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1回戦負けの弱小チームから常勝チームへの軌跡①—卒業生へ贈ることば


背景

夢だった母校の高校教員になり大きな自信と期待を持ち、女子バスケットボール部顧問に赴任した時の話です。目の前にあったのは、一見明るく華やかに見えるチームでしたが、実際には、勝つことを諦めたチームでした。現に、それまで10年もの間、地区大会を優勝できていませんでした。

「やる前から言い訳をして逃げる」「上辺だけを取り繕う」ーーそんな敗者のメンタリティを変えなければ、本物のチームにはなれない。そう強く思ったことを、今でも鮮明に覚えています。

どのチーム・どの学校でもそうだと思いますが、ヘッドコーチが変わるとそれまでのチームの雰囲気やカルチャーが大きく変わるので、既存のメンバーには大きなストレスがかかります。特に公立校の部活動では、勝利を本気で目指す選手とゆるくやりたい選手が介在するため、本当にチームが変わるには3年かかると言われます。

この記事は、本当に苦しさしかなかった最初の1年間を共に戦ってくれた、3人の3年生の選手達の卒業式の日に贈り、卒業生が返してくれた私達のリアルです。

彼女たちがいたからこそ、このチームは生まれ変わり、輝きを取り戻しました。彼女たちがいなければ、今という瞬間は決してなかったと思います。

毎日苦しみ、涙し、それでも前を向いて戦い続けてくれた3人の卒業生へ。
心からの感謝を込めてーー

卒業生へのことば(1年目)

今、今年度最後の大会を終え、この原稿を書いているのですが、昨年度の今頃には全く考えることができなかった心境で今年度の終了を迎えようとしていることに、改めて感動と感謝の気持ちで一杯です。
それもこれも、すべてはR・M・Nの3人が信じて最後までついてきてくれたおかげでしかありません。3人がいなければ、今という今は絶対になかったと確信しています。それほど偉大な3年生でした。昨年4月、大きな期待を胸に、夢であった自分の母校の高校に就任しましたが、現実は苦難の連続というか、それしかないほど大変でした。

最初に感じたのは「上辺を取り繕う」というか「メッキを貼ってごまかす」という雰囲気です。何より「やる前に言い訳をして逃げる」という敗者のメンタリティがあり、勝つために、或いはチャンピオンになるために必要な資質に欠けていたのを覚えています。「メッキの輝きは本物の前に出たときに偽物だとわかる」「優勝をしたことがない理由はそこにあることを理解しなければいけない」と何とか自信をつけ、心に火をつけたいと思っていたのですが、くすぶるばかりで爆発せずに一つ上の代の高体連を終えてしまいました。

あなた達の代が始まり、「本気で優勝を目指す」と新チームスタートのミーティングをしました。貼ってあったメッキを全て剥がし、石ころから磨いて本物の輝きを手にいれる作業です。その中で、1人また1人と次々に部員が減っていきました。その度に全員でミーティングをし、涙を流し、辛い日々を送り、7人にまで部員が減りました。人の不幸は蜜の味という言葉があるように、「あの高校は終わった」「女バスはヒドイ」「みんな辞めちゃえばいい」…と、何か私達が悪いことをしているかのように周りから言われていたのを覚えています。

そんな風にチームが極限の状態でも、残ってくれた3年生3人は正しいことを見失うことなく、常に笑顔でバスケットに向かってくれました。当時まだまだ幼かった1年生(現2年生)に道標を示してくれました。たくさんの思い出がありますが、私たちが初優勝となったウインターカップ地区予選はおそらく一生忘れません。「バスケットの神様は見てくれている」とずっと話してきましたが、この大会前日には私ですらそれが信じられなくなりそうで、前日練習後に、神社に1人向かいました。全く良いイメージどころか大会後には崩壊してしまうかもしれないというぐらいの不安を持ったまま大会を迎えました。

しかし、大会が終わってみると「初優勝」の栄冠を掴み取っていました。たった7人で。たくさんの人が祝福してくれました。みんな一緒に泣いてくれました。誰も何も言えないほどカッコイイ最高の瞬間、最高の優勝でした。以前にも言いましたが、みんなのおかげで道大会の土地は私の大好きな街になりました。

