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突然現れた未来からの使者
日本国、東京。
その初老の女性は、ある日突然現れた。
初めて接触し診察した
新型コロナウイルス感染症の
最重症症例だった。
ただならぬその雰囲気に、
いつもは感じない空気を感じていた。
そしてこれから起こるであろう日本の事態も
そこで自分たちは予測した。
急に現場が慌ただしくなった。
自分たち以外の周囲の人を遠ざけ、
個室隔離が余儀なくされた。
レントゲン上、両肺は真っ白だった。
案の定、体内の酸素化は不十分で全く酸素が入る余地はなかったため、
すぐに挿管し人工呼吸器を装着した。
新型コロナウイルス感染症の悪化進行速度は
予想をはるかに超えていた。
ECMOという人工肺を装着しなければ
どの道、助かることはなかった。
治療方針に迷いはなかった。
N95というマスクに防護服を着て
24時間体制で彼女を診るようになった。
それが、自分たちの苦境の始まりだった。
2020年4月7日(火)
政府から緊急事態宣言発令。
今日まで、本当に数えきれないほどの感染者を診察してきた。
新型コロナウイルス感染者で
初回PCR検査で陽性反応が検出されれば、
即時個室隔離される。
陰性だからといって、
感染していないとは言い切れない。
これを紐解く鍵は感染者にある。
問題になるのが、
感染者がどうなったら隔離解除されるかだ。
一度、陽性が陰性になったからといって、
すぐ隔離解除されるわけではない。
あくまで疑念を持たなければならない。
これだけの世界規模の感染症だ。
あまく見てはいけない。
度重なる検査で、陰性を重ねていく必要がある。陰性でも、熱が続いたり症状が続けば隔離解除されない。
全身状態をみてそこの判断を慎重にしなければ、自分たちもウイルスに曝されるリスクと、
感染を拡大させる恐れがある。
この数ヶ月、その女性は頑張った。本当に。
7回連続のPCR検査陰性で、ようやく隔離部屋の閉ざされた扉が開放された。
人工呼吸器・ECMOの調整や治療薬剤が奏功し、ゆっくりではあるが快方に向かった。
ECMOが外され、口から挿管されていた管は、人工呼吸器の長期化が懸念されたことで気管を切開し、そこから人工呼吸器によるサポートを続けていた。
そのサポートも必要なくなってきた頃、
気管切開した状態で話すことができる、
「スピーチバルブ」というものを着けて発声練習を始めた。
「I try」「I try」「I try」
アメリカ人の彼女は恐る恐る、
次第に嬉しそうに、
その言葉だけを繰り返していた。
「I try」「I try」「I try」
嬉しかった。
異国の地で、一時は死ぬかもしれないと人生の岐路に立たされた彼女は、今こうして生きている。
開放された扉と共に、彼女の閉ざされた心も
解き放たれたように感じた。
心が通い始めたと感じて、
そこで彼女に尋ねた。
「What do you want most now? 」
(今一番何がしたい?)
彼女が確かに「M」「O」「V」と綴ったところでひらめいた自分は、彼女が書いているその字から彼女に目線を移して
「Oh, Movie?」と聞くと、彼女はゆっくり頷いた。
Netflixで、彼女は観たい映画を観始めると、
嬉しそうに夜中までそれを観ていた。
そして、彼女はこう言った。
「I'm happy now」
クルーズ船に乗って日本にやってきたその初老の女性は、未来からの使者なのかもしれない。
きっと、未来から自分たちへの警告だ。
自然災害や、
世界を震撼させるこうした巨大感染症により
多数の死者が出ている。
地球を、自分たちの棲家を大切にしなさいという、未来からのメッセージだと思った。
この惑星を大切にしなければ、
自分たちが歳をとって杖をついて歩くようになる未来には、地球自体、誰もいない幻の惑星となってしまうかもしれない。
そう思った。
来年の今頃には、2020年の今を回顧し、
「去年の今頃は大変だったなー」なんて、
みんなで笑って話していたい。
「I'm happy now」って。
そんな平和な未来を自分たちは祈っている。