終戦の日から最遠の春夢日和に~長崎の「平和祈念」に学びたい国民情緒~
⚠投稿時期に同じくして発表された以下の記事も、執筆の動機として大いなる後押しになりました。併せてご参照いただけますと、理解の助けとなるはずです⤵📰
初投稿に当たり
不慣れな拙筆をお赦しいただけますと幸いです🙏😌
戦争の経験はなくとも、例年、式典を見て感じたことを語り継ぐ精神はあってもよいのではないかと、昨秋にお亡くなりになった被爆者代表の方のご冥福をお祈りしながら綴っております。
そもそもが長文であり、見苦しい点がございましたら恐縮ですが、今後とも筆者自身が精読・愛読しながら、長期的に手直ししてゆければと存じます。
平和とは一定の「正解」に頼る話題ではありませんが、皆様それぞれの「解」を確かめることで、徐々に共通認識の像を探り当ててゆけるのだと考えております🛣
(※その探り探りの結果が、長文に及んだのだろうと、ご容赦・ご愛敬をば下さいますといっそう報われるでしょうか😂
皆様にも少しずつ氣長に読み返していただきながら、対話的に楽しんでいただけますと励みになります👏😊)
なお、題名に含めた「春夢」とは、立春を過ぎた時節にちなんだものですが、「人生のはかなさのたとえ」としても使われる言葉だそうです。
毎日は、きりなく明日へ向かう連続的な今日といえますが、明日の平和にまつわる考えや理解を深める、今日の手がかりを提供できていれば光栄です✨
まえがき:〈愛〉と〈平和〉の行事の季節に見る【春夢】~
(投稿時点で、2022年現在の)今冬は、2月14日の聖バレンタインズデーが3連休明けに重なり、同月4日の立春当日には北京での冬季オリンピックが開幕しました。
〈愛〉の〈平和〉の行事をめぐって、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
――筆を執る本日15日は、終戦の日から/まで半年という時節です。
何とも、わざわざ奇異な投げかけをしているようにも見えるかもしれません。
しかし、実際に、毎月❝9日❞には、長崎市にて原爆投下の時刻に、平和祈念式典で毎年演奏される50周年記念歌(曲名:千羽鶴)が流されるという実例があります。
筆者は平成生まれであり、関東の出身・在住とあって、戦傷病者・戦没者の方々を日頃から身近に感じる機会はありません。
すると、定期的に平和に想いを馳せるにも、何とも取り留めのない思索になりそうですが・・・
政治的な考えに流されず、各自の視点でじっくり平和を問い直すには、記念日からは最遠となる今こそが時宜ではないかと、改めて感じております。
――余力があれば、「建国記念の日」に際して日本の歴史を少しでも思うことがあればよかったのでしょうが、筆者はそうした愛国心にまでは至っていないからこそ、国民の一員として自然体にあれこれ考えてみたいという趣旨で、本記事に臨んでおります。
冒頭にも述べた通り、初投稿の拙筆のため、変に大胆な、もしくは遠慮した表現が見受けられるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
※おことわり:長崎に特化して紹介する理由としては、例年、長崎原爆の日に放映される平和祈念式典を観賞し、その中で流れる記念歌は、筆者も人前で演奏した思い出の楽曲であることが一つです。
特に、昨夏(2021年)の平和祈念式典において、「平和への誓い」を読み上げた岡信子さんが、この半年間で他界されたことから、ご冥福をお祈りする意も込めております。
長崎以外の各都市の歩みも等しく尊重しながら、筆者にとって親しみのある事例を挙げ、陳べることといたしました。
また、特定の信条の是非を問う目的は一切ございませんので、何卒ご理解いただけますと幸いです。
第1章:長崎に見る、平和を❝祈❞念する意識
長崎の式典では、「記念」ではなく「❝祈❞念」という表記を当てています。
筆者の私見ですが、
📌過去の「記」憶を残しつつ、未来にも向けて「祈」り続けていく志向
📌周年記念日に頼らない、より継続的な「祈」念としての志向
が感じられます。
なお、毎月❝9❞日、原爆投下の時刻に放送される記念歌「千羽鶴」を紹介しました。
こちらもまた、特定の資料館ではなく市域全体にて、歌詞のない「音楽放送」として流されることから、記念と共に日常的な祈りとして、筆者は感じ取っています。
もちろん、ただ未来へ向かうばかりでなく、痛ましい過去を追悼する祈りも含めての祈りです。
📰毎月9日11時2分の音楽放送 - 長崎市
→http://www.city.nagasaki.lg.jp/i/co/?beid=233&id=271
🎧実際の音源
→https://www.youtube.com/watch?v=K6CLNTo2bmA
🎧式典での歌唱(歌詞字幕表示有)
