想うということ-「中学生」
今日もアイデアの種でランダムに選ばれた言葉に想いを馳せて文章を書いていきます。
今日のテーマはこちら。
中学生って大人になってから見るとビックリするくらい小学生と見分けがつかない。
自分が高校生のころはぱっと見で「この子は小・中・高のどこに属しているか」を判断することができたと思うけど、今は「あれ、中学生ってこんなに子供っぽかったっけ?」って思う。
たぶん自分が中学生だった時の自己認識として「もう小学生とは違うぜ、大人だぜ」って思っていた記憶があるから、中学生の見た目が存外子供っぽいことを受け入れられないのかなと思う。
中学生になると遊び方や興味の方向性がだいぶ小学生と変わってくる。
私も小学校までは漫画とゲームばかりだったけど、中学から突然「音楽聴いちゃおっかな」って思い出して、ブックオフでオアシスのアルバムを買ったりした。
「もう中学生だしちょっと背伸びしてみよう」という意気込みがなければオアシスと出会ってなかったかもしれない。
ところで「もう中学生」ってすごくいい名前だ。
この芸名だけで大喜利の強さがうかがえる。
自分がピン芸人として活動するとして芸名を考える場合、「中学生」までは到達するかもしれない。
じゃあ「中学生」に何つけよう?って考えてだいたい名前か名詞か形容詞を考えてしまう。
そこに「もう」という副詞をつけるに至るのもあっぱれだし、「もう中学生」という表現は本人が「いや、オレもう中学生だよ」と言うパターンか親戚のおじさんが「おー、お前もう中学生か」って言うパターンに出てくる表現なので、「もう中学生」は誰かに侮られている状況を想起させる。
それを成人した大人が自分の名前にすることって、なかなか到達できないなぁって感心してしまう。
そんなことより、中学生のころ楽しかったなぁ。