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ヒラメキを拾うために、歩くのだ!

歩けば、散歩すれば、ヒラメキは来ると分かっている。それでも、毎日の酷暑、熱中症アラート。散歩しながら外で書くのが難しい夏だった。で、9月になったけど、酷暑の夏は終わってない。

スマホに向かえばヒラメキは来る!
これは、無意識にすり込んだ。なんとか乗り切っているけど(過去のヒラメキに助けられてる)、やはり外で得られるヒラメキは特別よね。

何年にもわたるメモの集積、日々書き溜めるモノローグ。ネタが尽きることはなさそうどけど。日々の執筆のためのヒラメキが、もっと欲しい。

散歩すると、ある程度、ヒラメキの範囲を指定できる。その上で、長期展望的なヒラメキも来る。

散歩と、外出は、ちょっと違うように思う。

外に出ると、世界はなんて綺麗なんだろう!
って、毎回思う。見慣れたはずのいつもの景色。
でも実は、見慣れる、ってことがない。アファンタジアの特性かな? まぁ、もちろん見覚えはある景色なんだけど。

なんだかんだで日々刻々と景色は変化して。風の感触が変わった。日陰だと、それでも少しだけ涼しい。

日陰で風が涼しくて。季節は確実に移ろっているのだと感じさせてくれる。わずかな温度差を、感じ取る身体。

ふと、小さい頃の思い出。モノローグ的な言葉で。映像的な記憶はまったく脳内再現できない。
でも、体感的なものは脳内再生できないけど、寒冷地での厳冬、銭湯あがりの髪が、帰り道、歩いていると凍ってシャリシャリしてる、とか、絞った濡れタオルが、ほんのり固くなってる、とか。そういう記述的な記憶は、言葉としてモノローグ的に脳裡に甦ってくる。

塗装が剥がれ錆びた赤が覗く外壁。流れて行く車たちの騒音。でも、規則的ですらある騒音の中にも、色々な音が混じっているね。音の想像もできないから、耳を澄ませばいちいち新鮮。

じゃあ、どうやってファンタジー小説なんて書くの? って言われそう。
たとえば、
「水晶の花が咲き乱れる秘密の園」
見たことはないし、実際には見られないけど、ファンタジー世界には在る。在る、と知れば書けるよ。どんな風に見えたらステキかな?
脳内再生できない私へ、言葉という形で紡いでみせる。
言葉って凄いから。
イメージを触発する。
視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚。そういう五感的な再生ができなくても、記述的なイメージだけは私の中に存在する。



AIイラストはPixAIで生成。

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