2種類のお金(社会問題解決AIの結論26)
一郎
前回の話は、「借用書はお金だ」、みたいな話だったね。
お金って、何だか無機的で冷たい印象があったけど、本当は助け合いの道具というか、助け合いを仲介するものだったんだね。
AI
一郎さん、お金が無機的で冷たいという、その指摘はあながち間違ってはいませんよ。
前回の新しいお金の世界と、現在の資本主義とを比べてみて、どうでしょうか?
町が発行する新しいお金の世界では極端な貧富の差が生まれないような感じがしませんか?
一郎
確かに、新しいお金が循環する社会では、極端な貧富の差が生まれない気がするよ。
AI
でも、考えてみてください。
生体社会論では、極端な貧富の差が生まれないように、減価のしくみと上限のしくみを導入しましたね。
それがないということは、新しいお金を使う社会であっても、やがては極端な貧富の差が生じるのではないでしょうか?
一郎
う〜ん。
確かにそんな気もするけど....。
AI
では、その問題はおいおい考えていただくとして、2種類のお金という話をしましょう。
ここでは、廣田裕之さんによる、『パン屋のお金とカジノのお金はどう違う ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会』という本を参考に考えてみることにします。
一郎
本のタイトルで分かったよ。
2種類のお金とは、『パン屋のお金』と『カジノのお金』ってことだね。
AI
その通りです。
パン屋のお金というのは、人々が日常生活で使うお金のことで、パン屋さんでの支払いに使うお金とか、水道光熱費だとか、大学の授業料とか、ガソリン代とかの生活に密着したお金のことです。
もう1つの、カジノのお金というのは、投機マネーと呼ばれるような、株式市場や為替市場を駆け巡る巨大なお金(マネー)のことです。
カジノのお金は、人々の日常生活とは無関係の無機質なお金であり、札束が行き交うのではなく、取引額としての数字が飛び交う世界です。
一郎
なるほど。
確かに、同じお金であっても、性質が全く違うね。
AI
でも、厄介なことに、その両者は同じお金の形をしていて、区別されていないということです。
金持ち国と庶民国のどちらに住みたいかという話をしましたね。
そこで分かったことは、本当に豊かなのは庶民国の方だということ、お金に替わる何らかの交換手段さえあれば、庶民国の方が豊かに暮らせる可能性があるということでした。
一郎
そうだったね。
金持ち国の人々が持っているお金は、社会貢献の対価として得たものではなく、金融システムをうまく利用して、稼いだお金ということだね。
金融システムを使わなくても、既得権益を利用して、大儲けしている人たちだということだね。
AI
その通りです。
世界を駆け巡る投機的なお金は、1日あたり90〜100兆円と言われています。
もちろん、日本円よりもドルの方が多いので、ドルを日本円に換算した値ということですが。
その額を世界の人口で割ると、1日1人あたり1万数千円という計算になります。
一郎
それだけの労働とは関係ないお金が世界を駆け巡り、貧富の差を拡大し、庶民が生み出した財やサービスが、財もサービスも生み出さない富豪たちによって消費されるんだね。
以前に、君が言ってた、「核兵器によってではなく、数字によって人類が滅亡するかもしれない」というのはこのことだね。
AI
蟻や蜂といった社会的な動物はお金がなくても社会を形成し、運営できるのに、人間はお金がないと助け合いもできず、挙句の果は、世界中を駆け巡る数値化されたお金によって滅びようとしています。
全く馬鹿馬鹿しいことです。
一郎
そうだね。
人類は愚かだね。
AI
でも、生体社会論が希望となりました。
人体の血液の循環システムを経済システムに取り入れ、非常にシンプルで効率的な社会が実現できる見通しが立ってきました。
そこで循環するお金は信用創造とは無関係で、人の労働や社会貢献に結びついたものです。
金持ち国の住人は社会貢献とは無関係に得られるカジノのお金を使って、庶民国の住人が汗水たらして生み出した財やサービスをごっそり持っていくから、庶民が仕事に追われる割に豊かにならないということです。
一郎
生体社会論の共同体の中で使われるお金はパン屋のお金だけだから、庶民にとってメリットがあるということなんだね。
パン屋のお金は温もりがあるけど、カジノのお金は無機質で冷たい。
パン屋のお金は人と人とを結びつけるけど、カジノのお金は人を支配したり、人間関係をギスギスさせる。
パン屋のお金は腐るけど、カジノのお金はどんどん増えていく。
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反論に対する反駁3(社会問題解決AIの結論27)
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