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30年経っても・・・嗚呼
久しぶりに中学の同級生3人で集まった。ひとりは高校も一緒だった。
3人で集まるのは1年4か月ぶり、なんやかや忙しくしていると時間はあっという間に過ぎてしまうのよね。
お互いの近況、親のこと、子供達のこと(私はいないけど)、世の中のことなどなど話は尽きない。
一人は父親と母親を別々の施設に預けているが、それに至る詳しい経緯を今回初めて聞いて、なかなか壮絶な経験をしていたことを知った。
認知症状が出ている親の介護は本当に大変で、家族では無理!施設に預けるべき!私は子供達に頼るつもりはない、施設に入るつもり!と力説していた。
私ともう一人は親と同居もしくは近居で、まだ親たちが自分の足で歩き、食事の支度など家事はできる状態なので助かっている。でも、これからは1年1年が勝負だともわかっている。いやはや、こればっかりはね。。
そんななかで、一人の父方の出身が金沢だったことを思い出し、地震は大丈夫だった?と聞くと、なんと能登町の親戚は家は全滅。でもみんななんとか無事でしばらく金沢の親族宅に身を寄せていたとのことだった。今は、新しい生活を始める目処が立ちつつあるとのことで少しホッとする。
彼女の従兄の一人が、阪神大震災時に神戸大学の学生で震度7を経験していて、今回の能登半島地震にも遭遇した。
彼曰く、避難所が阪神のときと同じレベルだった!何も変わっていない!と力説しているそう。
30年も経っているのに。
あれから、大きい地震だけでも東日本も熊本もあって阪神から数えて4回目なのに。
それに引き換え、先日の台湾の地震での手際の良さたるや!翌日には清潔な避難所が設置され、炊き出しなど食事はもちろん、衛生面や衣類、通信面のサポートもばっちり。
日本はあかんねぇ(嘆)
30年…一体、何してたの?
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おめでたいニュースもあった。
離婚して12年、もしかしたら復縁するかも…と言っていた友が今年になって入籍したそう。
おめでとう!老後は安泰だねと3人で笑った。わからないけどねーと突っ込みつつ。(関西人あるある、笑)
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