【デジタル絵と人間の手】もう一度漫画を描こうと思った理由・その9最終回
なぜもう一度ちゃんと漫画が描きたくなったのか?
実のところそれはAIが大きく関わってくる。
AIが絵を学習し、そのことで大きな問題が色々と浮き上がった。
現在、おおむね他人の絵を学習させて商用とするという部分は認められない方向でまとまりそうだ。
インターネット自体が全く法整備が整っていないところにこの騒動だ。
おそらく、多くの絵描きさんが恐怖したことと思う。
とにかく、AIの成長は著しい。
もちろん、時折ヘンテコな出力をすることもあるがその辺もどんどん調整されると予想できる。
AIで学習されることの1番の脅威はやはりデザイナーの仕事だろう。
もちろん、その人でなければ描けないデザイン、というのはかなりある。
いや、そういうレベルの方々のお話ではない。
大半のデザイナーや絵描きの方々は細かい仕事を多く受けて生計を立てているわけで、クライアントがAIで良いということになったらご飯の食い上げだ。
こういうことは何度も起きてはいる。
photoshopの登場やoffceの登場。
いらすとやの登場なども拍車をかけている。
もちろんデザイナーは絵を描くだけではないし、いろいろなレイアウト作業も含め様々な仕事をこなしているが、最終的にこのAIによってとどめを刺されてしまう方もかなり多いだろう。
ただ先も触れた通り、AIにはまだまだ成長途上の部分があるし、オペレーターがいなければ成立しない。
権利に疎い人がオペレーターとなると後々問題が起きる。
そういう部分での仕事というのはまだまだ成立すると思う。
今回はそう言った話ではなく。
AIが描く絵に関して感じたことを記していきたい。
AIの描いた絵、というのはおよそ人間が思いつくことの範疇外の作品も生まれ、それを芸術と呼ぶかどうか?
というのは難しい話である。
そもそも芸術も含めてたが、みた人が『素晴らしい』と思えばどんな絵でも素晴らしいのだ。
今後どうなるかわからないが、現時点で感じているのはやり情報を集約していうと
「最大公約数の絵』
になるのだ、ということを非常に感じる。
別にだからダメ、という話ではない。
おそらく『皆が良い』と思ったものが『最大公約数』になるわけである意味『マス』の部分でもあると思っている。
だからこそ、一般的なところにおいても苦にならない。
クライアントはそう言ったものを元々求めてる人が多いので、そういう絵が主流となってもなんら不思議はない。
自分が一番思うことは『デジタル絵』の進化系譜がAIではないか?
と感じた。
そもそも、デジタルの絵の書き方などをみてるとデジタル沿った、デジタルで綺麗に仕上がるという進化を遂げている感覚がある。
もちろん実際はそうでもなく、個性豊かな方が好まれているのも確かだ。
しかしそのデジタルで描く法則はAIにとっては一番学習しやすいのではなかろうか?
と強く感じた。
デジタルでやりやすくすればするほどAIの肥やしになっている。
そうなった時に、アナログにチャンスがあるのでは?と強く感じた。
アナログにはアナログにしかできないものがある。
多くの古参の方ならわかると思うが、紙にペンを走らせるのとモニターを擦るのでは全然違う。
ペンは使うことに鍛錬が必要。
しかしタブレットはそれを擬似再現してくれる。
ペンを使ったことがある方ならそれをもう一度鍛錬すれば良いが、使ったことがない人がデジタルの線を紙に表現することはかなり難しいだろう。
それくらい格差ができてしまっている。
そういう状況で
『実はアナログ作業は全く別の生き方をできるのではなかろうか?』
ということに気が付き心が躍った。
勘違いかもしれないが、ものすごい可能性を感じたのだ。
色々と問題のある書き方になりそうなので真意がなかなか伝えることができないが、AIとアナログは共存しながらうまく生きていくことがこれからの課題になりそうだ、と。
誤解を生むかもしれないが、AIに飲み込まれてしまうジャンルの絵がある。
ということ。
そのジャンルに当てはまってしまうとあっという間に仕事がなくなりそうだ…
話がそれたが、仕事とは別に、そういう部分での心が躍ったこと。
それが今またペンを使って表現してみよう、という気持ちになった。
そして、描き込みは全くできないが絵の表現の素晴らしさというのを再度ペンを持つことによって再確認できた。
『それを仕事に』
は難しいと思うが、描くことで楽しんでいただける方がいるということはなんとも幸せな話である。
自分が描く楽しさと人が喜ぶ、食事を作る人と美味しいと言ってくれる人。
この関係はどんな時代になろうとも変わらないと自分は信じたい。
AIに関しては書いているうちにデリケートな問題になりそうだと思い、かなりぼやかしてしまったことをお詫びしたい。
漫画というもの。
現在はどうしても溢れてしまう上に優れたプラットフォームもない。
読者の検索行為が長けていなければ末端の作家の作品に行き届かないのだ。
ましてや、今やイベントで門構えをしても誰も手に取らない。
そういう状況の時に、盟友でもあるおおさかさんが『無料でも良いからどんどんネットに上げなければダメだ』と言われたが、実際無料というものに抵抗があり(無料はサービスを悪くする)なかなか腰を上げることができなかった。
しかし色々なイベントに参加してみて『中身をオープンにする』ということは今は必須項目だと強く感じた。
オープンにしなければゼロだ。
それくらい現状は変わってきている。
いや、昔から作品を発表しないのはゼロなのは変わりない。
そう思い、ロイヤリティーマンを無料で読めるようにした。
が、やはり今読めるようにリブートしたい。
そうしてリブートした。
これだけの労力を無料で公開することはどうなのか?
と自問自答もするが、イベントで門を構えてもそもそも見てもらえないものもネットで公開することで読んでもらえる人が多くなる。
まず、読んでもらわなければまず作品を知ってもらえない
作家も知られない。
これは『オレの頭の中には素晴らしいアイディアがあるんだ!』と言って描かない新人たちと同列なのだ。
『発表』する。
これのみである。
最後が少しまとまりが悪かったが、ここまでお付き合いいただき本当に感謝いたします。
よろしければマガジンに色々まとめておりますので一読でも目を通していただけますと幸いです。
これで一連の漫画についてもことは終わりとします。
漫画についてあまり書いたことがなかったのでもう一度自分のものつくりに関して再確認できることも多かったと感じます。
少しでも後続の方、趣味で漫画を描いている方のお役に立つことを祈って…