醸造開始から3年が経って思うこと。
9月7日をもって醸造免許の交付から丸3年が経過しました。
はじめに、いつもどこかでビールを飲んでいただいている皆さま、そしてお酒を届けてくれている飲食店さんや酒屋さんなどお取り引き先の方々、原料や資材などを調達してくれている商社の方々、そしてパシフィックチーム、全ての方に感謝いたします。
これまでにおよそ300仕込みをして、数を重ねていくことで技術の向上を感じると同時に、自分自身の心境や、クラフトビールを取り巻く環境の変化を大きく感じます。
ここで改めて、ビールつくり、及び会社という組織としてのキーワードをいくつか振り返ってみたいと思います。まず、ブルワリーの大きなコンセプトの一つに「海を越え、山を越え、ビールと旅するブルワリー」というのがあります。これはもちろん旅をすることが好きだったというのもありますが、いわゆる観光旅行的な意味合いというよりかは、人や土地との出会いや、そこから生まれる自然な関係性というところを、特に大切にしていきたいという思いからです。振り返ってみると、毎月のように色々なところに行っていて、日本各地にたくさんの訪ねたくなる人や場所が出来てきています。また、その関係が発展して、ビールつくりにも繋がっているのはとても喜ばしいことです。もちろん軸になるのは、ここ茅ヶ崎な訳であって、日常があるからこその、非日常であるとも思っています。
次に、いわゆる経営理念的なキーワードは「ビールを通して新しい価値観を提供する」というものがあります。これは、ただ美味しいビールをつくる訳ではなく、ビールがもつ社交の潤滑剤的な要素を活かして、自分たちが好きなこと、もの、人などを発信していきたいという意味合いです。パシフィックのビールの周りに広がる世界がちょっと面白かったり、ビールをきっかけに新しいことに出会えた、ということを目指してこれまで他業種の方とのビールつくりや、イベント企画などを通して、出会いの場の創出に取り組んできました。と言いつつ、企画会議をして意図して何かを生み出すというよりかは、ビールが結んでくれた縁を通じて自然なものつくりをした結果として起きていることの方が多いです。これは自己評価が難しい部分ではありますが、パシフィックとの出会いが、更なる大きな出会いへと繋がっていたら幸いです。
もう少し細分化していき、ビールつくりの根幹となる部分にも触れていくと、「歴史に学び、現代を生きる」というフレーズが挙げられます。噛み砕いた表現をすると「伝統に縛られず、流行に左右されないビールつくり」とも言えます。これは実は、免許修得後数バッチの仕込みを終えたあとに生まれたものです。というのも、いざビールつくりを始めてみると、具体的にどんな味わいのビールをつくればいいのだ?と自分でもわからなくなってしまいました。芸人のネタ帳みたいに、レシピ帳みたいなのあるの?と良く聞かれますが、僕は全くと言っていいほどありません。ちょっとしたアイデア集みたいなのはありましたが、ほぼ思いつきを雑記しただけです。これは、自分の好みも変わるから別に必要としていなかったからではあるのですが、そうは言っても行き当たりばったりは良くないな、ということで、改めて自分とビールとの間にある物をよーく考えた末に決めたのが、上記のフレーズという訳です。これは我ながら良くできていて(自分にとっては)今でもふと、この言葉を思い出しながら、どこへ向かうかということを意識しつつ、次なるアイデアを形にするようにしています。
また後に続く話しの前に、開業当初に決めた僕らなりのクラフトビールの定義についても少し。これは、未だに正解は無く、一般的には規模感などが挙げられるのですが、僕らとしては"品質と多様性"が重要になるのではないかと思っています。品質の部分は高品質であることはもちろん、品質が最重要視されているか?というところ。ようは流通形態や価格のために品質が犠牲にされる事をノーとしています。また多様性というのもとても大切だと思っていて、これは世界の各地で、その地域性の中で育まれた文化であるからこそ、その幅の広さや奥行きというものをリスペクトしたいという思いがあります。
これらを踏まえた上で、最近のマイブーム?的にビールをつくる上で考えていることを。
今、規模の大小に関わらず、ビールは4つのジャンルで表現されているのではないかと思っていて、それが「ビール味のビール」、「ビール味のクラフトビール」、「クラフトビール味のビール」、「クラフトビール味のクラフトビール」というところです。(ややこしいです)
これは、クラフトビールという飲み物が浸透しつつある中で起きている現象のひとつに、クラフトビール≒IPAという構図ができているのでは?ということに端を発しています。確かに、歴史の流れをみても、IPAはクラフトビールの代名詞的存在ではあると思うのですが、ではドイツの老舗醸造所がつくるラガーはクラフトビールでは無いのか?とか、大手がつくる品質蔑ろ系のIPAはクラフトビールなのか?とか色々な問題が浮上してくるのです。これは決して、どれかがダメとかいう話しでは無くて、単純な味やスタイルだけでクラフトビールというものを語るのは難しくなってきているのでは?ということです。ラガーだけど、マスプロとは一線を画したビールもありますし、またHazy IPAでも、なんちゃってな商品もあるからなのです。僕らは今「ビール味のクラフトビール」に面白さを感じていて、日々挑戦中です。
最後に、今改めて思うことは、「味で勝負していきたい」ということ。これまでも当然、美味しいということを大前提に真剣にビールつくりに取り組みつつ、ビールの裏側にあるストーリーやその先に広がる風景みたいなものも大切にしてきました。これらは良いものには自然とついてくるので、これからもそのスタンスを変えるつもりは無いのですが、表面的な部分での差別化が難しくなってきているなと感じています。これは年間100件以上の新ブルワリーができてくる中で、"なんか良さそうな"ブルワリーが増えてきたからなのかもしれません。これはSNSはもちろん、AIなどの技術が発達するにつれて起きている、情報伝達のスピードが圧倒的に早くなっているということが要因の一つだと思っています。これまでは、現場に行ったり、雑誌や書籍、または人伝いなど、まるで大きな海を漂うように集めていた情報が、これらの技術の進歩に伴い、突如として大きな滝のように降り注いでくるような状況なんではないでしょうか。人類にとってはメリットも多いとは思いますが、ビールに限らずなんか同じような雰囲気のものって増えましたよね?うまい、かっこいい、かわいい、面白い、斬新、だけど何か響かない。みたいな。本当にいいものというのは触れた瞬間に分かるもので、それを作り出すのはなんと言っても知識や経験を基にした技術力だと思います。ダサくて誰も言わなくなりましたが、クラフトビールって"職人が醸す麦酒"で良いんだと思います。一口飲んだ時に、ウマッてなること。あとの事は勝手についてくるんだと思うんですよね。
美味しいビールとは、美しい味のビールである。どうやら、何度も使っていた言葉に、大切なことが全て詰まっていたようです。
変わらず、こんな調子ですが、4年目のパシフィックもどうぞよろしくお願いします!
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