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【君は世の中を、読者を、編集を馬鹿にしてる】もう一度漫画を描こうと思った理由・その2

今回の記事を書くにあたって、色々と年代などを遡って資料を見ているがやはり全てを覚えているわけではないので色々と抜けていたり関係性に間違いがあったりするかもしれないがご容赦いただきたい。

漫画『マンゲリラ』はチャンピオンRED、2002年8月よりスタートし14話、そしてまんがケモノ道へと繋がるが、まんがケモノ道事態が何話で終了したか記憶が定かではないので正確な年代はわからない。
おそらく2004年〜2005年頃に終了。
ほぼ終了と同時に出版社への持ち込みもやめている。

が、まんがケモノ道の頃には二次創作で初コミケに参加している。

コラム連載
漫画家アシスタント
同人誌

と3つを股にかけており、正直睡眠時間もなく当時の先生方にはかなりの迷惑をかけてしまった。
しかし、もうこれで業界は抜けたかったのでオリジナル作品を同人でも良いので世に出したいという気持ちが大きかった。

とにかくもう自分以外の作品と関わりたくなかった。
そして二次創作をやりながら虎視眈々とオリジナルを制作することを目指してロイヤリティーマンを書いた。
前回のお話でも出たが、パチ怪獣(無版権商品など)をモチーフにメタフィクション同人誌を制作。
その中でオリジナルストーリーを製作した。



そもそもロイヤリティーマンというのは『ヤングサンデー月例賞』で佳作を取った際に描いたイラストが初。
怪獣退治に忙しい時も原稿制作を忘れない、的なイラストだった。

この月例賞も絵が下手だったのでどうしても佳作以上に行けなかった。
2度応募し、同じ賞を2度取るという異例の勲章をもらった。
2度同じ賞が出ることは当時なかったらしく、特例だった。
絵が良ければ入賞も十分ありえたそうだ。

結局さらにその上の『小学館コミック大賞』で佳作を受賞。
編集長にもお声がけいただいた。

が、やはり絵の問題がどうにもならなかった。
とにかく絵が下手なのである。

高校時代にアニメーションを制作し、25分という大作の原画1000枚以上を描いていたが根本的に絵が下手だったのである。
前回も話した通り、絵が下手すぎてアシスタントをいくつも断られた。
どうしたら上手くなるのか?
とにかく描きまくった。
当時極貧だったので古本市などで数百円で売っていたプレイボーイの70年代総写真集という分厚い本を買ってきて、写真全てを模写したりした。

今回は割愛するが、この技術的・数学的な絵の技術とパッション的な混ざることの無い部分をうまくミックスできないといけなかった。
そういう人間の気持ちとか生き方を絵に反映するということが全くわからなかったのである。
それを知るには6年という月日が必要だった…

話はそれたが、決まったキャラクターを使ったとはいえ、ロイヤリティーマンは自分がやりたかったことの集大成にしたかった。
なぜか思い入れがあり(紐解くと長くなるので割愛)マンゲリラにも彼を登場させた。

元々、サラリーマンヒーローという形でキャラクターを作りたかったのだが、所謂忠誠心『loyalty』をもとにキャラクターを作るというところに落ち着いた。
胸に忠誠心のゼッケン。
レスリングスタイル。
というセンスもへったくれもない。
そういうものがやりたかった。
込み入ったデザインが苦手になっており(80年代後半から90年代にかけては線画多いものが好みだった)丸描いてチョンくらいのデザインで良いとまで考えていた。

もちろん、ロイヤリティーマンは貧乏だが真面目で忠誠心が強い。
正義感も高い。
そういうイメージを持っていたのでデザインはよりシンプルでダサい。
という感じにしたかったのだ。

そしてとにかく『忍耐力』。
耐えて耐えて耐える。
そういうヒーローを描きたかった。

自分が体験したこと。
スーパーで仕事をした時にキャバ嬢に呼び出されて2時間正座させられて説教された…
意味なく殴られたこと…
アシスタントをやめてアルバイトに行った時に若手にいじめられたこと…

枚挙にいとまがない理不尽に耐えた。
そういう世の理不尽に耐えてロイヤリティーマンがいる。
そういう作品にしたかった。
自分を反映した作品を作りたかったのだ。

漫画家にどうしてもなれずに馬鹿にされ、絵も下手だ。
そんな状況をどう打破したらいいのか。
好きなことで馬鹿にされるのは辛い。
生活もできない
もうこのまま終わってしまってもいいかなあ…

くらいに思ったこともある。

その時に師匠が言った一言

『君は悪いのは世の中のせいにしている。
編集は俺の作品をわかってくれない馬鹿だ
お客は結局エロがなきゃ読まない馬鹿だ
漫画の芸術的センスがわからない馬鹿だ

そうやってみんなを馬鹿にしている。

エンターテイメントってわかる?
おもてなしって意味だ』

と言われた時に、本当にハンマーで殴られた気がした。
自分は世に作品を出すのに読んでもらうマスの人たちに対してわからない人たちだ、と馬鹿にしていた。
そうじゃないんだ。
作品は美味しいご飯を提供して、そして美味しいって言ってもらう。
それが全てなんだ!

と思った時に、あっという間に漫画家になれたのだ。
全てを通り越して連載だった。

こんな簡単なことだったのに、こんな簡単なことがわからなかった。
でも自分には限りなく難しかった。

だが、漫画家は失敗した…

が、漫画は職業でなくても良い。
表現がしたい。
読んでもらいたい!

そういう思いをロイヤリティーマンに込めたのだ。

これが2008年10月。
連載を終えて3年の月日が経っていた。

そして、漫画だけをまとめて2011年にロイヤリティーマンを総集編として制作した。

そして翌年2012年にコミティアに参加して所謂『創作』のみの同人誌即売会でどう見てもらえるか…
読者に直で見てもらった。

コミティアはとても良かった。
販売数はさほどではなかったが、出版社や個人印刷所などかなり精力的に作家を探している。
そんな中、この売り上げが少ない状況で、次回開催時のパンフレットの書評が載ることになった!

コミティアでは読者書評として良いものは次回のパンフレットで紹介される。
これだけ少ない販売数なのにピンポイントで選んでもらえた!
本当に感謝した。
自分が力を入れて描いたものが評価されたのだ!

そして、カタログに乗ると次回はかなり販売数が伸びる、というまあ当たり前のことが起きる。

はずだったのだが、ここで大きな問題が起きたのだ…
時代はSNSが猛威をふるい始め『漫画のありかた』が大きく変化してしまったのだ…

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