もう一度漫画を描こうと思った理由・その1【漫画家としての敗北】
『漫画家として完全敗北だった』
2002年に漫画家としてデビューして3年弱。
デビュー連載という好待遇をいただけたのだが14話にして本編が終了。
それから1年間漫画コラムを連載させていただいた。
連載終了の理由は『単行本が出ない』ということ。
連載で単行本が出ないということは、まだ新興雑誌であった『チャンピオンRED』では連載を続けることができなかったのだ。
秋の夕方には自分にとって特別終焉をもたらす。
ソフビデビュー作も2個しか売れず秋の夕暮れをがっかり肩を落として帰路に着いたものである。
もちろんそれより先んじてだが、いわゆる漫画家として『クビ宣言』も秋の夕暮れだった。
この時期になると何か悪い知らせがあるのかも…
というトラウマまでもってしまっている。
もちろん、連載が終わったからと言って『漫画家として死亡』なわけではない。
再チャレンジをかけてまたネームというコンテを編集者に見てもらい連載企画を取るよう努力する。
そんな中で、ネームを進行していくわけだが…
やはり人気があるわけでもなく終了した漫画家に対しては編集部もそこに時間をかけるわけにはいかない。
なかなか会っていただく時間もとってもらえず企画に時間がかかる。
そして、出来上がったもの、というよりは編集が『OK』と言ったもの。
それは既にこの世にいくらでもある漫画で、自分でなくてもこれは描ける…
そう思った瞬間、『完全敗北』だった。
いや、それでも職人作家として生きていければそれは最高の漫画人生だが、もう気持ちが負けた。
その時に『メジャー誌はもう無理だ…』と諦めたのである。
あまり話が長くなるのもいけないので『どうやって漫画家になったか?』というのはまたの機会とし、今回は現状
『なぜ漫画をもう一度描こうと思ったのか?』
に絞っていきたい。
まず、連載誌と漫画について少し触れておきたい。
当時チャンピオンREDという創刊雑誌に連載の機会をいただけた。
ここまでくるのにどうだったか、というのはまたの機会にするとして、漫画の内容はというと…
当時ビンテージ漫画が流行し始めて価値がどんどん値上がりする…
そんな中でコレクターたちのくだらない日常を描いていく。
というお話。
自分なりに割とリアルなコレクター事情とそれに翻弄される人たちをギャグとして描いた。
しかしながら、同時期に古漫画をモチーフにした漫画があり、比べられていた。
こちらのリアルな事情は読者を憤慨させていたことは間違いない。
本当のことを描くと当事者は憤慨するのだ…
というのを身にしみて感じた。
こちらとしては
『作者に1円も入らない古書を漫画を愛しているから集めている』
という綺麗事はさらさら描く気はなかった。
そこには自分の欲望を満たすためにおじいちゃん同士が殴り合いの喧嘩をして自分の本を買い漁る…
そういう現実を目の当たりにしていたのでそういうのを面白おかしく描いたのだが…
まあ、当然受け入れられなかった。
そして漫画コラム『まんがケモノ道』を執筆。
そして終了。
新たに出した企画は、それこそまだ誰も手をつけていなかった『スーツアクター』の物語だった。
新人の、しかも連載が終了した作家アイディアは軽視されるものだ。
のちにスーツアクター漫画メジャー誌で展開され、ドラマ化されるなどの脚光を浴びることとなった…
その『完全敗北』後。
しばらく漫画家のアシスタントだけで生活する。
ただ、コラムを書いていた頃から少しずつ
『自分の描きたい漫画を描くなら同人誌しかない』
と同人活動も始めた。
同人というと今や二次創作がメインだが、元々は石ノ森章太郎の墨汁一滴や大正の文豪など同人誌から出発している作家は多かったりする。
また、逆に同人誌界からの青田刈りもメジャー誌で始まるなど時代が変化しつつあった。
初めは二次創作から始めたが、のちにストーリー漫画もやるんだ!
という意気込みで始めた。
またその頃、漫画家アシスタントにも限界を感じ始めていた。
時代がデジタル化が進み、それぞれのスタジオにパソコンを導入。
デジタル化が進んだ。
何お言おう、その働いているスタジオのデジタル化システムを構築したのが自分で、のちにそのデジタル化で漫画界を撤退しよう…
というきっかけにもなってしまったのだ。
デジタル化は仕事をスムーズにすることにはものすごく長けていた。
いろんな職場で背景や書き文字を書き溜めし、また気に入った表情なども書き溜める…
それを再構築し原稿を製作する、など効率化がどんどん図られた。
そうなった時に『描かない漫画』『ひたすらパッチワーク』という作業にだんだんと嫌気が差してきた…
そもそも、絵がものすごく下手でこの業界に入ってきた。
どれくらい下手だったか?
というと、アシスタントに入って絵の勉強をと編集に言われ、漫画家さんをあたっていただいたのだが全て断られた。
答えは『絵が下手だ』ということ。
自分自身、ものすごく絵が下手なのはかなりのコンプレックスがあった。
しかし漫画を描きたかった。
ストーリーを描きたかった。
自分のストーリーを表現するためには絵が描けるが必須だった。
しかし努力した。
描いて描いて描きまくった。
それでも下手だった。
でも紙からペンを離して、さらに書き溜めたものをパッチワークで作業していると
『なんのためににこの業界にきたんだ?
パズルをやるためか?
この作業に1日の大半を使ってクリエイトと言えるのか?』
という気持ちで苦しくなった。
そして、やめた。
バイトをしながらでも絵は描ける。
その方が効率的だ。
そうしてバイトをしながらオリジナルストーリーを同人誌で出した。
パチ怪獣大図鑑
本の内容としては、今やタローマンなどでは知られている
『メタフィクション』
という手法をとった。
『70年代にこのような番組企画があった!』
『こんな商品が出ていた』
などというデタラメを書いた本になった。
友人たちと共著で出来上がった本だがここでオリジナルストーリーをぶつけることにした。
それが
『ロイヤリティーマン』
である。