3月末の春休みになり、元気の良い新1年生を迎え、いよいよという雰囲気になりました。春季大会で1年生がいるときの強烈さと2・3年生7人だけで勝ちきれる本物の強さを見せつけました。高体連地区では圧倒的な強さで優勝。特にファイナルではみんなの3年間が凝縮されたベストゲームだったと思います。たくさんの苦しさを乗り越えて、伸び伸びと笑顔でプレーする3年生を見ることができました。

試合終了後に、赤ちゃんのように泣きじゃくるみんなの頬を伝う涙は本物でした。堂々とプレーするみんなの姿と美しい涙は一生忘れないと思います。

最初の隣町の強豪校への遠征から始まって、春合宿・夏合宿・遠征・中村和雄先生のクリニック、大学生との練習試合等々、一緒に過ごせた2年間には色々なことがありました。たくさんの大会や揉め事も含めて、どれ一つ取っても忘れることのできない大切な出来事でした。

再び、みんなで道大会に行くことができ、そこから今日まで地区大会すべて優勝。代表校に3度の勝利。私達の地区が達成できなかった全道ベスト8。と階段を駆け上がることができました。3人が残していってくれた「チームの絆」はしっかりと現チームに引き継がれ、あの問題児だった4人が立派に成長し、1年生を引っ張ってくれています。私達の「家族の絆」は一生続くものです。これからも長女としてチームを応援してください。

R〜中学から5年間一緒にバスケットをしてきました。あなたがキャプテンだったから、あ の辛い状況の中でも、選手に迎合して妥協することなく、貫くことができました。絶対に正しい判断をしてくれると心から信じていたからです。全く喋れなかったあなたが本気で怒って指示を出している姿に大きな成長を感じました。教え子の中で最も私のバスケットを理解している選手です。素晴らしい指導者になって下さい。心からありがとう。


M〜抜群のシュートセンスをもっていながらも、チーム事情でインサイドをお願いしましたが、チームを最優先に考え、前向きに取り組んで完璧にマスターし、中も外もできる選手になってくれました。どんな時も持ち前の明るさで楽しい雰囲気を作ってくれました。あの苦しい状況でも、チームに笑顔が溢れていたのは間違いなくあなたのおかげです。冷えピタをお尻に貼りながらプレーしていたのも忘れられませんね。本当にありがとう。


N〜「私は人生で一度も優勝したことがないから、優勝を経験してみたいです!」と力強く語ってくれ、一度どころか何度も優勝を生み出しくれました。いつもチームが壊れそうな時は必ずあなたが救ってくれました。試合でキツくなった時にはいつもあなたがコートを走り回って勢いをつけてくれました。おそらくチームで一番上達したのはあなたではないかと思います。あのちびっ子の泣き虫が本物になってくれました。たくさんありがとう。


みんなからは、「真の努力は決して裏切らない」という本当に大切なことを教えてもらいました。みんなの最終目標は「人生の勝利者になること」です。暗いトンネルを抜ければ、それまでに見たことがないような必ず明るい未来が待っています。誰よりみんなが一番よくわかっていることですね。 原稿を書き終えて、今は、少しの寂しさと大きな感謝の気持ちで一杯です。本当に本当にありがとう。みんなには輝ける未来が待っています。大きく羽ばたいて下さい。

卒業おめでとう。 監督より


卒業生へのことば(2年目)

問題児だった4名が無事卒業の日を迎えられたことを心から嬉しく思います。

今から3年前、みんなと一緒にこの高校に赴任しました。私の3年間の思い出はすべてみんなです。チームのHPのためにといつも写真を撮ってきました。その枚数は5000枚を超えました。それだけたくさん内容の濃い時間をみんなと過ごしてきたということです。みんなと過ごした3年間は一言で言えば「ジェットコースター」でした。アップダウンが激しく、ゆっくり上昇したかと思えば急加速で落下して、回転して、右・左に振り回されて…。乗っている間はとても長く感じるのですが、今、ジェットコースターを降りる時間がきて、「あっという間だったな」「楽しかったな」という気持ちと、「できることなら、もう一度乗りたいな」という気持ちが込み上げてきます。

私達が過ごした3年「間」。
最初の高体連は地区1回戦負けでした。最後のウインターカップは全道ベスト4にあと1点1秒のゲームでした。
人が何かを行う上で3つの「間」が必要と言われます。

