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#6 体外受精してまで、子どもほしかったっけ?悩む日々。幸せってなに?
気持ちの温度差
いきなり「顕微授精」という難題を突き付けられた私は、もう何が何だかわけが分からず、手当たり次第にネットで調べまくりました。
目にするのは、採卵時にお腹の中から針を刺して卵子をとっているイラストや、卵子に針をさして受精させている写真。連日の自己注射と病院への通院。そして、高額な治療費。
かろうじて、タイミング法の次のステップである人工授精(排卵日にあわせて、精液を病院で人為的に注入してもらう治療)に対しては、いずれそんなこともあるかもしれない、と覚悟を決めていたのですが、まさか自分が体外受精をすることになるとは想像すらしておらず、恐ろしく、危険なこととしか思えませんでした。
こんなことをやって、もし生まれた子どもに病気や障がいが見つかったらどうするのか。
手をつけてはいけない領域に踏み込んでいる、そんな気がしてなりませんでした。
県が支援している助産師会の方に、無料で不妊治療のことを相談する機会もあったのですが、それを受けても不安感はぬぐえず、こんなことをするぐらいなら、もう子どもを授かれない運命なんだ、もともと子どもなんてほしくなかったんだ、と思ったほうがいっそ楽だ、とすら思いました。
対する夫はというと、不妊の原因はおれにあるし、強制をしたくはない。でも特に体外受精がこわいとは思わない、できれば納得のいけるまで治療をやりたい。体外受精に対し、夫との間に温度差があることを感じました。
体外受精がこわい、という気持ちすら共有できない。
そりゃ、いいよね、男の人は。
注射もないし、病院にもほとんど行かなくていいし、お腹に針を刺して痛い思いすることなんて、まったく無いんだから。
なんで女性ばかりがこんな苦労しなくちゃいけないんだ、と自暴自棄になることもありました。
来る日も来る日も、泣きながら夜中の1時や2時になるまで話し合いました。
苦しい毎日でした。
体外受精はこわい。でも、やらなければ子どもを授かる可能性すら断つことになる。
私、本当にそこまでして子どもがほしかったっけ?
だんだん、子どもがほしいという気持ちすら自分の中にあるのかどうかわからなくなりました。
苦しい決断
休日、2人で息抜きしようとショッピングモールに行くと、たくさんの親子連れが目に入ってきました。マタニティマークをつけた妊婦さんと、その隣には幸せそうに歩く旦那さん。
そんな姿を眺めながら、
「私たちもそのうちあんな感じになるかもよ」「子どもは2人か3人ほしいな」「もし子どもができたら、家族でたくさんキャンプとか旅行に行きたいね!」
ふたりでそんな夢を描いていたかつてのことをぼんやり思い出し、涙がこぼれ落ちました。
あんなに楽しみにしていたのに。私もあんな風になりたかったのに。
これまで気にも留めなかった何気ない周りの世界が、その瞬間みんな敵になったように感じました。
当たり前のようにできると思っていた子ども、憧れていた賑やかな家庭は、気づけば手の届かない遠いところに行ってしまいました。
いや、手が届くと思っていたのがそもそも間違いだったのかもしれません。
でも、私には横でいつもと変わらず優しくそばにいてくれる夫がいます。
それだけでも、十分幸せじゃないか。
大好きな夫だからこそ、ふたりの子どもがほしいという思いはもちろんありました。
子どもがいるだけが、幸せな家族のあり方じゃない。
治療に対する温度差はありましたが、子どもがいる未来も、2人でいる未来もどっちも同じように幸せだ、ということに対して、夫も思いが一緒でした。
心と体に無理して治療しなくていい、最終的に治療をするのはすべてぱた子だから。それよりも、2人でいれる未来を大事にしたい、と私の気持ちを優先してくれるかたちで出した結論は、
「体外受精をしてまで、無理に子どもを授かろうとはしない」
ということでした。
あまりに一気にたくさんの現実が目の前に立ちはだかり、子どもを授かるための努力をそれ以上する気力は残っていませんでした。子宮内膜症の痛みも限界に近づいていました。
子どもがほしいという気持ちは消えることがありません。
お医者さんからは、手術をうけても自然妊娠は望めない、と言われてはいるけど、ひょっとしたらいつか子どもを授かるかもしれないし、この先ずっと2人で生きていくことになるかもしれない。
希望を完全に捨てるわけではないけど、無理に治療はしない。
それが、その時の私たちに一番しっくりきた答えでした。
つづく>>