そのとき私は?

つらつらと思い出したことなど。
私は昨年、2019年2月に乳がんの局所再発のため、乳房全摘手術と同時再建手術をした。乳腺外科+形成外科で8~10時間に及ぶと予め伝えられた長時間の手術は、8時間半ほどで比較的短く終わった。
術後、麻酔から覚醒したら確認のために名前を呼びかけられると聞いていたが、実はまったく覚えていない。(ただ、そこで確認できないと手術室から出られないと聞いていたので、なんらかのリアクションはしたのだと思う)
気がついたら、ICUへ移動するベッドの上にいて、少し心配そうな表情の形成外科主治医がそばに付き添いながらベッドを押しているのに気づき、オペはどうなったのかな?と思ったのと、寒くてガタガタ震えていたことを覚えている。空いていれば使えると聞いていたICUの個室に入れたことは辛うじてわかり、そこで母と東京から来てくれた妹の顔を見てオペは終わったのだと実感したのだった。

その局所再発がまず疑われたのは2018年6月なのだが、実はその前にも一度局所再発疑惑があった。それは集中的な治療を1月に終えたばかりの2016年3月のこと。
腫瘍内科の診察で抗がん剤の副作用の名残などを主治医に色々訴えたあとで、自分ではあまり気にしていなかった乳房の直径2センチほどの赤みを”なんだかここが赤くなっているんです”とついでのように伝えたところ、患部を見た優しい主治医の顔色がサッと変わった。ちょっと気になるから検査しましょうとCTを取るべく検査室に掛け合ってくれたがあいにく予約が一杯で検査が出来ず、ではエコーをしようとすぐ検査室へ行くように指示が出た。
エコー検査では再発かどうかハッキリせず、後日PET-CTで確認することになった。そうこうするうちに放射線治療科のM先生が飛んできて、患部を確認すると”うーん、放射線治療の影響で免疫低下して炎症の可能性もあるかも・・・”と端切れの悪い口調で言われるのを、”終わってから2か月も経って、炎症ってあるのかしら・・・”と内心情けない思いで反芻したことを覚えている。
実はM先生のことはそれまで少し苦手だった。いつも診察は待たされるし、ちょっと不愛想というか取っつきにくい印象がどうしても拭えなかった。ただ、このとき本当に心配そうな様子で、忙しいなかを慌てて腫瘍内科の診察室まで出向いて下さり、腫瘍内科の主治医と対応を話される様子を見て、ちょっと不器用な先生というだけなのだと初めて気づいたのだった。
思い返せば、放射線治療前の計画CTのときもとても熱心に位置決めなどの確認をしてくださったのだった。

結局このときは、PET-CTでも再発の所見はなく、その後抗生剤とステロイドの塗り薬を処方されて10日ほどで赤みは引き、炎症だったのだろうということに落ち着いた。放射線治療後の皮膚が免疫低下していて、雑菌に感染して炎症を起こすということが稀にあるらしい。このようにがん治療とは厄介なものだ・・・まったく。

M先生とはその後は色々お話しするようになり、臨床腫瘍学会の患者向けプログラムで講演されるのを聴講したりもした。そのときの最新の放射線治療の話がすごく面白くて、自分がこの治療をこの先生の手で受けたのだと思うと誇らしい気持ちにさえなった。
今は大学病院へ戻られたと聞く。お父様も放射線科の医師であり、がん治療に携わりたいという意思を学生の頃からもっていらしたというM先生、きっとご活躍だと思う。
(局所再発の話の続きはまた今度)


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Chiara
日々のよしなしごと、好きな音楽のことなどを書いています。 楽しんでいただけたら、サポートしてくださると嬉しいです。