1つ目は「時間」です。私達が体育館を使える時間は平日1時間半、土日2時間半と他の強豪校と比べれば約半分程度しかありません。

2つ目は「空間」です。体育館はもちろん、トレーニング室・廊下ですら他の部活動と取り合いで、私達が自由に練習できる空間は唯一、体育館のステージです。

この2つだけを見ると、どうやっても上記の地区1回戦から全道ベスト4までの差を埋めることは絶対に不可能です。これまでたくさんの人達が何十年もそうやって言い訳して、やる前から諦めてきました。変えることのできないこの2つの「間」ではなく、私達は最後の一つの「間」を圧倒的に高めることで今のチームをつくってきました。

その3つ目とは「仲間」です。今振り返って最初と最後で何が違うのか、と聞かれたらはっきりとこの部分だと確信を持って言えます。この「仲間」を高めるために、本当に本当に苦労しました。しかし、最後には仲間という言葉では言い表せないほど、本当の家族になれました。


もし、『時間と空間と仲間=成果』という方程式が成り立つのであれば、『(時間+空間)×仲間=成果』なのだと思います。ゆえに、もし仲間の関係がマイナスであれば、どんなに時間と空間があっても答えはマイナスにしかなりません。しかし、仲間の関係がプラスに高まっていけばどんなに環境が厳しくても出てくる答えは無限ということになります。つまり、最後は「人間」ということです。


卒業に向けるめでたい言葉なのに、最後の最後まで訓示めいた話になってしまいました。しかし、個人主義・自分自身の権利の主義主張ばかりが蔓延るようになってしまった日本でも、損得勘定抜きに仲間のことを思いやる「家族の絆」を築き上げることができたことを誇りに思うし、みんなのような人がこれから社会に出て活躍することを考えると、「日本の未来は明るい」と心から思います。


S
最初に先生が言った通り、優しくて真っ直ぐで、何よりバスケットボールが大好きな選手でした(自分でもわかってなかったみたいだけど)。不器用な性格で、表現できずに周りに理解してもらえず悩んだし、苦しみましたね。たくさんぶつかったけど、それ以上にたくさんたくさん助けられました。キャプテンとして努力してくれたことに感謝しかありません。あなたがプロになるという夢、先生も夢です。

N
まさに天真爛漫で、裏表なく笑って泣いて純粋に気持ちを表現できる選手でした。その裏では、最も努力家で、先生が求めるレベルまで完璧な準備で毎日を過ごし、チームのエースとして活躍してくれました。高体連で終わりかと寂しいと思っていましたが「高校バスケはウインターカップがメイン大会」と進路を決め、再び一緒に夢に向かってバスケできた時は、本当に嬉しかったです。あなたの明るさがチームの明るさでした。

K
中学校から合わせて5年間、一緒にバスケットしてきました。先生のバスケットを一番強く速く美しく表現してくれる選手でした。あの小さくて赤ちゃんみたいだったあなたが、すっかり体も強くなって強豪チームのセンターと戦える選手になるとはあの頃は夢にも思いませんでした。どれだけの努力を重ねてきたか…先生の練習の皆勤賞という事からも本当にわかります。高校で一番上達した選手です。自信を持ってください。

O
どんな時も正しいことを正しいと言え、自分が辛い時でもチームのことを最優先に考えて行動できる素晴らしい選手でした。「みんなはどうするか知らないけど私はもう一度ケガを乗り越えて国体もウインターも最後まで高校バスケやり切る」「全道高体連・感動の3ポイントシュート」あなたの言葉やプレーに、何度も勇気をもらったし、何度も感動を与えてもらったし、何度も何度もチームの危機を救ってもらいました。


みんなからは本当にたくさんのことを教わりました。「努力は必ず報われるということ」「人はこんなにも信じ合え、仲良くなれるということ」そして、「高校バスケットボールの楽しさ」です。コーチという仕事は孤独ですが、最後には、こんなこともあんなことも全て先生のことを見抜いてみんなが接してくれていることを温かく感じていました。私の娘達がここまでしてくれたか、ここまでになってくれたかと、感謝の気持ちと感動の気持ちで一杯です。

みんなにもらったたくさんの想いを大切に、これからも頑張ります。必ず妹達と全国に行きます。その時は何があっても必ず一緒に来てください。夢はいつまでも続き、私達の絆もいつまでも続くものです。また一緒に笑いましょう。また一緒にバスケットしましょう。S・N・K・O、本当に卒業おめでとう。楽しく激しい3年間を、心の底からありがとう。

監督より

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島勇治 | S級コーチの宝物
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