patercycleとは? (バイオ編 4)~初めてのバンドの終わり~
すっかり「ペーターのバンド遍歴」になってますが、止まらなくなってきたので続けます!
前回はこちら→patercycleとは? 4(バイオ編 3)~いよいよ初ライブ~
迷いながら進む
マダムガイ(バンド名です)の初ライブは失敗だらけに終わりましたが、ある意味吹っ切れました。
そして、その2か月後(7月)くらいに早くも「次のライブがあるんだけど、出る?」とドラムのR君に言われ、「せっかくだし出ようか」と考えていました。
しかし、T君が一旦実家に帰るとの事でキーボードなしで考えないといけない。
でもまあ、初ライブも全部の曲にキーボードが入っていたわけじゃないし、できるよな・・・あれ?てことは僕が全部ソロを弾かないとだめじゃんか!
いや、でもこの際いっぱい練習して上達するチャンスやし、と前向きになってみたり、
ベースのIさんは元々ギタリストだし彼の好きなルースターズの曲をパートチェンジしてやろうか?とか、
持ち時間10分ほどやしTelevisionのMarquee Moon(間奏で長いギターソロがあって、1曲で10分ある)でもやるか、
など二転三転しました。
しかもその間ベースで参加してたバンドの練習もあるという。。。
結局まとまらずに7月のライブは見送って、その1カ月くらい先の納涼ライブに照準を合わせ直しました。
T君がいないのでドラム・ベース・ギターx2の4ピースでできる曲を選び直して、納涼ライブは4曲(Cheap Trick「Hello There」, はっぴいえんど「春よ来い」,Stone Roses「Elephant Stone」, The Velvet Underground「Sister Ray」)やることにしました。
前回の反省からオクターブ下で歌うのがおかしいのはわかっていたので、原曲キーで練習を始めました。Cheap Trick「Hello There」なんかは、いきなりキーが高いんですが、腹から声を出せば出たし、ちょっとだけ自信が芽生えました。
納涼ライブは、ボロボロの初ライブに比べると歌もギターもまあまあの出来で、最後の曲(The Velvet Underground「Sister Ray)では急きょ駆け付けたT君が飛び入りで参加してくれました。最後に主役を持って行かれたような感じでちょっと悔しかったりしたけど、少しは納得できるライブができました。
さて、どうする?
その後、秋の文化祭にマダムガイで出演するべく、例によって選曲会議をするためメンバーが僕の家に集まりました。
しかし、その場でベースのIさんが「辞めたい」と切り出しました。
そもそも彼はギタリストだし、バンドに入る時にベースがいなくてベースに転向してもらった経緯があったので、来るべき時が来たか、という想いでした。
以前の選曲会議の時も、基本僕のやりたい曲を10曲くらいあげて聴いてもらって選ぶ感じでしたが、Iさんのやりたい曲を1曲は入れるように気を遣ったりしていました。
最初からお互いに遠慮があったのかもしれません。
それでもIさんは最年長として、時に頼りないリーダーの僕に代わって指揮をとってくれたりしたので、感謝しつつの円満脱退?となりました。
Iさんがダビングしてくれたスミス(The Smiths)のライブ・テープ(VHS)は今も大事に持っています(スミスもやりたかったけど、ギターでオブリガード(副旋律)弾きながら歌うなんてできないし(-_-;))。
ベーシストがいなくなり、残ったのはドラム・キーボード・ギターx2の4人。さてどうする?
選択肢としては
1.新メンバーを入れる
2.僕かAくんがベースに転向する
3.T君にキーボードでベースを弾いてもらう
の3つが思い浮かびましたが、時間があまりなかった為、1はちときびしいかな、と。
曲は確か先に決めたので(記憶が少し曖昧)、曲によって違う編成にすることにしました。
曲は3曲選びました(4曲だったかもしれない)。
The Only One I Know(The Charlatans)
D'yer Mak'er (Led Zeppelin)(Sheryl Crow)
Southern Man(Neil Young)
The Only One I Knowはオルガンサウンドが売りの曲なのでT君はキーボード、ベースはA君に僕が持っていたリズムマシンのパッドを叩いてベースの音を出してもらうというトリッキーな方法で。
Southern Manもその編成で、キーボードの音色をピアノに。
D'yer Mak'erはオリジナルはLed Zeppelin(ピアノ、エレキギター、ベース、ドラム。キーはC)だけど、Sheryl Crowのカバー・バージョン(アコギ、エレキギター、ベース、ドラム。キーはD#)も良いなと思っていて、両方をミックスした感じにしました。
キーはCにして僕がアコギを弾いて歌い、A君がエレキギター、R君のドラム、ベースはT君に鍵盤で弾いてもらうことに。
僕はこの時もうベースでサポートしていたバンドを辞めていましたが、上に書いた編成を決めるまでに時間がかかったことや、ドラムのR君が他のバンドもやっていて時間がなかったことで、文化祭本番までにスタジオに入れるのは1回きりでした。たしか本番まで1週間を切っていました。
最後の練習
そのスタジオは家から近かったので、僕はアコギをケースに入れず(というか持っていなかった(笑))裸で抱えて行きました。
いざ練習が始まってみるとみんなあまり曲を覚えていなくて、僕は演奏しながらイライラしてきました。
最後に練習したSouthern ManはNeil Youngの掻き毟るようなギターが特徴だけど、この時は苛立ちも手伝って僕も掻き毟りまくっていました。
練習が終わって、「また連絡する」とはいったものの、もう無理かな~という気持ちがあり、結局本番の前日に出番をキャンセルしました。
そしてバンドはそのままフェイドアウトしていきました。僕がまたやろうと言えば集まったかなと思うけど、積極的にやる気になれず、みんな他のバンドも忙しいだろうしもういいや、と思ってしまったのです。
今思えば、ベーシストを入れなかった時、もう既に継続を諦めていたのかもしれません。メンバーが多いとスケジュールを合わせるのも大変だし、またそれを大変だと思う時点でダメですよね(笑)。
本当はもう少ししたらオリジナルをやりたいという気持ちもあったんだけど、ワンマンにもなり切れないし、気を遣うのも疲れるし。何より僕にリーダーシップが足りなかったのかな。
僕はバンドをやるのに向いてないのかもしれないな・・・と少し落ち込んだりもしました。
こうして、初めて自分で組んだバンドは一年持たずに終わったのでした。
今思い出してもなんかモヤモヤしますが、気を取り直して次回、続編で会いましょう(他の記事を先にアップするかもしれないけど)!