大竹伸朗展はなぜ人気なのか?
東京国立近代美術館にて開催中の「大竹伸朗展」に行ってきました。
約3ヶ月間という長めの会期にも関わらず、会場は人がいっぱいで、学生から年配の方まで、幅広い年齢層の人で賑わっていました。また、多くの人が友達や家族と楽しそうに会話をしながら作品を鑑賞していたことも印象的でした。
現代アートの展覧会の中で、だれもが同じように楽しめる個展は意外と珍しいのでは?と思ったので、感想とともに、多くの人が大竹伸朗展に惹かれた理由を考えてみようと思います。
「おもしろかった」と言いやすい空気
大竹伸朗展で初めに感じたのは、会場全体の“陽”な雰囲気でした。これまで現代アートの展覧会では、展示を見て「おもしろいな〜」と思っても
・作品をきちんと理解できていないかも
・浅い知識で感想を述べるのは失礼かも
・そもそも自分の感想は的外れかも
・アートに詳しい人から否定されてしまうかも
といった不安から、なんとなく感想を共有しづらく感じることが何度もありました。
しかし、今回の大竹伸朗展は、そんな些細なモヤモヤをバーーーーン!と吹き飛ばすような迫力と熱気で、知識も経験も関係なく「すごい!おもしろい!」という感覚を、だれもが平等に共有できる空気がありました。
そもそも、あれほどの作品数があると、よほどのファンであっても全作品を事前に把握することはおそらく難しく、作者ご本人(大竹伸朗さん)以外は誰もが平等に“にわかファン”のような視点で素直に作品を楽しめたのではないでしょうか。
圧倒的なパワーと親近感
また、大竹伸朗展の人気の理由のひとつに、“親近感”があるように思いました。
例えば「絵が上手い」といった技術的な話や、「コンセプトがすごい」といった内面的な話は、自分のような一般人には少し遠い出来事のようで、その凄さを具体的に想像しづらいのに対し、大竹さんの作品は、熱量を目で見てはっきりと感じ取ることができ、どんな人にも凄さが伝わりやすいと思いました。
特にコラージュを用いた作品は、雑誌やチラシなどの誰もが手に入れられる身近な素材と、切ったり貼ったりという身近な行為によって生み出されており、より親しみを感じました。
そして、身近な内容だからこそ「もしこれらの作品を自分が作るとしたら…(どれほどの熱意と体力が必要だろう)」といった想像を巡らせやすく、膨大な数の作品で埋め尽くされた会場を見ながら大竹さんのパワーを改めて実感しました。
表現の幅広さと会場の一体感
もうひとつ、会場でおもしろいなと感じたのが、絵画やコラージュなどの具体的な表現の作品の他に、抽象的な表現の作品にも人がたくさん集まっていたことでした。
これは偏見かもしれませんが、多くの展覧会では抽象的な作品は鑑賞者側の得意不得意が分かれる気がしていて、好きな人はじっくりと鑑賞するものの、さっと見て通り過ぎる人もそこそこいるようなイメージでした。(分かりやすい作品の方に人が集まりやすい、というイメージ)
一方、今回の展覧会では、どの作品の周りにも割と均等に人だかりができ、多くの人がひとつひとつの作品をじっと見入っているようでした。表現の好き嫌いに関わらず、会場全体を巨大な作品として楽しんでいる方が多かったのかもしれないなと思いました。
グッズも大充実!
いちどにたくさんの作品を見て、おなかいっぱいな気持ちで会場を抜けると、グッズ売り場まで気合が入っていて驚きました。さまざまな冊子が袋にまとめられた図録のほかに、キャンディ缶やワッペンシールなど、眺めているだけでも楽しくなるような気の利いた商品がいくつもありました。
出口まで楽しめる、とても大満足な内容でした。ボリュームたっぷりの展覧会ですので、これから見に行かれる方は、しっかりと睡眠をとって、体力と時間に余裕を持って行かれることをおすすめします。