社会)
T Technology(技術)
2014年の日本は、
観光立国の打ち出し、法改正
(政治面)
円安、国民所得の低下
(経済面)
オリンピック、少子高齢化
(社会面)
スマホの普及、3Dプリンタなど
(技術面)
などが例えばあった。
2021年現在でいえば
世界の未来予測は、
政治面
核軍縮会議、気候変動会議、
火星探査機、木星探査機の打ち上げ
ディーゼル車の使用禁止、
世界人口の半分は水資源が枯渇した地域に住む、
経済面
副業推奨、納税や処方箋等デジタル化、改正個人情報保護法、キャッシュレス決済を4割程度へ増やす、無人バス・タクシー運用、
社会面
マイナンバーカード運用、年金受給引き上げ、森林環境税導入、デジタル教科書導入、定年退職年齢75歳へ、人口減少(生産年齢も減少)
技術面
自動運転、5G導入、自動化、無人化、
遠隔化、
などが挙げられている。
(野村総研)
2014年から7年経った今、
携帯では格安スマホも普及したし、
5Gの時代になってきた。
スマホは、既知の仲の連絡手段から出会いの場のつながりとなった。
スマホで決済が当たり前になり、
お財布を持ち歩かない人も増えた。
電話もメールも写真を送るのも、
LINEで済む。
家電の電源のオンオフも
車の鍵の解施錠も、
お店に何かを注文するのも
それを決済するのも、
勤怠管理も、会議も、
動画を観るのも、
電車に乗るためのICも
お金を振り込むのも、
書籍を読むのも、
体調の管理も
メモも、録音と録画も、
テレビを視聴することだって
さまざまなことが
スマホ一台あればできるように
なった。
あと4年。2025年の日本は、
どうなっているのか、考えてみたが
今まで旧態依然の仕組みのままの
会社すら働き方が変わったコロナ。
私たちは新しい習慣を
すぐに身につけたし、
新しい働き方もすぐにはじめていった。
ニューノーマルと今は言われることも
あと4年もすれば当たり前に、
もしくは、既に古い、となっているかもしれない。
既にスマートウォッチがあり、
スマホよりさらに小さな端末で
スマホ同様に操る人も多くいる。
他国では脳にチップをインプラントすることも考えられており、
スウェーデンでは既に手にキャッシュレス決済チップを埋め込んでいる人もいるとかいないとか。
VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、MR(複合現実)のためのデバイスとしてはヘッドマウントディスプレイという頭に装着すると目の前の視界をかえてしまう技術ができた。
スマートグラスはそれを、
名探偵コナンの追跡メガネのようなものにするらしい。
2100年代を待たずして、
PSYCHO-PASSのように
シビュラシステムのような、
AIで社会を統制監視する社会が来るかもしれない。
趣味も、嗜好も、職業も、食べ物も、
機械が管理する。
まあ、PSYCHO-PASSは
元犯罪者たちの脳によって
管理された社会という裏が
最終的に暴かれるのだけれど。
2014年、今後10年が
どうなるかを考えた。
あれから7年、
社会も、技術も発達してそれを
無意識のうちに当たり前に享受し、
自分の日常の当たり前も変わった。
今は、私と同じ価値観を
受け入れない両親も、
あと4年もすると、60代中盤になる。
私はその時30を超えている。
2025年を考えた21歳。
2025年の21歳たちは、
私より10個も下の人たちで、
その人たちが新しいノーマルをつくりだしている。
既に私は、
「あなたたちとは時代が違う」と
親に反発しながらも、
「今の若い子達って」と
新しい、ブームを作り出す世代の子達と感覚が異なる、
という年齢にいる。
とりあえずのところ、私は
身体を整え、安定して働けるようになること、
親から自立すること
を目標にするしか無い。
こんな2025年の目標になるなんて、
21歳の私は、2014年、あれほど
未来を見て就活していた私は
考えもしなかった。
こんな大人になってしまうなんて
思ってもみなかった。
歳をとれば、当たり前に成長し、
当たり前に自立し、当たり前に
働いて誰かの役に立ち、当たり前に
誰かと出会って家庭を築いていると
思っていたのにそのどれも、
時間が流れるだけでは達成しない。
2025年、4年後の未来は、
どうなっているだろう。
私たちは、自由に空を飛び、
無人店舗が当たり前になり、
キャッシュレス決済も増え
高額な税金、保障のない社会、
増える災害、減る子ども、
店舗は減り、配達が進み、
もしくは家での食事の重要性が問われ、在宅ワークも増えるのだろうか。
でも、あの頃はもっと
「機械化が進んで、
人に会わなくなる」なんて
言われていたけど、
むしろ、「機械化やテレワークによる無駄を省きつつ、その中で人と直接会うことの大切さ」だって多くの人が考えたのではないだろうか。
コロナは世界を変えた。
私たちの日常を変えた。
でも悪いことだけでもなかった。
非接触決済や非接触接客が増えたことは技術の進歩や浸透に大きく影響を与えたし、
”無駄“な仕事を、慣習だからと辞めなかった会社も、テレワークでその慣習が消えたかもしれないし、
セクハラや痴漢の件数は減ったかもしれないし、
でも新たなセクハラの形ができただけかもしれない。
(だいたいああいうことをする人は
どんな形でものうのうとする)
一人の時間を確保できる人が増えたかもしれないし、
家庭にいるのが辛いのに家庭にいなくてはならない人も増えたかもしれない。
変化はすべて、良い面も悪い面も。
未来は綺麗に描きたいけれど、
それによる両側面は必ずある。
その時の、スマホは、私たちの日常は
常識は、世界情勢は、
どうなっているのだろう。
2025年、大阪万博は、
本当に開かれるだろうか。
1970年、私が生まれるずっと前の
最初の大阪万博から55年。
人類の技術は、世界は、
私たちの考え方は、日常は、
どれほど変わり、それによって
どれだけモノの形はかわるだろうか。
大阪万博では、SDGs目標達成を
増やすことも見据えている。
その時、IoTは、AIは、ビッグデータはロボットは、どのようにして新しい社会をつくりだし、私たちはそれらをどのように用いるようになっているだろう。
必要なのは、
ソウゾウリョク
(想像力・創造力)
のようだ。