patercycleとは? (バイオ編 5)~2人バンド結成~
このシリーズ、前回ロックの日(6月9日)の投稿から2か月以上たってしまいましたが、どっこい続いています!
前回はこちら→patercycleとは? (バイオ編 4)~初めてのバンドの終わり~
「なんで弾けるん!?」
人生で初めて自分で組んだバンドを終わらせた、ところで終わってましたね。。
時間は少し戻って納涼ライブの本番前。少し時間があったけどライブハウスの楽屋は出演直前のバンドしか入れず、どうしようかと思っていたら、「家ここから近いから来ます?」ともう一人のギターA君が言ってくれたので、ギターを担いで遊びにいきました。
A君は部屋に入ると、ミニコンポのスイッチを入れ、曲をかけました。
PavementのRange Lifeという曲でした。
たまたま僕も好きな曲で家でポロポロ弾いたりしてたので、CDに合わせて弾き始めるとA君は驚いて「なんで弾けるん!?」と聞いてきました。
僕が「この曲好きやし家でたまに弾いててん」と言うと、A君は黙っていましたが、何かを感じたようでした。
そこから、A君と二人でちょこちょこスタジオに入るようになりました。
僕はその1年ほど前から音楽教室でドラムを習い始めていたので、主にドラムを叩いたりしていました。
A君は軽音サークルの他に別の軽音部にも所属していて、その部室兼倉庫がスタジオになっていて、部室のドアに貼ってあるスケジュール表に空きがあれば自由に使えるという事でした。
本体のマダムガイは、練習以外ではあまり交流がないバンドでしたが、A君とはたまに練習後にメシを食いに行ったりしていました。
僕は元々その大学と関係があるわけじゃない(いわゆる部外者)しサークルの人達とも交流もほぼなかったのですが、A君もワイワイ騒いだりするタイプではなく今でいう「陽キャ」の人達を冷めた目で見ている感じでした。
そういうところで妙にウマが合ったのかな、と思います。短大を出て以来、初めての友達と呼べる存在ができたと思いました。
そして、マダムガイが終わった後もA君とスタジオに入るようになったのです。
二人でスタジオに入ったときは、たいていコピーをやっていました。
前述の通りA君はPavementが好きで、僕はTeenage Fanclubが好きだったので主にその2バンドの曲をやっていました。ギターとドラムだけで。
パートが足りない上にはっきり言って僕もA君もドヘタでしたが、楽しんで思いっきりやっていました。一度、スタジオの外で練習を聞いていた他のバンドの人達が「めっちゃかっこいいやん!」と言いながら入ってきた(部室兼荷物置き場になってたので)ことがあったけど、演奏がぶっ壊れていたせいでパンクに聴こえたのかもしれません(笑)
「はぁ…こんな事やってていいのか?」
二つのバンド以外にもビートルズ、マダムガイでもやっていたベルベット・アンダーグラウンド、ニール・ヤング等のコピーをしていました。
ちょこちょこオリジナルもやったりしたものの、なかなか納得いく曲ができないのもあり、やはりコピーがメインでした。
真面目に練習する日もあれば、コンビニで食料を買ってスタジオ内で食べながらずっと話をしてたり、A君が授業に出て来れないときは一人で入ってドラムを叩いて録音して持ち帰って他の楽器をダビングしたり、かなり自由にやっていました。
しかし、スタジオに定期的に入ってはいるもののライブをやるなどの目標もなかったので続けているうちに少しマンネリ化してきて、良くない雰囲気になる事もありました。A君は僕より4つ下でしたが、基本はタメ口ではっきり物を言うタイプでした。そんな事もあり、時々軽音サークルのA君の友人G君と3人でスタジオに入ったりもしました。
ちなみにバンド名は「ビール」。
A君とG君がスタジオに入っていた時に付けたもので、その前は「ビル」だったらしい。。なんか気が抜ける名前やなあ(ビールだけに・・・)。
その後やっぱバンド名を変えよう、と「ペンダント」「小径(こみち)」「ビール・ユア・ホープス」など考えるも、結局「ビール」に。ビール強し。
そして、やっぱメンバーを増やそうという話になり楽器屋やレコード屋等に貼り紙をしました。「とりあえずベースかドラムができる人」みたいな感じで。
そして応募してきた人に会ったり、スタジオに入ったりしました。
応募してきた中には、僕らと同じように二人で活動していてメンバーを増やしたいというバンドもいました。
二人組というのは意見は合わせやすいし、フォークデュオとかアコースティック系なら様になるけど、やはりバンドサウンドにするには少し足りない感じがするものです。
その後、White Stripes(ジャック・ホワイト(G,Vo)とメグ・ホワイト(Dr)の姉弟による(そういう設定らしい)ガレージロックバンド)等二人組のロックバンドが出てきたりもしたけれど、その頃はまだ希少でした。
結局その時バンドメンバーは増やさず、二人で何となく続けていました。練習以外にも学園祭のライブを観に行ったり、宅録用の機材を見に行ったりと交流していました。
その頃バンド外では、A君は就職に備え運転免許を取りに行き(僕はこの頃免許をまだ持ってない)つつも、大学院に進むかどうか悩んでいたようでした。
僕はといえば古道具屋のアルバイトと家業(工務店)の手伝いをしている20代半ばにさしかかったフリーターで、こちらも進路に悩んでいた時期でした。
同じようにフリーター生活をしていた友人も進路を決め、学校に通いだしたりしていました。
バンド的に進展もなく、「はぁ・・・こんな事やってていいのか?」と軽い自己嫌悪に陥る日々。この生活から脱却したい、という思いも芽生えてきました。
そんな日々の中、何かを求めてよく本屋に通っていました。
当時住んでいた下宿の近くは大学が多かったため、深夜まで開いている本屋も沢山あったのです。銭湯の帰りに立ち読みして湯冷めして、みたいなことも結構ありました(笑)。そんな中で見つけたのが、今の自分の仕事、「木工」につながる本でした。
・・・長くなって疲れてきたので(汗)、続きは次回にします。お楽しみに!