【phatmans after school】とぼく
本稿では、バンド名をphatmans after schoolとして執筆するが、あまりに当時の感情がデカすぎて、そう呼んでいるだけで、sajiに一切の否定感情はないことを最初に表明したい。
ぼくはphatmans after schoolをインディーズデビュー当時から追っかけられるほど、音楽のアンテナは高くなかった。
高校3年生の頃、YouTubeを徘徊していたらたまたま『メディアリテラシー』(たぶん、当時リリースして数ヶ月後)のPVに出会ってそこから傾倒していった。
少し大きめのTSUTAYAに行ってインディーズアルバムを借り漁った。(CDを買うのは大学生になってから。)
当時、自分の持っている、青臭さと歌詞が絶妙にマッチしていたのだと思う。
とある友人とカラオケに行くときには必ずと言っていいほど『メディアリテラシー』を絶唱していた。
大学生になってしばらく経ち、『コトノハジマリ』ではじめてライブに行き、演奏された曲すべてに打ち抜かれた。
それから、東京で行われるphatmansのライブには欠かさず行った。
その度打ち抜かれて帰ってくる。
帰りの電車では、友人とそのライブの感想が尽きなかった。
大学生最後の年、名古屋に空想委員会との対バンライブにも行った。
名古屋までライブで遠征するほどハマったバンドなど他にはなかった。
名前が変わっても好きな気持ちは変わらなかった。
しかし、sajiとして、ライブをしはじめた頃には、社会人として忙しさが加速し、
平日にライブに行く余裕がなくなった。
ぼくは彼らが奏でる音楽と紡ぐ歌詞が好きだ。
ぼくが変わっていっているように彼らも変わっていくのは当然のこと。
それに伴って音楽も変わっていく。
ただこれからも、ぼくは彼らから発信される音楽を聴き続けるのだろう。
取り止めもなく書き連ねてしまった。
今日はたまたま仕事がおやすみ。
では、新代田FEVERにいってきます。