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【漫画絶筆、とソフビ原型へ〜】もう一度漫画を描こうと思った理由・その3
『自由に漫画を描く!』
と言ってもなんでもいいわけではない。
結局前回書いたように『食事を提供する』と『おいしいと言ってもらえる』がセットであることが読んでもらえることの最条件になるのだ。
そのために編集部というものは長年培ってきたノウハウがある。
読者に響きやすく読みやすい。
そう言ったものを新人漫画家に叩き込む。
またはベテラン作家の暴走を修正する。
などが仕事の一つである。
そういうものを一生懸命勉強したきたのでそういう軌道からは外れたくない。
好きなもの描いても評価されるために同人誌だろうがなんだろうが世に放つのである。
もちろん、近代漫画なんていうのは70年程度の歴史しかない。
その中で何度か出版業界が崩壊しそうだ、という噂があった。
自分が漫画を持ち込むことをやめた数年後以内に、こんな末席にいた自分にすら危機が迫っていたことが伝わってきていた。
主に、ヤングサンデーがスピリッツに吸収(それだけで作家が半分になる)
週刊少年サンデーが20万部を切る。
不確定だが当時20万部を切るとコンビニに置いてもらえない、という話を聞いたことがある。
小学館系列の作家さんについていたのでその実情はダイレクトに聞こえた。
また超大手出版社が新庁舎を建てたが雑誌の売り上げが急激に落ち、手持ちの不動産を売っていた。
などの噂も飛び交うように。
と当時に、漫画自体も冒険できない状況だったのは外部から見てもわかった。
〇〇のような漫画。
〇〇のような演出。
もっともっとわかりやすい話。
等々…
良い意味で期待を裏切ることが漫画の使命(と思っている)だが、まるで杓子定規に乗ったお話…
悪手には悪手が重なり状況が悪くなったのであろう。
そんな時代に突入していた。
そんな中、コミティアでカタログに載った!ということに意気揚々とイベントに向かったが、事態は大きく変化していた…
イベントの内容の変化だ!
相変わらず人が多い。
お客さんも多い。
しかし…
皆が本を買わないのだ。
気にしながら周りをリサーチしてみると…
驚いたことに、まわりのサークルも売れてないのだ。
『Twitterで見ました!応援してます』
というあいさつが飛び交う。
そう、SNSで交流を持つことで作家とのつながりが完結してしまってるのだ!
元々、同人誌即売会とは良い本を見つけ、そして交流をする。
もちろん『本を買う』ことで交流が成り立っていた。
それが既にTwitterで交流をした気分になってしまい本を手に取らない。
隣がメジャー出版社の中堅雑誌で連載してる作家さんだった。
そのために人がひっきりなしに出入りし、挨拶に来る
『売れてますね〜』
と彼から自分に話しかけられる。
いや、うち5冊しか売れてないけど…
確かに、隣の漫画家さんは100円のコピー本…
たった100円のコピー本なのだ。
それを来た人が買わない。
100円の本をだよ?
挨拶はひっきりなしに来るのに100円のコピー本を買わないんだ…
これを見た時に、もうこれは無理だ…と感じた。
いや、方法はいくらでもあるだろう。
Twitterにずっと作品を載せる。
無料で。
しかし、現在ならわかるが果たしてそれで残った作家がどれだけいるだろうか…
才能がなく、ただただ努力で乗り切って漫画を描いてきた。
が、既にもううまくいかない言い訳がなくなるところまで来てしまった…
こう聞くと『本当にただのダメなやつじゃないか!情けない』とお思いになるだろう。
しかし『漫画家』には『運』という実力がないとダメなのだ。
よくわからないかもしれないが、実は出版社に持ち込みした時から漫画家になれるかどうかはある程度決まってしまうのだ。
これが『運』である。
どういうことかというと『担当編集が誰か』に全てがかかっている。
これは当人にはどうにもできないのだ。
しかし、これを呼び込めるのが『運』で『実力』なのである。
自分にはそれがなかった。
そのために最初の4年間は棒に振った。
いや、編集が悪いというわけではない。
むしろ情熱的に向かい合ってくれた。
新人編集で初の担当。
ものすごく力を入れてくれた。
しかしそれとは裏腹で色々と問題があった。
もちろん、自分も絵が下手だし面白いものを描いていたかどうかはなんとも言えない。
しかし、編集と二人三脚で漫画はできる。
その運の引き出しに失敗した。
ただそんな中、拾っていただける神もいた。
それが秋田書店だった。
さて、それとは別に。
パチ怪獣大図鑑という同人誌で裏表紙にこれを使えませんか?
とあるものを渡された。
それがロイヤリティーマンをモチーフにしたフィギュアだ。
これに衝撃を受けた。
元々、ボークスの圓句氏が手がけたデビルマンを中学生の時に見て電撃が走り、造形を嗜んでいたことがあった。
その気持ちがそのフィギュアを見て湧き上がってきたのだ。
『自分も作りたい』
その気持ちで早速ロイヤリティーマンを作り、複製してワンフェスに出てみた。
同人誌つながりで、その造形物を持ってきてくれた『おおさかさん』がその一連の流れを見てこう言った。
『怪獣軒って知ってます?
ソフビメーカーなんですけど。
原型師がいなくて困ってるんです』
と。
『やってみませんか?』
という一言で、初めは悩んだがこのまま漫画もどうだろうか?という気持ちもあったので思い切って怪獣軒の代表とお会いした…
今回は造形の話は割愛するが、こうしてソフビ製作を始める。
スタートこそ惨憺たるものだったが、おおさかさんと販売計画と展開を何度も何度もやり取りをし、2年後には月産数体、さらに数年後にはメディコムトイでの原型も担当し、月産多い時で6体を超えた。
明らかにこちらの方が性に合っていた。
まず、争う相手も少ない。
業界も風前の灯で活躍しやすい状況だった。
いや何より、漫画で培ってきたクリエイティブな姿勢や戦略、作品に対する自分らしい造形など全てが役に立った。
『ものを作ることは同じだ!』
そう思ったらものすごい勢いで全てが回ったのだ。
これが2010年以降の話。
原型のピッチが上がる2015年(メディコムトイとのお仕事が始まる)には漫画を絶筆。
ロイヤリティーマンは2014年を最後にストップ。
しかし、おかげさまで読んでいただいた方からの熱いエールで2019年に10pほどコピー誌で続きをチャレンジするも、微動だにせず。
これを機に漫画から完全に離れた。
あまりにも原型が忙しすぎたのだ…
これが、また大きく変化する。
コロナウィルスの脅威が時代を席巻するのである