
意識の中に眠るもの
まとまった文章が書けるようになった頃、まだ僕は小学生に入る前のことだったと思う。「鸛(コウノトリ)」という言葉を書いて、百科事典の中から、その鳥が出てくるような感覚を持って、小鳥を頷かせた。こうした言葉遊びをする人は、なかなか周りにはいなかったが、頭の中で感覚的に(折り紙を使った)折り鶴や画数の多い鬼、カタツムリなどを作ってみるという作業、殊更それは、空間的な能力を鍛え上げる材料になるものだった。四季折々の和紙を、母がしまいには買ってきてから、できる限りの画数を折る作業を繰り返した。そうして、共働きの教師の母に良く渡したものだった。
僕の最初の記憶は、ひな祭りの横に飾ってあった「ごんた人形」であった。前髪が一直線に綺麗に揃っており、そのお人形さんと一緒に真っ直ぐな髪の毛をした自分を照らし合わせて、二人で睨めっこをしていたことを思い出す。それから、おばあちゃんにこの人形の詳細について聞いた。それを見た母親は笑っていたが、実家が出来た頃だったから、30人は祖父の同僚や上司、部下などが集まっていたのに違いない。その中で、びっくりするほどひな祭りの人形を横目に、「ごんた」と仲良くなろうと考えたものである。恐らく2、3才の頃であろうと思われる。そして、僕はひょっと廊下に出て世界の文学全集のある母の書物を見た。心理学と国語の先生だった母よりも、読解能力があったのかよくわからないが、確率的な解釈で本ばかり読んでいた母に、笛を吹きながら、ヘミングウェイやトルストイなどの世界文学全集が並べられている中で、日本の文学全集を見て、川端康成や遠藤周作といった人から、プロレタリアの武者小路実篤、小林多喜二などが入っている中で、人生で最初にページを開こうとした三島由紀夫の名前を呼ぶ前に、母が何かを隠したように、この本には「永い間、…」と書かれてあったようなと言って誤魔化したのを覚えている。それが、20歳に入る前後に文学の本に耽った理由であった。
その後、色とりどりの折り紙で、母が帰る前によく折り紙を折っていたのを覚えている。母がとびっきりの優等生であった為、家にピアノを入れる作業をしたのも記憶を辿れば、思い出してしまった。僕の幼少期は、カトリック系の幼稚園であり、わんぱくものでもあった。自分が常に中心にいて、金銀銅メダルの表彰台のように、それを倒した影で、幼少期から同級生に2人の女子家来を従えていた。こういうと何とも言えないが、保育士の先生にも、やきもちを焼かれていたほどだ。カトリック系の幼稚園は、お腹が空くころになると、鐘がなった。そして、卒業式の頃に、王子役をやって欲しいと依頼があった。相手の王女に小さな声で「髪がごんたやなぁ」と言った。
何となく、髪がヘルメットを被ったような典型的な子どもだった。そうして、80年代は終わっていく。
幼稚園で、王子役。それが、僕の小さな青春であった。
水辺に春の日差しが感じられた。ヘーゲルのような、小鳥はそこから螺旋を巻いてずっと僕の意識の中に、強い力で靡いているように思うんだ。