https://www.youtube.com/watch?v=ZsOkSsTvV7Q&t=2031s
※参考/筆者による演奏
https://www.youtube.com/watch?v=7tH84zxsmcs
※歌詞もまた、戦争に対する言及はなく、「平和への祈り」が込められていることを踏まえると、より❝祈念❞する意識が見えてきます。
第2章:等身大の一都市から、共にする時代に乗せた世界への「祈り」
この挨拶を耳にした時、筆者の心は、痛ましさより温かさに包まれ、こんなに大らかに平和を願う心があるのか、とたいへん驚いたものです。
自都市が被爆から「4分の3世紀」が経過した、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目に立った年です。
しかし、引用した通り、東日本大震災での原発事故に言及し、同じく放射能の被害を受けた福島の土地や人々を思いやり、コロナ禍初年のにまで言及されたのです。
更に、戦争体験を語る被爆者も、新型コロナに挑み続ける医療従事者も、「平和のために私たちが参加する方法」として紹介されました。
そして、その方法は「無数にあります」と「世界の皆さん」に呼びかける主張でした。
(※同年の、他の都市での戦争関連の式典における宣言全文も拝見しましたが、そういった言及は見られませんでした。あくまで言及されないことがよくないといった見解ではなく、内容を比較検討したまでです。)
また、その世界への訴えとは、長崎のために見返りを求めるものではない文脈である点に好印象を覚えました。
以下、筆者の率直な印象に過ぎませんが・・・
式典の全体的な雰囲氣としても、国家的・国際的な位置付けではなく、一都市としての等身大の姿が見え、過去をたどりつつ現在や未来の温かさが感じられるのが、長崎の「平和祈念」の特徴だと感じています。
年々、他の戦争関連の式典を生放送で拝見していますが、願う先は平和でも、その原動力となる負の側面を感じ取ってしまいます。
平和条約の訴えや、戦争当時の証言を次々に耳にすると、その内容の深刻さ以上に、うかつに当事者でない人がともに考えようとするのは浅はかではないかと申し訳なさを覚えてしまい、ほとんど向き合えていない現状です。
黙祷も、不勉強な者が私情を挟まず黙り込む時間のように捉えられてしまっている側面があります。
――その中で、長崎の式典では、市長が、全国の視聴者を招き入れるようにして言葉を投げかけてくださり、毎年聴き入ってしまうのです。
後述の被爆者代表:岡さんの足跡も含め、温かみを感じ、放送後も積極的に調べたくなったという流れは、私の中では貴重な空間です。
もちろん、長崎に限定する意図はなく、沖縄の全戦没者追悼式で、戦争の非体験者から読み上げられる「平和の詩」には、温かさが感じられました。
https://www.youtube.com/watch?v=R-VorccEA78
📼動画名:沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する首里高校3年・高良朱香音さん 📅投稿日付:2020/06/23
先述した繰り返しになりますが、筆者を含む、戦時中にはまだ生まれていない未来の世代が、戦禍への関心を寄せることは、不謹慎ではないかと思ってしまうことがあります。
ですが、平和が失われた世界の理解によって、平和への考えを深める確証とできると考えます。
政治的な思惑ではなく、客観的な証言に触れることができる場を求めたいと思います。
第3章:歴代最高齢の被爆者代表、故:岡さんから筆者が引き受けた「誓い」
岡さんは、90歳を迎えるに当たって、被爆体験を語る活動を開始されました。
昭和・平成と語られないままだった当時の様子が、忘れ去られることなく、まざまざとありありと感じられたのは、ずっと独りで抱えてきた純粋さも感じられました。
被爆当時は、看護学校に在学中で、自らも被爆されながら、市民の救護に当たりました。平和祈念式典にて「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表としては、過去最高齢での抜擢となり、式典から3ヶ月後、他界されました。ご冥福をお祈りすると共に、岡さんに向けて遂に届くことのなかった筆者の想いをここに羽ばたかせることで、遺思を引き継ぐ一員に加われたらと存じます。
本人としてはおつらいことだったろうと思いますが、歳月を経て肯定的に捉え直すばかりでなく、当時の感覚や記憶を残していることが貴重な証言だと感じられました。
また、式典での岡さんの語りを聴いた筆者は、岡さんに宛てた書信を作文していました。
その中に、「もし、私が何かの経験者として語る時が来るなら、それまで生き続けようと、人生の後輩として希望を分かち合っていただきました。」と書き残しており、それは今も最たる想いとして尽きるところです。
「それでも救護員か!」という一節は、岡さんの他界を知った時に、筆者が真っ先に直接向けられたかのように思い出された一節です。
式典は生放送で観ておりましたので、岡さんに感激した私は、勢いに任せて書信をしたためたのですが、遂に届けることはありませんでした。
筆者においては、特に目を塞ぎたく逃げ出したくなる光景が眼前に広がっていたわけではなかったはずなのに、どうして逃げ出して、頑張れなかったのかという未練も渦巻きながら、この執筆に臨んでおります。
(もし、目の前に広がるものがあれば、むしろ衝動的に勇敢に進み出るくらいの人なのにと我を省みております。)
思えば、未成年の頃から、祖母に手紙を送ったり、最近でもいとこと文通を交わしていたりします。
そんな筆者が、岡さんを前に諦めてしまったというのは、熟慮した上でのことだったのかもしれません。
関係性がある相手であれば、積極的に連絡することに意義があると思えるのですが、見ず知らずの相手であれば、その方が場を開く機会に合わせて出向くのが礼儀であって、個別に打診するという発想には至れなかったようです。
岡さんのご病状を存じ上げていなかったことや、コロナ禍もあり、終息した頃に、長崎で岡さんを囲む会が開かれたら、そこに足を運べたらと氣長に考えてしまっていました。
筆者のように届かなかった声があって、ほかにも放送を通じて想いを寄せた人々が確かにいる(Yahoo!ニュースでは、その実際の声が散見されました)ことを伝えたいものです。
奇しくも、この執筆に臨む直前の新たな報道で、岡さんの幼馴染の方と、そのご次男が、岡さんに代わるご活動を展開なさっていることが判りました。
今度こそ、先送りにすることなく、聴講・交流の機会があればお訪ねしたいと考えております。
「睦ちゃんから天国のももこへ 「命をかけた宣言」平和の遺志継ぐ」
https://mainichi.jp/articles/20220210/k00/00m/040/357000c
あとがき:武力なき世の中にも未達成の【平和】
コロナ禍により、経済面での困窮や衛生面での課題を残しつつ、ひとまず、身の危険を不安視することがない暮らしを送っている日本の我々は、一定の平和を体現しているともいえます。
逆説的ですが、平和について考える必要がない情勢は、平和の一つの証とも見なしえます。
延期されるも開催された昨夏のTOKYO2020も、今冬のBEIJING2022も、放映を楽しみ、選手の活躍に盛り上がるひと時は、応援者・視聴者総出で平和の象徴を飾った場面かもしれません。
ですが、昨今ですと、ドーピング問題や不正な判定の疑惑に上ると、国家ごとの考えの違いや、全世界市民が平等でない差別や偏見が浮かび上がってきます。
もし、武力が無くなった世にも、社会的圧力や、群衆規模での勢力による歪みは残り、ここでも引き続き平和の精神が追求されていくのでしょう。
――もはや終戦や核廃絶の話題からは逸れておりますが、痛ましさ以上に、分かり合えない寂しさが平和を希求する原動力としてより強く感じられるのは、私だけでしょうか。
もともとは排除する意図などない人でも、ある立場・存在を過度に守ることで、別のある立場・存在が守られなくなる不均衡が連鎖した結果、見かけ上は平和な世の中なのに平和でない事情を抱えるという風景が起こるのだと思います。
また、戦いの手を止めても、わだかまりが残っていれば、その戦いは潜在的などこかで続行しているといえます。
新たな開戦を恐れるよりも、完全な終戦へと向かうべき現状を見つめることは、例えば、我々の日常風景における、些細な人間関係の掛け違いにも当てはまることだと思います。
他の共同体の価値観をいきなり分かり合おうと試みることは困難かもしれませんが、平等な機会と公平な視座で分け隔てなく対峙する姿勢が、平和への第一歩ではないかと考えます。
戦争その他被災経験がない筆者には、平和を失って平和の重みを実感する機会といったものはなく、現段階では、きっとどんなに探求しようと明確な答えを得ることはないのかもしれません。
ですが、唯一ともいわれる被爆国の未来を生きる国民が、こうした思索の軌跡を残すことは意義があると考えています。
改めて、冒頭に立ち返りますが・・・
――バレンタインやオリンピックといった〈愛〉や〈平和〉の行事を経て、どんな心地でしょうか。
――そこに具体的な〈愛〉や〈平和〉の情景を見出したとすれば、今後に引き継いでいきたい〈愛〉や〈平和〉の風景はありますか。
唯一の正解はなく、様々な見解が自由に飛び交うさまを見届けるのも、また新たな「戦い」の始まりにもなりかねませんが、平和を基底として共に考えていけたらと思います。
平和の世に生きる中にも、維持もしくは更に追求できる平和へ向けて、今後の人生を選択する誓いと共に、筆をおきます。
お付き合いいただき、ありがとうございました。